矢倉沢往還②(関本宿→矢倉沢関所跡→足柄峠→南御殿場駅)
2012年5月20日
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【ル-ト地図】
関本宿を過ぎ、白地蔵の先で足柄古道に入り足柄神社に寄る。矢倉沢関所跡から上って、のどかな金太郎の里で夕日の滝を眺めて一息ついてから足柄峠へ向かう。車道をいくども横切って足柄古道が残っている。
峠からはしばらく金太郎富士見ラインを下り、再び足柄古道の山道となって下って行くと竹之下地区で、竹之下合戦ゆかりの所が多い。
有闘坂あたりまでが矢倉沢往還と足柄古道のハイライトだろう。後は南に御殿場線沿いの県道を緩やかに下るのみで見所は少ない。南御殿場駅まで進み沼津駅に向かった。
写真をクリックすると拡大します。
龍福寺 【ル-ト地図】の6
本尊は鎌倉時代の作の木造阿弥陀如来坐像。義民下田隼人の墓がある。
右の塀上に「関本宿を語る会」の説明板が立っている。
関本宿は「坂の下」にあったことから古代には坂本の名で呼ばれ、足柄関が設置されて以後、関本になったという。矢倉沢往還と小田原からの甲州道が合流する宿場として栄え、道了尊大雄山最乗寺の門前町としても繁栄した。旅籠などが立ち並ぶ街道の裏には水路があり、継ぎ立ての馬が水を飲んだり、馬を洗ったりしていたという。
右に「矢倉沢往還 関本宿」の標柱。
この先に小田原藩主が宿泊の時は本陣に指定された旅籠福田屋跡がある。殿様が泊まる時には、白砂糖を混ぜただんごを、4枚の奉書を敷いた白木の三方の上に置いて差し出したという。
お君とは旅籠の遊君(遊女)で、特定の個人名ではないようだ。「関下(関本)の宿をすぐれば、宅を並ぶる住民は人を宿して主とし、窓にうたふ君女は客をとどめて夫とす。あわれむべし」『海道記』より
関本地蔵(子育延命地蔵)
双体道祖神が2体と五輪塔
坂本の駅跡 《地図》
駅馬24匹を常備した古代の足柄道(古東海道)の駅跡。右の総合グランドが駅舎跡と推定される。
白地蔵(右)に由来する坂名。
うどん粉を塗りつけられ真っ白な化粧地蔵。
白地蔵の先で右へ足柄古道に入る。 《地図》
足柄峠に近い見晴台バス停に設置のもの。
足柄峠の「坂の神」で、「坂道散歩」の守護神だ。
足柄明神(現足柄神社)の本地仏堂だった。
県道はずっと左下を通っている。
下は東山バス停。
矢倉沢関所跡→頼朝のひじ松→夕日の滝→地蔵堂→足柄峠→六地蔵から足柄駅へと進んで行く。
前は関場の旅籠通りで、旅籠、米屋、油屋、豆腐屋などが軒を連ね、大和屋、江戸屋、立花屋、車屋、釜成屋などの屋号が残っているそうだ。
矢倉沢裏関所跡石村家 《地図》
矢倉沢本村から矢倉岳の西尾根を越え、山北の谷峨関所へと抜ける裏道をおさえるための番所で、旅人を通すことはなく、村民が田畑や山へ行く時にだけ門を開けたという。
足柄古道入口バス停 《地図》
左に上って行く。すぐ先に地蔵が立つ。
大森信濃守氏頼の築城とされる。定山は城山の転訛で、矢倉沢城跡と呼ぶべきとも。
ガードの切れ目に説明板と標識があるので下って行ったが、道路の上からでも見られる。
枝でなく、木全体が傾いてしまっている。
松は2本ある。その下に小祠がある。そこまで行ける。
肉は猪鍋で食べられてしまったか。
夕日の滝 【ル-ト地図】の9
高さ23m、幅5m、金太郎の産湯の水という。
金太郎生家跡地
坂田金時は九州の賊を征伐するため築紫へ向かう途中、作州路美作の勝田壮(現在の岡山県勝央町)で熱病で死去したという。『出雲街道⑦』 隣の静岡県小山町も生誕地の一つで、生家跡に金時神社があり、勝央町と姉妹都市となっている。
木造地蔵菩薩立像は神奈川県の重文。
地蔵堂の所を左折し足柄峠へ 《地図》
下は県道で車、バイク、自転車、ランナーも通る。
源頼光の腰掛石の説明板だが消えていて読めない。
腰掛石はどれか?この小さな石ではあるまい。
すぐ先で足柄峠に着く。
右端は「おじぎ石」で、旅人はこの石に手をついて、お辞儀をし手形を差し出した。甲州街道の小仏関所跡にも「手付石」・「手形石」がある。
足柄峠を行き来した倭建命以下そうそうたる面々の中に、『更級日記』の菅原孝標の女(むすめ)もいる。彼女が足柄峠を越えて京に向かったのは13才の時か。「足柄山といふは、四、五日かねて恐ろしげに暗がり渡れり。やうやう入り立つ麓のほどだに、空の気色、はかばかしくも見えず。えもいはず茂り渡りて、いと恐ろしげなり」と記す。
また年表には記さぬが、恋人、妻子、家族と別れ、筑紫へ防人として赴く、名も知れぬ東男(あずまおのこ)が越えて行った峠でもある。「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも」(万葉集第二十巻)・「足柄の み坂給はり 返り見ず 我れは越え行く・・・・・」(万葉集第二十巻)
日本三体聖天尊(浅草の待乳山聖天・奈良県の生駒聖天(宝山寺)の一つの足柄聖天で、本尊は弘法大師が自筆の「足柄峠」の額と共に奉納したといわれる大聖歓喜双身天石像(1.8m・秘仏)で、夫婦和合、商売繁盛、縁結び、厄除にご利益あり。
新羅三郎義光が後三年の役で奥州へ赴いた時点では、豊原時秋はまだ生まれていない。まあ伝承、逸話なんかはいい加減なものが多いから、目くじらを立てることはないが。
足柄城址から 【ル-ト地図】の10
ちょうど雲が切れかかった。「目にかゝる 時やことさら 五月富士」、芭蕉が見たのもこんな富士だったか。
しばらく車道(金太郎富士見ライン)を下る。
「目にかゝる 時やことさら 五月富士」
この向い側から足柄古道に入って下る。
歩きにくい所もある。途中、上って来る親子連れ、2組とすれ違った。
この先の舗装道路に出る手前右に馬頭観音。
この道は小田原から甲斐へ通ずる、「塩の道」、「甲州道」でもあった。
竹之下合戦標柱(右)・伊勢宇橋(先)
高さ3m80cmで、一字に一斗の米が入るとか。
ここを直進する。 《地図》
もとは松並木だったが、戦時中に松根油(航空機燃料)を採ったため失われてしまったそうだ。
途中の嶽之下神社は、合祀される以前は浅間神社だった。
別名を「自校坂」で、「昭和16年東京目黒の陸軍輜重兵学校の自動車隊が足柄峠越えを強行するため、急峻狭小の道路を拡張整備しながら、悪戦苦闘の末、25台の軍用トラックを四昼夜をかけて突破したことから、其の後地元の人々はその栄誉をたたえ、通称浅間坂を自校坂と云うようになった」(「足柄史跡を守る会」の説明。
嶽之下神社 《地図》
足柄峠の下で「嶽の下」→「竹之下」だそうだ。
左端の馬頭観音は道標になっている。
「左 小田原 大山 道」か?
左に坂標と説明板
江戸時代の竹之下は物資の荷継場で牛や馬の需要が多く、その売買や周旋をする商人(馬喰)が住んでいた。
南に少し行くと古刹、大雄山宝鏡寺がある。
無人駅の駅舎で一休み。
千束橋(ちづかばし・鮎沢川)を渡る。《地図》
新田軍が退く際に橋を落としたので、足利軍が薪を千束投げ入れて橋の代わりにして渡ったという。
庭の桜が見事らしい。日蓮も泊まった寺という。
ここは「宿」という地区名で、江戸時代には継立場だった。「港屋」・「よしのや」などの屋号が表示されている。源頼朝が上洛の時にこの地に泊まったという。
分岐点 《地図》
ここを折り返すように左折するのだが直進してしまい、東名高速に出てしまった。大きく回って再びここへ戻る。直進する道も甲州へ通ずる古い道という。この先で東名高速にぶつかり分断されているが。【ル-ト地図】も歩いたとおりに記載してある。
ここは甲州へ通ずる道沿い。
有闘坂は左に大きくカーブして上るのだった。 【ル-ト地図】の11
竹之下合戦で官軍(新田義貞軍)が大友・佐々木軍に挟撃され奮戦激闘したところと伝える。
有闘坂上一里塚跡 《地図》
「湧き水があり、官軍が兵糧を置いた場所」?
道を挟んで小山町の「あしがら温泉」がある。風呂に入りながら富士山を眺められるようだ。その先に官軍の先手が布陣した「陣馬跡」がある。
県道78号(足柄街道)を進み、足柄橋で東名高速を渡る。
「これより300m」とあるが、けっこう疲れてきたのでパスした。
ここは下宿バス停
御殿跡入口標柱 《地図》
御殿場発祥の地碑(吾妻神社境内)
二枚橋古墳(御殿場小学校と浅間神社の境) 《地図》
「古墳(前方後円型)二枚橋丘陵」の石柱が立つが、この古墳の詳細については分からず。
この先で二枚橋(鮎沢川)、市役所北交差点(国道138号)を渡る。
建久4年(1193)、源頼朝が富士の巻狩りの折、勧請したとも伝える。
馬頭観音・地蔵(カマド踏切を渡った所) 《地図》
道路に背を向け、線路の方を向いて立っている。電車の安全を見守っているか。
すぐ先に地名由来碑がある。
「かまど神社」と呼ばれているのか。いぼとりに霊験があるようだ。
無人駅の南御殿場駅から沼津駅に出てもう一泊する。
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