熊野古道(大辺路① 北新町の道標→朝来駅)
2012年4月5日
北新町の道標・・・蟻通神社・・・若宮神社・・・闘鶏神社・・・つぶり(礫)坂・・・橋谷川・・・(紀伊新庄駅)・・・南海地震津波水位碑・・・大潟神社・・・(国道42号)・・新庄坂・・道分地蔵・・新庄峠・・・峠交差点・国道42号・・・弘法井戸・・延命地蔵堂(大師堂?)・・・糠塚・・・新川橋(新川)・・・旧道・・跨線橋(JR紀勢本線)・・・櫟原神社・・・朝来駅(紀勢本線)
【ル-ト地図】
中辺路の滝尻王子から引き返し大辺路を少し歩く。大辺路は田辺から海岸沿いに那智・新宮へ通ずる道で、富田坂・仏坂・長井坂などの峠を越えて行く厳しい道でもある。旧道は消失した部分もあり、ルートも様々で里道、川沿いの道、海路と代替・派生ルートも多い。
*参考:『みんなで歩こう 熊野古道 大辺路・小辺路』(わかやま絵本の会)
『和歌山県街道マップ 大辺路』(大辺路の一部)
『上富田町文化財教室シリーズ』
写真をクリックすると拡大します。
意外と小さな社だった。境内を駐車場にしてしまったのか?
北新町の道標は『中辺路①』に、蟻通神社・闘鶏神社は『紀伊路⑩』に記載。
昔は小石(礫)の敷いてある坂だったのか?
南海地震(昭和21年)津波水位柱
文里港から津波が遡って押し寄せたのか。
大潟神社 《地図》
『ぎおんさん夜見世』で有名。
田辺バイパス(国道42号)をくぐり、新庄坂を上る
新庄坂 《地図》
地蔵(右?)は道標を兼ねていて、「右ハ大ベチ道 左ハ熊野路」と刻むそうだ。
この先、新庄峠の高地蔵を探したが分からず、随分あちこちとうろついた。畑作業をしている人に聞いてもあいまいな返事で、結局はあきらめた。
この途中の左上に高地蔵があるはずだが見当たらず。
舗装道路に下り、峠交差点に出る。
峠交差点(国道42号) 《地図》
民家の敷地内。
弘法井戸の向いあたり。
①ここで熊野に向かってぬかづいたとも、②このあたりがぬかるんでいたからともいう。この付近には朝来大沼が広がり、降雨で沼水が道を浸すと通行不能になったというから、②が妥当か。
厳島神社の小祠(正面)と、左は「市守長者塔」で市場の守(管理)をしていた長者のことだろう。
跨線橋で紀勢本線を越える。《地図》
富田川の東岸(左折)と西岸(直進)を行く大辺路の分岐点 《地図》
西岸沿いのコースを取るが、櫟原神社に寄って今日はここまでとする。『富田川両岸を通る大辺路』(上富田町文化財教室シリーズ)
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