熊野古道(中辺路① 北新町の道標→稲葉根王子)
2012年4月4日
紀伊田辺駅(JR紀勢本線)・・・北新町の道標(中辺路・大辺路追分)・・・(紀勢本線)・・・大師橋(会津川)・・・高山寺・・・青木歩道橋(右会津川)・・・紀伊民報社・・・秋津王子跡・・・会津小学校・・・目座橋(左会津川)・・・天王池・須佐神社・・・熊野橋(左会津川)・県道35号・・万呂王子跡・・・三栖廃寺塔跡・・・五郎地蔵寺・・・県道35号・・旧道・・善光寺橋(左会津川)・・報恩寺・・・三栖王子跡・・・八上王子跡(八上神社)・・・大賀蓮畑・・田中神社・・・県道35号・・・下岡バス停・・王子谷越へルート・・・稲葉根王子跡・・水垢離場跡(富田川)・・・潜水橋(畑山橋)(跡)・・・稲葉根王子バス停→紀伊田辺駅
【ル-ト地図】
紀伊田辺を基点にして中辺路を熊野本宮まで行き、大辺路を富田坂、仏坂を越えた周参見まで歩く。昨年9月の台風12号の爪痕が残り、通行禁止や迂回路などで身体より気分的な疲れが大きい熊野古道歩きの6日間だった。
*『熊野古道(紀伊路⑩)』からの続きです。
*参考:『和歌山県街道マップ(熊野古道 中辺路 14)』
『上富田町文化財教室シリーズ』・その他(熊野古道関連)
写真をクリックすると拡大します。
北新町の道標 《地図》
中辺路は左折、大辺路は直進。
大師橋で会津川を渡り高山寺に寄る。【ル-ト地図】の52
「弘法さん」と親しまれている寺で、南方熊楠の墓、高山寺貝塚(左に石碑)がある。
右会津川沿いを進み、青木歩道橋を渡る。
秋津王子跡 《地図》
会津川の氾濫で王子、街道も何度も変わり、王子の旧地、熊野古道の道筋をたどるのは難しいという。竜神橋(左会津川)のそばにも秋津王子跡の説明板があるようだ。現在は豊秋津神社《地図》に合祀されている。
「魚の店」の前を右折し、目座橋(左会津川)を渡る。《地図》
万呂王子が合祀されている。『万呂の獅子舞』が奉納される。
この先で熊野橋を渡る。【ル-ト地図】の53
万呂王子跡 《地図》
少し先の左側に説明板が立つ。現在は須佐神社に合祀されている。
三栖廃寺塔跡 《地図》
白鳳時代(8世紀頃)の創建といわれる三栖廃寺の三重塔の心礎。周囲の礎石は復元。牟婁郡の郡寺(豪族の氏寺とも)で、下三栖は熊野地方の文化の中心として栄えていた証しという。正面は大師堂(地蔵堂?)
『地蔵縁起』によれば、この地蔵を厚く信仰していた五郎は罪を犯したが地蔵のおかげで命を救われた。それが今の話では「五郎は無実の罪で首を斬られるが、3本の刀が折れてしまった。地蔵が身代りになっていたのだ。その後、剣難除けの地蔵として信仰を集めた」となる。
県道に出て下三栖交差点の先で右折し、善光寺橋を渡る。《地図》
三栖(みす)王子跡 《地図》
珠簾神社に合祀。王子碑の左に、道標「左くまの道」「右きみいでら道」が立つ。(写真には写らず)
「檀弦はけ」は、「まゆみつらはけ」
右は隧道橋(左会津川)か。
崩落箇所らしい所はあったが、それほどでもなかった。
熊楠は熊野の森が伐採されることを憂い、神社合祀に反対し保存運動に奔走していた。
今は熊楠の横の松はない。
下って行くと新岡坂トンネルの出口に出る。《地図》
桜は今が見頃か。今日は西行の歌の「三栖の山風」も吹き下ろしていない。
八上王子跡・八上神社
西行が社殿に書きつけたという歌。
田中神社の森 《地図》
その昔、ここから6kmほど上流にある岡川八幡神社の上手の倉山から大水で森全体が流れ着いたと伝えられている。
右が岡藤(オカフジ)。
王子谷越えのコースに入る。《地図》
「健脚コース」とあるが、ここで苦労するようならこの先の中辺路は歩けない。
五躰王子の一社。岩田神社に合祀されたが、昭和31年に旧地に復社された。
畑山橋(潜水橋)は台風12号で流されて渡れない。
ここから滝尻王子まで何度も岩田川(富田川)を渡り返し進んだという。
台風12号で流されて、橋の中央部分はない。『街道てくてく旅』(NHK)ではこの橋を渡り、興禅寺(だるま寺)から一ノ瀬王子へ向かっていた。稲葉根王子バス停から紀伊田辺駅に戻った。
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