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2012年8月10日 (金)

舘山寺街道②(浜松市の坂)

2012年7月29日

浜松駅 バス→湖東団地西・・・七曲りの坂・・・花川橋(花川)・・・すじかい橋交差点・・・水神社・・大門坂・・馬坂・・・曽許之御立神社鳥居・・・フラワーパーク・・・東坊塚バス停・・・ほったて坂・・・長坂・・・中反田の坂・・・南反田の坂・・・寺東の坂下・・・向坂②・・・舘山寺第一温泉源・・舘山寺橋・・サンビーチ(浜名湖)・・愛宕神社・舘山寺・・銀行前バス停→浜松北高→別院バス停・国道257号・龍保寺・・・三方原霊園・三方原古戦場碑・・・根洗松・旧道・・祝田坂・・・国道257号・・和田南バス停→浜松駅

  【ル-ト地図】(舘山寺まで)

 舘山寺街道の続きを浜名湖の舘山寺まで行き、浜松駅に戻る途中で三方ケ原の戦いの故地の坂を訪ねた。

  参考:『浜松の道・坂・橋』(浜松市)・『新浜松市の宝箱

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Img_1224 七曲りの坂 《地図》  舘山寺街道の湖東団地西交差点から南方向に湖東中学校へ上る坂。

昔は曲りくねった急坂だったが、今は道幅は広く、傾斜も緩くなり、曲りも2ヶ所になった。

Img_1240 大門坂 【ル-ト地図】の① 舘山寺街道から北方向に上る坂。

かつて坂上に大きな山門の正言寺があった。この寺は明治のはじめに火災で焼失した。

Img_1234 坂上方向

けっこう急で、汗びっしょりになる。

Img_1236 浜名湖(坂上から)

Img_1245 曽許之御立(そこのみたて)神社鳥居 《地図

Img_1248 フラワーパーク(右)

Img_1252 ほったて坂 【ル-ト地図】の② 舘山寺街道の東坊塚交差点から北東から北西に下る坂。

Img_1254 坂下方向

山を掘って割って作った切通しの坂。

Img_1255 坂下方向

この先は浜名湖の内浦へと下って行く。

Img_1260 長坂 【ル-ト地図】の③ 西から北西方向に舘山寺町交差点へ下る長い坂。

浜名湖が見えてきた。

Img_1269 中反田(なかそりだ)の坂 《地図》 南東方向に上る坂。坂上で南反田の坂に合流する。

坂の両側の斜面に弓のように曲がった水田の「反田」があった。坂上近くは急で、大八車やリヤカーには必ず後押しがついたという。

Img_1272 坂下方向

前方は浜名湖

Img_1275 南反田の坂(坂下方向) 南東方向に上る坂。

右が中反田の坂。

Img_1277 坂下方向

左上は墓地

Img_1283 向坂② 【ル-ト地図】の④ 南東に上る坂。

坂下の突き当りの湖岸あたりを木戸といい、その向いの坂なのでこの名がついた。

Img_1286 舘山寺温泉第一温泉源

昭和33年の開湯した時の温泉源。今はここから南東約1kmの第四温泉源を利用しているそうだ。昭和33年とは意外と新しい温泉だ。

Img_1290 周辺案内図

この暑さでは舘山遊歩道は遠慮した。

Img_1291 舘山寺橋

正面は愛宕神社の鳥居。神社の右に舘山寺がある。

Img_1293 サンビーチ

今日は寺参り、温泉浴よりは海水浴だろう。泳ごうかとも思ったが、後がかったるくなるので止めといた。浜名湖は海水と淡水の混じる汽水湖だが、水はしょっぱいだろうか。やっぱり水に入って確かめるべきだったか。

Img_1299 舘山寺ロープウエイ

Img_1307 舘山寺 【ル-ト地図】の⑤

Img_1303 縁結地蔵

銀行前バス停→浜松北高→別院とバスで行く。車内は涼しく、うとうと眠りが気持ちいい。

Img_1338 三方原古戦場碑 《地図

Img_1340 旧道入口 《地図

ここから左斜めに入って行く。

Img_1344 根洗松(二代目)

根洗町の由来となった松。

Img_1345 祝田坂説明板

そもそも「祝田」の由来は何なのか? 大敗した家康軍が「祝う」はずもなく、三方ケ原の戦い以前からの坂名、あるいは後世につけられた坂名なのか?

Img_1347 平坦な旧道をしばらく進む。

Img_1351 未舗装の道となる。 《地図

Img_1354 坂下方向

立ち止まるとやぶ蚊に刺されそうな道だ。

Img_1355 風はなく非常に蒸し暑い。

Img_1359 この先で舗装道路に出る。

Img_1364 新祝田坂(国道257号)に出てすぐ先の和田南バス停から浜松駅に戻った。 《地図

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2012年8月 8日 (水)

舘山寺街道①(浜松市の坂)

2012年7月28日

浜松駅・・・大安寺・・・神明坂・・・清水坂・・・神明宮・・・秋葉神社・秋葉坂・・・浄土寺・・・普済寺・寺坂・・・日枝神社・・・三社神社・・・犬塚坂・・・城門の坂・・・おかめ坂・・・うさぎ坂・・・おかめ坂・・・地蔵坂・・・朝日橋(段子川)・・・富塚神明宮・宮坂・・・弥生橋(新川)・道標・・・保六坂・・・安座の坂・・・こりす・・・福江の坂・・・狸坂・・・巳之助坂・・・神明宮・・・神田橋(東神田川)・・・伊佐美橋(伊佐地川)・・・赤坂・・・きがのや東坂・・・湖東団地・・・(東名高速)・・・栗谷坂・・・和地小学校・・・さとう坂・・・きがのや西坂・・・向坂①・・・湖東団地西バス停→浜松駅

  【ル-ト地図】(19.4km)

 浜松駅から北西に浜名湖岸の舘山寺まで、舘山寺街道とその周辺の坂を歩く。けっこう起伏のある道で、暑さと坂の多さで頭と体が疲れた。

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Img_1334 神明坂 《地図》 北方向に上る坂だが、今は傾斜は感じられないほど緩い。

天正6年(1578)まで「天照皇大神」「豊受大神」を祭神とする神明宮が、神明町と肴町の境の坂の上にあった。その後、天正15年(1587)に現在地の三組町へ遷座された。この北側の神明町にその名が残る。

Img_1034 清水坂 《地図》 北西方向に上る坂。

このあたりは清水が湧き、清水谷といい、清水様という祠があった。三方原の戦で敗れた家康が、ここで休み清水を飲んだという言い伝えもあるとか。

Img_1035 坂下方向

Img_1037 神明宮(右) 《地図

神明坂の由来の社。正面が秋葉神社。

Img_1038 説明板

Img_1039 秋葉神社

左を下るのが秋葉坂。毎年1月下旬に焼納祭(ショウノウサイ)と管粥祭(クダガユサイ)が行われる。
管粥祭は、五穀を入れた粥の中に五本の竹管を入れて、その年の豊凶を占う行事。焼納祭では、正月のお飾りが焼かれる。当日は露店も立ち並び大勢の人々で賑わうそうだ。

Img_1040 秋葉坂(坂下方向) 《地図》 鴨江町交差点から東方向へ秋葉神社の南側に上る坂。

Img_1043 坂下方向

Img_1046 坂上方向

右に坂標

Img_1050 普済寺

Img_1049 説明板

Img_1051 寺坂 《地図》 北西方向に上る坂。

Img_1052 坂下方向

ここで右にカーブして上って行く。

Img_1053 坂上方向

昔は坂の右側が普済寺、左側が西来院の境内で、寺坂と呼ばれた。

Img_1059 犬塚坂(坂下方向) 《地図》 浜松北高東交差点から南東へ下る坂。

昭和3年に犬塚伊三郎さんが私財を投じて開いた坂だが、新道に整備され往時の面影はないようだ。坂の途中に、犬塚氏の作と思われる石碑が建てられているというが、今もあるのか確認できなかった。

Img_1064 城門の坂 (坂下方向)《地図》 北西方向に下る坂。

浜松城に通じていたところからこう名づけられた。 江戸時代、庄内、神久呂に住む人たちはこの坂を通って城下町に出かけた。

Img_1074 おかめ坂(坂下方向) 【ル-ト地図】の① 北東から南東に上る坂。右に「おかめ坂」バス停。

この坂は明治25年頃つくられた。朝日橋から地蔵坂を上る旧坂に対して新坂と言われている。昭和の初め、鍛冶町の呉服店が新坂の途中におかめの絵を描いた大きな看板を立てので、いつの間にか「おかめ坂」と呼ぶようになった。

Img_1077 坂下方向

途中から右にうさぎ坂が下っている。

Img_1079 うさぎ坂 【ル-ト地図】の② カーブして南に舘山寺街道に上る坂。

昔、この坂は道幅が狭く急でうさぎが通るような獣道で、付近にはうさぎが棲んでいたことから、この名がつけられた。

Img_1084 坂上方向

Img_1082 右に「うさぎ坂」・右下に「兎橋」の標示がある。

Img_1091 地蔵坂 【ル-ト地図】の③ 南東方向に上る坂。

旧庄内街道の道筋で、明治の初め頃、坂の下に首のない地蔵があったので、こう呼ばれるようになった。

Img_1093 坂下方向

階段坂となる。

Img_1096 坂上方向

Img_1100 宮坂 《地図

神明宮(左)の東側を北方向に上る坂。

Img_1107 坂上方向

Img_1114 道標(弥生橋を渡った左側)

「直 庄内 濱名 三ケ日 左 神久呂 雄踏 道」

Img_1118 保六坂 《地図》 曲りながら南方向に上る坂。坂上で安座の坂の途中に出る。

このあたりの字名による坂名。電柱の右に坂標が立つ。

Img_1126 坂下方向

Img_1121 安座の坂 《地図

お茶屋橋(新川)から北西方向に上る坂。
これも字名による坂名。

Img_1123 坂下方向

Img_1132 こりす(子りす)坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の④

東方向に富塚西小学校南門に上る坂。右の小学校石碑の所を右折して行く。

昭和54年4月、富塚西小学校開設にあたって、山を切り崩して児童の通学路を作った。全校からこの坂の名前を募集して名づけられた。

Img_1136 坂上方向

右に坂標

Img_1142 福江の坂 《地図》 曲りながら北西に上る坂。

字名による坂名。旧道風情の残る坂だ。

Img_1145 坂上方向

Img_1150 坂下方向

Img_1155 狸坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の⑤

狸坂バス停あたりを上って下る舘山寺街道。
弥生団地が造成される前は、小さな獣の棲む山で、狸がよく出たと言われる。また、坂の付近は字名を狸谷という。

Img_1160 下りとなる。

Img_1161 巳之助坂(坂上方向) 《地図》 南東方向に上る坂。

江戸時代に巳之助さんが住んでいたという。坂標を見て知った坂。

Img_1162 坂上方向

Img_1178 赤坂 《地図》 北西に上る坂。

赤坂バス停(左)あたりの坂だが今は傾斜はゆるい。

Img_1183 きがのや東坂 《地図》 和地向交差点から北方向に下る坂。

谷間を気賀谷川が蛇行していた。「まむし坂」とも呼ばれていた。この坂も坂標で知った坂。

Img_1185 坂下方向

Img_1188 栗谷(くりや)坂(坂上方向) 《地図》 東方向に上る坂。

付近の地名か、栗の木が多かったかさだかでない。

昔話:「仲の悪いくりやさとうという武将が、この坂とさとう坂に陣を構え石を投げ合って戦った。坂上にはたくさんの石が積み上げられていたという」

Img_1191 さとう坂(坂上方向) 《地図》 東方向に上る坂。

栗谷坂とはかなりの距離だ。手で投げても石は届かないだろう。

Img_1194 きがのや西坂 《地図》 南方向に上る坂。坂上は湖東団地中バス停。

Img_1197 坂下方向

Img_1198 向坂①を下る。 《地図

北西方向に花川橋へ下る坂。

次の湖東団地西バス停から浜松駅に戻った。

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2012年8月 7日 (火)

雄踏街道②(浜松市の坂)

2012年7月27日

浜松駅 バス→志都呂東・・・平兵衛坂・・・血塚畷・・・九領橋(九領川)・・・中村家住宅・・・息神社・・・西曽弥橋・・・雄踏総合公園・・雄踏大橋(浜名湖)・・・中之島大橋(浜名湖)・・・渚橋(渚川)・・・千鳥橋(千鳥川)・・・蓬莱橋・・・弁天島駅(JR東海道本線)→浜松駅

  【ル-ト地図】(8.0km)

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Img_1010 平兵衛坂 【ル-ト地図】の①

坂の途中に平兵衛さんが住んでいたという。

Img_1020 右に血塚畷に入る。 【ル-ト地図】の②

昔の雄踏街道で、元禄9年(1696)頃、宇布見小山村の内田医師の女中お弁が主人の使いで大久保村へ行った帰りに、ここで六部姿の男に斬られて死んだ。男はお弁の夫で、お弁は肥後の国から、この凶暴な夫のもとを逃れて来たのであった。村人たちはお弁のために地蔵を作り供養した。その地蔵は今は雄踏町小山(宇布見)の法運寺境内に祀られているという。

Img_1021 畷(なわて)といっても今は真っ直ぐでも、田の中の畦道でもない。

Img_1212中村家住宅 (国重文)【ル-ト地図】の③

Img_1211 長屋門

Img_1208 説明板

Img_1210 主屋

Img_1215 息(おき)神社

息神社の祭典

Img_1325 雄踏大橋・浜名湖 【ル-ト地図】の④

雄踏町は和名抄に「雄踏郷」として現れるなど古来からの地名。明治22年の雄踏村成立時に、従来「おふみ」と訓読みしていたのを音読みの「ゆうとう」に改めた。現在は浜松市西区の一部。

Img_1320 中之島大橋の手前から浜名湖大橋方向 【ル-ト地図】の⑤

中之島大橋(浜名湖)~渚橋(渚川)~千鳥橋(千鳥川)~蓬莱橋と渡り、弁天島駅から浜松駅に戻った。

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2012年8月 3日 (金)

雄踏街道①(浜松市の坂)

2012年7月26日

浜松駅(JR東海道新幹線)・・・合羽坂・・・金山神社・・木下恵介記念館・・オルガン坂・・・成子坂下(菅原町交差点・旧東海道分岐地点)・・・監物坂・・・切通坂・・・賀茂神社・・・賀茂真淵誕生の地・灯籠坂・・・縣居神社・・・瑞生寺・・・西高坂下交差点・・・地獄坂・・・須佐之男神社・・・旧道・・西伊場町交差点・・不動橋(鴨江排水路)・・・矢田坂・・・六所神社・・・龍雲寺・・・佐鳴湖・・・佐鳴湖橋(旧新川)・・・臨江橋(新川)・・・作原坂・・・堂貫坂・・・入野中学校・・・三田稲荷・・・殿街道・・八柱神社・・草堂橋(東神田川)・・八剣の松跡・・・薬蔵坂・・・西見寺・馬頭観音堂・・・北の谷坂・・・池の谷坂・・神秀寺・・・志都呂八幡宮・・・志都呂東バス停→浜松駅

  【ル-ト地図】(15.7km)

 浜松駅から西へ、猛暑、酷暑の中を旧雄踏町(浜松市西区)の浜名湖まで、雄踏(ゆうとう)街道とその周辺の坂を歩く。

  参考:『浜松の道・坂・橋』(浜松市)・『新浜松市の宝箱

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Img_0841 合羽坂(坂上方向) 《地図》 栄町交差点から北に上る坂。

坂下に合羽(かっぱ)を売る店があった。その頃は坂の両側に人家はなく斜面になっていて、晴れた日には合羽の材料の油紙がたくさん日に干してあり、風物詩の一つになっていた。『浜松の道・坂・橋』

油紙の合羽は見たことがある(ような気がするが)、使った記憶はない。半世紀以前にはすたれてしまったか。

Img_0845 坂下方向

この坂で歩いた坂が3000坂となる。

Img_0849 木下恵介記念館

Img_0854 オルガン坂(坂下方向) 【ル-ト地図】の① 雄踏街道の菅原町交差点から北に上る坂。

このあたりをオルガン山と呼んだ。明治20年頃、この地で山葉風琴製造所(現ヤマハ株式会社)が、日本初のオルガン製造を始めたことに由来。 

東京渋谷のオルガン坂よりはずっと坂らしい。

Img_0851 坂標(右)

左上は割烹「いなんだ」のステーキ用の牛(像)。こんな暑い日は浜名湖の鰻か、ステーキでも食べてから坂道散歩とするべきだろう。

Img_0856 坂上方向

坂下の菅原町交差点が旧東海道分岐地点で、雄踏街道は西へ向かい、旧東海道は南西に進み、JR線を越えて行く。

Img_0860 監物坂 《地図》 雄踏街道から北西に上る坂。

徳川家康と武田信玄の戦いの時、織田信長の援軍の大将であった平手監物は、敵に追われこの付近に隠れたが、咳をして敵に見つかり斬られたという言い伝えがある。この平手監物の墓が坂の途中のお宮に祀られていることから、監物坂といわれている。それ以前は坂下に大鳥居があったことから鳥居坂ともいわれ、平手坂という人もある。 『浜松の道・坂・橋』 
平田監物(久秀?)は伊勢長島一向一揆平定戦で討ち死にしたというが、史実や如何に?

Img_0862 坂下方向

坂の途中のお宮に祀られているという平手監物の墓を探したが、お宮らしき物は見当たらず。

Img_0863 切通坂 《地図》 雄踏街道の県居小西交差点から北方向に上る坂。

鴨江の台地から伊場の低地に通じる坂は灯籠坂だけで不便だった。大正末期にここの山を切り開き坂を通した。この坂の開通で農作業へ行くのが楽になった。『浜松の道・坂・橋』

Img_0865 坂上方向

右に坂標

Img_0870 賀茂神社

賀茂真淵の父はこの神社の神官だった。

Img_0873 賀茂真淵誕生の地

灯籠坂の由来となった秋葉灯籠の二代目か。
賀茂真淵と本居宣長の出会いの地、伊勢街道の松阪を思い出した。

Img_0872 灯籠坂 【ル-ト地図】の② 雄踏街道から曲りながら北東に上る坂。

昔はこの付近で台地と平地を結ぶ唯一の坂だった。雄踏・伊場方面からの鴨江寺への参拝道、平地への農作業の道だった。土地の人は「とーろん坂」と呼ぶそうだ。

Img_0876 坂上方向

Img_0879 坂下方向

Img_0883 縣居(あがたい)神社

祭神は賀茂真淵で、境内に賀茂真淵記念館がある。

Img_0880 説明板

Img_0893 地獄坂 【ル-ト地図】の③

鴨江小学校前から東に下り、坂下から北東に上って須佐之男神社へ通じる坂。坂の形は夫婦坂、相生坂、薬研坂。

Img_0901 文字通りの地獄のような急坂。

Img_0909 坂上近く

前を行く女の子は、灼熱地獄の急坂で今にも倒れそうなふりをしながら上って来た。途中で私に気づき、すれ違いに「今日は」。「暑いね」と挨拶を返すと、うなづいて、照れ笑いをしながら上って行った。かわゆいねえ。

Img_0903 須佐之男神社

Img_0912 西伊場町交差点の手前で県道から右に入るのが旧道。《地図

Img_0916 矢田坂(やだざか・坂上方向) 《地図

雄踏街道から北東に六所神社の東側に上る坂。昔、

昔はこの付近は寂しい所で、坂の両側には稲の苗田が作られていた。この苗田は細長く、ちょうど弓矢の矢の形に見えたので、矢田と名づけられたらしい。いまは住宅街になり、かつての面影はない。

東側に入野古墳があるのだが見逃した。

Img_0920 六所神社

隣の龍雲寺と同じく木寺宮康仁親王の建立という。

Img_0927 龍雲寺

開基の康仁親王の墓(五輪塔)がある。

Img_0930 佐鳴湖(さなるこ)

「さめいこ」とばかり思っていた。水浴びをしたアヒルが羽ばたいて水を飛ばしている。涼しそうでうらやましい。

Img_0945 作原坂(坂上方向) 《地図》 臨江橋(新川)の先から北へ上る坂。

小字名からの坂名。昔は坂の両側は雑木林と水田で人家はなかったそうだ。

Img_0954 堂貫坂(坂下方向) 《地図》 入野中学校の東側から北へ上る坂。

坂下あたりから台地へ農作業に行く道がなく不便だった。台地の中腹にあった廃寺の本堂を取り壊して坂を作った。『浜松の道・坂・橋』

Img_0957 坂下方向

Img_0963 殿街道(とのがいと) 【ル-ト地図】の④

室町時代の末期、南平県営団地の南側に「城山」という丘があり、大屋(大谷)様という豪族が住んでいて、土地の人からは「殿様」と呼ばれていた。この「殿様」が草堂の森に八王子社(八柱神社)を建て、そこへ参詣の時に通ったのでこう呼ばれているという。古雄踏街道の道筋だろう。

Img_0966 八柱神社

境内の日陰で一休みする。この暑さの中、男の子が休みもせずアゲハ蝶を追い回していた。拙者にもそんな時代があったっけ。夢のような昔の話だが。

Img_0973 八剣の松跡(草堂橋を渡った所・左に標柱)

戦国の頃、損傷した矢と剣を埋めて矢剣塚といった。その後、大洪水の際に上流から流れ着いた松がここに根付き、「八剣の松」といった。その枝葉は北を向き、周囲は5尺ばかりで、樹高は6間余、樹齢150年といわれていたが、落雷で枯れてしまった。

以前は隣に「角江遺跡」の標柱も立っていた。縄文時代後期から中世までの東神田川の谷の出口の砂州上の遺跡という。

Img_0974 薬蔵坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の⑤

雄踏街道から曲りながら北西に西見寺方向へ上る坂。

坂の途中に長光寺(廃寺)に師地堂があった。

Img_0978 坂上方向

Img_0979 坂上方向(右に坂標)

Img_0985 西見寺

鐘楼仁王門

Img_0989 馬頭観音堂

Img_0988 説明板

Img_0994 北の谷坂(坂下方向) 《地図

雄踏街道から西見寺方向へ上る坂の一つ。

Img_0999 池の谷坂(坂下方向) 《地図

これも雄踏街道から西見寺方向へ上る坂の一つで、一番西側の坂。

坂の途中に寺があり、寺の北側に池があった。池は埋め立てられ志都呂東団地の一部になってしまった。今も坂の途中に神秀寺がある。

Img_1001 神秀寺(浜名湖岸弘法大師第52番霊場)

観音石像の堂か。本堂は右に上った所にある。

Img_1009 志都呂八幡宮

もう4時近くだ。今日はここまでとし、バスで浜松駅に戻り、冷えた生ビールを飲んで明日に備えよう。

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