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2012年6月26日 (火)

伏見街道・竹田街道

2012年6月18日

五条駅(市営地下鉄)・・・伏見口あたり(河原町五条交差点)・・五条大橋(鴨川)・・・本町通り(伏見街道)・・・耳塚・・豊国神社・・方広寺・・・専定寺(烏寺)・・・跨線橋(東海道線)・・・浄心寺・・一ノ橋跡(一橋小学校グラウンド跡)・・・宝樹寺・・・瀧尾神社・・・二ノ橋跡(東大路通り高架下)・・・東福寺北大門・・・法性寺・・・三ノ橋(三ノ橋川)・・・東福寺中大門・・芬陀院(雪舟寺)・・天得院・・東福寺・・・南大門・・・田中神社・・・極楽寺・・・丹嘉(伏見人形店)・・・伏見稲荷大社・・・稲荷駅・・・腹帯地蔵尊・伏見街道踏切(JR奈良線)・・・ぬりこべ地蔵道標・・・大門踏切(JR奈良線)・・・ぬりこべ地蔵尊・・・石峰寺・・・宝塔寺・・・瑞光寺(元政庵)・・・嘉祥寺(深草聖天)・・・真宗院・・・深草北陵・・・坊踏切(JR奈良線)・・・聖母女学院(陸軍第16師団司令部跡)・・・師団橋・・・(名神高速道路)・・・軍人湯・・・誠心寺・四ノ橋(七瀬川)・・・藤森神社・・・京街道合流地点・・・墨染駅(京阪本線)・・・墨染橋(琵琶湖疏水)・・墨染桜寺・・・欣浄寺・・・撞木町廓入口・・・(国道24号)・・京街道分岐地点・・(近鉄京都線)・・・本浄寺・・・(京阪本線)・・・近鉄京都線踏切・・・御香宮神社・・・魚三楼・・・伏見奉行所跡・・・(近鉄京都線ガード)・・・平戸橋(宇治川派流)・・・八千代大明神・・・平戸橋踏切(京阪宇治線)・・・宇治川土手・・・観月橋(宇治川)・・・(近鉄京都線ガード)・・・柿ノ木浜南踏切(京阪本線)・・・長建寺・・弁天浜・・京街道・・京橋・・・京街道分岐地点・駿河屋本店・竹田街道・・・西養寺・・・土橋(濠川)・・・玉乃光酒造・・・神泉苑橋・・・棒鼻交差点・・・蓮心橋(七瀬川)・・・(近鉄京都線)・・・(城南宮参詣道)・・・旧道・・・弁財天社・・・東高瀬川・・・(名神高速道路)・・・国道24号・・・勧進橋(鴨川)・・・竹田街道札辻交差点・宇賀神社道標・・・宇賀神社・・・陶化小学校(跡)・・・長増寺・・・竹田口(竹田街道八条交差点)・・京都駅

  【ル-ト地図】(23.3km)

 京の五条大橋そばの伏見口から伏見街道を南行し、伏見から竹田街道を北行して京都駅の竹田口までを歩く。
 伏見街道は名所旧跡の観光の道で、見所も多く時間もかかったが、京への物資輸送の竹田街道は見所は少なく呆気なかった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8979 伏見口あたり(河原町五条交差点・五条大橋西詰)《地図

このあたりに京の周囲を囲む御土居が南北に延び、出入口の「京の七口」の一つの伏見口があった。分離帯におなじみの牛若丸と弁慶の像。

五条大橋を渡り、本町通りを南下するのが伏見街道。

Img_8988 本町通り 《地図

車は北行一方通行の通り。

Img_8989 耳塚 【ル-ト地図】の①

かなり大きい。ここに朝鮮人男女の耳や鼻が埋まっていると思うとぞっとする。左隣の小公園は「明治天皇小休所下京第27区小学校跡」だ。明治天皇はどんな気持ちでこの耳塚を見たのであろうか。
 唐津街道沿いにも馘塚(みみづか・きりみみづか)があった。塚を造って埋めて供養したところで、残酷にも耳や鼻をそがれた者の供養になるはずもない。

Img_8992 説明板

Img_8996 豊国神社

8のつく日は「おもしろ市」で、18日はフリーマーケットの日で準備中だ。

Img_9002 唐門

伏見城の遺構で、国宝三唐門の一つ。

Img_9000 説明板

Img_8999 方広寺鐘楼

「国」・「君臣楽」と刻まれ、家と康を分断し、家康及び徳川家を冒瀆するものとイチャモンをつけられ、大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる、いわくつきの梵鐘。「京都大仏七不思議」の一つ。修学旅行だろうか、先生が生徒に一生懸命説明している。

Img_9004烏寺(専定寺)

烏にまつわる故事があり、かつては境内の松に土焼の烏が置かれていたそうだ。「京都大仏七不思議」(七不思議には諸説あるようだ)の「そば喰地蔵」を祀るというが、この寺は非公開で入れない。

Img_9003_2 説明板

Img_9005 古い家並み(七条通り交差点手前)

Img_9006 跨線橋でJR線を越える。

Img_9014 一ノ橋跡 《地図

橋桁に「伏水街道 第一橋」と刻まれている。もとは暗渠になった今熊野川に架かっていた橋。伏見は豊かな伏流水に恵まれた土地で、伝統の酒造りも盛んで、伏水とも記された。

ここはもとの一橋小学校のグラウンドで、鍵が掛かっていて入れない。一橋小学校は統廃合?されて東山泉小学校になるようだ。校舎を新築する前の発掘調査中だった。「一橋」の名が消えてしまうのは惜しい気がする。

Img_9020 宝樹寺

北側に一ノ橋が架かっていて橋詰堂とも呼ばれていた。常盤御前ゆかりの寺で、「子そだて常盤薬師」、「常盤御前雪除けの松」の残株があるそうだが、ここも入れない。

Img_9021 説明板

Img_9029 二ノ橋跡

ここは東大通りの高架下

Img_9034 東福寺北大門

寺域は広大だ。

Img_9038 上野酒造

伏水街道」という銘酒もある。

Img_9042 三ノ橋(三ノ橋川) 【ル-ト地図】の②

ここは現役の橋だ。この先、四ノ橋までは距離がある。

Img_9043 東福寺中大門

ここから境内に入る。

Img_9046芬陀院((ふんだいん)(雪舟寺)

Img_9045 説明板

Img_9049 天得院

住職の清韓が方広寺の梵鐘の「国家安康 君臣豊楽」を撰文した。

Img_9047 説明板

Img_9058 東福寺経蔵

Img_9053 禅堂

Img_9056 仏殿

左はイブキの大木

Img_9055_2 三門(国宝)

南大門を出て、伏見街道へ戻る。

Img_9076田中神社

『古今著聞集』に和泉式部の「色好み」?の説話がある。

Img_9077 極楽寺

閻魔大王をはじめとする土製の十王像は、伏見人形の原形の一つともいう。

Img_9085 丹嘉

寛延年間(1748~50)創業の伏見人形店

Img_9081 伏見人形

烏寺の土焼の烏も伏見人形だったのか?

Img_9084 由来

Img_9097 伏見稲荷大社

全国に約4万社ある稲荷神社の総本社。

Img_9089 千本鳥居をくぐって奥社へ。

修学旅行、外国人の参拝者が多い。

Img_9091 おもかる石

祈念して石燈籠の頭を持ち上げ、思ったより軽ければ念願成就とか。さてこの女生徒はどうだったか。

Img_9101 ランプ小屋(稲荷駅脇)

旧東海道線は膳所から稲荷駅を通り、現在の奈良線ルートで京都駅に通じていた。その当時の建物で、旧国鉄最古の建物。

Img_9100 説明板

Img_9102 腹帯地蔵尊(伏見街道踏切手前)

もとは旧大和街道の大紋(今の大門地区か)の道端に小庵があったが、旧大和街道より伏見街道の方が人通りが多くなり、当地へ遷座したという。

Img_9104 腹帯地蔵

安産の守護地蔵。

Img_9332 縁起

Img_9106 ぬりこべ地蔵道標

ここを左折し伏見街道から離れ、大門踏切(JR奈良線)を渡って旧大和街道の方へ行く。

Img_9111 ぬりこべ地蔵尊 【ル-ト地図】の③

名の由来は、①かつて土を塗り込めた壁のお堂に安置されていた。②「塗り込め」の言葉が「病気を封じ込める」という意味に転じ、病気や痛み、特に「歯の痛み」を封じるご利益があるとされ、「ぬりこべ地蔵」と呼ばれるようなった。

Img_9110 ぬりこべ地蔵

歯痛にご利益有りだが、今のところ歯は大丈夫だ。堂守のお婆さんは諸病にご利益有りと言う。悪い所は諸々あり過ぎて、何を祈願していいか迷った。

Img_9115石峰寺(せきほうじ)

五百羅漢は撮影、スケッチ禁止

Img_9109 説明板

Img_9121宝塔寺四脚門(総門)(重文) 《地図

Img_9120 説明板

Img_9124 (旧)大和街道を進む。

深草大亀谷から八科峠を越え、六地蔵に通じたそうだ。

Img_9127瑞光寺(元政庵)表門

雨は降っていない。

Img_9128 本堂も茅葺きですがすがしい。

Img_9141 深草北陵 《地図

12人の天皇陵

ここから伏見街道に戻る。

Img_9154 聖母女学院(陸軍第16師団司令部跡

近くには師団街道、師団橋、第一軍道、軍人湯などが残る。

Img_9158 旧家

Img_9163 軍人湯

16師団の軍人も大勢来たそうだ。

Img_9167 四ノ橋 【ル-ト地図】の④

これも七瀬川の現役の橋。街道に斜めに架けられていたことから直違橋といわれ、地名にもなっている。

Img_9172 京街道合流地点 《地図

左から来る京街道と合流し、しばらく一緒に進む。

 この間(墨染橋~撞木町廓跡)は『京街道①』に記載。

Img_9177 京街道(右へ)分岐地点 《地図

伏見街道は京町通りを直進する。

 本町通り交差点を左折し、御香宮神社に寄る。

Img_9188 桃山幼稚園 《地図

昭和11年に宮大工の大木吉太郎により和風建築として設計施工された建物か?

Img_9189 御香宮神社石垣

鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となった。南側が幕府軍、会津・桑名軍、新撰組等の陣営の伏見奉行所跡。

Img_9203御香宮神社表門

伏見城の大手門を移築。伏見城跡は北東、1kmほどにあるのだが寄らなかった。

Img_9197 拝殿 

伏見街道に戻る。

Img_9204 魚三楼 《地図

Img_9212 鳥羽伏見の戦の弾痕

Img_9211 説明板

Img_9216 伏見奉行所跡 《地図

桃陵団地前に黒塀(復元)と碑が立ち、奉行町にその名を残す。

Img_9215 説明板

Img_9217 伏見奉行所の石垣

Img_9219 旧家

Img_9224 八千代大明神 《地図

平戸橋踏切(京阪宇治線)を渡れば宇治川に突き当たる。

Img_9228 宇治川土手を観月橋まで行く。

Img_9230 「明治天皇駐輦所観月橋」碑

右の「淀川維持区域標」の右側面には「従是下至海」とある。そりゃそうだが・・・。

この先は大和街道(奈良街道)となり、観月橋を渡って南下し奈良へと至る。

ここを伏見街道歩きの終点とし、宇治川派流沿いを京橋へと向かい竹田街道に取り掛かる。

Img_9242十石舟

Img_9254 説明板

Img_9244長建寺 《地図

撞木町、中書島の遊女たちの信仰を集めた弁財天の寺。

Img_9246 説明板

Img_9255 弁天浜

対岸の北側には寺田屋があり、今日も見物客で賑わっている。

Img_9256 説明板

Img_9265 京街道に出て京橋を渡る。【ル-ト地図】の⑤

ここが竹田街道の始点・終点だ。

Img_9268 京街道・竹田街道分岐地点 《地図

京街道は駿河屋羊羹店(破産したようだ。建物はどうなっているのか? 2015年2月に営業を再開したようだ)の前を右折して行く。竹田街道は直進。

Img_9272西養寺 《地図

Img_9273 土橋(濠川)を渡る。《地図

材木を川に渡しておいて、その上に土や砂利を敷きつめた橋だったそうだ。

Img_9276 玉乃光酒造

Img_9282 棒鼻交差点

竹田村と伏見領の境界で駕籠の継立場があったそうだ。

Img_9291 城南宮参詣道 《地図

後方に北向不動尊石柱と道標「右 北向不動明王 左 城南宮」が立つ。城南宮は昨日の鳥羽街道で訪れた。

Img_9298 旧道に入るが別に見所はない。《地図

Img_9303 東高瀬川沿いを進む。

Img_9311 勧進橋を渡る。《地図

江戸時代には渡り賃を取られた私有の橋で銭取橋とも呼ばれ、渡り賃は伏見稲荷大社の改修費用に充てられたという。

Img_9318 竹田街道札辻交差点・宇賀神社道標(右) 《地図

宇賀の辻子跡で、右折して宇賀神社に寄る。

Img_9323  宇賀神社

ここは藤原鎌足が月輪のあたりを遊猟中に金璽(きんじ・金印)を得、後世都が遷されて我が子孫が繁栄することを予知し、その金璽を埋めた宇賀塚であるとか。背後は樹齢500年以上という銀杏と椋の大木。

Img_9322 由緒

 この先、陶化小学校に勧進橋のたもとに立っていたという「石敢當」と、竹田街道で使われた「車石」があるのだが、ここも統廃合されるのか閉まっていて校内には入れなかった。車石は旧東海道の大津と京都の間にもあった。『東海道(大津宿→三条大橋)

Img_9328 竹田口あたり(竹田街道八条交差点) 《地図

ここを竹田街道歩きの終点とした。

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2012年6月24日 (日)

鳥羽街道

2012年6月17日

京都駅・・・九条通り・・・東寺・西国街道・・・羅城門跡・鳥羽街道(千本通り)・・・吉祥院天満宮常夜灯・北向地蔵(十条通り交差点)・・・恋塚浄禅寺・・・(名神高速道路)・・・小枝橋(鴨川)・・道標・鳥羽伏見戦跡碑・・新城南宮道・・・城南宮・・・城南宮道・・・鳥羽離宮跡公園・・・恋塚寺・・・鴨川堤・・・鳥羽の大石・・・龍門橋跡・・・法傳寺・・・鳥羽伏見の戦跡碑・・・一念寺・・・鴨川・桂川合流地点・・・楽水庵・・田中神社御旅所・・羽束師橋(桂川)・草津湊跡・魚市場跡碑・・・西光寺・・・浄徳寺・・・阿弥陀寺・・・戊辰役東軍戦死者埋骨地碑・・・念仏寺・・妙経寺・・・五番橋・・・納所村道路元標・・・唐人雁木旧址碑・・納所交差点(京街道合流地点)・・・淀競馬場・・淀駅(京阪本線)

 京から南に川の字のように並ぶ3本の街道(西から鳥羽、竹田、伏見街道)を歩く。
 まずは平安京を南北に貫いた朱雀大路南端の羅城門から真南に延び、鳥羽から淀に通じる「鳥羽の作り道」の鳥羽街道を行く。

 淀まではたいした距離ではないが、台風が近づく梅雨の間の、晴れて非常に蒸し暑い日で、淀に着く頃にはかなりへばってしまった。淀競馬場で馬券を買いながら涼んで休憩したが、高い納涼代になってしまったことは言うまでもない。

  【ル-ト地図】(14.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8813 羅城門跡 【ル-ト地図】の①

ここで西国街道から分かれ南進する。

Img_8812 南へ鳥羽街道(千本通り)に入る。

平安京の中心朱雀大路は船岡山が正面に来るように決められたとも言われ、 一説には、船岡山西麓の葬送地への道に千本の卒塔婆を建て供養したのが、「千本通り」の名の由来とする。

Img_8816 吉祥院天満宮常夜灯・北向地蔵(十条通交差点)

交差点手前にも常夜灯と、梅鉢紋の入った道標(正徳6年(1716))が立っている。ここから西へ1kmほどだが寄らなかった。

Img_8819 街道沿いには簾(すだれ)をかけている家が多い。陽射しはともかく、この蒸し暑さ除けにはなるまい。

Img_8828 レトロな乙女美容院

Img_8831 オウムは今も健在のようだ。

Img_8836 恋塚浄禅寺 【ル-ト地図】の②

袈裟御前ゆかり恋塚と、京都六地蔵の「鳥羽地蔵」の寺。

Img_8837 説明板

Img_8840 恋塚(袈裟御前の首塚)

北面の武士、遠藤盛遠が人妻の袈裟御前に横恋慕する話で、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した『地獄門』のもとになった。右隣に「恋塚碑」も立つ。また一説には、寺の近くの池に棲んでいた大鯉が、夜毎に妖怪として現われたので退治して埋めた「鯉塚」ともいわれる。

後ろの地蔵堂の小野篁の作という「鳥羽地蔵」は「京都六地蔵」の一つ。

Img_8853 小枝橋(鴨川)を渡った左側に道標(安政6年(1859))と「鳥羽伏見戦跡碑」 《地図

Img_8854 「城南離宮 右よど やはた」・「左り 京ミチ」

Img_8860 「鳥羽伏見の戦い 勃発の地」説明板

直進する新城南宮道を城南宮に向かう。

Img_8862 城南宮参道

Img_8868 城南宮

城(平安京)の南にあることから「城南神」と呼ばれた。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となった。また白河上皇らの「熊野御幸」の出立の地でもあった。

Img_8870 説明板

Img_8865 説明板

Img_8869 説明板

Img_8871 鳥羽離宮跡公園 【ル-ト地図】の③

Img_8880 このあたりは左側(東側)は道路より一段下に家が建っている。西側の家並みの裏は鴨川の土手が近い。

Img_8881 おしろいで塗られ女の子みたいな地蔵さん。

Img_8889 恋塚寺 【ル-ト地図】の④

さっきの恋塚浄禅寺と同じ袈裟御前の物語の寺。

Img_8895 「月の桂」醸造元の増田徳兵衛商店

延宝3年(1675)の創業。今日は閉まっているようだが。

 この先で鴨川の土手に上る。

Img_8903 鳥羽の大石

二条城修理のために運ぶ途中で、川に沈んだ石らしい。

Img_8902 説明板

Img_8906 龍門橋跡

この付近で西高瀬川が合流して来る。

Img_8910 今にも倒れそうで、幹は空洞になっているが頑張っている。

Img_8915 城のような家の前に「鳥羽伏見の戦跡碑」

Img_8918 鴨川・桂川合流地点 《地図

向うの羽束師橋あたりに草津湊があった。

Img_8928 楽水庵

「藤田権十郎邸 藤田四郎エ門邸 跡」の標柱が立っている。 

Img_8934 草津湊跡あたり(羽束師橋)

ここで陸揚げされた魚は鳥羽街道を走って京へ運ばれた。「走り」の由来という。川を遡るよりも陸送の方が早く、鮮度を保てたのだろう。

Img_8931 説明板

Img_8935 魚市場跡碑

Img_8936 説明文

紙製で下の部分は消えている。

Img_8944 旧家

Img_8949 土手はサイクリングロードになっていて、日曜で自転車の往来も多い。

Img_8956 旧家

Img_8958 戊辰役東軍戦死者埋骨地碑

 

Img_8961 妙経寺 《地図

境内には「史跡 淀古城址 戊辰役砲弾貫通跡碑」、「戊辰之役東軍戦死者之碑」のほか、戦犯として処刑された「木村久夫歌碑」がある。

Img_8965 木村久夫歌碑

遺書

ここから先は『京街道②』で歩いている。

Img_8974 納所(のうそ)交差点(京街道合流地点) 【ル-ト地図】の⑤

納所」は京へ運ぶ物資の倉庫が立ち並んでいたことに由来するという。江戸時代には宇治川と桂川とこのあたりで合流していた。右の電柱脇に船着場跡を示す「唐人雁木旧趾」碑が立つ。
ここを鳥羽街道歩きの終点とし、淀競馬場に向かった。

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2012年6月 8日 (金)

大山街道(こま参道→女坂→大山山頂・阿夫利神社本社→男坂→大山ケーブルバス停)

2012年5月31日

伊勢原駅(小田急線)・(神奈中バス)→大山ケーブルバス停・・・もみじ坂・・こま参道・・・茶湯寺・・・雲井川(鈴川)・・・八意思兼神社(追分社・男坂、女坂分岐点)・女坂・・・弘法の水(女坂の七不思議①)・・・子育地蔵(七不思議②)・・・爪切り地蔵(七不思議③)・・・逆さ菩提樹(七不思議④)・・・前不動(来迎院)・龍神堂(八大堂)・・・大山寺・・・無明橋(七不思議⑤)・・・潮音洞(七不思議⑥)・・・眼形石(七不思議⑦)・・・女坂道標(男坂合流地点)・・大山阿夫利神社下社・・登拝門・・・夫婦杉・・・本坂・・・ぼたん岩・・・天狗の鼻突き岩・・・十六丁目の追分碑・・・富士見台(来迎谷)・・・ヤビツ峠分岐・・・大山山頂(1252m)・大山阿夫利神社本社(奥の院)・・・大山の肩・・・不動尻、広沢寺温泉分岐・・・見晴台・・・八大龍王社(二重社)・二重滝・・・大新稲荷神社・・・女坂分岐点・八大坊上屋敷跡・・・男坂・・・追分社(女坂合流地点)・・・こま参道・・・大山ケーブルバス停

  【ル-ト地図】(7.0km)

 大山登山で大山街道、矢倉沢往還歩きを締めくくる。

  大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』からの続きです。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8614 もみじ坂(左)・こま参道(右)

もみじ坂が旧道で石段だったが、関東大震災で崩れてしまい、こま参道を造ったそうだ。

Img_8617 茶湯寺(ちゃとうでら・涅槃寺) 《地図

本尊は右手を枕にして横臥する、等身大の釈迦涅槃像。「百一日参り」の寺として知られ、茶湯供養をした後で、不思議と故人とよく似た人に会うか、似た声を聞くという伝えがある。参道に立つ石地蔵の光背の一つに○キの刻字があり、隠れキリシタンのものではないかともいう。

Img_8623 こま参道

大山の土産物、「大山こま」のタイルが埋め込まれている。まだ8時前で参道沿いの店は開いていない。

Img_8790 八意思兼神社(追分社) 《地図

祭神は高皇産霊尊の子とされる思兼神で、男坂(右)、女坂(直進)分岐点の追分社。

Img_8631女坂を上る。【ル-ト地図】の①

「女坂の七不思議」が次々に現れる。

Img_8633 弘法の水(七不思議①)

弘法大師が杖で突いたら清水が湧き出したという、いつものパターン。

Img_8637 子育地蔵(七不思議②)

いつの頃からか、童子の顔になったという。「若返り地蔵」と呼んだ方がいいかも。

Img_8639 爪切地蔵(七不思議③)

弘法大師が、一夜のうちに爪で彫ったという、これもよくあるお話。

Img_8641 逆さ菩提樹(七不思議④)

根本が細く、上に行くほど太くなっている菩提樹で、逆さに生えたように見えるというが、2代目だから・・・。

Img_8643 前不動(来迎院)、左は龍神堂(八大堂)

Img_8647 龍神堂説明板

Img_8656 大山寺

天平勝宝7年(755)、奈良東大寺の別当良弁僧正の開山。本尊は願行上人が文永11年(1274)に鋳造した鉄の不動明王

Img_8655 説明板

Img_8650 宝篋印塔

右に3遍廻ると功徳があるそうだ。

Img_8651 説明板

Img_8653 かわらけ(土器)投げ

投げた「かわらけ」が下の福輪(直径2.5m)をくぐると幸運をもたらすという。

Img_8657 無明橋(七不思議⑤)

話をしながら渡ると下に落ちたり、落し物や忘れ物をするという。

一人なのでむろん無言で渡ったが、帰りに伊勢原駅のコインロッカーに入れた物を忘れて電車に乗ってしまった。途中で気づき取りに戻るはめとなり、どっと疲れが増した。

Img_8661 潮音洞(七不思議⑥)

この窟に近づいて耳を澄ますと、遠くの海の潮騒が聞こえてくるとか。試しはしないので真偽のほどは分からず。

Img_8662 眼形石(七不思議⑦)

人の目の形をしたこの石に手を触れて祈ると目の病気が治るという。最近、左目の調子が悪いので石に触って祈ったが、今だ快癒のきざしなし。

Img_8666 女坂でもきつい上りが続く。この上で男坂からの道と合流する。

Img_8668 女坂道標(文化5年(1808)) 《地図

男坂合流地点で下社への上りの石段となる。道標は女坂の下りを示している。

Img_8673 大山阿夫利神社下社

Img_8675 下社(拝殿)

延喜式内社で、関東総鎮護の神。山頂の本社に祀る三神をここで礼拝する。祝詞の奏上や神符、御守りなどはここで授与される。

Img_8676 説明板

Img_8679 片開きの登拝門をくぐり、急な石段を上る。

ここは標高700mくらいで、山頂(1252m)まではきつい上りが待っている。

Img_8680 説明板

Img_8682 石段上から

Img_8684 まだまだ険しい道が続く。もとは修験の道で、ちゃらちゃらしたハイキングコースとは違い険しいのは当然か。

Img_8685 前の人につかず離れずのペースで上って行く。

Img_8689 夫婦杉

間に枝が一本ある。「間男杉」・「三角関係杉」のように見えるが考えか。

Img_8692 本坂の長い上り。 【ル-ト地図】の②

Img_8704 ぼたん岩(14丁目)

足元などに見られる球体の岩が、牡丹の花のように見えるからというが、そう言われても見えない。

Img_8707 天狗の鼻突き岩(15丁目)

穴が開いているからこれはよしとしよう。

Img_8714 十六丁目の追分碑(享保元年(1716)初建)

強力(ごうりき)が麓から担ぎ上げた高さ3m68cmの道標。本坂→下社と、かごや道→下社の追分のことだろう。かごや道は蓑毛に通じている。

Img_8717 富士見台(来迎谷)から富士も下界も見えず。

ここは20丁目で標高1062m

広重の「不二三十六景 相模大山来迎谷

Img_8727 乳白色の中を山頂を目指す。

Img_8728 鳥居をくぐれば山頂だ。(28丁目)

Img_8733 大山山頂(1252m)・阿夫利神社本社(奥の院) 【ル-ト地図】の③

後日知ったのだが、前日に皇太子がほぼ同じルートで大山登山を楽しんだそうだ。昨日は好天で山頂からの眺望も開けたようだが、かち合わなくてよかった。

Img_8735 山頂は湿気もあり、汗で濡れた体は寒い。そこそこに見晴台へ下る

Img_8736 グレーチング階段

鹿よけの植生保護柵。

Img_8737 説明板

Img_8738 木の階段が長く続く。

Img_8740 大山の肩

この先で不動尻・広沢寺温泉への道が分岐する。

Img_8746 小さな鎖場

Img_8747 馬の背?

Img_8749 見晴台に着く。【ル-ト地図】の④

Img_8752眺めはイマイチ

Img_8757 崩落個所を抜ける。

Img_8760 八大龍王社(二重社) 《地図

手前の2本の杉が「呪いの杉」の後継者か。

Img_8764 説明板

Img_8767 二重滝

滝壺のほとりにあった「丑の刻参り」の「呪いの杉」は震災(台風?)で倒れてしまったそうだ。「人を呪わば穴二つ」で、呪った者・呪われた者、そして呪いをかけた杉までも墓場へ行ってしまったか。墓穴は三つ必要のようだ。

Img_8775 女坂分岐地点

女坂は女坂道標(右端)から下る石段で、さっき上って来た道。男坂は左の平坦な道だが、この先で急な石段の連続となって追分社まで続く。

Img_8781 男坂を下る。 【ル-ト地図】の⑤

蹴上げ・踏み面とも不規則な石段で、一区切り下ってほっとする間もなく、またどこまでも続くような感じだ。

Img_8782 見上げる。こんな石段の連続だ。

Img_8784 どこまで続くやら。

Img_8786 追分社(八意思兼神社)の上に出た。

Img_8787 追分社から振り返る。ここから女坂の道と合流し、こま参道を通り、大山ケーブルバス停に向かった。

 

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2012年6月 5日 (火)

矢倉沢往還③(南御殿場駅→東海道合流地点)

2012年5月21日

南御殿場駅(JR御殿場線)・・払堰踏切・・・県道394号・・・西方寺・・・大坂・・・山神社・・・岩神橋(黄瀬川)・・(裾野市)・・・岩波不動尊・・・岩波踏切(御殿場線)・岩波駅・・唯念名号碑・・・国道246号・・・県道394号・・・赤子神社・・・観音堂・・・馬頭観音・新震橋・・・蓮光寺・・・佐野北交差点・・・大畑橋(黄瀬川)・・・五竜の滝(黄瀬川)・・・県道394号・・・馬頭観音・・・(東駿河湾環状道路)・・・鮎壺の滝(黄瀬川)・・・(東海道新幹線)・・・新寿橋(黄瀬川)・(国道1号)・・・天理教踏切(御殿場線)・・・箱根裏街道踏切(東海道線)・・・東海道合流地点(下石田交差点)・・下石田バス停→三島駅(東海道新幹線)

 御殿場線沿いを南下して行く。緩やかに下っているので楽で、見所も少なく早足で進む。途中、2つの滝を眺めて二休みしただけで5時間もかからず、東海道との合流地点に着いた。

  【ル-ト地図】(23.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8458 県道と御殿場線の東側の静かな道を進む。《地図

Img_8461 田園風景も残っている。

県道394号に出て南下する。

Img_8482 大坂を下る。《地図

緩やかに長く下って行く。昔はもっと急坂だったのか。

Img_8488 山神社

Img_8491 隣を流れる黄瀬川は、下流で五竜の滝、鮎壺の滝となって落ちている。

岩神橋(黄瀬川)を渡って、すぐ右に入って行く。

Img_8503 岩波不動尊 《地図

堂内に「岩波不動尊和讃」の額が掲っている。

Img_8508深良用水説明板(岩波駅前)

Img_8510 唯念名号碑(岩波駅そば)

Img_8515 旧家

Img_8518 赤子神社 【ル-ト地図】の①

小豆の入らない「白おこわ」を妊婦に配るそうだ。これを食べれば元気な赤子の誕生、間違いなし。

Img_8528 観音堂 【ル-ト地図】の②

左の地蔵は道標になっている。

Img_8526 「右ハ むらミち 左ハ甲州ミち」か?

Img_8533 馬頭観音(新震橋(しんゆるぎばし)の所)

往来の邪魔になったのか、危うい所に移されてしまった。大きく髪を結い、長い衣をまとったイケメン風な観音さんだが、気づいて見る人も少なく可哀そうだ。

Img_8542 旧家

佐野北交差点で右折し、五竜の滝へ行く。

Img_8557 五竜の滝(雄滝) 【ル-ト地図】の③

高さは12mだが流量は豊富だ。

Img_8563 雌滝の2本は細く見にくい。

Img_8556 説明板

少し上流の中央公園には、旧植松家住宅(国重文)が移築されている。

 佐野交差点で街道に戻る。

Img_8575 馬頭観音道標 《地図

ここのは小さな流れの上だが、道路上にある。

Img_8574 「右ぬまず  左三しま」で、ちゃんと現役の道標だ。まあ見る人はいないだろうが、移したりするなよ。

Img_8586 鮎壺の滝 【ル-ト地図】の④

滝と呼ぶには高さ不足の感じだが、市街地の中なのでよしとすべきか。下から見上げればよかったかも。

Img_8585 説明板

源頼朝の召し出しを拒んでこの滝に身を投げた亀鶴姫は、東海道沼津の潮音寺に亀鶴観音として祀られている。『東海道(三島宿→沼津宿

Img_8599 東海道新幹線をくぐる。《地図

「御殿場街道」で、矢倉沢往還・足柄街道の名は忘れ去られてしまったか。

 上石田南交差点の先で、国道から左に入って行く。

Img_8603 天理教踏切(御殿場線)を渡る。《地図

名のとおり、踏切向うが天理教の建物。

Img_8606 箱根裏街道踏切(東海道線) 《地図

矢倉沢往還、足柄街道、古東海道ではなく、裏街道とはねえ。東海道が箱根越えになるまでは、表街道だったのだが。まあ、人生の裏街道を歩いて来た、うらぶれた男には似合いの名か。

Img_8610 東海道合流地点(下石田交差点) 【ル-ト地図】の⑤

2年前に東海道歩きで通過した所だ。その時はここが矢倉沢往還との追分とは知らなかった。

Img_8613 東海道沼津宿方向

自動車の曲がる方向が矢倉沢往還。下石田バス停から旧道経由三島駅のバスに乗った。バスは旧東海道の潮音寺、黄瀬川橋、八幡神社、玉井寺、千貫樋など見覚えのある所を通って三島駅に向かった。『東海道(三島宿→沼津宿)

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2012年6月 3日 (日)

矢倉沢往還②(関本宿→矢倉沢関所跡→足柄峠→南御殿場駅)

2012年5月20日

新松田駅(箱根登山バス)→竜福寺前・・関本宿・・龍福寺・・県道78号(足柄街道)・・問屋跡・・高札場跡・・(お君塚入口)・・関本地蔵尊・・上宿の道祖神・・坂本駅跡・・・化粧坂・白地蔵・・旧道(足柄古道)・・・足柄神社・・観音堂・・・東山バス停(県道78号)・・・旅籠通り・・矢倉沢表関所跡・・・関場交差点(県道78号)・・・前田橋(内川)・・・矢倉沢裏関所跡・・・県道78号・・・家康陣馬の跡・・・足柄古道入口バス停・足柄古道・地蔵・・・矢倉沢定山城跡・・・源頼朝のひじ松(跡)・・・長者橋・・・夕日の滝・・・金太郎生家跡・・・地蔵堂・・・相ノ川橋・・・見晴台バス停・・・源頼光の腰掛石・・・足柄峠(首供養塚・足柄峠一里塚跡・足柄の関所跡・聖天堂・笛吹塚・足柄城址)・・金太郎富士見ライン・・・六地蔵・・・芭蕉句碑・足柄古道・・・赤坂・・馬頭観音・・・県道78号・・・竹之下合戦標柱・・伊勢宇橋(地蔵堂川)・・・唯念大名号塔・・・竹之下一里塚跡・・・浅間坂・・・嶽之下神社・・・馬喰坂・・・竹之下踏切(御殿場線)・足柄駅・・・千束橋(鮎沢川)・竹之下合戦跡碑・・・常唱院・・・足柄駅入口交差点・・有闘坂・・・有闘坂上一里塚跡・・県道78号(足柄街道)・・戦跡釜沢碑・・・戦跡陣場碑・・・足柄橋(東名高速道路)・・・(御殿場市)・・・唯念名号塔(宮沢橋バス停)・・・深沢城址入口碑(城入口バス停)・・・高根橋(抜川)・・・杉原交差点・・・御殿跡入口標柱・・・穂見神社・吾妻神社・御殿場発祥の地碑・・・二枚橋古墳・浅間神社・・・二枚橋(鮎沢川)・市役所北交差点(国道138号)・県道394号・・・秋葉神社・・・新橋浅間神社・・・永原大神宮・・・(東名高速道路)・・・カマド踏切(御殿場線)・・かまど(竈)地名由来碑・・・かまど神社踏切・・諏訪神社・・玄清寺・・南御殿場駅(JR御殿場線)→沼津駅

  【ル-ト地図】(31.8km)

  関本宿を過ぎ、白地蔵の先で足柄古道に入り足柄神社に寄る。矢倉沢関所跡から上って、のどかな金太郎の里で夕日の滝を眺めて一息ついてから足柄峠へ向かう。車道をいくども横切って足柄古道が残っている。
 峠からはしばらく金太郎富士見ラインを下り、再び足柄古道の山道となって下って行くと竹之下地区で、竹之下合戦ゆかりの所が多い。
 有闘坂あたりまでが矢倉沢往還と足柄古道のハイライトだろう。後は南に御殿場線沿いの県道を緩やかに下るのみで見所は少ない。南御殿場駅まで進み沼津駅に向かった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7998龍福寺 

本尊は鎌倉時代の作の木造阿弥陀如来坐像。義民下田隼人の墓がある。

Img_8001 関本宿武蔵屋(問屋・旅籠・醤油醸造・脇本陣跡)跡

右の塀上に「関本宿を語る会」の説明板が立っている。

Img_8002 説明板

関本宿は「坂の下」にあったことから古代には坂本の名で呼ばれ、足柄関が設置されて以後、関本になったという。矢倉沢往還と小田原からの甲州道が合流する宿場として栄え、道了尊大雄山最乗寺の門前町としても繁栄した。旅籠などが立ち並ぶ街道の裏には水路があり、継ぎ立ての馬が水を飲んだり、馬を洗ったりしていたという。

Img_8006 高札場跡

右に「矢倉沢往還 関本宿」の標柱。

この先に小田原藩主が宿泊の時は本陣に指定された旅籠福田屋跡がある。殿様が泊まる時には、白砂糖を混ぜただんごを、4枚の奉書を敷いた白木の三方の上に置いて差し出したという。

Img_8011 お君塚案内板

お君とは旅籠の遊君(遊女)で、特定の個人名ではないようだ。「関下(関本)の宿をすぐれば、宅を並ぶる住民は人を宿して主とし、窓にうたふ君女は客をとどめて夫とす。あわれむべし」『海道記』より

Img_8016 関本地蔵(道路向うの小祠)

Img_8018関本地蔵(子育延命地蔵)

Img_8017 説明板

Img_8019 上宿の道祖神

双体道祖神が2体と五輪塔

Img_8022 坂本の駅跡 《地図

駅馬24匹を常備した古代の足柄道(古東海道)の駅跡。右の総合グランドが駅舎跡と推定される。

Img_8023 説明板

Img_8033 化粧坂

白地蔵(右)に由来する坂名。

Img_8034 白地蔵 【ル-ト地図】の①

うどん粉を塗りつけられ真っ白な化粧地蔵。

Img_8036 説明板

Img_8041 白地蔵の先で右へ足柄古道に入る。 《地図

Img_8193 説明板

足柄峠に近い見晴台バス停に設置のもの。

Img_8047 足柄神社近くから

Img_8049 足柄神社

足柄峠の「坂の神」で、「坂道散歩」の守護神だ。

Img_8052 説明板

Img_8051 石祠群

Img_8050 説明板

Img_8056 観音堂

足柄明神(現足柄神社)の本地仏堂だった。

Img_8055 説明板

Img_8065 起伏のある気分のいい道を行く。

県道はずっと左下を通っている。

Img_8067 東方の眺め

Img_8069 分岐には「足柄古道→」の標識が立ち、迷うことはない。

Img_8079 猪よけネットを開けて進む。

Img_8081 矢倉岳(870m)

Img_8088 県道へ下り、斜めに横切って関場の集落へ入って行く。

下は東山バス停。

Img_8192 矢倉沢関所跡→頼朝のひじ松→夕日の滝→地蔵堂→足柄峠→六地蔵から足柄駅へと進んで行く。

Img_8094 矢倉沢表関所跡末光家 【ル-ト地図】の②

前は関場の旅籠通りで、旅籠、米屋、油屋、豆腐屋などが軒を連ね、大和屋、江戸屋、立花屋、車屋、釜成屋などの屋号が残っているそうだ。

Img_8093 説明板

Img_8099 矢倉沢裏関所跡石村家 《地図

矢倉沢本村から矢倉岳の西尾根を越え、山北の谷峨関所へと抜ける裏道をおさえるための番所で、旅人を通すことはなく、村民が田畑や山へ行く時にだけ門を開けたという。

Img_8098 説明板

Img_8113 家康陣馬の跡

Img_8112 説明板

Img_8114 足柄古道入口バス停 《地図

左に上って行く。すぐ先に地蔵が立つ。

Img_8117 歩きにくい道となって、右へ車道に下りる。

Img_8119 遊歩道らしき所が所々に作られている。

Img_8120 矢倉沢定山(じょうやま)城跡(右)

大森信濃守氏頼の築城とされる。定山は城山の転訛で、矢倉沢城跡と呼ぶべきとも。

Img_8121 説明板

Img_8123 頼朝のひじ松

ガードの切れ目に説明板と標識があるので下って行ったが、道路の上からでも見られる。

Img_8122 説明板

Img_8126 ひじ松(2代目)

枝でなく、木全体が傾いてしまっている。

Img_8130 道路から

松は2本ある。その下に小祠がある。そこまで行ける。

Img_8137 夕日の滝へ向かう途中の鏡のような棚田

Img_8160 猪の毛皮

肉は猪鍋で食べられてしまったか。

Img_8142 ♪「金太郎」♪歌碑

Img_8152_2 夕日の滝 【ル-ト地図】の③

高さ23m、幅5m、金太郎の産湯の水という。

Img_8145 説明板

Img_8162 金太郎生家跡地

坂田金時は九州の賊を征伐するため築紫へ向かう途中、作州路美作の勝田壮(現在の岡山県勝央町)で熱病で死去したという。『出雲街道⑦』 隣の静岡県小山町も生誕地の一つで、生家跡に金時神社があり、勝央町と姉妹都市となっている。

Img_8165 地蔵堂(正面左)

木造地蔵菩薩立像は神奈川県の重文。

Img_8170 地蔵堂の所を左折し足柄峠へ 《地図

下は県道で車、バイク、自転車、ランナーも通る。

Img_8171 茶畑が広がる。静岡県に入ったようだ。

Img_8177 古道が所々に残っている。

Img_8196 石畳道もある。

Img_8200 源頼光の腰掛石の説明板だが消えていて読めない。

腰掛石はどれか?この小さな石ではあるまい。

 すぐ先で足柄峠に着く。

Img_8204 首供養塚

Img_8205 説明板

Img_8206 足柄峠一里塚跡

Img_8208 足柄関所跡

右端は「おじぎ石」で、旅人はこの石に手をついて、お辞儀をし手形を差し出した。甲州街道の小仏関所跡にも「手付石」・「手形石」がある。

Img_8209 説明板

Img_8215 標高759mだが、それほどの高さは感じない。

Img_8221 説明板

Img_8214 足柄峠年表

足柄峠を行き来した倭建命以下そうそうたる面々の中に、『更級日記』の菅原孝標の女(むすめ)もいる。彼女が足柄峠を越えて京に向かったのは13才の時か。「足柄山といふは、四、五日かねて恐ろしげに暗がり渡れり。やうやう入り立つ麓のほどだに、空の気色、はかばかしくも見えず。えもいはず茂り渡りて、いと恐ろしげなり」と記す。

また年表には記さぬが、恋人、妻子、家族と別れ、筑紫へ防人として赴く、名も知れぬ東男(あずまおのこ)が越えて行った峠でもある。「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも」(万葉集第二十巻)・「足柄の み坂給はり 返り見ず 我れは越え行く・・・・・」(万葉集第二十巻

Img_8213 倭建命の伝承

Img_8217 聖天堂

日本三体聖天尊(浅草の待乳山聖天・奈良県の生駒聖天(宝山寺)の一つの足柄聖天で、本尊は弘法大師が自筆の「足柄峠」の額と共に奉納したといわれる大聖歓喜双身天石像(1.8m・秘仏)で、夫婦和合、商売繁盛、縁結び、厄除にご利益あり。

Img_8222 笛吹塚

新羅三郎義光が後三年の役で奥州へ赴いた時点では、豊原時秋はまだ生まれていない。まあ伝承、逸話なんかはいい加減なものが多いから、目くじらを立てることはないが。

Img_8223 説明板

Img_8227足柄城址から 【ル-ト地図】の④

ちょうど雲が切れかかった。「目にかゝる 時やことさら 五月富士」、芭蕉が見たのもこんな富士だったか。

しばらく車道(金太郎富士見ライン)を下る。

Img_8240 芭蕉句碑

「目にかゝる 時やことさら 五月富士」

Img_8241 説明板

 この向い側から足柄古道に入って下る。

Img_8242 足柄古道入口

Img_8248 歩きにくい所もある。途中、上って来る親子連れ、2組とすれ違った。

Img_8250倒木が道をふさぐ。

Img_8251 赤坂

この先の舗装道路に出る手前右に馬頭観音。

Img_8252 馬頭観音

Img_8253 説明板

この道は小田原から甲斐へ通ずる、「塩の道」、「甲州道」でもあった。

Img_8255 竹之下合戦標柱(右)・伊勢宇橋(先)

Img_8258 説明板

Img_8262 唯念名号塔(天保10年(1839))

高さ3m80cmで、一字に一斗の米が入るとか。

Img_8261 説明板

Img_8267 竹之下一里塚跡あたり

ここを直進する。 《地図

Img_8268 林間コースを行く。

もとは松並木だったが、戦時中に松根油(航空機燃料)を採ったため失われてしまったそうだ。

Img_8271 左に2体の馬頭観音(天保6年(1835))と宝暦?年)

Img_8275 浅間坂を下る。

途中の嶽之下神社は、合祀される以前は浅間神社だった。

別名を「自校坂」で、「昭和16年東京目黒の陸軍輜重兵学校の自動車隊が足柄峠越えを強行するため、急峻狭小の道路を拡張整備しながら、悪戦苦闘の末、25台の軍用トラックを四昼夜をかけて突破したことから、其の後地元の人々はその栄誉をたたえ、通称浅間坂を自校坂と云うようになった」(「足柄史跡を守る会」の説明。

Img_8279 嶽之下神社 《地図

足柄峠の下で「嶽の下」→「竹之下」だそうだ。

Img_8283 竹之下地区に下る。

Img_8284 双体道祖神が2基か?

Img_8285 馬頭観音など

左端の馬頭観音は道標になっている。

Img_8290 道標(文化?年)

「左 小田原 大山 道」か?

Img_8291 馬喰坂(ばくろうざか)となってさらに下る。

Img_8296 坂上方向を振り返る。

左に坂標と説明板

江戸時代の竹之下は物資の荷継場で牛や馬の需要が多く、その売買や周旋をする商人(馬喰)が住んでいた。

南に少し行くと古刹、大雄山宝鏡寺がある。

Img_8300 足柄駅

無人駅の駅舎で一休み。

Img_8303 千束橋(ちづかばし・鮎沢川)を渡る。《地図

新田軍が退く際に橋を落としたので、足利軍が薪を千束投げ入れて橋の代わりにして渡ったという。

Img_8310 竹之下合戦跡(建武2年(1335))碑(右端)

Img_8314 常唱院

庭の桜が見事らしい。日蓮も泊まった寺という。

Img_8316 道祖神?と馬頭観音の祠

ここは「宿」という地区名で、江戸時代には継立場だった。「港屋」・「よしのや」などの屋号が表示されている。源頼朝が上洛の時にこの地に泊まったという。

Img_8322 有闘坂の上りとなる。

Img_8344 分岐点 《地図

ここを折り返すように左折するのだが直進してしまい、東名高速に出てしまった。大きく回って再びここへ戻る。直進する道も甲州へ通ずる古い道という。この先で東名高速にぶつかり分断されているが。【ル-ト地図】も歩いたとおりに記載してある。

Img_8338 茶畑

ここは甲州へ通ずる道沿い。

Img_8341 東名高速上からの眺め

Img_8345 分岐点に戻る。

有闘坂は左に大きくカーブして上るのだった。 【ル-ト地図】の⑤

Img_8343「竹之下合戦有闘坂」の倒れた標柱

竹之下合戦で官軍(新田義貞軍)が大友・佐々木軍に挟撃され奮戦激闘したところと伝える。

Img_8353 有闘坂上一里塚跡 《地図

Img_8355 説明板

Img_8356 竹之下合戦戦跡釜沢

「湧き水があり、官軍が兵糧を置いた場所」? 

道を挟んで小山町の「あしがら温泉」がある。風呂に入りながら富士山を眺められるようだ。その先に官軍の先手が布陣した「陣馬跡」がある。

県道78号(足柄街道)を進み、足柄橋で東名高速を渡る。

Img_8365 御殿場市に入る。

Img_8379 唯念名号塔(宮沢橋バス停)

Img_8384深沢城跡入口碑 《地図

「これより300m」とあるが、けっこう疲れてきたのでパスした。

Img_8383 田んぼに雄姿を落とす富士

Img_8388 地蔵堂?

ここは下宿バス停

Img_8392 枡形の名残りか?

Img_8399 御殿跡入口標柱 《地図

Img_8401 吾妻神社

Img_8405 御殿場発祥の地碑(吾妻神社境内)

Img_8406 説明板

Img_8415 二枚橋古墳(御殿場小学校と浅間神社の境) 《地図

「古墳(前方後円型)二枚橋丘陵」の石柱が立つが、この古墳の詳細については分からず。

 この先で二枚橋(鮎沢川)、市役所北交差点(国道138号)を渡る。

Img_8431 広い間口の岩田金物店

Img_8436 新橋浅間神社 《地図

建久4年(1193)、源頼朝が富士の巻狩りの折、勧請したとも伝える。

Img_8447 馬頭観音・地蔵(カマド踏切を渡った所) 《地図

道路に背を向け、線路の方を向いて立っている。電車の安全を見守っているか。

すぐ先に地名由来碑がある。

Img_8445 かまど(竈)地名由来碑

Img_8444 源頼朝ゆかりのかまど跡の石?

Img_8446 諏訪神社

「かまど神社」と呼ばれているのか。いぼとりに霊験があるようだ。

無人駅の南御殿場駅から沼津駅に出てもう一泊する。

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2012年6月 1日 (金)

矢倉沢往還①(大山街道追分→善波峠→十文字の渡し跡→関本宿)

2012年5月19日

伊勢原駅(小田急線)・・・咳止地蔵・せきど橋(市米橋・渋田川)・市米橋交差点(大山街道追分)・・・耕雲寺・庚申塔道標・・・伊勢原大神宮・・・伊勢原交差点・国道246号・・・板戸八雲神社・・・庚申塔道標・道祖神(中屋敷交差点)・・・貞晃寺・・・神戸橋(鈴川)・・・白笹稲荷・・・庚申塔道標・・・山王橋(栗原川)・・・桜坂交差点・・・桜橋(善波川)・・・箕輪駅跡・神明神社・・・坂東橋(東名高速跨線橋)・・・さくら通り・・・善波橋(善波川)・・・愛鶏供養塔・地蔵祠・・・導水トンネル跡・・神代杉(跡)・・・夜泣き石・・・国道246号へ迂回・・・旧道(新善波トンネル手前)・・・善波トンネル・・・善波峠・・御夜塔・・・秦野国際乗馬クラブ・・・国道246号・・・入船橋(金目川)・馬頭観音など・・秦野宿・・庚申塔道標・・馬車鉄道軽便鉄道説明板・・本町四つ角・・上宿観音堂・・秦野橋(水無川)・・・庚申塔道標・道祖神・・・矢倉沢往還碑・・・平沢西交差点・・・(小田急線踏切)・・・小田原道分岐(稲荷神社前交差点)・曲松の道標・稲荷神社・・・二つ塚・・・沓掛坂・・・沓掛不動道標・茶屋跡・渋沢6号踏切(小田急線)・・四十八瀬川(徒歩渡り)・・国道246号・・・蛇塚交差点・旧道・・・渋沢8号踏切・・・河内橋(四十八瀬川)・・・滝島橋・・・(東名高速)・・・小田原道合流地点あたり・・・(国道255号)・・・町屋踏切(JR御殿場線)・・・酒匂堰・・・川音川・酒匂川・十文字の渡し跡あたり・飛び石渡り(ピョンピョン橋・川音川)・・・(小田急線ガード)・・・道標・・・寒田神社・・・十文字橋(酒匂川)・・・大ケヤキ跡(十文字の渡し跡あたり)・・・蓑笠之助陣屋跡・・吉田神社・・吉田神社入口交差点・・・大長寺・・・(県道78号)・・・柳橋(要定川)・・・宮台地蔵堂・・・大松寺・・・橋場橋(洞川)・・・福田寺・道標・・・旧貝沢橋(貝沢川)・・・竜福寺交差点・関本宿・旅籠富士屋跡・竜福寺前バス停→新松田駅

  【ル-ト地図】(31.4km)

 伊勢原市のせきど橋を渡った市米橋交差点で大山街道と分かれ、善波峠を越え、十文字の渡しで酒匂川を渡り、矢倉沢関所から足柄峠を越えて沼津で東海道と合流する矢倉沢往還・足柄古道を3日間で歩く。

 今日は新松田駅までの行程を予定していたが、沓掛不動の先の四十八瀬川を渡ることができ、時間と距離が短縮され関本宿の大雄山駅近くまで行くことができた。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7606 大山街道追分 【ル-ト地図】の①

矢倉沢往還は直進、大山街道は右折。せきど橋(市米橋)は渋田川の流れを堰き止めて変え、新田開発を行った所。手前を右に入った所に「咳止地蔵」の祠がある。

Img_7612 追分道標(享保13年(1728))

「左おふや満みち 右ひなたみち」で、今は耕雲寺境内に移されている。

Img_7609 説明板

Img_7738 矢倉沢往還説明板(善波峠に設置のもの)

Img_7607 耕雲寺

Img_7621 伊勢原大神宮 《地図

外宮(右)・内宮(左)で、「外宮先祭」で外宮から参る。

別当寺として普化宗の神宮寺(虚無僧寺)があったという。その建物は恢立館(かいりゅうかん)と名づけられ、伊勢原小学校の基になった。(『史跡と文化財のまち いせはら』

Img_7620 説明板

Img_7624 板戸八雲神社

廃仏毀釈でも釣鐘は残ったようだ。

Img_7625 中屋敷交差点

松木酒店の前に庚申塔道標と道祖神。(ポストの右)

Img_7628 「?大山道 ?・・・」

Img_7635 白笹稲荷

秦野市の白笹稲荷神社の分社か?

Img_7639 庚申塔道標(山王橋の手前)

Img_7641 「左 金目道」で、坂東三十三観音7番の金目観音堂のことだろう。

桜坂交差点の手前で左に入って行く。

Img_7652 箕輪駅跡(神明神社前) 【ル-ト地図】の②

古東海道の駅跡

Img_7654 説明板

Img_7655 神明神社沿いに進み、坂東橋(東名高速跨線橋)を渡る。《地図

Img_7659 大住台地区のさくら通りを抜けて行く。

Img_7664 善波峠への上り口 《地図

左の小祠に地蔵と愛鶏供養塔(昭和17年)

Img_7668 分岐点に「太郎郷さんぽ 太郎のちから石」への表示板

鎌倉時代の武将善波(ぜんば)太郎重氏が、下駄で踏んだ窪みのある石があるようだ。善波峠へは直進する。

善波太郎は若い頃、召使と通じたことから父の怒りにふれ、善波の館を出て流浪の旅に出た。父亡き後の所領と館は悪臣たちに奪われてしまった。重氏は三島明神、諏訪明神(子易)、石尊権現(大山)の助けにより悪臣どもを滅ぼし、善波の館の主になったという。(『史跡と文化財のまち いせはら』)

Img_7672 気分のいい道を行く。

Img_7673 右前方に神代杉(うもれ木)の説明板

Img_7674 説明板

神代杉へはここから右へ林の中を善波川へ下る。

Img_7677 導水トンネル跡

手掘りの農業用導水トンネル。

Img_7676 説明板

Img_7680 神代杉(跡)あたり

向う岸に標柱が立っているが、神代杉らしき物は見当たらない。流れの中にあるというが。うもれ木を削って持ち去る人もいたとか。

Img_7678 説明板

Img_7682 左に矢倉沢往還の説明板と吾妻山への道標

Img_7685 説明板

Img_7684 この先に注意板がいくつも掲っている。これが無ければもっと気分よく歩けるのだが。

Img_7689 夜泣き石(左)

Img_7688 説明板

Img_7694 開けた所に出る。

Img_7697 見事な大木

一本の木ではないようだが。

Img_7703 直進する道は続いているが、この先は通行止。右へ国道246号へ迂回する。

Img_7704 標識

Img_7710 新善波トンネルの手前で左に入り、善波トンネルへ。

Img_7712 ラブホテル街を通って行く。 《地図

Img_7713 善波トンネルが見えてきた。

ホテルの前に何やら立札が。

Img_7715 だそうだ。

Img_7719 トンネル内は冷やり、涼しい。

善波トンネルを抜け少し進み、右に折り返すように上って善波峠へ。

Img_7726 善波峠 【ル-ト地図】の③

Img_7739 破壊された石造物。6基あったという。

右端は享和2年(1802)の聖徳太子塔。左端は文化9年(1812)の馬頭観音、頭の欠けた2体は地蔵だろう。台座だけの物もある。痛ましい限りだ。

Img_7734 御夜塔

これも破壊されている。

Img_7735 説明板

Img_7741 峠から一般道に出て急坂を下る。

Img_7745 ぽっかり浮かぶ富士山

Img_7746 お馬ちゃんも首を出して富士山を眺めているか。 (秦野国際乗馬クラブ) 

 この先で道を間違え、かなり南の方へ進んでしまい、県道の衛生センター交差点から北に進み落合交差点に出た。(【ル-ト地図】には正しい(と思われる)道筋を記載してある)

入船橋を渡って秦野宿へ入り、下宿・中宿・上宿へと進む。

Img_7752 入船橋際に馬頭観音などが集められている。《地図

Img_7757 下宿バス停そばの庚申塔道標(電柱右下)

Img_7758 道標(嘉永4年(1851))

右側面に「左いせ原道」、左側面に「右大山道」か?

Img_7763馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道説明板 《地図

Img_7764 梶山商店

Img_7766 ここも米店

本町四ツ角あたりが秦野宿の中心の十日市場だった。

Img_7775 上宿観音堂 《地図

本尊の千手千眼観音は丑(うし)年に開帳される。毎月第1 の金·土曜日に「上宿観音市」が開らかれている。十日市場の名残りだろう。

Img_7772 由来

この先で「乳牛通り」を横切る。乳牛(ちゅうし)は乳牛を飼っている所で、そして曽屋は(古代に作られていたチーズのような乳製品)を作るのある所などの説ある。

秦野橋(水無川)を渡り、小田急線の北側を西進する。

Img_7778 道祖神・庚申塔道標(寛政4年(1792)) 《地図

Img_7779 左側面に「加う山ミち」で、右側面には「ふし 四十八せ さい志やうし 道」と刻むそうだ。

富士山、四十八瀬川、「さい志やうし」は大雄山最乗寺

Img_7782 矢倉沢往還碑(みどり幼稚園前)

Img_7786 矢倉沢往還小田原道分岐(左折) 《地図

本道は直進。小田原道は南に堂坂を上り、峠の集落、富士見塚を通って神山で本道に合流する道で、四十八瀬川、川音川が増水して本道が通れなくなった時などに利用された。右折した稲荷神社前に「曲松の道標」が移設されている。

Img_7787 曲松の道標(寛政8年(1796))

高さ183cmで秦野市内最大の道標。稲荷神社のイチョウは高さ25m、幹回り4m、樹齢400年余の古木。

Img_7789 正面に「右ふじ山 さい志やうじ道 左十日市場 かなひかんをん道」・右側面に「右大山みち」・左側面に「左小田原いゝすみち」と刻む。「かなひかんをん」は金目観音のこと。

Img_7799 二つ塚(右)

Img_7802 堅牢大地神塔(中央・文化17(1814))

「左ふじ さい志やうじ ミち」・「右大山 十日市場 道」か?

Img_7800 説明板

Img_7807 沓掛不動、四十八瀬川の方へ下って行く。《地図

Img_7811 未舗装の沓掛坂となってさらに下る。

Img_7815 沓掛不動尊まで400mの標識

下調べでは四十八瀬川は渡れないようで、引き返すことを覚悟で行くが、けっこうな距離がある。また上り返すのは一苦労だ。

Img_7818 小田急線にぶつかり少し下ると沓掛不動、茶屋跡。

Img_7820 沓掛不動・茶屋跡 【ル-ト地図】の④

旅人は茶屋で一休みし、新しい草鞋(沓)に履き替え、古い草鞋を木の枝に掛けて再び旅立ったのだろう。

Img_7821 説明板

Img_7823 沓掛不動(安永3年(1774))

台座は道標になっている。

Img_7822 説明板

小田急線の踏切を渡り、四十八瀬川へ。

Img_7834 仮橋から飛び石伝いに渡り、石積み土手沿いを右に進む。

昔は大雨で増水した時は、堂坂から峠の集落を抜け、神山に出る小田原道(前述)が利用された。

Img_7836 ちょっとした冒険気分だ。石段上は草に覆われ行き止まりのように見え、少し不安になる。まあ草の中を突進すれば何とかなるかも。

Img_7837振り返るとロマンスカーが気楽に通り過ぎて行く。だめならまた沓掛不動へ戻るしかない。

Img_7841 石段上から左に折り返して道が続いていて、無事に国道246号に出られた。時間も距離も大幅に短縮でき、ちょっとスリルもあって大満足だ。

Img_7845 上って来た所を振り返る。「矢倉沢往還道を甦らせる会」の標柱が立っている。《地図

Img_7847 国道246号を進み、この先の蛇塚交差点を左折し、小田急線を渡って行く。

まだ三宅坂から71kmだ。

Img_7851 採石工場などが並んでいてあまり気分のいい道ではない。

Img_7859神山滝(こうやまたき)道標

Img_7862 風情ある旧家かと思いきや、ホテル神山滝だった。《地図

以前はここから神山滝へ行けたそうだ。

Img_7866 東名高速(正面)をくぐって行く。

左は地蔵の祠

Img_7870 小田原道合流地点 《地図

稲荷神社前の交差点で分かれた小田原道(左)に合流して直進し、十文字の渡し跡へと進む。

Img_7887 旧家の黒板塀沿いに進む。

正面に矢倉岳が見えるのだが、今日は霞んでいる。

酒匂堰の先で川音川と酒匂川の合流点近くに出る。

Img_7894 川音川(手前)・酒匂川・小田急線(正面) 《地図

十文字の渡しは、斜めに小田急線の上流の十文字橋を渡った大ケヤキあたりに渡っていた。(渡しの位置は幾度も変わったようだが)

十文字橋へ迂回する。まずは川音川を渡らねば。

Img_7896 飛び石伝いの通称「ピョンピョン橋」で渡れそうだ。

 

Img_7901 一方通行でしか渡れないだろう。浅いが中央あたりの流れは早い。

土手から下りて北方向に進み、小田急線のガードをくぐる。

Img_7907 道標(右) 《地図

ずんぐりむっくりした石に「左ふじみち 右???」で、ここを左折して行く。

Img_7913 寒田神社

日本武尊、源頼朝が立ち寄り、宇宙飛行士のジョン・グレン氏は当社の祈祷神札を受け成功し、大願成就の参詣をしたそうだ。

Img_7914 説明板

Img_7921 十文字橋を渡る。

Img_7930 大ケヤキ(2代目)

十文字の渡しはこのあたりに渡っていた。

Img_7927 説明板

Img_7933_2 蓑笠之助陣屋跡 【ル-ト地図】の⑤

Img_7932 説明板

Img_7935 吉田神社

源頼朝が伊豆の三島から西相模へ移して祀った8社のうちの1社という。

Img_7937 ここを左折(写真では直進)して行くのが旧道 《地図

バス停も「旧道 吉田神社入口」

Img_7939 きれいな水路が流れる。

Img_7948 石畳風な歩道

Img_7949 「メエメエ子やぎ」か

向う側は小田急線

この先で突き当たって右折して行く。

Img_7955 旧道っぽいくねった道

正面にうっすらは矢倉岳か? 矢倉沢往還はあの山の南側を通って足柄峠へと向うのだ。

Img_7964 宮台地蔵尊

新しいガラス張りの祠で、何時でも拝めていいね。

大松寺の南側で左折し、橋場橋(洞川)を渡る。

Img_7971 旧家

Img_7983 福田寺沿いに進む。

左は湧き水の用水跡か?

Img_7977 福田寺標柱の左に道標 《地図

「右 大山みち 左 ふじみち」か?

Img_7993 竜福寺交差点 《地図

矢倉沢往還は直進、右折すると福寺、左折した竜福寺前バス停そばに、関本宿の「旅籠富士屋」の説明板が立つ。

Img_7995 説明板

ここからは大雄山線で小田原駅に出た方が近いのだが、ここまで来られるとは思ってなく、本厚木駅近くのビジネスホテルを予約してあるので、箱根登山バスで新松田駅に出て、小田急線で本厚木駅に向かった。

 

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