那覇市の坂①
2012年6月27日
那覇空港駅(ゆいレール)→首里駅・・・城壁沿ルート・・首里城・・・守礼門・・・第32軍司令部濠跡・・・龍淵橋・円鑑池・天女橋・弁財天堂・龍潭池・・・円覚寺跡・・・中城御殿跡・・・アダニガービラ(安谷川坂)・・安谷川御嶽・・玉那覇味噌醤油(仲田殿内跡)・・下之橋(儀保川)・・・儀保駅(ゆいレール)
【地図】
梅雨が明けた沖縄の那覇市の坂道散歩です。①首里城周辺、②真珠道、③玉陵→ヒジガービラまーい→識名園、④三重城跡→波之上宮→那覇港と4日間、小説『テンペスト』の舞台にも立ち寄りながら炎天下を歩く。
まずは首里城だ。着いたのが4時過ぎ、汗を拭き拭きゆっくり回った。暑いのは覚悟していたが、思ったより湿気が多いのとあちこち虫に喰われたのには少々参った。
*参考:『首里城』
写真をクリックすると拡大します。
首里城の「東(あがり)のアザナ」あたりの城壁から那覇港方向。アザナとは物見台のこと。
歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。
城郭内へ入る第一の正門で、見物客もここから入る。門の両側の「シーサー」が出迎えてくれる。
石段途中の右側に龍樋がある。
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもの。
ここは「下之御庭」で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る前の広場。
前の広場が「御庭」(うなー)
『テンペスト』の主要舞台の一つ正殿裏側の「御内原」に通じる門。ここが見物客の出口。
「樋(ひ)」は川や泉から水を導く長い管、または溝や屋根の雨水を受けて地上に流す装置(掛け樋)などのこと。一方、沖縄で井戸や泉のことをすべて川(カワまたはカー)と表現する。「ひかわ」とは、こうした表現を合わせた言葉で、ヒージャー(ガー)とも発音する。
王府の祈願所で、通る門ではなく拝殿にあたる。本殿の建物はなく、後ろの森がそれにあたる。
こんな袋小路の穴倉を掘って南西諸島を防衛しようなどと本気で考えていたとは・・・・。
当初の文案では、「従軍慰安婦」と「住民虐殺」に関する記述があったそうだ。
濠の坑道は現在の道路を挟んでここへつながっている。中へは入れない。
龍潭(りゅうたん)池
龍淵橋(円鑑池と龍潭(池)の間にある石橋)の上でくつろぐ鴨たち。 《地図》
お母さんと一緒ならカメラを向けた変なおじさんが近づいても怖くないよ。
円鑑池・天女橋・弁財天堂
円覚寺総門(復元)
沖縄の臨済宗の総本山で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺だった。沖縄戦で破壊され、現在も復元整備中。
ここから先へは入れない。
琉球王国の世子(世継・王子)が住んだ屋敷跡。ここにおもろ町に移転した県立博物館があった。昔話「耳チリボーズ」(耳切り坊主)の舞台の地でもある。
「ヒラ」は坂のこと。「平坂」は「坂の坂」、神話の坂の「黄泉比良坂」(よもつひらさか)もある。
この坂は首里城と浦添を結ぶ重要な宿道(西海道)の一部だった。
「嶽」・「御嶽」は礼拝所のこと。
左側が仲田殿内跡の玉那覇味噌醤油
玉那覇味噌醤油(仲田殿内跡)
安政年間創業の琉球王府御用達の店。もう7時近くで閉まっていた。
「カー」(川)は井戸・泉のこと。
下之橋(儀保川)から坂上方向
ここから見ると何の変哲もない橋だが、横から見ると野面積みの石垣が残っている。
ゆいレール(沖縄都市モノレール)・久茂地川(旭橋駅から)
7時半近くというのにまだ明るい。
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