天野街道
2012年3月13日
金剛駅(南海高野線)・・・狭山神社・・・浦ノ庄交差点(県道202号)・・狭山池・・・亀の甲交差点(国道310号)・・岩室橋(三津屋川)・・・西小学校・・・大阪ガス狭山供給所・・・西高野街道追分・・・三都神社・・・二つ池・・・穴地蔵・・・道標・・・青賀原神社・・・天野地区・・・門前橋(天野川)・・・天野山金剛寺・・・門前バス停→河内長野駅
【ル-ト地図】
今回の街道歩きの最後は、西高野街道との追分から河内と和泉を分ける陶器山の尾根筋を通る、女人高野の天野山金剛寺への参詣道、天野街道を行く。
*参考:『ぼちぼちてくてくマップ』(南海鉄道)
写真をクリックすると拡大します。
狭山池の築造以前に創建されたともいう延喜式内社。
7世紀前半に築造されたという我国最古のダム式のため池で『古事記』・『日本書紀』にも登場する。築造には蘇我氏、渡来人の技術者が関わったか。
1周は2.85kmありウォーキングを楽しむ人たちが多かった。
右後方は大阪ガスのガスタンク
西高野街道追分 【ル-ト地図】の①
天野街道は右へ進む。地蔵祠の左に道標「右 あまの山二里 左 かうや山十里」で、「あまの山」は女人高野の天野山金剛寺のこと。地蔵祠の右に高倉寺(法起菩薩)への新しい道標も立っている。
ここもウォーカー、ジョギングを楽しむ人が多く、すれ違いに挨拶を交わしながら進む。
道沿いにはいくつか地蔵が祀られていて古くからの道であることが分かる。
陶器山(149m)の尾根道で、少し起伏のある気分のいい道だ。古代には、この斜面を利用して「登り窯」が築かれ、多くの陶器が焼かれていたという。
熊野三山を勧請し、熊野神社とも呼ばれる。天野街道は高野山から熊野に通じる道でもある。ここの地名は今熊という。
正面の堤の向うも池で2つか。
「右高野山」
ここは狭山市・堺市・河内長野市の境。ここまで来るとウォーキングをしている人はほとんどいなくなる。
穴の病気に霊験があり(すべての穴よ)、子宝に恵まれるという地蔵だそうだ。
説明板によれば、祭神の丹生大明神=月読之尊で、弘法大師を助け高野山へ導いた狩場明神だそうだ。
「右葛井寺道是ヨリ四里」・「左槇尾山道是ヨリ七十二丁」
天野山金剛寺総門 【ル-ト地図】の⑤
行基が聖武天皇の勅願によって草創し、後には弘法大師が修行した地。真言宗御室派の大本山で、女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。
南朝の後村上天皇の行在所、また北朝の行在所となった時期もあった。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分(2022.06.20)
- 結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)(2020.07.02)
- 結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)(2020.06.29)
- 結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)(2020.06.23)
- 結城街道③(内原駅→稲田駅)(2020.06.19)
コメント