東京坂道散歩(北区・豊島区・新宿区)
2012年7月21日
田端駅(JR山手線)・・・江戸坂・田端高台通り・・・(山手線)・・・庄内坂・・円勝寺・・・駒込駅(山手線)→池袋駅・・・祥雲寺・祥雲寺坂・・・池袋駅(山手線)→目白駅・・西坂(学習院椿の坂)・・・銀鈴の坂・・豊坂・豊坂稲荷神社・・・目白駅(山手線)→高田馬場駅(西武新宿線)→中井駅・・・二の坂(蘭塔坂)坂下~八の坂下・・・ごりょう(御霊)坂・・中井御霊神社・・・バッケの坂・・・山手通り・・一の坂下・・・振り子坂・・山手坂・・・中井駅(西武新宿線)→高田馬場駅・・・源兵衛子育地蔵尊・地蔵坂・・地蔵横丁・・・諏訪通り・・・穴八幡宮・・八幡坂下・・夏目坂・・・若松町交差点・団子坂上・大久保通り・・・寶録稲荷神社・・・幸国寺・・・市谷柳町交差点・焼餅坂下・外苑東通り・・銀杏坂下・・・薬王寺坂・・長昌寺・・浄栄寺・・児玉坂・・・牛込柳町駅(都営大江戸線)
梅雨は明けたが雨模様の涼しい日、久しぶりに東京の坂を歩く。『東京23区の坂』
*太字が新しい坂
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江戸坂を田端高台通りに上る。 《地図》
左は田端文士村記念館
庄内坂 《地図》 北東に上る坂。
右の駒込学生会館(やまがた育英会)は、もとは「荘内館」という庄内出身の学生寮だった。
今年の1月にやまがた育英会の立てた御影石の立派な新品。
右下はJR山手線
円勝寺(坂下)
石州流茶道の流れをくむ伊佐家代々の墓がある。
駒込駅から山手線で池袋駅に出る。
祥雲寺坂(坂上) 《地図》
右が祥雲寺で、「首斬り浅右衛門之碑」があるようだ。説明板には墓とある。
池袋駅に戻り山手線で目白駅に。
西坂(学習院椿の坂) 《地図》
山手線と学習院大学の間を南西に下る坂。
門を入った右方に、赤穂浪士の堀部安兵衛が「高田馬場の決闘」で仇を討った血刀をこの池で洗ったという「血洗いの池」があるが、大正時代の学習院高等科生徒による創作で史実ではない。
元は湧水の用水池で、江戸時代には灌漑用の水門・水路があったそうだ。
銀鈴の坂 《地図》 「く」の字に目白駅前交番へ上る階段坂。
坂名の由来は?
雨が本降りになってきた。
豊坂 《地図》 銀鈴の坂下から南西に豊坂稲荷神社に上る坂。
目白駅(山手線)→高田馬場駅(西武新宿線)→中井駅
二の坂(蘭塔坂)下から西へ、八の坂下へと進む。『新宿区の坂⑦』
ごりょう(御霊)坂 《地図》 東から北に上る坂。
坂の途中の右上に中井御霊神社がある。
坂上突当りは目白大学で、左にバッケの坂の下りとなる。
バッケの坂 《地図》 東方向に上る坂。
この地域の斜面は古くからバッケと呼ばれており、この坂は坂下のバッケが原への近道であったため、バッケの坂と呼ばれていた。「バッケ」は「ハケ」で崖のこと。
八の坂下から二の坂下へ戻り、一の坂下へと進む。
山手坂 《地図》
山手通りから南西に上る坂。坂下は振り子坂と同じ所。
振り子坂 《地図》
山手通りから北西に上る坂。坂名の由来は?
中井駅から高田馬場駅に戻り、早稲田通りを東へ進む。
子育地蔵の西早稲田商店会。「地蔵で音楽」とある。
地蔵坂の坂下・源兵衛子育地蔵尊 《地図》
南西方向に上る坂。
元禄の末頃、小泉源兵衛がこの地に住みつき、周辺は源兵衛村と呼ばれるようになった。源兵衛の功績を記念し、この地蔵が建立され安置された。
地蔵横丁を諏訪通りに向かう。 《地図》
諏訪通りに出て、穴八幡宮に寄り、夏目坂を上り、若松町交差点で大久保通りに入る。
旧道、裏道っぽい左の坂を下る。 《地図》
右側に番所が併設されている。
坂下で市谷柳町交差点に出て、外苑東通りに入る。
薬王寺坂 《地図》 西に上る坂。
江戸時代、坂下の現在の外苑東通り沿いに薬王寺があった。寺はなくなったが市谷薬王寺町にその名が残る。
左は長昌寺
児玉坂 《地図》 西に上る坂。
この付近に日露戦争で活躍した陸軍大将、児玉源太郎の邸宅があった。
牛込柳町駅から帰途についた。
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