大山街道(こま参道→女坂→大山山頂・阿夫利神社本社→男坂→大山ケーブルバス停)
2012年5月31日
伊勢原駅(小田急線)・(神奈中バス)→大山ケーブルバス停・・・もみじ坂・・こま参道・・・茶湯寺・・・雲井川(鈴川)・・・八意思兼神社(追分社・男坂、女坂分岐点)・女坂・・・弘法の水(女坂の七不思議①)・・・子育地蔵(七不思議②)・・・爪切り地蔵(七不思議③)・・・逆さ菩提樹(七不思議④)・・・前不動(来迎院)・龍神堂(八大堂)・・・大山寺・・・無明橋(七不思議⑤)・・・潮音洞(七不思議⑥)・・・眼形石(七不思議⑦)・・・女坂道標(男坂合流地点)・・大山阿夫利神社下社・・登拝門・・・夫婦杉・・・本坂・・・ぼたん岩・・・天狗の鼻突き岩・・・十六丁目の追分碑・・・富士見台(来迎谷)・・・ヤビツ峠分岐・・・大山山頂(1252m)・大山阿夫利神社本社(奥の院)・・・大山の肩・・・不動尻、広沢寺温泉分岐・・・見晴台・・・八大龍王社(二重社)・二重滝・・・大新稲荷神社・・・女坂分岐点・八大坊上屋敷跡・・・男坂・・・追分社(女坂合流地点)・・・こま参道・・・大山ケーブルバス停
【ル-ト地図】
大山登山で大山街道、矢倉沢往還歩きを締めくくる。
*『大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』からの続きです。
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もみじ坂が旧道で石段だったが、関東大震災で崩れてしまい、こま参道を造ったそうだ。
茶湯寺(ちゃとうでら・涅槃寺) 《地図》
本尊は右手を枕にして横臥する、等身大の釈迦涅槃像。「百一日参り」の寺として知られ、茶湯供養をした後で、不思議と故人とよく似た人に会うか、似た声を聞くという伝えがある。参道に立つ石地蔵の光背の一つに○キの刻字があり、隠れキリシタンのものではないかともいう。
大山の土産物、「大山こま」のタイルが埋め込まれている。まだ8時前で参道沿いの店は開いていない。
八意思兼神社(追分社) 《地図》
祭神は高皇産霊尊の子とされる思兼神で、男坂(右)、女坂(直進)分岐点の追分社。
「女坂の七不思議」が次々に現れる。
弘法大師が杖で突いたら清水が湧き出したという、いつものパターン。
いつの頃からか、童子の顔になったという。「若返り地蔵」と呼んだ方がいいかも。
弘法大師が、一夜のうちに爪で彫ったという、これもよくあるお話。
根本が細く、上に行くほど太くなっている菩提樹で、逆さに生えたように見えるというが、2代目だから・・・。
【ル-ト地図】の31天平勝宝7年(755)、奈良東大寺の別当良弁僧正の開山。本尊は願行上人が文永11年(1274)に鋳造した鉄の不動明王。
右に3遍廻ると功徳があるそうだ。
投げた「かわらけ」が下の福輪(直径2.5m)をくぐると幸運をもたらすという。
話をしながら渡ると下に落ちたり、落し物や忘れ物をするという。
一人なのでむろん無言で渡ったが、帰りに伊勢原駅のコインロッカーに入れた物を忘れて電車に乗ってしまった。途中で気づき取りに戻るはめとなり、どっと疲れが増した。
この窟に近づいて耳を澄ますと、遠くの海の潮騒が聞こえてくるとか。試しはしないので真偽のほどは分からず。
人の目の形をしたこの石に手を触れて祈ると目の病気が治るという。最近、左目の調子が悪いので石に触って祈ったが、今だ快癒のきざしなし。
女坂道標(文化5年(1808)) 《地図》
男坂合流地点で下社への上りの石段となる。道標は女坂の下りを示している。
大山阿夫利神社下社
延喜式内社で、関東総鎮護の神。山頂の本社に祀る三神をここで礼拝する。祝詞の奏上や神符、御守りなどはここで授与される。
ここは標高700mくらいで、山頂(1252m)まではきつい上りが待っている。
まだまだ険しい道が続く。もとは修験の道で、ちゃらちゃらしたハイキングコースとは違い険しいのは当然か。
間に枝が一本ある。「間男杉」・「三角関係杉」のように見えるが考え杉か。
足元などに見られる球体の岩が、牡丹の花のように見えるからというが、そう言われても見えない。
穴が開いているからこれはよしとしよう。
強力(ごうりき)が麓から担ぎ上げた高さ3m68cmの道標。本坂→下社と、かごや道→下社の追分のことだろう。かごや道は蓑毛に通じている。
ここは20丁目で標高1062m
広重の「不二三十六景 相模大山来迎谷」
大山山頂(1252m)・阿夫利神社本社(奥の院) 【ル-ト地図】の34
後日知ったのだが、前日に皇太子がほぼ同じルートで大山登山を楽しんだそうだ。昨日は好天で山頂からの眺望も開けたようだが、かち合わなくてよかった。
山頂は湿気もあり、汗で濡れた体は寒い。そこそこに見晴台へ下る
鹿よけの植生保護柵。
【ル-ト地図】の35この先で不動尻・広沢寺温泉への道が分岐する。
八大龍王社(二重社) 《地図》
手前の2本の杉が「呪いの杉」の後継者か。
【ル-ト地図】の36滝壺のほとりにあった「丑の刻参り」の「呪いの杉」は震災(台風?)で倒れてしまったそうだ。「人を呪わば穴二つ」で、呪った者・呪われた者、そして呪いをかけた杉までも墓場へ行ってしまったか。墓穴は三つ必要のようだ。
女坂は女坂道標(右端)から下る石段で、さっき上って来た道。男坂は左の平坦な道だが、この先で急な石段の連続となって追分社まで続く。
蹴上げ・踏み面とも不規則な石段で、一区切り下ってほっとする間もなく、またどこまでも続くような感じだ。
追分社から振り返る。ここから女坂の道と合流し、こま参道を通り、大山ケーブルバス停に向かった。
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