伏見街道・竹田街道
2012年6月18日
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【ル-ト地図】
京の五条大橋そばの伏見口から伏見街道を南行し、伏見から竹田街道を北行して京都駅の竹田口までを歩く。
伏見街道は名所旧跡の観光の道で、見所も多く時間もかかったが、京への物資輸送の竹田街道は見所は少なく呆気なかった。
写真をクリックすると拡大します。
伏見口あたり(河原町五条交差点・五条大橋西詰)《地図》
このあたりに京の周囲を囲む御土居が南北に延び、出入口の「京の七口」の一つの伏見口があった。分離帯におなじみの牛若丸と弁慶の像。
五条大橋を渡り、本町通りを南下するのが伏見街道。
本町通り 《地図》
車は北行一方通行の通り。
かなり大きい。ここに朝鮮人男女の耳や鼻が埋まっていると思うとぞっとする。左隣の小公園は「明治天皇小休所下京第27区小学校跡」だ。明治天皇はどんな気持ちでこの耳塚を見たのであろうか。
唐津街道沿いにも馘塚(みみづか・きりみみづか)があった。塚を造って埋めて供養したところで、残酷にも耳や鼻をそがれた者の供養になるはずもない。
8のつく日は「おもしろ市」で、18日はフリーマーケットの日で準備中だ。
伏見城の遺構で、国宝三唐門の一つ。
方広寺鐘楼
「国家安康」・「君臣豊楽」と刻まれ、家と康を分断し、家康及び徳川家を冒瀆するものとイチャモンをつけられ、大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる、いわくつきの梵鐘。「京都大仏七不思議」の一つ。修学旅行だろうか、先生が生徒に一生懸命説明している。
烏にまつわる故事があり、かつては境内の松に土焼の烏が置かれていたそうだ。「京都大仏七不思議」(七不思議には諸説あるようだ)の「そば喰地蔵」を祀るというが、この寺は非公開で入れない。
一ノ橋跡 《地図》
橋桁に「伏水街道 第一橋」と刻まれている。もとは暗渠になった今熊野川に架かっていた橋。伏見は豊かな伏流水に恵まれた土地で、伝統の酒造りも盛んで、伏水とも記された。
ここはもとの一橋小学校のグラウンドで、鍵が掛かっていて入れない。一橋小学校は統廃合?されて東山泉小学校になるようだ。校舎を新築する前の発掘調査中だった。「一橋」の名が消えてしまうのは惜しい気がする。
北側に一ノ橋が架かっていて橋詰堂とも呼ばれていた。常盤御前ゆかりの寺で、「子そだて常盤薬師」、「常盤御前雪除けの松」の残株があるそうだが、ここも入れない。
ここは東大通りの高架下
寺域は広大だ。
「伏水街道」という銘酒もある。
ここは現役の橋だ。この先、四ノ橋までは距離がある。
ここから境内に入る。
芬陀院((ふんだいん)(雪舟寺)
住職の清韓が方広寺の梵鐘の「国家安康 君臣豊楽」を撰文した。
東福寺経蔵
左はイブキの大木
南大門を出て、伏見街道へ戻る。
『古今著聞集』の和泉式部の「色好み」?の説話:「和泉式部が忍んで伏見稲荷へ詣でた際、田中明神付近で時雨に遭った。式部が困っていると、田を刈っていた一人の童が雨具を貸してくれた。伏見稲荷を詣で、帰る頃には晴れてきたので童に雨具を返した。その翌日、童が式部のところへ文を持って来た。中を開くと『時雨する 稲荷の山の もみぢ葉は あおかりしより おもいそめてき』との恋歌、艶歌だった。式部は「あわれ」と思い、奥へ招き入れた」というお話。童を奥へ招き入れたあとの話は無論書かれていないが。
閻魔大王をはじめとする土製の十王像は、伏見人形の原形の一つともいう。
寛延年間(1748~50)創業の伏見人形店
烏寺の土焼の烏も伏見人形だったのか?
全国に約4万社ある稲荷神社の総本社。
修学旅行、外国人の参拝者が多い。
祈念して石燈籠の頭を持ち上げ、思ったより軽ければ念願成就とか。さてこの女生徒はどうだったか。
旧東海道線は膳所から稲荷駅を通り、現在の奈良線ルートで京都駅に通じていた。その当時の建物で、旧国鉄最古の建物。
もとは旧大和街道の大紋(今の大門地区か)の道端に小庵があったが、旧大和街道より伏見街道の方が人通りが多くなり、当地へ遷座したという。
安産の守護地蔵。
ここを左折し伏見街道から離れ、大門踏切(JR奈良線)を渡って旧大和街道の方へ行く。
ぬりこべ地蔵尊 【ル-ト地図】の4
名の由来は、①かつて土を塗り込めた壁のお堂に安置されていた。②「塗り込め」の言葉が「病気を封じ込める」という意味に転じ、病気や痛み、特に「歯の痛み」を封じるご利益があるとされ、「ぬりこべ地蔵」と呼ばれるようなった。
歯痛にご利益有りだが、今のところ歯は大丈夫だ。堂守のお婆さんは諸病にご利益有りと言う。悪い所は諸々あり過ぎて、何を祈願していいか迷った。
石峰寺(せきほうじ)
五百羅漢は撮影、スケッチ禁止
深草大亀谷から八科峠を越え、六地蔵に通じたそうだ。
瑞光寺(元政庵)表門
雨は降っていない。
12人の天皇陵
ここから伏見街道に戻る。
聖母女学院(陸軍第16師団司令部跡)
近くには師団街道、師団橋、第一軍道、軍人湯などが残る。
軍人湯 【ル-ト地図】の5
16師団の軍人も大勢来たそうだ。
これも七瀬川の現役の橋。街道に斜めに架けられていたことから直違橋といわれ、地名にもなっている。
京街道合流地点 《地図》
左から来る京街道と合流し、しばらく一緒に進む。
この間(墨染橋~撞木町廓跡)は『京街道①』に記載。
京街道(右へ)分岐地点 《地図》
伏見街道は京町通りを直進する。
本町通り交差点を左折し、御香宮神社に寄る。
昭和11年に宮大工の大木吉太郎により和風建築として設計施工された建物か?
鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となった。南側が幕府軍、会津・桑名軍、新撰組等の陣営の伏見奉行所跡。
伏見城の大手門を移築。伏見城跡は北東、1kmほどにあるのだが寄らなかった。
伏見街道に戻る。
桃陵団地前に黒塀(復元)と碑が立ち、奉行町にその名を残す。
八千代大明神 《地図》
平戸橋踏切(京阪宇治線)を渡れば宇治川に突き当たる。
右の「淀川維持区域標」の右側面には「従是下至海」とある。そりゃそうだが・・・。
この先は大和街道(奈良街道)となり、観月橋を渡って南下し奈良へと至る。
ここを伏見街道歩きの終点とし、宇治川派流沿いを京橋へと向かい竹田街道に取り掛かる。
撞木町、中書島の遊女たちの信仰を集めた弁財天の寺。
対岸の北側には寺田屋があり、今日も見物客で賑わっている。
ここが竹田街道の始点・終点だ。
京街道は駿河屋羊羹店(破産したようだ。建物はどうなっているのか? 2015年2月に営業を再開したようだ)の前を右折して行く。竹田街道は直進。
土橋(濠川)を渡る。《地図》
材木を川に渡しておいて、その上に土や砂利を敷きつめた橋だったそうだ。
竹田村と伏見領の境界で駕籠の継立場があったそうだ。
城南宮参詣道 《地図》
後方に北向不動尊石柱と道標「右 北向不動明王 左 城南宮」が立つ。城南宮は昨日の鳥羽街道で訪れた。
旧道に入るが別に見所はない。《地図》
江戸時代には渡り賃を取られた私有の橋で銭取橋とも呼ばれ、渡り賃は伏見稲荷大社の改修費用に充てられたという。
竹田街道札辻交差点・宇賀神社道標(右) 《地図》
宇賀の辻子跡で、右折して宇賀神社に寄る。
宇賀神社 【ル-ト地図】の11
ここは藤原鎌足が月輪のあたりを遊猟中に金璽(きんじ・金印)を得、後世都が遷されて我が子孫が繁栄することを予知し、その金璽を埋めた宇賀塚であるとか。背後は樹齢500年以上という銀杏と椋の大木。
この先、陶化小学校に勧進橋のたもとに立っていたという「石敢當」と、竹田街道で使われた「車石」があるのだが、ここも統廃合されるのか閉まっていて校内には入れなかった。車石は旧東海道の大津と京都の間にもあった。『東海道(大津宿→三条大橋)』
ここを竹田街道歩きの終点とした。
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