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2012年5月12日 (土)

北国街道⑥(牟礼宿→関川宿)

2012年4月29日

牟礼駅(JR信越本線)・・・牟礼宿碑・信越線ガード・牟礼橋(八蛇川)・・牟礼宿・東の枡形・・旧鎌問屋・・牟礼神社・・本陣跡・・上の酒屋跡・・徳満寺・・證念寺・西の枡形・十王坂・・十王堂・・(金附場跡)・・武州加州道中堺碑・・・牟礼橋(信越本線)・・・高札場跡・・・小玉坂・・観音平の石仏群・・小玉坂一里塚跡・・明治天皇清水窪小休所跡・・・庚申塔・・・池中開田記念碑・・・落影地区・・立場の家・・国道18号・・・旧道・・・高橋酒造・・・古間一里塚跡・・・古間宿・・古屋跡・・第4北国街道踏切(信越本線)・・・寿橋(鳥居川)・・・柏原宿・・諏訪神社・小林一茶旧宅・戸隠山道道標・・本陣跡・・明専寺・・旧中村家住宅・・村の鍛冶屋碑・・・柏原跨道橋(上越自動車道)・・・野尻一里塚跡・・・芭蕉句碑・・・飯山道川東道道標・・伝九郎神社・・・野尻湖・・中勘助詩碑・・野尻宿・・本陣跡・・安養寺・御金蔵跡・・真光寺・・・野尻坂・・・国道18号・・・野尻坂峠・・・旧道・・・スノーシェード赤川1号・・・2号・・・赤川一里塚跡・・赤川神社・・・信越本線ガード・・一ノ橋(関川)・・うば(姥)坂(五文坂)・関川関所跡・・浄善寺・・関川宿本陣跡・・・上原宿問屋跡・・・天神社(大杉・親鸞袈裟掛松)・・・スキー神社・・・神明神社・・・妙高高原駅(信越本線)

  【ル-ト地図】(21.1km)

 今日も歩くには絶好の気持ちのいい晴天だ。牟礼宿から古道の趣が残る小玉坂を上り、小林一茶の里の柏原宿を通り野尻湖へ下った。野尻宿から野尻坂峠を越えて、スノーシェードをくぐり関川関所で越後国に入った。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6341 牟礼宿の家並み

往時は街道の中央を徳満寺堰の水を取り入れた用水が流れていた。

Img_6343 古間鎌の旧問屋

薄刃の片刃草刈鎌で、軽くて切れ味がよく、古間の問屋が全国に広く流通させた

Img_6350 牟礼宿説明板

Img_6346 牟礼神社

北国街道が開かれ牟礼宿ができて、矢筒山から移された。

牟礼宿から善光寺宿を通らない長沼道(松代道)の通行を命じた制札、定書が保存されているそうだ。この間、善光寺宿は寂れてしまった。

Img_6351 本陣跡(JAながの中郷支店) 《地図

この先の右側が「上の酒屋跡」で、本陣より広い間口の屋敷を持ち、江戸後期には宿を二派に分ける対立関係にあったという。積雪地帯で信号機が縦型に変わっている。

Img_6358 徳満寺鐘楼門

境内を徳満寺堰が流れ、上流で分水し宿場用水としていた。

Img_6354 今も道の片側を流れる徳満寺堰の水。正面奥の證念寺の前が西の枡形で、左折して十王坂を上って行く。

Img_6361 證念寺

右に「北国街道牟礼宿 十王坂」碑

Img_6363 十王坂 【ル-ト地図】の①

目当てのシダレ桜に間に合った。なかなか風情がある坂だ。

Img_6367 坂下方向

Img_6369 坂上の十王堂(左)

Img_6370 居並ぶ閻魔大王ら十王

この先の右側に佐渡から運ばれた金銀荷を新しい馬の背に付け替えた広場の金附場跡があるのだが、一本西側の道を進んでしまったようで見落とした。

Img_6372 飯縄山(1917m)

北信五岳の一つ。

Img_6375 武州加州道中堺碑が移設されている小公園

ここに「北国街道小玉地区マップ」(小玉こどう会)が置いてある。

Img_6378 武州加州道中堺碑

このあたりが加賀藩の参勤交代道中の中間地点。文字はかすれていて読みにくい。

Img_6377 説明板

Img_6385 加賀藩小休所跡

安政3年(1856)から加賀藩の藩主の小休所になった黒栁家。その頃造園したという庭園が残るそうだ。

Img_6388 牟礼橋(跨線橋)を渡って右に入り小玉坂へと進む。

Img_6390 高札場跡

Img_6389 地区の掲示板に使われている。お上の威光も地に落ちたか。

Img_6398 小玉坂の途中から振り返る。

小玉坂は3kmにも及ぶ山道で、石洗い坂・観音坂・赤坂・金坂の総称。

Img_6393 「小玉こどう会」の案内板

Img_6401 この先の分岐を右に行くのが古道。

Img_6405 説明板

Img_6403 髻山城跡(正面左)

川中島合戦で武田軍が陣取った地で、上杉軍は小玉坂から偵察した。

Img_6402 説明板

Img_6408 小玉坂の古道 【ル-ト地図】の②

美しい日本の歩きたくなる道500選(一茶と歩く北国街道・野尻湖のみち)』に選ばれている。

傾斜の緩い峠越えの道といった感じだ。「小玉こどう会」が保存・整備に努めていて気分よく歩ける。

Img_6410 観音平の馬頭観音などの石仏群

Img_6409 説明板

Img_6411 倒木をくぐって。

Img_6414 小玉一里塚跡

清水が湧き、茶屋があり、前の崖(ジャガン崖)から昨日通った四ツ屋一里塚が見えたという。

大きな石碑は小玉の鎌鍛冶元祖のひとり、黒栁(くろやなぎ)清八郎の頌徳碑。

Img_6415 説明板

Img_6417 木々の間からの眺め。四ツ屋一里塚跡はどのあたりだったか。

Img_6418 木漏れ日の風情ある古道を行く。

このあたりに東山道支路の「ミサカ(御坂)」ゆかりの「見坂平」(みいざかだいら)の地名が残る。

Img_6421 道普請の負担軽減嘆願書

Img_6428 明治天皇清水窪小休所跡

奥に「野立之趾碑」が立つ。野立ての御膳水はこの清水の水ではなく、この先の落影集落から運んだそうだ。ここが小玉坂の最高地点で700m以上はある。緩やかに下り、小さな庚申塔の前を通り落影集落へ入る。

Img_6446 黒姫山(2053m)・妙高山(2454m)

左端に少し見えるのは戸隠山(1904m)。

Img_6451 落影地区に入る。《地図

右端は立場の家

Img_6465 落影地区説明板(北の出口に設置)

Img_6463 国道18号に出て北に進み、北国街道の標識で左へ旧道に入って行く。

Img_6467 黒姫山・戸隠山(左)

Img_6469 国道から標識に従い旧道に入る。《地図

Img_6472 妙高山

Img_6485 高橋酒造

「人情細やか古間の里は 鎌と酒とで名が高い」と古間音頭で唄われた。宿内に3軒の酒造があり、明治になって高橋酒造に受け継がれたそうだ。

Img_6491 古間一里塚跡

一茶の「ぬかるみに 尻もちつくな でかい蝶」(小古間の湿地が泥海になり、引き返した時の句)と、白飛の句が並んだ句碑が立つ。

Img_6492 説明板

Img_6496 古間宿に入る。

鳥居川を挟んで柏原宿との合宿(あいしゅく)だった。

Img_6498 街灯に古間音頭で踊る姿が。

毎年、古間盆踊りが開催されるようだ。

Img_6502 古間宿説明板

Img_6503 宿場図

Img_6499 信州古間鎌問屋の「油屋」小林与市商店(右)

Img_6504 古屋(本陣)跡

寿橋(鳥居川)を渡って柏原宿に入る。《地図

Img_6513 諏訪神社

Img_6515 一茶句碑

もとは柏原宿入口に建てられたが、松蔭(松平氏のお蔭)と詠んでいるので、北陸巡幸の明治天皇の目に留まらないようにと諏訪神社境内に移したとか。一茶の句碑で最古のものという。

Img_6516 説明板

Img_6514 諏訪神社前の旧家

Img_6540 柏原宿案内板

Img_6541 宿場図

Img_6519 一茶の弟の町家(整備・復元)

Img_6528 説明板

Img_6522 一茶の終(つい)の棲家の土蔵(整備・復元) 【ル-ト地図】の③

隣に一茶の子孫が営む「一茶茶屋」がある。

Img_6526 説明板

Img_6535 戸隠山道道標

戸隠神社への道

Img_6534 説明板

Img_6539 本陣跡

向い側が脇本陣の旅籠中村屋跡。

Img_6537 説明板

Img_6544 明専寺

小林家の菩提寺で、3歳で母を亡くした一茶の遊び場だった。

Img_6546 一茶句碑

「我と来て遊べや親のない雀」

一茶の真蹟を拡大した文字。

Img_6548 鍛冶屋跡中村家住宅

Img_6549 説明板

Img_6552 「しばしも休まず槌打つ響き・・・」の「村の鍛冶屋」も絶えてしまった。

Img_6554 「村の鍛冶屋」歌碑

右端は一茶句碑:「陽炎や きのふは見へぬ だんご茶屋」

Img_6553 説明板

Img_6556 打刃物展示場

ここの黒姫そばで昼食にしようと思ったが、休日でちょうど昼時で満杯であきらめた。

Img_6558 上越自動車道・妙高山(柏原跨道橋から) 《地図

連休中でも車の往来は少ないようだ。

Img_6562 野尻一里塚跡

両塚が残っている。

Img_6565 説明板

近くの手打そば屋で昼食とした。美味い蕎麦だった。

Img_6568 芭蕉句碑(右)

裏側にも一茶の門人の句を刻む。芭蕉句碑ならついでに裏も見てくれるか。うまい事を考えたものだ。

Img_6569 説明板

Img_6576 伝九郎神社 《地図

野尻宿の問屋伝九郎が開いた伝九郎用水が脇を流れている。

Img_6575 「飯山道・川東道」道標

川東道は柏原・古間・牟礼を通らないため3宿との間で争いもあったという。

Img_6573 説明板

Img_6580 ナウマンゾウ博物館

野尻湖といえばナウマンゾウか。休日で子ども連れの見学者たちが入って行く。

Img_6584 野尻湖(水面の標高657m)

正面は琵琶島の宇賀神社の鳥居。かつて上杉謙信に反抗した長尾政景を、野尻湖(異説あり)に誘い出し、共に湖底に沈んだという琵琶島(宇佐美)城主、宇佐美定行の墓がある。

Img_6593 野尻宿案内板

Img_6594 宿場図

Img_6596 本陣跡

右に標柱、少し先に「明治天皇野尻小休所跡」碑が立つ。

Img_6601 安養寺

Img_6603 御金蔵跡(太子堂)

佐渡からの金銀は3日でここに着いて保管され、翌日に牟礼の金附場へと運ばれた。

Img_6602 説明板

Img_6604 説明板

中勘助は知らず、むろん「銀の匙」・「島守」も読んでないが。野尻湖の公民館前には詩碑が建っていた。

Img_6606 真光寺

裏に野尻湖に沈んだ長尾政景の墓がある。墓は当初野尻湖畔に建てられたが、墓の前を乗馬で通ると必ず落馬するので、この地へ移されたと伝えられている。

Img_6608 野尻坂峠へ 《地図

曲がった坂で、曲坂(くまざか)から熊坂とも呼ばれた。峠の北方に伝説の大泥棒、熊坂長範の出身地とも、埋蔵金が眠るともいう長範山(768m)がある。

Img_6609 妙高山

Img_6615 野尻坂峠から下り右に入り、関川関所へ。 《地図

Img_6616 スノーシェード赤川1号をくぐる。

Img_6618 車の往来は少ない。

Img_6627 雪解け水の急流

Img_6629 赤川一里塚跡

近くに一茶の妻のきくの実家があった。

Img_6631 説明板

Img_6633 赤川神社

Img_6639関川関所跡(右)

ここから新潟県だ。今年はひなの誕生で「とき」の絵の標識は看板倒れにならずに済むか。

Img_6641_2 関川関所跡 【ル-ト地図】の④

一ノ橋(長寿橋)を渡って関所内へ。全国53関所のうちの25の重関所(重要な関所)の一つだった。

Img_6646 うば(姥)坂

勾配が急で人足が五文の駄賃で荷物を運んだことから「五文坂」とも。長い坂ではなくぼろ儲けだったろう。

Img_6650 関川宿本陣跡(大石家) 《地図》(関川関所を出て右折したすぐ先の右側)

「明治天皇関川行在所跡」碑のみ。新潟県に入ると案内板、説明板などは極度に少なくなる。

Img_6653 上原(うわはら)宿問屋跡

関川宿と隣接した合宿だった。

Img_6659 旧家

屋根の上に茅葺きの屋根を乗せているようだ。

Img_6666 天神社の大杉 《地図

境内にはひょろっとした親鸞袈裟掛松(3代目?)もある。越後の流罪生活後に、妻子を伴って関東に向かう途中、ここで休んだという伝承。この大杉は樹齢1000年以上だから親鸞が寄った時にはすでに大木だったか。

Img_6661 説明板

Img_6669 スキー神社 【ル-ト地図】の⑤

この種の神社としては日本一古く、「日本一の宮スキー神社」と称しているそうだ。雪が溶けて汚れているのが残念。

Img_6671 社殿の正面を飾るにスキー板。

Img_6676 妙高高原駅に向かう途中で、妙高山を振り返り、今日の道中もつつがなく予定通り終了したことを報告感謝だ。

好天で雪もどんどん溶けて行く。

Img_6677 妙高高原駅

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コメント

関川関所跡を出て右折したすぐ先の右側です。
関川宿本陣跡の記事の所に《地図》をリンクしました。

投稿: ochiba様へ(坂道散歩) | 2012年8月15日 (水) 14:09

北国街道(新潟県)の明治天皇行在所および明治天皇御小休所の場所を探しています。

関川宿本陣跡の場所を教えてください。

投稿: ochiba | 2012年8月15日 (水) 09:34

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