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2012年5月10日 (木)

北国街道⑤(善光寺宿→牟礼宿)

2012年4月28日

長野駅(JR長野新幹線)・如是姫像・・・善光寺交差点・・・西宮神社・・・県道399号・・・時丸寺・・・円通寺・・・延命院・・・吉田神社・芭蕉と何丸句碑・・・県道60号・・善敬寺・・・吉田口留番所跡・・吉田3丁目交差点・道標・・・吉田のイチョウ・・・吉田3丁目交差点・・・他力橋(浅川)・・新町宿・・本陣跡あたり・・稲田神社・・円通庵・・飯山道道標・・徳間橋(徳間川)・・問屋場跡・・薬師堂・・原ノ坂・・十王堂・・・幸い清水碑・・・粟野神社・・・国胎寺・・・(土京川)・・・舟地蔵尊・・・旧飯山城裏門(旧池田家)・・・田子神社・田子清水・・・田子池・・・吉村坂・・・宇佐美沢一里塚跡・・・原池観音堂・・・明治天皇鍛冶ヶ窪野立所跡・・・庚申塚古墳・・・平出地区・・長沼道(北国街道松代道)追分・・高山寺・・・三本松・・・四ツ屋一里塚跡・・・前坂・・・牟礼宿碑・・・牟礼駅(JR信越本線)

 連休の前半は天気が良さそうなので、北国街道を善光寺宿から越後高田城下の加賀道(北陸道)との追分までと、北国街道松代道を歩く。好天に恵まれ、街道沿いの名残りの桜と、北信五岳の残雪の山並みを楽しみながらの6日間だった。 

  【ル-ト地図

  善光寺街道(北国街道)④』の続きです。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6017 如是姫像(長野駅善光寺口)

 

Img_6018 由来

 

Img_6020 本陣藤屋跡「TheFujiyaGohonjin」(右)の先の善光寺交差点を右折して行くのが北国街道)《地図

 

Img_6023 西宮神社

「およべっさん」と親しまれているそうだ。善光寺七福神の「恵比須」

 

Img_6027横山城跡(正面の高台)【ル-ト地図】の1

川中島合戦の拠点の一つ。

 

Img_6028 新町の旧家

一里塚跡に立つという柏崎地蔵を通り過ぎてしまったようだ。

 

Img_6030 旧家

 

Img_6033 時丸寺 《地図

大和国三輪の里の若者、時丸は死んで地獄に墜ちたが、善光寺如来の加護により蘇生し、その恩に報いるために庵を結んだという、これも「善光寺縁起」のお話。街道を東に進んだ円通寺には「時丸塚」がある。

 

Img_6031 時丸寺の六地蔵の一つは赤子を抱いている。

 

Img_6038 三輪地区の旧家

 

Img_6041 旧家

 

Img_6043 吉田神社

「吉田のイチョウ」の旧社地からここに遷座した。

 

Img_6045 全国68州の延喜の頃の一の宮の石祠。

 

Img_6047 芭蕉句碑(左) 「雲折ゝ 人を休むる 月見か那」

何丸句碑(右) 「只涼し 水ものほらす 月も来す」

 

Img_6050 街灯に「北国街道」

 

Img_6053 善敬寺

鐘楼門か?

 

Img_6055 角源人形店

 

Img_6056 「蕎麦 岡澤」の下に「北国街道吉田口留番所」(吉田3丁目交差点手前)

 

Img_6077 吉田3丁目交差点 《地図

電柱の右下に道標(明治7年)。この北西側に何丸の生誕地があるようだ。

 

Img_6076 「須坂 山田温泉 草津 長沼 小布施」

 

吉田3丁目交差点を右折して、「吉田のイチョウ」を見に行く。

Img_6067 吉田のイチョウ  【ル-ト地図】の2

ここが吉田神社の旧社地。旧北国街道はこの前を通り、稲積一里塚へ向かっていた。

 

Img_6065 説明板

 

吉田3丁目交差点に戻り、他力(たぢから)橋を渡って新町宿に入るが宿場の面影は薄い。本陣跡吉沢家も建て替えられて、どこか分からず通り過ぎた。

Img_6085 円通庵

村上義清の守護仏で、行基の作と伝える像が本尊だったそうだ。

 

Img_6084 説明板

 

Img_6086 北国往還・飯山道道標(正面の建物の前)

北国街道は直進。

 

Img_6088 道標(慶応元年(1865))

 

Img_6089 説明板

 

Img_6095 右のJAながの若槻支所が、徳間村の問屋場跡 《地図

この先の東条村にも問屋場があった。

 

Img_6099 旧家

 

Img_6102 原ノ坂を上る。 【ル-ト地図】の3

左は十王堂で、その前の石祠は万治3年(1660)の庚申塔。

北隣に蚊里田八幡宮参道鳥居が立っている。神体は神功皇后が朝鮮出兵の時に肌身につけていた 鎮懐石(男根石)だそうだ。ここからは1kmほどあるのでパス。

 

Img_6105 石像の中央が閻魔大王か。

 

Img_6103 説明板

Img_6107 原ノ坂(坂下方向を振り返る)

けっこう上って来ている。

 

Img_6111 幸清水碑

碑の下部に「是ヨリ西北 壱丁余・・」とある。そんなに近ければ今も清水が湧いているか見に行くべきだった。

 

Img_6109 説明板

 

Img_6113 粟野神社 《地図

 

Img_6115 幸神塔・猿田彦塔

幸神塔を祀る神社は長野県内でも珍しいそうだ。

 

Img_6114 説明板

 

Img_6116 国胎寺

 

Img_6119 六地蔵(明和4年(1767)建立)

 

Img_6117 説明板

 

Img_6123 土京川

これでもれっきとした一級河川よ。

 

Img_6132 「土京山城跡まで680m」の標識

この城の詳しいことは分かっていないそうだ。

 

Img_6138 正面奥の山頂の五重塔のように見える物は、三登山(923m)のアンテナ鉄塔か?

 

Img_6140 舟地蔵尊

雨乞いの地蔵さん。

 

Img_6139 説明板

 

Img_6142 旧池田家 《地図

表門は飯山城裏門を移築。

 

Img_6147 飯山城裏門

千曲川を舟で運んだそうだ。右に明治天皇田子小休所跡碑。

 

Img_6146 説明板

 

Img_6151 田子神社参道

 

Img_6152 畑の向うにぽつんと社殿。

 

Img_6159 田子清水

明治天皇の御膳水となった湧き水。街道沿いにはこの水を使った茶屋があり、造酒屋が8軒もあったという。

 

Img_6155 説明板

 

Img_6168 田子池

東山道の支路の多古駅は田子周辺ともいうようだ。

 

Img_6170 桜も見頃は過ぎたがまだ楽しめる。

観音山の標示がある。

 

Img_6182 吉村坂の上りとなる。 

 

Img_6187 長い坂だ。

 

Img_6183 諏訪社(右端奥)か?

 

Img_6192 宇佐美沢一里塚跡

塚跡に地蔵と無縁仏碑が立つのみ。このあたりは上杉謙信の軍臣の宇佐美定行にゆかりがあるのか。

 

Img_6204 右に下って原池観音堂に寄る。

 

Img_6202 観音堂前から原池 《地図

華僑の観音堂だそうだ。

 

Img_6207 しだれ桜もまだ見頃だ。

 

Img_6209 色とりどりに競って咲いている。

 

Img_6216 明治天皇北陸巡幸野立所跡

御座所の石垣が残っている。

 

Img_6222髻山(もとどりやま)城跡(正面・744m)

ここも川中島合戦の一拠点となった山城。

 

Img_6239 庚申塚古墳 【ル-ト地図】の4

まさに「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」(梶井基次郎)、「花の下にて春死なむ」(西行)だ。

 

Img_6230 説明板

 

Img_6237 横から見ると前方後円墳の形が何んとか分かる。

全長約52m、5世紀前半の築造。

 

Img_6231 後円部に庚申塔が祀られている。

 

Img_6240 平出地区に入る。

 

Img_6245 長沼道(北国街道松代道)との追分 【ル-ト地図】の5

右折した民家の敷地内に道標が移設されている。

 

Img_6246 長沼道(北国街道松代道)方向

白坂峠から神代宿・長沼宿松代宿へと続く北国街道の脇往還

 

Img_6243 追分道標

「左ながぬまみち」・「右善光寺みち」

 

Img_6258 高山寺

加賀藩の大名行列がここで休憩したそうだ。

 

Img_6254 名水の井戸跡か

 

Img_6261 三本松・行人塚 《地図

江戸に旅立つ15歳の小林一茶と父の別れの地あたり。

 

Img_6264 説明板

 

Img_6262 一茶句碑

「父ありて 明ぼの見たし 青田原」

 

Img_6265 北信五岳の黒姫山(左)・妙高山(右)

 

Img_6294 四ツ屋一里塚跡(東塚)

民家の柵内

 

Img_6293 西塚

 

Img_6308 前坂を下る。 《地図

 

Img_6311 左から庚申塔・馬頭観音・地蔵・筆塚

 

Img_6314矢筒城跡(左)

鎌倉時代から続く島津権八郎の平山城。カタクリの自生地だそうだ。正面奥は北信五岳の飯縄(綱)山(1917m)だろう。

 

Img_6316 牟礼宿碑 《地図

信越本線のガード手前。今日はここまでとして、右折して牟礼駅に向かった。

 

Img_6332牟礼駅(標高487m)

その名を「飯綱三郎天狗」という、飯綱(縄)山の天狗伝説による一駅一名物の天狗像。以前は東京と金沢への運賃が同額で、「武州加州道中堺碑」(明日訪れる)が牟礼にあるのと一致していた。

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コメント

 下調べは関連書籍・HPなどで、特別なものはありません。歩きながら調査以外の事跡などに出会うのも楽しみです。

投稿: 坂道散歩 | 2022年12月 8日 (木) 09:47

自分の地元(長野市北部)のことをネットで調べていたらこのページに至りまして... 地元の人間でも忘れかけているか知らないぐらいのマイナーな場所や史跡等が紹介されていて、正直驚きました。現在の状況だけでなく歴史も踏まえられているわけですし、すごいです。
地元の方ではないと思いますが、そのような情報はどうやって調べられているのでしょうか?

投稿: 北国街道沿道民 | 2022年12月 8日 (木) 08:10

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