北国街道⑤(善光寺宿→牟礼宿)
2012年4月28日
長野駅(JR長野新幹線)・如是姫像・・・善光寺交差点・・・西宮神社・・・県道399号・・・時丸寺・・・円通寺・・・延命院・・・吉田神社・芭蕉と何丸句碑・・・県道60号・・善敬寺・・・吉田口留番所跡・・吉田3丁目交差点・道標・・・吉田のイチョウ・・・吉田3丁目交差点・・・他力橋(浅川)・・新町宿・・本陣跡あたり・・稲田神社・・円通庵・・飯山道道標・・徳間橋(徳間川)・・問屋場跡・・薬師堂・・原ノ坂・・十王堂・・・幸い清水碑・・・粟野神社・・・国胎寺・・・(土京川)・・・舟地蔵尊・・・旧飯山城裏門(旧池田家)・・・田子神社・田子清水・・・田子池・・・吉村坂・・・宇佐美沢一里塚跡・・・原池観音堂・・・明治天皇鍛冶ヶ窪野立所跡・・・庚申塚古墳・・・平出地区・・長沼道(北国街道松代道)追分・・高山寺・・・三本松・・・四ツ屋一里塚跡・・・前坂・・・牟礼宿碑・・・牟礼駅(JR信越本線)
連休の前半は天気が良さそうなので、北国街道を善光寺宿から越後高田城下の加賀道(北陸道)との追分までと、北国街道松代道を歩く。好天に恵まれ、街道沿いの名残りの桜と、北信五岳の残雪の山並みを楽しみながらの6日間だった。
【ル-ト地図】
*『善光寺街道(北国街道)④』の続きです。
写真をクリックすると拡大します。
本陣藤屋跡「TheFujiyaGohonjin」(右)の先の善光寺交差点を右折して行くのが北国街道)《地図》
「およべっさん」と親しまれているそうだ。善光寺七福神の「恵比須」
横山城跡(正面の高台)【ル-ト地図】の1
川中島合戦の拠点の一つ。
一里塚跡に立つという柏崎地蔵を通り過ぎてしまったようだ。
時丸寺 《地図》
大和国三輪の里の若者、時丸は死んで地獄に墜ちたが、善光寺如来の加護により蘇生し、その恩に報いるために庵を結んだという、これも「善光寺縁起」のお話。街道を東に進んだ円通寺には「時丸塚」がある。
「吉田のイチョウ」の旧社地からここに遷座した。
何丸句碑(右) 「只涼し 水ものほらす 月も来す」
鐘楼門か?
「蕎麦 岡澤」の下に「北国街道吉田口留番所」(吉田3丁目交差点手前)
吉田3丁目交差点 《地図》
電柱の右下に道標(明治7年)。この北西側に何丸の生誕地があるようだ。
吉田3丁目交差点を右折して、「吉田のイチョウ」を見に行く。
ここが吉田神社の旧社地。旧北国街道はこの前を通り、稲積一里塚へ向かっていた。
吉田3丁目交差点に戻り、他力(たぢから)橋を渡って新町宿に入るが宿場の面影は薄い。本陣跡吉沢家も建て替えられて、どこか分からず通り過ぎた。
村上義清の守護仏で、行基の作と伝える像が本尊だったそうだ。
北国街道は直進。
右のJAながの若槻支所が、徳間村の問屋場跡 《地図》
この先の東条村にも問屋場があった。
左は十王堂で、その前の石祠は万治3年(1660)の庚申塔。
北隣に蚊里田八幡宮参道鳥居が立っている。神体は神功皇后が朝鮮出兵の時に肌身につけていた 鎮懐石(男根石)だそうだ。ここからは1kmほどあるのでパス。
けっこう上って来ている。
碑の下部に「是ヨリ西北 壱丁余・・」とある。そんなに近ければ今も清水が湧いているか見に行くべきだった。
粟野神社 《地図》
幸神塔を祀る神社は長野県内でも珍しいそうだ。
これでもれっきとした一級河川よ。
この城の詳しいことは分かっていないそうだ。
正面奥の山頂の五重塔のように見える物は、三登山(923m)のアンテナ鉄塔か?
雨乞いの地蔵さん。
旧池田家 《地図》
表門は飯山城裏門を移築。
千曲川を舟で運んだそうだ。右に明治天皇田子小休所跡碑。
明治天皇の御膳水となった湧き水。街道沿いにはこの水を使った茶屋があり、造酒屋が8軒もあったという。
東山道の支路の多古駅は田子周辺ともいうようだ。
観音山の標示がある。
塚跡に地蔵と無縁仏碑が立つのみ。このあたりは上杉謙信の軍臣の宇佐美定行にゆかりがあるのか。
観音堂前から原池 《地図》
華僑の観音堂だそうだ。
御座所の石垣が残っている。
髻山(もとどりやま)城跡(正面・744m)
ここも川中島合戦の一拠点となった山城。
まさに「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」(梶井基次郎)、「花の下にて春死なむ」(西行)だ。
全長約52m、5世紀前半の築造。
長沼道(北国街道松代道)との追分 【ル-ト地図】の5
右折した民家の敷地内に道標が移設されている。
白坂峠から神代宿・長沼宿~松代宿へと続く北国街道の脇往還
「左ながぬまみち」・「右善光寺みち」
加賀藩の大名行列がここで休憩したそうだ。
三本松・行人塚 《地図》
江戸に旅立つ15歳の小林一茶と父の別れの地あたり。
「父ありて 明ぼの見たし 青田原」
北信五岳の黒姫山(左)・妙高山(右)
民家の柵内
前坂を下る。 《地図》
矢筒城跡(左)
鎌倉時代から続く島津権八郎の平山城。カタクリの自生地だそうだ。正面奥は北信五岳の飯縄(綱)山(1917m)だろう。
牟礼宿碑 《地図》
信越本線のガード手前。今日はここまでとして、右折して牟礼駅に向かった。
牟礼駅(標高487m)
その名を「飯綱三郎天狗」という、飯綱(縄)山の天狗伝説による一駅一名物の天狗像。以前は東京と金沢への運賃が同額で、「武州加州道中堺碑」(明日訪れる)が牟礼にあるのと一致していた。
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コメント
下調べは関連書籍・HPなどで、特別なものはありません。歩きながら調査以外の事跡などに出会うのも楽しみです。
投稿: 坂道散歩 | 2022年12月 8日 (木) 09:47
自分の地元(長野市北部)のことをネットで調べていたらこのページに至りまして... 地元の人間でも忘れかけているか知らないぐらいのマイナーな場所や史跡等が紹介されていて、正直驚きました。現在の状況だけでなく歴史も踏まえられているわけですし、すごいです。
地元の方ではないと思いますが、そのような情報はどうやって調べられているのでしょうか?
投稿: 北国街道沿道民 | 2022年12月 8日 (木) 08:10