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2012年7月26日 (木)

上尾市の坂②

2012年7月20日

志久駅(ニューシャトル)・・・ドンドン坂・・・台の坂・・・庚申坂・原市新道・・・(県道5号)・・・氷川神社・長久寺(原市不動尊)・・・観音坂・・佐四郎稲荷神社・・宝蔵寺・・(原市駅)・・・国道16号・・・(吉野原駅)・・・宮原中学校・・旧中山道・・・第三原市踏切(JR高崎線)・・・中橋(鴨川)・秋葉道・・御嶽坂・・御嶽神社・・・第三原市踏切・・・旧中山道・・・(新大宮バイパス)・・・加茂神社・・・宮原駅(JR高崎線)

  【地図

 参考:『広報あげお』(№508(1988年7月1日))~(№558(1990年8月1日))

 今日は涼しい。昨日より10度以上も低く歩き安いが、今日はどれも坂と呼ぶにはおこがましいような傾斜のゆるい面白味のない坂だった。原市の通りに昔の家並みを見たのがせめてもの救いだった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0186 志久駅(ニューシャトル

ここは伊奈忠次の名による北足立郡伊奈町。

Img_0191 このあたりは緑が残っている。

Img_0198 ドンドン坂 

昔は道幅は狭く、両側は切り立った崖だった。付近の子どもたちはこの崖を駆け下り、道を横断して向かいの崖へはい上がる遊び場にしていたという。その時、ドンドンという勢いをつけて往来したことから何時とはなしに坂の呼び名となったという。『広報あげお№528 1989.5.1号』より

Img_0199 坂標

Img_0204 坂下方向

南西方向に緩やかに上る坂。

Img_0208 台の坂 

南方向から南東方向に曲がりながら上る坂。傾斜はほとんどない。昔は坂下に小川が流れ、子どもたちが小魚を追って遊んでいたという。今はそんな光景は想像もつかいない場所だ。

Img_0206 坂標

Img_0213 庚申坂 

北東方向に緩やかに上る坂。

Img_0211 庚申塔(坂の途中の左側)

Img_0216 庚申塔(延享?年)

側面に「東原市道 西上尾道 北二宮道」

原市新道を進み、原市の通りに入る。

Img_0224 田中屋酒店 《地図

原市は戦国時代からの市場町で、江戸時代には六斎市が立ち、中山道の脇往還として機能していた。

Img_0233 創業は安政6年(1859))

Img_0239 氷川神社

Img_0242 縁起

Img_0244 長久寺(原市不動尊)

Img_0248 旧家

蔵の前に胸像が立つ。

Img_0250 旧家

Img_0253 旧家

Img_0255 山本屋又右衛門

江戸時代からの肥料商で、今はカフェ&ギャラリーになっている。

Img_0256

Img_0260 観音坂 

西方向に上る坂。宝蔵寺の馬頭観音に由来するようだ。

Img_0261 坂下方向

上はニューシャトルの軌道。

Img_0263 佐四郎稲荷神社 《地図

Img_0265 由緒

Img_0271 宝蔵寺

Img_0268 説明板

Img_0274 ニューシャトルの下を進み、国道16号に出て西に旧中山道まで、車の往来の激しい味気ない道を行く。

Img_0284 宮原中学校の先で旧中山道にぶつかり、少し江戸方向に南下し右折し、高崎線の踏切を渡って行く。《地図

Img_0294 中橋(鴨川)を渡って御嶽坂の上りとなる。

Img_0298 御嶽(おんたけ)坂 【ル-ト地図】の⑤

西方向に上る坂。北側に御嶽神社があり、旧道が残る。

Img_0300 御嶽神社

昔、染井吉野と山桜の木があり、その周りを田と池が囲んでいた。田植えの頃まで花が咲き田が日陰になるので、木の幹に穴を開けカツオ節を埋め込み、虫を発生させて桜の木を枯らしてしまった。「御嶽の桜枯らすにカツオ節」の川柳が残るそうだ。『広報あげお№558 1990.8.1号』より

「背に腹は代えられぬ」とはいえ、むご過ぎやしないか。

Img_0305 神社前に旧道が残る。

Img_0312 御嶽坂(坂下方向)

新道(右)・旧道(左)が合流する。

中山道に戻り宮原駅に向かった。

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