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2012年6月 1日 (金)

矢倉沢往還①(大山街道追分→善波峠→十文字の渡し跡→関本宿)

2012年5月19日

伊勢原駅(小田急線)・・・咳止地蔵・せきど橋(市米橋・渋田川)・市米橋交差点(大山街道追分)・・・耕雲寺・庚申塔道標・・・伊勢原大神宮・・・伊勢原交差点(矢倉沢往還交差地点)・国道246号・・・板戸八雲神社・・・庚申塔道標・道祖神(中屋敷交差点)・・・貞晃寺・・・神戸橋(鈴川)・・・白笹稲荷・・・庚申塔道標・・・山王橋(栗原川)・・・桜坂交差点・・・桜橋(善波川)・・・箕輪駅跡・神明神社・・・坂東橋(東名高速跨線橋)・・・さくら通り・・・善波橋(善波川)・・・愛鶏供養塔・地蔵祠・・・導水トンネル跡・・神代杉(跡)・・・夜泣き石・・・国道246号へ迂回・・・旧道(新善波トンネル手前)・・・善波トンネル・・・善波峠・・御夜塔・・・秦野国際乗馬クラブ・・・国道246号・・・入船橋(金目川)・馬頭観音など・・秦野宿・・庚申塔道標・・馬車鉄道軽便鉄道説明板・・本町四つ角・・上宿観音堂・・秦野橋(水無川)・・・庚申塔道標・道祖神・・・矢倉沢往還碑・・・平沢西交差点・・・(小田急線踏切)・・・小田原道分岐(稲荷神社前交差点)・曲松の道標・稲荷神社・・・二つ塚・・・沓掛坂・・・沓掛不動道標・茶屋跡・渋沢6号踏切(小田急線)・・四十八瀬川(徒歩渡り)・・国道246号・・・蛇塚交差点・旧道・・・渋沢8号踏切・・・河内橋(四十八瀬川)・・・滝島橋・・・(東名高速)・・・小田原道合流地点あたり・・・(国道255号)・・・町屋踏切(JR御殿場線)・・・酒匂堰・・・川音川・酒匂川・十文字の渡し跡あたり・飛び石渡り(ピョンピョン橋・川音川)・・・(小田急線ガード)・・・道標・・・寒田神社・・・十文字橋(酒匂川)・・・大ケヤキ跡(十文字の渡し跡あたり)・・・蓑笠之助陣屋跡・・吉田神社・・吉田神社入口交差点・・・大長寺・・・(県道78号)・・・柳橋(要定川)・・・宮台地蔵堂・・・大松寺・・・橋場橋(洞川)・・・福田寺・道標・・・旧貝沢橋(貝沢川)・・・竜福寺交差点・関本宿・旅籠富士屋跡・竜福寺前バス停→新松田駅

  【ル-ト地図

 伊勢原市のせきど橋を渡った市米橋交差点で大山街道と分かれ、善波峠を越え、十文字の渡しで酒匂川を渡り、矢倉沢関所から足柄峠を越えて沼津で東海道と合流する矢倉沢往還・足柄古道を3日間で歩く。

 今日は新松田駅までの行程を予定していたが、沓掛不動の先の四十八瀬川を渡ることができ、時間と距離が短縮され関本宿の大雄山駅近くまで行くことができた。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7606 大山街道追分 【ル-ト地図】の①

矢倉沢往還は直進、大山街道は右折。せきど橋(市米橋)は渋田川の流れを堰き止めて変え、新田開発を行った所。手前を右に入った所に「咳止地蔵」の祠がある。

 

Img_7612 追分道標(享保13年(1728))

「左おふや満みち 右ひなたみち」で、今は耕雲寺境内に移されている。

 

Img_7609 説明板

 

Img_7738 矢倉沢往還説明板(善波峠に設置のもの)

 

Img_7607 耕雲寺

 

Img_7621 伊勢原大神宮 《地図

外宮(右)・内宮(左)で、「外宮先祭」で外宮から参る。

別当寺として普化宗の神宮寺(虚無僧寺)があったという。その建物は恢立館(かいりゅうかん)と名づけられ、伊勢原小学校の基になった。(『史跡と文化財のまち いせはら』

 

Img_7620 説明板

伊勢原交差点で『大山街道(田村道)』と交差する。

Img_7624 板戸八雲神社

廃仏毀釈でも釣鐘は残ったようだ。

 

Img_7625 中屋敷交差点

松木酒店の前に庚申塔道標と道祖神。(ポストの右)

 

Img_7628 「?大山道 ?・・・」

 

Img_7635 白笹稲荷

秦野市の白笹稲荷神社の分社か?

 

Img_7639 庚申塔道標(山王橋の手前)

 

Img_7641 「左 金目道」で、坂東三十三観音7番の金目観音堂のことだろう。

 

桜坂交差点の手前で左に入って行く。

Img_7652 箕輪駅跡(神明神社前) 【ル-ト地図】の②

古東海道の駅跡

 

Img_7654 説明板

 

Img_7655 神明神社沿いに進み、坂東橋(東名高速跨線橋)を渡る。《地図

 

Img_7659 大住台地区のさくら通りを抜けて行く。

 

Img_7664 善波峠への上り口 《地図

左の小祠に地蔵と愛鶏供養塔(昭和17年)

 

Img_7668 分岐点に「太郎郷さんぽ 太郎のちから石」への表示板

鎌倉時代の武将善波(ぜんば)太郎重氏が、下駄で踏んだ窪みのある石があるようだ。善波峠へは直進する。

 

善波太郎は若い頃、召使と通じたことから父の怒りにふれ、善波の館を出て流浪の旅に出た。父亡き後の所領と館は悪臣たちに奪われてしまった。重氏は三島明神、諏訪明神(子易)、石尊権現(大山)の助けにより悪臣どもを滅ぼし、善波の館の主になったという。(『史跡と文化財のまち いせはら』)

 

Img_7672 気分のいい道を行く。

 

Img_7673 右前方に神代杉(うもれ木)の説明板

 

Img_7674 説明板

神代杉へはここから右へ林の中を善波川へ下る。

 

Img_7677 導水トンネル跡

手掘りの農業用導水トンネル。

 

Img_7676 説明板

 

Img_7680 神代杉(跡)あたり

向う岸に標柱が立っているが、神代杉らしき物は見当たらない。流れの中にあるというが。うもれ木を削って持ち去る人もいたとか。

 

Img_7678 説明板

 

Img_7682 左に矢倉沢往還の説明板と吾妻山への道標

 

Img_7685 説明板

 

Img_7684 この先に注意板がいくつも掲っている。これが無ければもっと気分よく歩けるのだが。

 

Img_7689 夜泣き石(左)

 

Img_7688 説明板

 

Img_7694 開けた所に出る。

 

Img_7697 見事な大木

一本の木ではないようだが。

 

Img_7703 直進する道は続いているが、この先は通行止。右へ国道246号へ迂回する。

 

Img_7704 標識

 

Img_7710 新善波トンネルの手前で左に入り、善波トンネルへ。

 

Img_7712 ラブホテル街を通って行く。 《地図

 

Img_7713 善波トンネルが見えてきた。

ホテルの前に何やら立札が。

 

Img_7715 だそうだ。

 

Img_7719 トンネル内は冷やり、涼しい。

 

善波トンネルを抜け少し進み、右に折り返すように上って善波峠へ。

Img_7726 善波峠 【ル-ト地図】の③

 

Img_7739 破壊された石造物。6基あったという。

右端は享和2年(1802)の聖徳太子塔。左端は文化9年(1812)の馬頭観音、頭の欠けた2体は地蔵だろう。台座だけの物もある。痛ましい限りだ。

 

Img_7734 御夜塔

これも破壊されている。

 

Img_7735 説明板

 

Img_7741 峠から一般道に出て急坂を下る。

 

Img_7745 ぽっかり浮かぶ富士山

 

Img_7746 お馬ちゃんも首を出して富士山を眺めているか。 (秦野国際乗馬クラブ) 

 

 この先で道を間違え、かなり南の方へ進んでしまい、県道の衛生センター交差点から北に進み落合交差点に出た。(【ル-ト地図】には正しい(と思われる)道筋を記載してある)

 

入船橋を渡って秦野宿へ入り、下宿・中宿・上宿へと進む。

Img_7752 入船橋際に馬頭観音などが集められている。《地図

 

Img_7757 下宿バス停そばの庚申塔道標(電柱右下)

 

Img_7758 道標(嘉永4年(1851))

右側面に「左いせ原道」、左側面に「右大山道」か?

 

Img_7763馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道説明板 《地図

 

Img_7764 梶山商店

 

Img_7766 ここも米店

 

本町四ツ角あたりが秦野宿の中心の十日市場だった。

Img_7775 上宿観音堂 《地図

本尊の千手千眼観音は丑(うし)年に開帳される。毎月第1 の金·土曜日に「上宿観音市」が開らかれている。十日市場の名残りだろう。

 

Img_7772 由来

 

この先で「乳牛通り」を横切る。乳牛(ちゅうし)は乳牛を飼っている所で、そして曽屋は(古代に作られていたチーズのような乳製品)を作るのある所などの説ある。

秦野橋(水無川)を渡り、小田急線の北側を西進する。

Img_7778 道祖神・庚申塔道標(寛政4年(1792)) 《地図

 

Img_7779 左側面に「加う山ミち」で、右側面には「ふし 四十八せ さい志やうし 道」と刻むそうだ。

富士山、四十八瀬川、「さい志やうし」は大雄山最乗寺

 

Img_7782 矢倉沢往還碑(みどり幼稚園前)

 

Img_7786 矢倉沢往還小田原道分岐(左折) 《地図

本道は直進。小田原道は南に堂坂を上り、峠の集落、富士見塚を通って神山で本道に合流する道で、四十八瀬川、川音川が増水して本道が通れなくなった時などに利用された。右折した稲荷神社前に「曲松の道標」が移設されている。

 

Img_7787 曲松の道標(寛政8年(1796))

高さ183cmで秦野市内最大の道標。稲荷神社のイチョウは高さ25m、幹回り4m、樹齢400年余の古木。

 

Img_7789 正面に「右ふじ山 さい志やうじ道 左十日市場 かなひかんをん道」・右側面に「右大山みち」・左側面に「左小田原いゝすみち」と刻む。「かなひかんをん」は金目観音のこと。

 

Img_7799 二つ塚(右)

 

Img_7802 堅牢大地神塔(中央・文化17(1814))

「左ふじ さい志やうじ ミち」・「右大山 十日市場 道」か?

 

Img_7800 説明板

 

Img_7807 沓掛不動、四十八瀬川の方へ下って行く。《地図

 

Img_7811 未舗装の沓掛坂となってさらに下る。

 

Img_7815 沓掛不動尊まで400mの標識

下調べでは四十八瀬川は渡れないようで、引き返すことを覚悟で行くが、けっこうな距離がある。また上り返すのは一苦労だ。

 

Img_7818 小田急線にぶつかり少し下ると沓掛不動、茶屋跡。

 

Img_7820 沓掛不動・茶屋跡 

旅人は茶屋で一休みし、新しい草鞋(沓)に履き替え、古い草鞋を木の枝に掛けて再び旅立ったのだろう。

 

Img_7821 説明板

 

Img_7823 沓掛不動(安永3年(1774))

台座は道標になっている。

 

Img_7822 説明板

 

小田急線の踏切を渡り、四十八瀬川へ。

Img_7834 仮橋から飛び石伝いに渡り、石積み土手沿いを右に進む。【ル-ト地図】の④

昔は大雨で増水した時は、堂坂から峠の集落を抜け、神山に出る小田原道(前述)が利用された。

 

Img_7836 ちょっとした冒険気分だ。石段上は草に覆われ行き止まりのように見え、少し不安になる。まあ草の中を突進すれば何とかなるかも。

 

Img_7837振り返るとロマンスカーが気楽に通り過ぎて行く。だめならまた沓掛不動へ戻るしかない。

 

Img_7841 石段上から左に折り返して道が続いていて、無事に国道246号に出られた。時間も距離も大幅に短縮でき、ちょっとスリルもあって大満足だ。

 

Img_7845 上って来た所を振り返る。「矢倉沢往還道を甦らせる会」の標柱が立っている。《地図

 

Img_7847 国道246号を進み、この先の蛇塚交差点を左折し、小田急線を渡って行く。

まだ三宅坂から71kmだ。

 

Img_7851 採石工場などが並んでいてあまり気分のいい道ではない。

 

Img_7859神山滝(こうやまたき)道標

 

Img_7862 風情ある旧家かと思いきや、ホテル神山滝だった。《地図

以前はここから神山滝へ行けたそうだ。

 

Img_7866 東名高速(正面)をくぐって行く。

左は地蔵の祠

 

Img_7870 小田原道合流地点 《地図

稲荷神社前の交差点で分かれた小田原道(左)に合流して直進し、十文字の渡し跡へと進む。

 

Img_7887 旧家の黒板塀沿いに進む。

正面に矢倉岳が見えるのだが、今日は霞んでいる。

 

酒匂堰の先で川音川と酒匂川の合流点近くに出る。

Img_7894 川音川(手前)・酒匂川・小田急線(正面) 《地図

十文字の渡しは、斜めに小田急線の上流の十文字橋を渡った大ケヤキあたりに渡っていた。(渡しの位置は幾度も変わったようだが)

 

十文字橋へ迂回する。まずは川音川を渡らねば。

Img_7896 飛び石伝いの通称「ピョンピョン橋」で渡れそうだ。【ル-ト地図】の⑤

 

Img_7901 一方通行でしか渡れないだろう。浅いが中央あたりの流れは早い。

 

土手から下りて北方向に進み、小田急線のガードをくぐる。

Img_7907 道標(右) 《地図

ずんぐりむっくりした石に「左ふじみち 右???」で、ここを左折して行く。

 

Img_7913寒田神社

日本武尊、源頼朝が立ち寄り、宇宙飛行士のジョン・グレン氏は当社の祈祷神札を受け成功し、大願成就の参詣をしたそうだ。

 

Img_7914 説明板

 

Img_7921 十文字橋を渡る。

 

Img_7930 大ケヤキ(2代目)

十文字の渡しはこのあたりに渡っていた。

 

Img_7927 説明板

 

Img_7933_2 蓑笠之助陣屋跡 

 

Img_7932 説明板

 

Img_7935 吉田神社

源頼朝が伊豆の三島から西相模へ移して祀った8社のうちの1社という。

 

Img_7937 ここを左折(写真では直進)して行くのが旧道 《地図

バス停も「旧道 吉田神社入口」

 

Img_7939 きれいな水路が流れる。

 

Img_7948 石畳風な歩道

 

Img_7949 「メエメエ子やぎ」か

向う側は小田急線

 

この先で突き当たって右折して行く。

Img_7955 旧道っぽいくねった道

正面にうっすらは矢倉岳か? 矢倉沢往還はあの山の南側を通って足柄峠へと向うのだ。

 

Img_7964 宮台地蔵尊

新しいガラス張りの祠で、何時でも拝めていいね。

 

大松寺の南側で左折し、橋場橋(洞川)を渡る。

Img_7971 旧家

 

Img_7983 福田寺沿いに進む。

左は湧き水の用水跡か?

 

Img_7977 福田寺標柱の左に道標 《地図

「右 大山みち 左 ふじみち」か?

 

Img_7993 竜福寺交差点 《地図

矢倉沢往還は直進、右折すると福寺、左折した竜福寺前バス停そばに、関本宿の「旅籠富士屋」の説明板が立つ。

 

Img_7995 説明板

ここからは大雄山線で小田原駅に出た方が近いのだが、ここまで来られるとは思ってなく、本厚木駅近くのビジネスホテルを予約してあるので、箱根登山バスで新松田駅に出て、小田急線で本厚木駅に向かった。

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