矢倉沢往還①(大山街道追分→善波峠→十文字の渡し跡→関本宿)
2012年5月19日
伊勢原駅(小田急線)・・・咳止地蔵・せきど橋(市米橋・渋田川)・市米橋交差点(大山街道追分)・・・耕雲寺・庚申塔道標・・・伊勢原大神宮・・・伊勢原交差点(矢倉沢往還交差地点)・国道246号・・・板戸八雲神社・・・庚申塔道標・道祖神(中屋敷交差点)・・・貞晃寺・・・神戸橋(鈴川)・・・白笹稲荷・・・庚申塔道標・・・山王橋(栗原川)・・・桜坂交差点・・・桜橋(善波川)・・・箕輪駅跡・神明神社・・・坂東橋(東名高速跨線橋)・・・さくら通り・・・善波橋(善波川)・・・愛鶏供養塔・地蔵祠・・・導水トンネル跡・・神代杉(跡)・・・夜泣き石・・・国道246号へ迂回・・・旧道(新善波トンネル手前)・・・善波トンネル・・・善波峠・・御夜塔・・・秦野国際乗馬クラブ・・・国道246号・・・入船橋(金目川)・馬頭観音など・・秦野宿・・庚申塔道標・・馬車鉄道軽便鉄道説明板・・本町四つ角・・上宿観音堂・・秦野橋(水無川)・・・庚申塔道標・道祖神・・・矢倉沢往還碑・・・平沢西交差点・・・(小田急線踏切)・・・小田原道分岐(稲荷神社前交差点)・曲松の道標・稲荷神社・・・二つ塚・・・沓掛坂・・・沓掛不動道標・茶屋跡・渋沢6号踏切(小田急線)・・四十八瀬川(徒歩渡り)・・国道246号・・・蛇塚交差点・旧道・・・渋沢8号踏切・・・河内橋(四十八瀬川)・・・滝島橋・・・(東名高速)・・・小田原道合流地点あたり・・・(国道255号)・・・町屋踏切(JR御殿場線)・・・酒匂堰・・・川音川・酒匂川・十文字の渡し跡あたり・飛び石渡り(ピョンピョン橋・川音川)・・・(小田急線ガード)・・・道標・・・寒田神社・・・十文字橋(酒匂川)・・・大ケヤキ跡(十文字の渡し跡あたり)・・・蓑笠之助陣屋跡・・吉田神社・・吉田神社入口交差点・・・大長寺・・・(県道78号)・・・柳橋(要定川)・・・宮台地蔵堂・・・大松寺・・・橋場橋(洞川)・・・福田寺・道標・・・旧貝沢橋(貝沢川)・・・竜福寺交差点・関本宿・旅籠富士屋跡・竜福寺前バス停→新松田駅
【ル-ト地図】
伊勢原市のせきど橋を渡った市米橋交差点で大山街道と分かれ、善波峠を越え、十文字の渡しで酒匂川を渡り、矢倉沢関所から足柄峠を越えて沼津で東海道と合流する矢倉沢往還・足柄古道を3日間で歩く。
今日は新松田駅までの行程を予定していたが、沓掛不動の先の四十八瀬川を渡ることができ、時間と距離が短縮され関本宿の大雄山駅近くまで行くことができた。
写真をクリックすると拡大します。
矢倉沢往還は直進、大山街道は右折。せきど橋(市米橋)は渋田川の流れを堰き止めて変え、新田開発を行った所。手前を右に入った所に「咳止地蔵」の祠がある。
「左おふや満みち 右ひなたみち」で、今は耕雲寺境内に移されている。
外宮(右)・内宮(左)で、「外宮先祭」で外宮から参る。
別当寺として普化宗の神宮寺(虚無僧寺)があったという。その建物は恢立館(かいりゅうかん)と名づけられ、伊勢原小学校の基になった。(『史跡と文化財のまち いせはら』
伊勢原交差点で『大山街道(田村道)』と交差する。
廃仏毀釈でも釣鐘は残ったようだ。
松木酒店の前に庚申塔道標と道祖神。(ポストの右)
秦野市の白笹稲荷神社の分社か?
「左 金目道」で、坂東三十三観音7番の金目観音堂のことだろう。
桜坂交差点の手前で左に入って行く。
古東海道の駅跡
神明神社沿いに進み、坂東橋(東名高速跨線橋)を渡る。《地図》
善波峠への上り口 《地図》
左の小祠に地蔵と愛鶏供養塔(昭和17年)
鎌倉時代の武将善波(ぜんば)太郎重氏が、下駄で踏んだ窪みのある石があるようだ。善波峠へは直進する。
善波太郎は若い頃、召使と通じたことから父の怒りにふれ、善波の館を出て流浪の旅に出た。父亡き後の所領と館は悪臣たちに奪われてしまった。重氏は三島明神、諏訪明神(子易)、石尊権現(大山)の助けにより悪臣どもを滅ぼし、善波の館の主になったという。(『史跡と文化財のまち いせはら』)
神代杉へはここから右へ林の中を善波川へ下る。
手掘りの農業用導水トンネル。
向う岸に標柱が立っているが、神代杉らしき物は見当たらない。流れの中にあるというが。うもれ木を削って持ち去る人もいたとか。
この先に注意板がいくつも掲っている。これが無ければもっと気分よく歩けるのだが。
一本の木ではないようだが。
直進する道は続いているが、この先は通行止。右へ国道246号へ迂回する。
ラブホテル街を通って行く。 《地図》
ホテルの前に何やら立札が。
善波トンネルを抜け少し進み、右に折り返すように上って善波峠へ。
右端は享和2年(1802)の聖徳太子塔。左端は文化9年(1812)の馬頭観音、頭の欠けた2体は地蔵だろう。台座だけの物もある。痛ましい限りだ。
これも破壊されている。
お馬ちゃんも首を出して富士山を眺めているか。 (秦野国際乗馬クラブ)
この先で道を間違え、かなり南の方へ進んでしまい、県道の衛生センター交差点から北に進み落合交差点に出た。(【ル-ト地図】には正しい(と思われる)道筋を記載してある)
入船橋を渡って秦野宿へ入り、下宿・中宿・上宿へと進む。
入船橋際に馬頭観音などが集められている。《地図》
右側面に「左いせ原道」、左側面に「右大山道」か?
馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道説明板 《地図》
本町四ツ角あたりが秦野宿の中心の十日市場だった。
本尊の千手千眼観音は丑(うし)年に開帳される。毎月第1 の金·土曜日に「上宿観音市」が開らかれている。十日市場の名残りだろう。
この先で「乳牛通り」を横切る。乳牛(ちゅうし)は乳牛を飼っている所で、そして曽屋は蘇(古代に作られていたチーズのような乳製品)を作る家のある所などの説ある。
秦野橋(水無川)を渡り、小田急線の北側を西進する。
道祖神・庚申塔道標(寛政4年(1792)) 《地図》
左側面に「加う山ミち」で、右側面には「ふし 四十八せ さい志やうし 道」と刻むそうだ。
富士山、四十八瀬川、「さい志やうし」は大雄山最乗寺。
矢倉沢往還小田原道分岐(左折) 《地図》
本道は直進。小田原道は南に堂坂を上り、峠の集落、富士見塚を通って神山で本道に合流する道で、四十八瀬川、川音川が増水して本道が通れなくなった時などに利用された。右折した稲荷神社前に「曲松の道標」が移設されている。
高さ183cmで秦野市内最大の道標。稲荷神社のイチョウは高さ25m、幹回り4m、樹齢400年余の古木。
正面に「右ふじ山 さい志やうじ道 左十日市場 かなひかんをん道」・右側面に「右大山みち」・左側面に「左小田原いゝすみち」と刻む。「かなひかんをん」は金目観音のこと。
「左ふじ さい志やうじ ミち」・「右大山 十日市場 道」か?
沓掛不動、四十八瀬川の方へ下って行く。《地図》
下調べでは四十八瀬川は渡れないようで、引き返すことを覚悟で行くが、けっこうな距離がある。また上り返すのは一苦労だ。
旅人は茶屋で一休みし、新しい草鞋(沓)に履き替え、古い草鞋を木の枝に掛けて再び旅立ったのだろう。
台座は道標になっている。
小田急線の踏切を渡り、四十八瀬川へ。
仮橋から飛び石伝いに渡り、石積み土手沿いを右に進む。【ル-ト地図】の④
昔は大雨で増水した時は、堂坂から峠の集落を抜け、神山に出る小田原道(前述)が利用された。
ちょっとした冒険気分だ。石段上は草に覆われ行き止まりのように見え、少し不安になる。まあ草の中を突進すれば何とかなるかも。
振り返るとロマンスカーが気楽に通り過ぎて行く。だめならまた沓掛不動へ戻るしかない。
石段上から左に折り返して道が続いていて、無事に国道246号に出られた。時間も距離も大幅に短縮でき、ちょっとスリルもあって大満足だ。
上って来た所を振り返る。「矢倉沢往還道を甦らせる会」の標柱が立っている。《地図》
国道246号を進み、この先の蛇塚交差点を左折し、小田急線を渡って行く。
まだ三宅坂から71kmだ。
神山滝(こうやまたき)道標
風情ある旧家かと思いきや、ホテル神山滝だった。《地図》
以前はここから神山滝へ行けたそうだ。
左は地蔵の祠
小田原道合流地点 《地図》
稲荷神社前の交差点で分かれた小田原道(左)に合流して直進し、十文字の渡し跡へと進む。
正面に矢倉岳が見えるのだが、今日は霞んでいる。
酒匂堰の先で川音川と酒匂川の合流点近くに出る。
川音川(手前)・酒匂川・小田急線(正面) 《地図》
十文字の渡しは、斜めに小田急線の上流の十文字橋を渡った大ケヤキあたりに渡っていた。(渡しの位置は幾度も変わったようだが)
十文字橋へ迂回する。まずは川音川を渡らねば。
飛び石伝いの通称「ピョンピョン橋」で渡れそうだ。【ル-ト地図】の⑤
一方通行でしか渡れないだろう。浅いが中央あたりの流れは早い。
土手から下りて北方向に進み、小田急線のガードをくぐる。
道標(右) 《地図》
ずんぐりむっくりした石に「左ふじみち 右???」で、ここを左折して行く。
日本武尊、源頼朝が立ち寄り、宇宙飛行士のジョン・グレン氏は当社の祈祷神札を受け成功し、大願成就の参詣をしたそうだ。
十文字の渡しはこのあたりに渡っていた。
源頼朝が伊豆の三島から西相模へ移して祀った8社のうちの1社という。
ここを左折(写真では直進)して行くのが旧道 《地図》
バス停も「旧道 吉田神社入口」
向う側は小田急線
この先で突き当たって右折して行く。
正面にうっすらは矢倉岳か? 矢倉沢往還はあの山の南側を通って足柄峠へと向うのだ。
新しいガラス張りの祠で、何時でも拝めていいね。
大松寺の南側で左折し、橋場橋(洞川)を渡る。
左は湧き水の用水跡か?
福田寺標柱の左に道標 《地図》
「右 大山みち 左 ふじみち」か?
竜福寺交差点 《地図》
矢倉沢往還は直進、右折すると龍福寺、左折した竜福寺前バス停そばに、関本宿の「旅籠富士屋」の説明板が立つ。
ここからは大雄山線で小田原駅に出た方が近いのだが、ここまで来られるとは思ってなく、本厚木駅近くのビジネスホテルを予約してあるので、箱根登山バスで新松田駅に出て、小田急線で本厚木駅に向かった。
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