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2012年4月18日 (水)

熊野古道(中辺路③ 滝尻王子→小広王子)

2012年4月6日

紀伊田辺駅→滝尻バス停・・・滝尻王子・・・胎内くぐり・・・乳岩・・・不寝王子跡・・・番号道標1・・・剣ノ山経塚跡・・・飯盛山展望台(340m)・・・針地蔵・・・夫婦地蔵・・・高原熊野神社・・霧の里休憩所・・旧旅籠通り・・・番号道標8・・庚申さま・・・一里塚跡碑(24里)・・・高原池・・・番号道標11・・大門王子・・・番号道標13・・・十丈休憩所(十丈峠)・・十丈王子跡・・・小判地蔵・・・番号道標15・・悪四郎屋敷跡・・・一里塚跡碑(25里)・・・上多和茶屋跡(約600m)・・・三体月伝説地・番号道標20・・・逢坂峠・・・塩尻の谷・・大坂本王子跡・・・大坂(逢坂)・・・一里塚跡碑(26里)・・・箸折峠・牛馬童子像・・・番号道標25・・・北野橋(日置川)・水垢離場跡・・近露王子跡・・伝馬所跡・・・茶屋坂・・・近野小学校・・・近野神社・・・一里石バス停・・・楠山坂・・・番号道標29・・・日待供養塔・・・比曽原王子跡・・・一里塚跡碑(27里)・・・野中伝馬所跡・・継桜王子跡・野中の一方杉・とがの木茶屋・・野中の清水・・秀衡桜(継桜)跡・番号道標34・・・安倍晴明の腰掛石・・・(高尾隧道跡)・・・中川王子跡・・・小広峠・小広王子跡・・番号道標40・・・小広峠バス停→紀伊田辺駅

 滝尻王子から険しい山道に入る。番号道標・王子跡・一里塚跡碑をたどりながら、いくつかの峠を越えて小広王子跡の先の小広峠バス停まで進んだ。気温は低めで北側の斜面に出ると風が冷たかったが、歩くのには快適な天気だった。明日は熊野本宮までもう一頑張りだ。

  参考:『和歌山県街道マップ(熊野古道 中辺路 17・18)』
        『熊野古道なかへち

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5088 滝尻王子からすぐに急な上りとなる。

Img_5092 胎内くぐり

かなり狭い。いくら安産のためとはいえ、スリムな女性でもくぐるのは容易でなかろう。

Img_5091 説明板

Img_5099 乳岩

熊野の説話』、藤原秀衡夫婦が熊野詣の足手まといとなるので、ここにわが子(後の忠衡)を捨てたということよ。それでも忠衡は父の遺言を忠実に守り、源義経を大将軍にして頼朝に対抗しようと主張した。親も親なら子も子か。秀衡が熊野を訪れたことは確認できていないというから、たんなる伝承に過ぎないが。

Img_5095 説明板

Img_5101 不寝王子跡

滝尻王子に合祀。左は紀州藩が享保8年(1723)に建てた緑泥片岩の王子碑。

Img_5102 説明板

Img_5104 番号道標1

熊野本宮までの間に500mごとに1~75の道標が立つ。今日は40の先まで行くことになるから20km以上はある。

Img_5107 木の根道に足をとられて進む。

Img_5110 急な石段もある、なかなか険しい上りだ。

Img_5115 剣ノ山経塚跡

Img_5116 説明板

Img_5117 平坦な道でほっと一息。

Img_5124 飯盛山(めしもりやま)展望台(340m)から 《地図

Img_5130 石畳の道を行く。

Img_5131 親切な標示板

間違いやすい所立っているから間違えようがないのだが、それでも間違えそうになる所もある。

Img_5132 この先で舗装道路を横切る。

Img_5140 針地蔵尊

Img_5141 「歯」の守り神で、歯が痛むとお願いし、痛みが直ったら針を3本立てて、鳥居を作って奉納したそうだ。3体とも針地蔵か?

Img_5142 厳しい道が続く。

Img_5149 夫婦地蔵

仲良くの前垂れだが、少し離れ気味なのが気になる。倦怠期か?

Img_5150 平坦な所へ出ると民家が並んでいる。

Img_5152 中央に国道311号が見える。

Img_5161 高原熊野神社 《地図

春日造の本殿は室町時代前期の様式。

Img_5160 説明板

Img_5170 霧の里休憩所・展望所

Img_5167 正面が焼尾山(450m)・その後方に頭部が少し見えるのが持平山(912m)、右端後方が笠塔山(1049m)

Img_5169 三尾山(484m)、左端が西畑山(441m)、中央後方奥が虎ケ峰(789m)

Img_5172 旧旅籠通り

「近露王子まで3時間30分」と標示してある。

Img_5178 ここから山道になる。少し先に庚申塔と大日如来の祠がある。

Img_5180 庚申塔と大日如来

Img_5181 「近露王子まで約4時間」とある。さっきは3時間30分だったのに、10分歩いて時間が長くなるとはこれ如何に?

Img_5185 一里塚跡(和歌山から24里)

Img_5189 高原池

Img_5192 大門王子跡

この付近に熊野本宮の大鳥居があったらしい。樹齢200年の老松は昭和51年に松喰虫にやられ枯れてしまった。

Img_5193 説明板

Img_5194 紀州藩の建てた緑泥片岩の王子碑と、左は鎌倉時代後期のものとされる石造笠塔婆で、町石の役目をしていたものか。

Img_5197 熊野の山並み

Img_5199 杉林の間を行く。

Img_5201 十丈休憩所

十丈峠には茶屋など数軒の民家があったそうだ。

Img_5204 十丈王子跡

春日神社に合祀。

Img_5203 説明板

Img_5210 小判地蔵

小判は抜き取られ口は開いたままか。地蔵には「道休禅定門 生国豊後有馬郡 献主愛州」と刻まれている。

Img_5209 説明板。

「道休禅定門」は戒名ではあるまい。水呑王子跡の先にも「道休禅定門」と刻んだ地蔵がある。

Img_5212 悪四郎屋敷跡あたり(番号道標15地点)

怪力悪四郎の逸話:「四郎は力持ちで、土地の人は「悪四郎」と呼んでいた。ある時、太い松の枝に腰をかけていると熊野詣の一行がやって来て、同じ松の枝に腰かけた。そこで四郎は、「自分はもう出かけるから、お前さんらも腰を上げよ。そうでなければこの枝で跳ね飛ばされてしまうぞ」と言ったが知らん顔をしているので、四郎は仕方なく立ち上がると、みんな松の枝で跳ね飛ばされてしまったとさ」 四郎は怪力というより目方が重かっただけのことか?

Img_5214 説明板

Img_5217 一里塚跡(和歌山から25里)

Img_5221 上多和茶屋跡

ここは標高約600m

Img_5222 説明板

Img_5228 緩やかな下り道

Img_5229 三体月伝説地

ここを上れば三体月鑑賞地だが、むろん今は月日も時間も合わない。

Img_5230 説明板

Img_5235 逢坂峠茶屋跡歌碑

先代が茶店を営んだ杉中花仙の歌。1983年の花仙の十周忌に立てられたもの。

Img_5239 木橋を渡る。

Img_5241 大坂本王子跡

近野神社に合祀され王子碑・笠塔婆が立つのみ。正面の小祠のようなのは王子参拝の記念スタンプが置いてあるようだ。

Img_5242 説明板

Img_5245 大坂(逢坂)を下り、沢を渡って流れに沿って進む。

逢坂峠は近露側から上るには急で大坂と呼ばれる。坂の途中には、女人が蛇に姿を変えた大樹があったと伝える。『中右記』

Img_5254 道の駅中辺路を右下に見ながら進む。《地図

Img_5258 一里塚跡(和歌山から26里)

Img_5262 牛馬童子・役行者(右)、奥に地蔵・不動像その後ろに宝篋印塔(鎌倉時代)

なぜか明治時代に作られた花山法皇の雄姿という牛馬童子が有名になった。カヤの枝をってにしたので「箸折峠」、箸から赤い露がしたたったので、これは「か」で「近露とか。愉快に笑えて疲れも忘れる。隣の役行者も童子に合わせてか、可愛い顔をしている。

Img_5260 説明板

Img_5265 近露の集落が見えてきた。この先は歩きにくい石畳道となる。

Img_5274 北野橋(日置川)

水垢離をして、近露王子に入った。

Img_5277 近露王子跡 《地図

近野神社に合祀。

Img_5282 説明板

Img_5280 近露王子碑

大本教教祖の一人、出口王仁三郎の筆跡。暗い時代の事の顛末は説明板で。

Img_5279 説明板

Img_5286 近露伝馬所跡

このあたりは道中と呼ばれ、多くの旅籠が軒を連ねていた。今でも旅館が数軒あり、熊野古道歩きの拠点となっている。

Img_5287 説明板

近露王子から小広王子までの熊野古道は一部を除いて生活道を兼ねている。大半は舗装され車1~2台は通れる道で、世界遺産からはずれている。

Img_5288 茶屋坂(正面)を上って行く。

左折して石段を上ると野長瀬一族の墓がある。北朝方に追われ、高野に逃れる途中の大塔宮護良親王を援けるべく、野長瀬六郎、七郎兄弟が駆け付けたという。

Img_5299 近野小学校 《地図

見事なオール芝の校庭。『街道てくてく旅 熊野古道』では森上亜希子さんが生徒たちとテニスを楽しんでいた。

Img_5300 近野神社

明治時代に近郷の王子社や神社が合祀された。その際に多くの社叢が伐採され、その売上げを役人がガッポリと懐(ふところ)に入れたという。そのための合祀よ。古今東西、「お主も悪よのう」は絶えることなし。

Img_5301 一里石バス停

このあたりは一里石という地名だ。前後の一里塚跡(26里・27里)からはかなり離れているが。

Img_5305 楠山坂の上りとなる。

Img_5308 舗装道路に出てさらに上る。

Img_5311 日待供養塔などが並ぶ比曽原の集落に出る。

Img_5313 小高い比曽原地区を抜ける。

Img_5318 比曽原王子跡

Img_5320 説明板

Img_5321 王子碑

かつては「手枕松」という名木があったという。今は近野神社に合祀され王子碑のみが寂しく立っている。

Img_5324 一里塚跡(和歌山から27里)

直進した左に碑が立つ。

Img_5329 野中伝馬所跡

Img_5330 説明板

Img_5331 継桜王子・野中の一方杉 《地図

境内の9本の杉の大木の枝は南向き(熊野権現方向)に伸びている。近野神社に合祀される際に、南方熊楠らの保存運動で残された。

Img_5332 説明板

Img_5333 王子社

近野神社合祀後も社殿は残り、その後神体も戻された。

Img_5334 野中の一方杉(参道の石段から)

確かに枝は南向きだ。

Img_5336 巨杉の根元の空洞

1泊できる十分な広さがある。

Img_5337 とがの木茶屋

名物の「茶がゆ」を食べたかったねえ。一人では無理か。

Img_5339 野中の清水

名水百選」の一つ。「茶がゆ」の代わりにこの水を飲んで、「若者はまた歩き始める」??

Img_5340 説明板

Img_5341服部嵐雪句碑

「すみかねて 道まで出るか 山しみづ」

Img_5352 秀衡桜(継桜)跡

明治中期に植えられた何代目かの継桜も切り倒されてしまった。ここも松喰虫の被害か? 


Img_5350 説明板

藤原秀衡(文治3年(1187)没)の刺した杖が桜になったというが、天仁2年(1109)に藤原宗忠が見ているのだから年代が合わない。秀衡が生まれた頃(保安3年(1122)生れとも)には継桜はすでにあったということ。まあ秀衡が熊野に来たというのも伝承臭いから、あまり詮索しない方がよろしかろう。

Img_5351 往時の秀衡桜

Img_5354 似たような桜が咲いているのが救いだ。

Img_5355 「はい、ありがとう」

Img_5358 安倍晴明の腰かけ石

Img_5357 説明板

Img_5360 高尾トンネル跡

Img_5362 中川王子跡

左にかなり上り返した所に王子碑が立つのみ。近野神社に合祀。

Img_5363 説明板

Img_5364 紀州藩の建てた王子碑がぽつんと。

Img_5369 新高尾トンネル 《地図

ここもくぐらないが。

Img_5373 小広トンネルが見える。

トンネルを抜けた先が今日の終点の小広峠バス停だ。

Img_5375 熊野古道なかへち休養村(右)

営業していないようだが。

Img_5379 小広王子跡

上部の欠けた王子碑のみ。ここも近野神社に合祀。

Img_5380 説明板

Img_5382 番号道標40地点

滝尻王子から20km歩いたことになる。

Img_5384 ここを右に下って行く。

Img_5385 舗装された林道に出て、右に下り小広峠バス停に下る。

熊瀬川王子は林道を横切り山道へ入って行く。

Img_5387 周辺図

明日は「現在地」から熊瀬川王子を目指す。

Img_5389 小広峠バス停 《地図

40分の待ち時間だ、北風が強く日がかげると寒かった。

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