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2012年4月24日 (火)

熊野古道(大辺路② 朝来駅→富田坂→紀伊日置駅)

2012年4月8日

朝来駅(JR紀勢本線)・・・国道42号・みちびき地蔵・道標・・・不動坂・・子安地蔵堂・岩崎神社・・波切不動院・・・野田踏切(紀勢本線)・旧道・・・郵便橋踏切・国道42号・・・郵便橋交差点・・県道212号・・・紀の国食品・・・覚王寺・・・庚申堂・・・県道212号・・・血深の渡し跡あたり・・・地蔵・・・魚濫観音・大鰻生息地碑・・・富田橋(富田川)・・旧道・四辻地蔵・・伝馬所跡あたり・・・石経地蔵堂・・・飛鳥橋・・・飛鳥神社・・・草堂寺・・・富田坂上り口・・・一里松跡・・・要害山城跡(馬谷城跡)説明板・・・要害山城跡分岐・・・七曲り・・・富田坂茶屋跡・・・番号道標8・・・竜首展望所・・・安居辻松峠・・番号道標10・・・大辺路街道案内図・・・番号道標15・・・祝の滝分岐点・・・姶良火山灰層・・・番号道標17・・梵字塔・・・庚申塔・・・番号道標20・・・(崩落地点)・・・番号道標21・・・三ケ川バス停・・・三ケ川橋(三ケ川)・県道37号・・・(口ケ谷橋)・・・土井城跡標示板・・・紀伊日置駅(紀勢本線)→紀伊田辺駅

 【ル-ト地図】(草堂寺(富田坂上り口)まで)
 富田坂~三ケ川は『和歌山県街道マップ(熊野古道大辺路25)』

 去年の台風12号の被害は大辺路にも及び、安居辻松峠を下ってからの三ケ川沿いに、その爪痕を残していた。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5652 みちびき地蔵 《地図

Img_5653 みちびき地蔵は「右 しらはま 左 ほんぐう」で昭和45年頃の造立。

右の道標(明治31年)は、「熊野道 右 大辺路 左 中辺路」で、国道のバイパス工事でここに移設された。

Img_5658 不動坂を下る。【ル-ト地図】の①

浪切不動による坂名だろう。

Img_5663 宝篋印塔(宝暦12年(1762)造立)

子安地蔵堂境内

Img_5662 説明板

Img_5666 波切不動院 《地図

不動像は拝めず。

Img_5673 野田踏切を渡り、郵便橋踏切を渡り返し、国道42号を進む。

Img_5675 郵便橋(前方)

明治4年に郵便制度が始まった頃は、富田川の渡しのうち、ここだけは郵便物を乗せるために県営だった。その後、板橋が架けられ「郵便小橋」と通称され、やがて「郵便橋」が正式名となった。現在の橋は昭和33年度完成の5代目で、「郵便橋」という名前の橋は日本唯一だそうだ。

Img_5679 郵便橋交差点から富田川沿いの県道を進み、前方の紀の国食品の手前を右折する。

Img_5685 庚申塔の祠へ寄る。

Img_5686 庚申塔

この先で県道に出る。

Img_5694 血深の渡しあたり 【ル-ト地図】の②

昔は徒歩(かち)渡りや舟を並べての舟橋で渡ったという。

Img_5696_2 地蔵などの石仏が並ぶ。

Img_5699 魚濫観音・大鰻生息地碑 【ル-ト地図】の③

Img_5705 大鰻生息地から富田橋方向

大ウナギは普通のウナギと種類が違い、目方は10~20㎏に達するが、体長は割合に短く胴まわりが太く、腹に斑点が多いのが特徴だそうだ。写真は『和歌山県情報館』で。

富田坂を渡った所で、富田川西岸を進む大辺路と合流する。

Img_5713 富田坂説明板①(富田橋を渡った所)

Img_5714 四辻地蔵祠(右) 【ル-ト地図】の④

もとは四つ辻にあってここに移されたものだろう。左折した富田郵便局あたりが(十九淵の)伝馬所跡で、馬が31頭もいたという記録があるそうだ。

Img_5717 地蔵

Img_5718 富田坂に向かう。

ガードレールに「大辺路・富田坂 あと1.2km」の標示板。

Img_5720 石経地蔵堂か

Img_5725 飛鳥橋を渡って草堂寺へ

Img_5727 富田坂説明板②

Img_5729 指差し道標

「くまのみち」

Img_5731 草堂寺

もとは真言宗の円光寺といい、慶安元年(1648)に再興された際、臨済宗に改宗し、寺号も草堂寺と改められた。18世紀末、京都の絵師円山応挙の高弟、「奇想の絵師」長沢芦雪は大辺路富田坂の上り口にあたるこの寺に招かれ、襖絵や屏風絵(県指定重要文化財)を数多く描いた。芦雪は生来、奔放な性格で応挙からは破門され、その死も謎とされている。

無量寺の襖絵の『龍虎図』(国重文)

Img_5736 富田坂上り口 【ル-ト地図】の⑤

Img_5737 安居辻松峠~安居(あご)の渡し場跡の区間は通行止めだと。

①安居辻松峠からここへ引き返すか。②7、8時間もかかるという塩津山林道を迂回するか。③行ける所まで行くか。まあ、安居辻松峠で考えよう。

Img_5738 富田坂の上りとなる。世界遺産の坂なのだ。

Img_5742 一里松跡

Img_5743 説明板

左上に「世界遺産」の標示

Img_5741 説明板の4基の石碑

Img_5745 要害山城跡(馬谷城跡)説明板

この先に城跡への分岐点がある。

Img_5749 気分のいい道だ。

Img_5752 七曲りの難所となるがさほどの急坂でもない。

Img_5753 木の根道を行く。

Img_5754 白浜方向

Img_5758 番号道標6

(救)は救護の目印ということか、あまり気分のいいものではない。

Img_5767 白浜方向

Img_5770 茶屋跡

Img_5771 説明板

Img_5778 安居辻松(あごつじまつ)峠に着く。

Img_5780 説明板

Img_5779 今は峠には小さな地蔵さんがぽつんと立っているのみ。

Img_5783 通行止め標識(椿駅方向)

Img_5784 迂回路標識(塩津山林道)

Img_5788 大辺路案内板

ここを左に行くのが塩津山林道の迂回路なのだろうが、本来の道を進む。

Img_5792 下りとなってずんずんと進む。いつ行き止まりになるか心配だけども。

Img_5796 天気はいいし、暑くも寒くもない絶好のハイキング日和だ。

Img_5801 祝(しゅく)の滝分岐

この扉は常時設置されているもの。横を通り抜ける。この先はほとんど平坦地を行くことになる。

祝の滝へは1kmくらいで、時間的には余裕があるのだが、気分的な余裕がない。情けなし。「祝」は領主の娘の名前で、「蟹(かに)の恩返し」のような昔話『祝の滝』がある。

Img_5805 姶良(あいら)火山灰層

2万2000年前の九州の霧島火山帯の桜島の大爆発で、九州全土に火山灰が降り積もりシラス台地を形成した。噴き上げられた大量の火山灰は約500kmも離れた紀伊半島にまで偏西風に乗って運ばれ降り積もったそうだ。

Img_5809 梵字塔

もとは尾根上にあったとも、安居の旧家にあったものともいう。

Img_5810 説明板

Img_5811 崩れている三ケ川沿いの道

この川は水量が少なく、雨が降った日だけ水が流れることから「三ケ(日)川」と呼ばれるようになったそうだ。

Img_5812 台風12号被害の標柱

Img_5814 道端が一部崩落か

Img_5821 庚申塔

台風で荒らされているがなんとか立っている。

Img_5832 道を崩土が塞ぐ。

Img_5833 橋は完全に崩れている。

Img_5834 大雨で左からの沢が土石を流し、橋を崩したのだろう。もとからこんな所と思えばなんてことはない。

Img_5838 もうここは三ケ川の集落間近くだ。

Img_5839 復旧工事の標識

「平成24年3月31日」は過ぎているが、手つかずといった感じだ。本格的な復旧工事が始まれば完全に通行止めにされてしまうか。そうなれば塩津川林道を行くしかないかも。

Img_5840 無事三ケ川バス停に着いた。やれやれだ。

Img_5841 ここにも標識

Img_5842 紀伊日置駅行きは15時01分。まだ1時間半もある。駅まで日置川沿いの県道を歩く。

日置川北岸の安居の渡し場から渡し舟で南岸へ渡る方法もある。それが本来の大辺路の道筋だ。ただし、渡し舟は要予約・有料。

Img_5846 日置川

明日は正面の口ケ谷橋を渡って、安居の渡し場(南岸)から仏坂を越えるのだが、どうなることやら。

Img_5847 案内標示

安居の渡しを渡らない本来の迂回ルートで、台風12号の被害による迂回ではない。

Img_5852 車の通行は少ない

Img_5853 土井城跡

熊野水軍領主安宅(あたぎ)氏の山城跡で、安宅氏の内訌の舞台となった所というがよく分からず。

Img_5862 紀伊日置駅から紀伊田辺駅に戻る。

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