千人同心日光道④(松山宿→吹上宿)
2012年9月12日
東松山駅(東武東上線)・・・駅前交差点・・旧道・・県道66号・・馬頭観音・・下沼公園・・福聚寺・松山宿・・八雲神社・・曹源寺・・・上沼公園・・・日吉神社・・・簗瀬橋(市野川)・・・大沼・・・白坂・白坂陸橋・・・松平橋(滑川)・・・覚性寺・・・東橋(角川)・・・馬頭観音・地蔵・・東平交差点(国道407号)・・・熊野神社・・・(熊谷市)・・地蔵祠・・・春日神社・・・三階沼・・・大福寺・・・和田吉野川・・荒川土手・大芦の渡し跡・・大芦橋(荒川)・(鴻巣市)・・・医王寺・・・日枝神社・道六神祠・庚申塔道標・・・龍光寺・・・大芦氷川神社・・・吹上小学校・大芦河岸問屋秋池家・・・吹上駅(JR高崎線)
【ル-ト地図】
東松山市から吉見町との境を進み熊谷市に入る。「熊谷市」の標識を見た途端、暑さが倍増した感じだ。今日は行田宿までの予定だったが、長い大芦橋で荒川を渡り鴻巣市に入った吹上宿までとした。この暑さは当分続くようだ。この先も亀のような歩みで進もう。
写真をクリックすると拡大します。
下沼(女沼)と上沼(男沼)を結ぶ「夢小路」を歩けば恋がかなうとか。正面は弁財天堂
斜交いに建てられた家々が見られる。宿場町にはよく見られる光景だ。松山宿は八王子千人同心の帰りの昼食地だった。
本殿のみの素朴な神社。
西側に松山神社がある。
大沼 《地図》
小さい沼だが。
緩やか上って白坂陸橋をくぐると下りになる。
馬頭観音(文化10年(1813))・地蔵(東平交差点の手前の右側)
平将門を追討するために藤原秀郷が祀ったのが始めとか。
ぎんぎらぎんの「名にし負う」熊谷の暑さだ。もとはここは古代の武蔵国大里郡の大里村だった。
切通しを下って、「道路改修碑」の所を左折する。《地図》
街道は春日神社の前を通るように迂回している。
このあたりの旧道は確認できない。
大芦の渡し跡あたり
大芦橋の下流約200m地点(荒川水管橋あたり)で、以前は橋が架かっていたそうだ。昭和15・16年頃までは洪水の警報が出ると村人総出で、この橋の床をはがして流されないように安全な所まで運び、水が治まるとまた床を並べたという。
右方に見えるのが荒川水管橋
医王寺 《地図》
山門の右が文明の板碑か?
手前に「普門品二十万巻供養塔」(文化5年(1808))・地蔵(享保7年(1722))、鳥居の向う側に庚申塔道標。
「右 松山道 左 五反田かし」 「五反田河岸」(№4-⑨・P183)
嘉禎2年(1236)の板碑があるそうだ。
大芦氷川神社 《地図》
舟材で造られた塀。大芦河岸の舟問屋で数十艘の舟を有していたという。大芦の荒川べりから昭和初期に当地に移転した。
富士電機の工場前を通り、右折して吹上駅に向かった。
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