上尾市(埼玉県)の坂①
2012年7月19日
指扇駅(JR川越線)・・・(西大宮バイパス)・(滝沼川)・・宝来交差点・・・福寿庵百観音・八雲神社・・・市営峰岸団地・・・(上尾市)・・・天沼坂・・天沼橋・・雨沼坂・・・観音堂・・・開平橋交差点・・地蔵院・・・平方交差点・・亭家坂・・・馬蹄寺・・・橘神社・・・吾妻坂・・・丸山公園・・・寺坂・・小林寺・・・稲荷橋・・稲荷坂・・・諏訪神社・・・駒橋通り・・・地蔵像板石塔婆(畔吉東部共同墓地)・・・西上尾車庫バス停→上尾駅(JR高崎線)
【地図】
*参考:『広報あげお』(№508(1988年7月1日))~(№558(1990年8月1日))
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指扇の由来は、①サシは日向地・傾斜地、オギは湿地の意味があり、湿地に続く日向地・傾斜地のこと。②足利一族の上野右馬助頼兼が恩賞として拝領した地域が扇の形だった。③江戸時代、旗本山内豊前守一唯(山内一豊の甥)の拝領地三千石の地域が扇の形だったなどだが、江戸時代にはすでに指扇という地名はあったのでは?
福寿庵百観音(右)・八雲神社(左)
観音堂の後ろ。
県道に出て上尾市に入る。
貝塚があったのだろうか? 調べても分からず。
北西方向に下る坂。左側に坂標が立つ。
坂下の天沼橋からは、雨沼坂の上りとなる。昔は「あまぬま」と「あめぬま」と呼んだが、今はどちらも「あまぬま」坂。
このあたりは低地で雨が降ると田は沼に化した。右に坂標。
「そうだ、まったくだ、テイカの坂だよ、上ればヤネソのうたの声」と歌われた。急な亭家坂を上ると、静かな風景に機織娘の声が聞こえて心が和んでくるよ、と言う意味。坂の上には、テイカの屋号を持つ家がある。 『広報あげお №538(1989.10.1号)』
坂上右側に今もテイカ園の民家がある。
前に「鈴木荘丹俳諧歌碑」が立つ。
橘神社 《地図》
中央の物か。
馬蹄寺の由来が書かれた略縁起の中に、「鎌倉時代、この里に長者あり、吾妻左衛門是好と言へり。(今に吾妻坂とて長者屋敷の旧跡あり)」とあり、この長者に関係があるらしい。『広報あげお №514(1988.10.1号)』 左の電柱脇に坂標が立つ。
左は橘高校
日陰で一休み。
北西方向に下る坂。右に小林寺。電柱脇に坂標。
右に旧道が残る。旧道沿いにあった稲荷社は明治40年に諏訪神社に合祀されたそうだ。
旧道 《地図》
すぐに左折する道がある。
右が新道、左が旧道。分岐に坂標が立つ。
新道の坂下方向
諏訪神社 《地図》
稲荷社を探したが堂・祠などは見当たらず。あるのは左奥の愛宕社の小祠のみだった。
説明板(畔吉の万作踊り)
説明板(畔吉ささら獅子舞)
地蔵が線刻されている。応安7年(1374)の紀年名があるそうだ。
西上尾車庫バス停から上尾駅に出た。梅雨が明けて暑い日だった。
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