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2012年5月14日 (月)

北国街道⑦(田切宿→新井宿)

2012年4月30日

妙高高原駅(JR信越本線)・・・県道39号・・・旧道・・毛祝坂・・・深沢橋(深沢川)・・・田切一里塚跡碑・・・小田切坂跡・第二白田切橋(白田切川)・・・馬頭観音・聖徳太子塔・・田切宿・・旧道入口(田切口)・・郷田切橋(郷田切川)・・・旧道入口(二俣口)・・二俣宿脇本陣跡・・馬寄場跡・・西蓮寺・・伏見稲荷社・・・御館の乱無名戦士の墓・・・国道18号・・旧道・・・大田切川・・大田切清水・・・坂口新田一里塚跡あたり・・旧庄屋家・・・国道18号・・妙高山麓直売センター・・旧道・・・国道18号・・・小野沢交差点・旧道・・・弥勒仏頭・・関山神社・妙高堂・・・慈雲寺・・・北沢一里塚跡・・・北沢の一本松・(国道18号)・・・稲荷山新田地区・・・覚願寺・・・(片貝縄文資料館)・・・片貝の筆塚・・・片貝橋(片貝川)・・・諏訪神社・・・馬洗い場・・・市屋一里塚跡あたり・・・若宮神社・・・北国街道踏切(信越本線12番)・・松崎宿・・安楽寺・・二本木宿・・明治天皇小休所跡・白山神社・ 二本木宿石柱・・・神明神社・・・北国街道踏切(16番)・・・(二本木駅)・・・藤沢一里塚跡・・・神明神社・・・馬頭観音・・立場茶屋跡・小出雲坂・・・賀茂神社・・・飯山道道標(小出雲交差点)・・・辻屋橋・・・上町延命地蔵堂・・新町宿・・極生寺・・市神社・・本陣跡あたり・・照光寺・・新井別院・・・石塚一里塚跡・・・康源寺・・・北新井駅(信越本線)

  【ル-ト地図

 毛祝坂を下り、かつての難所の白田切川、郷田切川、大田切川の田切を越えて行く。合宿の松崎宿・二本木宿から小出雲坂を下り新井宿に入った。まだ時間に余裕があるので北新井駅まで進んだ。高田城下はもうすぐだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6679 毛祝坂(けわいざか)を下る。 【ル-ト地図】の10

越後方面から関川関所に向かう旅人にとって最後の上り坂で、①途中の泉で身なりを整えたことから、化粧(けわい)と名づけられたというが、江戸の吉原土手から吉原遊郭へ下る化粧坂とは違い、関川関所までは3km以上もある。身なりも化粧もくずれてしまうのでは。『江戸の坂 東京の坂』(横関英一)には、①の説と②「この地の人は、この坂の頂上、関川宿に近いところに、昔、遊女屋があったので、この坂を化粧坂と言ったと話していた」と記す。

 

Img_6685 田切一里塚跡標柱 《地図

塚は深沢川の北側にあったそうだ。

 

Img_6688 第二白田切橋(旧国道)で白田切川を渡る。《地図

雪でガードを川の方へ越えなければ通れない。ちょっと前までは雪で通行不能だっただろう。昔はつづら折り6回の小田切坂で川まで下りて越えた難所だった。今は上方を国道18号が直線に一気に越えている。

妙高火山の噴出物で台地が深く浸食され田切が生じた。妙高山麓の南地獄谷から流れて来る川で、温泉成分で白濁し田切川の名がある。昔は田切越えは街道の難所だった。

 

Img_6691 田切宿入口の馬頭観音(天明6年(1786))・聖徳太子塔

この先で左にカーブして行く。

 

Img_6690 田切宿の家並み

右側に問屋があったようだが、本陣・脇本陣などは不明。北隣の二俣宿との半月交代問屋業務の合宿だった。

 

Img_6693 ハルニレの木

この先で郷田切橋を渡れば二俣宿となる。

 

Img_6694 旧道入口(田切口)

右に標識が立つ。街道は右に下って郷田切川を渡っていた。近くの民家の人の話では渡る橋はないそうだ。

 

Img_6697 郷田切川

今は旧国道の郷田切橋で渡る。

 

Img_6700 旧道入口(二俣口)

旧道は郷田切川を渡ってここへ上って来ていた。

 

Img_6701 二俣宿脇本陣跡畑山家

問屋も兼ねていた。明治天皇小休所跡碑が立つ。

 

Img_6702 馬寄場跡

昔は宿の馬をすべて洗えるほど大きかったという。

 

Img_6705 御館の乱無名戦士の墓 

上杉謙信の跡目相続の内乱。14基の五輪塔が並ぶ。正面に佇むには無名戦士の子孫ではなかろう。

 

Img_6709 大田切川へ下る。《地図

曲りながら旧国道を下る。まっすぐ渡っている国道をくぐって行く。その向こうは上越自動車道。昔はつづら折りの十三曲りの難所だった。

 

Img_6710 鉄板を継ぎ合わせた仮設のような橋で、大田切川を渡って上って行く。

 

Img_6713 大田切清水 【ル-ト地図】の11

冷たくて美味い水で喉を潤す。まさに甘露水だ。清水の上に馬頭観音が祀られている。昔は人も馬もここで一息ついたのだろう。

 

Img_6716 坂口新田一里塚跡あたり

塚跡の標識などもない。「有害無益の丘は総て廃棄し、人民へ払下候」(明治9年の内務省の通達)

東塚跡の民家は「一里塚の家」と呼ばれていたそうだ。

 

Img_6717 旧庄屋家

 

国道18号に出て、妙高山麓直売センターの先で右に旧道に入る。

Img_6719 旧道(右)

 

再び国道18号に出て進み、小野沢交差点から左に旧道に入る。

Img_6722_2 小野沢交差点で斜め左に入って行く。

 

Img_6726 興禅寺

この先の左にカーブする右側あたりが刑場跡らしい。

 

Img_6727 大日像の祠(右)

 

Img_6728 大日像

足を省略した「関山のいけ込み式石仏」というようだ。

 

Img_6732 泉地蔵(正面) 《地図

ここを右折する。

 

Img_6733 泉地蔵

2体の地蔵

 

Img_6740 弥勒菩薩の小祠

「県指定文化財」の標柱が立つ。

 

Img_6738 弥勒の頭だけだ。

もとからこの姿だったのか? これも「関山のいけ込み式石仏」なのか?

 

Img_6742 関山神社

毎年7月第3土日には1200年の伝統を誇る「火祭り」が催される。

北側に別当寺だった宝蔵院跡がある。

 

Img_6745 関山石仏群(妙高堂の隣の覆屋内)

26体の平安から鎌倉時代の「いけ込み式」の弥勒菩薩。顔はかなり風化し崩れているが、中には弥勒のようにも見える顔立ちの像もある。

 

Img_6746 慈運寺山門 【ル-ト地図】の12

 

Img_6751 北沢一里塚跡 

西塚が残る。説明板などはない。

 

Img_6752 北沢の一本松

ここで妙高市から上越市に入る。

 

Img_6757 妙高の山並み

今日は少し雲が多くなってきたか。

 

Img_6764片貝縄文資料館(旧片貝小学校) 【ル-ト地図】の13

 

Img_6765 片貝の筆塚(嘉永3年(1850)・片貝集会所)

伊勢国津藩槍術指南役で、浪人中の公田権右衛門と和五郎親子が、当地で村民に文字や書、詩歌の手ほどきをした徳を讃え村民が造立した頌徳碑。

 

Img_6771 ちょっと曇ってはいるが、なかなかの風景だ。

 

Img_6778 馬洗い場

右の石上に馬頭観音が3体。「木曽義仲の太刀割石」との伝承もあるそうだ。

この先の右側に市屋一里塚があったようだが、塚跡・標示などはなかった。

 

Img_6781 右方を信越本線が行く。

 

Img_6782 若宮神社の社叢

神社の前を通り、北国街道踏切(信越本線12番)を渡り、松崎宿・二本木宿へと進む。《地図

 

Img_6788 松崎宿の家並み

二本木宿と連続した合宿で、問屋業務は半月交代で行った。消雪パイプが埋まり、散水する地下水の鉄分が酸化し、路面が褐色に染まっている。

 

Img_6790 安楽寺

松崎宿と二本木宿には本陣がなく、この寺が本陣役を担い、加賀藩の休息所になっていた。

 

Img_6792 明治天皇二本木小休所跡

明治天皇は安楽寺ではなく、ここ(元松原家)で休んだ。右隣は白山神社。

 

Img_6794 二本木宿石柱(白山神社境内)

「従是内 口附無之 小荷駄乗通るべからず 邑の内 咥きせる無用 二本木宿」(この二本木宿に入ったら綱を放すな。馬に荷物をつけて通る者は、馬に乗って通行してはいけない。村内はくわえ煙草で歩いてはいけない」

もとは130mほど北側の街道脇に立っていた。

 

Img_6795 高床山(528m) 《地図

東麓に飯山街道、西麓に北国街道、北東の城山(348m)には鳥坂城跡がある。

 

Img_6796 街道の右下(東側)には片貝川が流れる。

 

Img_6798 下って二本木駅の方へ向かう。

 

Img_6802 二本木駅 《地図

スイッチバック式の駅

 

Img_6804_2 藤沢一里塚跡(東塚・右)

戦後の食糧増産のため、西側の塚が崩されて畑となり、東塚も一部破損している。

 

Img_6808 右へ小出雲(おいずも)坂へ向かう。

 

Img_6810 神明神社

 

Img_6812 馬頭観音

 

Img_6819 立場茶屋跡

小出雲坂上の峠の茶屋で、加賀藩の休憩所になっていて、加州立場と呼ばれた。柏餅が名物だったそうだ。左は茶屋の石臼か。

 

Img_6817 小出雲坂を下る。 

「越後見納め小出雲坂よ。ほろと泣いたを何時忘られよ」と里謡に歌われた。樹々の間に遥か高田城下、その向こうに日本海が見えたというが、今はその景観は望めない。

ここで再び上越市から妙高市に入る。

 

Img_6818 説明板

 

Img_6822 坂上方向を振り返る。

昔は松並木で、映画のロケ地にもなっていたという。今は桜並木だが、もうだいぶ色褪せてしまった。

 

Img_6825 賀茂神社の湧き水 《地図

これも冷たくて旨い水だった。蛇口からは絶えず水が流れている。

 

Img_6827 賀茂神社 【ル-ト地図】の14

背後が桜の名所の経塚山公園で、妙高連峰・日本海を遠望できるそうだ。

 

Img_6828 飯山道道標(明治5年)

小出雲交差点の右の「よしこし」前

 

Img_6831 「左 飯山道」・「右 善光寺道」

折れたのを継いだのだろう。

 

Img_6837 上町延命地蔵堂

 

Img_6838 説明板

 

Img_6839 延命というより子育地蔵のようだ。

 

Img_6845 新井宿宿場図

井」陣屋跡の方へも行ってみたが、どこか分からなかった。天領だった江戸中期に陣屋が置かれ五万石余を支配していたそうだ。

 

Img_6844 市神社 《地図

新井宿の六斎市の守り神。

 

Img_6846 右が本陣跡あたりか。

この先の左側が高札場跡。

 

Img_6851 酒屋のようだ。

 

Img_6854東本願寺新井別院 《地図

教義をめぐる異安心論争で敗れて牟礼に追放された願生寺跡に、東本願寺末寺や門徒を支配するための掛所(本山の出先機関)として再興された。

右は「明治天皇新井行在所」碑、本堂は修理中だった。

 

Img_6858 渡部豆腐店

 

Img_6860 石塚一里塚跡 【ル-ト地図】の15

西塚跡に碑のみ。

 

Img_6865 康源寺山門 《地図

元禄8年(1695)に建てられた、三間一戸、入母屋、金属板葺きの八脚鐘楼門。

 

Img_6868 大崎の石屋 《地図

矢代川の千草石(輝石安山岩)を利用して、村民の多くが石屋だったそうだ。

 

Img_6872 何の店だったか。

 

Img_6873 今日も予定通り無事に歩けたことを山々に感謝して北新井駅に向かった。

 

Img_6874 マッチ箱のような北新井の駅舎。

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