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2012年9月27日 (木)

館林道

2012年9月18日

北鴻巣駅(JR高崎線)・・・箕田の追分(中山道)・・・行田街道踏切(JR高崎線)・・・三ツ木神社・・・(国道17号)・・・清龍寺・・・川面橋(元荒川)・・・(上越新幹線)・・・堀切橋(新忍川)・・石田堤・・・永徳寺・・・伊奈利神社・・・樋上天神社・・・宝珠院・・・(国道17号熊谷バイパス)・・・樋の上橋(新忍川)・・・下忍の一里塚跡・・・諏訪神社・・・川端酒造・・・佐間交差点・・・千人同心日光道合流地点・・・清善寺・・向吹御門跡・・・忍城・・・諏訪神社・・・高札場跡・・・行田市駅(秩父鉄道)

  【ル-ト地図】(10.2km)

 中山道鴻巣宿の北の箕田の追分で中山道から分かれ北上し、行田・館林を通り、天明宿で日光例幣使街道に合流する日光脇往還の館林道を、行田の千人同心日光道との合流地点まで歩く。
 「日光裏街道」とも呼ばれ、行田市の説明板などにはこの名称が使われている。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_2490 箕田の追分 【ル-ト地図】の①

中山道は左へ、館林道は右へ。中山道の左側に箕田地蔵堂、左正面の分岐点に説明板などが立つ。

Img_2491 追分図

地蔵堂、立場茶屋の冨士屋、道標が描かれている。道標には「右 館林道」とある。

Img_2496 三ツ木神社 《地図

樹齢400年、根回り約10mの大ケヤキ(鴻巣市の天然記念物)。

Img_2508 堀切橋(新忍川)

橋を渡ると石田堤が残っている。

Img_2511 石田堤 【ル-ト地図】の②

Img_2512 説明板

館林道を「日光裏街道」と呼んでいる。

Img_2519 伊奈利神社 【ル-ト地図】の③

たわわに実った稲穂が広がる、まさに「稲荷神社」。

Img_2521樋上天神社

鳥居の前を旧道っぽくカーブして行く。

宝珠院の先で国道17号熊谷バイパスをくぐる。

Img_2533 下忍の一里塚跡 【ル-ト地図】の④

TACA埼玉工場敷地内に東塚だけが残る。日本橋から15里か?

Img_2534 説明板

Img_2544 川端酒造 《地図

創業安政4年(1857)

Img_2547 千人同心日光道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

左から来る千人同心日光道と合流し、館林から日光へと続いて行く。
ここを館林道歩きの終点とし忍城(おし)に向かう。

Img_2563 向吹?御門跡(清善寺の先(西)の左側)

忍城十五門の一つ

Img_2564 C57

Img_2565 説明板

Img_2571 忍城冠木門

Img_2592 忍城

Img_2589 忍城御三階櫓

Img_2587 説明板

Img_2579 高麗門

Img_2583鐘楼

城下への「時の鐘」

Img_2586 伝進修館表門

Img_2585 説明板

Img_2593 行田市駅

Img_2594 駅のベンチ

かつては行田は足袋の生産日本一だった。「足袋蔵」も残っている。

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2012年9月25日 (火)

千人同心日光道⑦(館林宿→天明宿・日光例幣使街道合流地点)

2012年9月17日

茂林寺前駅(東武伊勢崎線)・・・茂林寺入口交差点・国道122号・・・諏訪町交差点・県道7号・杉並木跡・・・密蔵寺・・・(東武伊勢崎線踏切)・・・遍照寺・・・竜泉寺・・・鶴生田橋(鶴生田川)・・・館林宿・初引稲荷神社・・江戸口門跡・・青龍神社(青龍の井戸)・・二業見番跡・・外池商店・・鷹匠町長屋門・・竹生島神社・・館林城跡・・・青梅天満宮・・大道寺・・竜の井(善導寺跡)・・・本町二交差点・・本陣跡あたり・・・琴平神社・・・熊野神社・・・佐野口御門跡・・・道標・・・(東武佐野線踏切)・・・伊谷田用水路・・・県道7号・渡良瀬大橋(矢場放水路・渡良瀬川)・・・雲龍寺・・・小羽田橋(才川)・(栃木県佐野市)・・・椿田稲荷神社・・旧道・・・椿田城址・椿田十一面観音福地堂・・・菊沢川・・・(県道7号)・(東武佐野線踏切)・・・(国道50号)・・・(東武佐野線踏切)・・・(県道270号)・・・渡陸橋(秋山川)・・・東光寺・法雲寺・・・普門院・・・道標・・・宝龍寺・・・天明宿・本町交差点(日光例幣使街道合流地点)・県道67号・・・佐野駅(東武佐野線・JR両毛線)

 江戸口門跡から館林城下を散策し、佐野口門で館林宿を抜ける。渡良瀬川を渡って栃木県佐野市へ入り、天明宿の日光例幣使街道との合流地点へ着いた。
 八王子千人同心一行は日光東照宮まで先を急ぐようだが、拙者はここで終点とした。八王子千人町から5日間ほどの予定だったが、暑さのせいで7日かかってしまった。

この先、日光までは『日光例幣使街道』→『日光西街道(壬生通)』→『日光街道』へと続く。

  【ル-ト地図】(20.3km) 

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2276 杉並木跡 【ル-ト地図】の①

延長1.5kmにも及ぶ杉並木だったが、昭和38年の道路拡幅工事で伐採されてしまった。残ったのは車が行き交う、殺風景な景色のみ。
東方約500mが館林藩の青柳刑場跡。

Img_2287 遍照寺

北関東三十六不動尊霊場の第12番・
東上州三十三観音霊場の第6番札所東上州三十三観音霊場

Img_2295 初引稲荷神社

正式名称は「宵稲荷神社」で、初曳稲荷神社とも記すようだ。

Img_2294 江戸口門跡 【ル-ト地図】の②

館林城下・館林宿の入口で、右のケヅカ書店の所に立派な門があったそうだ。

 *『まちなか散策ガイド』(館林観光協会)を参考に散策する。

Img_2302 青龍神社 《地図

小さな社だが入口には「葵の紋」

Img_2303 青龍井戸

この井戸と「竜の井」、「城沼」がつながっていたという伝説もあるそうだ。

Img_2299 説明板

Img_2308 二業見番跡 《地図

三業地」から「待合」の抜けたものが「二業地」

番号は「まちなか散策ガイド」のもの)

Img_2309 ④外池商店 《地図

Img_2467 ⑦鷹匠町長屋門 《地図

Img_2464 内側は広場になっている。

Img_2489 ⑤④⑦説明板

Img_2459 館林城跡土橋門 《地図

Img_2455 土塁(三の丸周囲)

Img_2451 説明板

Img_2458 三の丸跡(土橋門内)

Img_2471 青梅天満宮 《地図

路地沿いの古い建物の奥に朱塗りの山門

Img_2476 旧家

Img_2486 竜の井(善導寺跡) 《地図

イチョウの下

Img_2482 説明板

Img_2319 館林宿本陣跡あたり 《地図

大辻(札の辻)の本町二丁目交差点を渡った先の右側。代々大島藤右衛門家が務めていた。脇本陣は置かれなかった。西南角が検断屋敷跡。
このあたりは城下町割りにあたった足利出身の人々が居住したことから足利町と呼ばれた。

Img_2322 琴平神社

正面奥は館林カトリック教会

Img_2325 佐野口門跡 【ル-ト地図】の③

右に標柱が立つ。

Img_2334 道標(左の草むらの中) 《地図

もとは二股の分岐点にあったもの。

Img_2331 右は馬頭観音道標で、「右 さの とちぎ 道」・「左 かんま ひこ満 道」で、「佐野・栃木・閑馬・飛駒

左(天保6年(1835))は「らいでん道」で、上早川田の雷電神社。

東武佐野線踏切、伊谷田用水路を渡って行く。

Img_2343 北西方向の眺め

「とりせん」の工場前あたりから

Img_2344 旧家

Img_2346 矢場川の土手に上り、渡良瀬大橋を渡る。

Img_2348 渡良瀬大橋

渡し場はどのあたりにあったのだろう?

Img_2351 渡良瀬川

Img_2356 雲龍寺 《地図

Img_2360 田中正造の墓・救現堂(雲龍寺境内)

Img_2358_2 説明板

栃木県佐野市に入る。

Img_2366 椿田稲荷神社

Img_2367 小狐さんがぎっしり。

神社の先で左に旧道に入る。

Img_2372 いい道だが、とにかく暑い。 《地図

Img_2376 椿田城址が右下に見えるのだが下り口がなく、大きく迂回してたどり着く。

Img_2388 椿田城址 【ル-ト地図】の④

城主から名主となって住んでいる福地家の冠木門。

Img_2387 母屋

Img_2380 説明板

Img_2384 椿田十一面観音福地堂

Img_2385 由来

Img_2391 用水路のような菊沢川を渡り、県道へ向かう。《地図

Img_2392 県道7号、東武佐野線踏切を渡る。

Img_2397 桜並木を抜けて県道270号、渡陸橋(秋山川)を渡って行く。

Img_2415 東光寺仁王門 《地図

Img_2410 中門

堀田佐野城の大手門を移築。左は広葉杉、右はカヤの木。

Img_2407 説明板

Img_2419 左へ進み、天明宿へ。

Img_2423 普門院 《地図

銅造地蔵菩薩半跏像(鏡延命地蔵)

Img_2422 説明板

Img_2425 旧家

Img_2433 道標(右の旧家の角) 《地図

Img_2434 道標

「右 たてばやし かハまた」・「左 まかど こいな?」

Img_2438 宝龍寺

銅造阿弥陀如来座像(元禄7年(1694))

天明宿の鋳物師の作。ちょっと首をかしげている。

Img_2442 日光例幣使街道合流地点(本町交差点) 【ル-ト地図】の⑤

ここを右折し、天明宿本陣跡から佐野駅に向かった。

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2012年9月23日 (日)

千人同心日光道⑥(上新郷宿→川俣宿)

2012年9月14日

武州荒木駅(秩父鉄道)・・県道7号・・・天満宮・・・荒木交差点・・・(羽生市)・・・祥雲寺(西寺)・・南陽酒造・・上新郷交差点・新郷村道路元標・上新郷宿・・法性寺(東寺)・・・脇本陣跡須永家・・本陣跡須永家・・豊明橋・・・愛宕神社・・勘兵衛松並木跡・・・並木橋(埼玉用水路)・・塞神社跡・・・地蔵・庚申塔祠・・大石橋・・・利根川土手・川俣関所跡・富士見の渡し跡・・国道122号・昭和橋(利根川)・・(群馬県明和町)・・旧道・・川俣宿本陣跡塩谷家・・粟島神社・・・川俣事件衝突の地・邑楽用水路・・・(国道122号)・・・長良神社①・東光寺(佐貫氏館跡)・・・阿弥陀三尊板碑標柱・・・長良神社②・・・天神橋(利根加用水)・一里塚跡・富士山供養塔・・・青柳橋(谷田川)・・・(館林市)・・・麻疹地蔵・龍積寺(青柳城跡)・・・長良神社③・・・茂林寺入口交差点(国道122号)・・・(東武伊勢崎線踏切)・・・茂林寺・・・茂林寺前駅(東武伊勢崎線)

  【ル-ト地図】(13.5km)

 行田市から羽生市に入り、上新郷宿を抜け街道の片側に残る勘兵衛松並木を日除けにしながら川俣関所跡の利根川の土手に上る。富士見の渡し跡の昭和橋を渡れば群馬県明和町だ。
 川俣宿を通り、青柳橋を渡ると館林市で暑さが増した感じがする。茂林寺入口交差点を今日の終点とし、分福茶釜の茂林寺に寄った。
 次回はいよいよ日光例幣使街道と合流する天明宿(栃木県佐野市)まで行く予定だ。

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Img_2156 羽生市に入る手前

右に旧道が少し残る。

Img_2160 祥雲寺(西寺) 《地図

Img_2161 説明板

Img_2163 南陽酒造(左)の先の上新郷交差点で左折すると上新郷宿。

館林から行田へ向う時の片継場(宿場)だった。交差点の右に新郷村道路元標が立つ。

Img_2172 旧家

Img_2170 法性寺(東寺)

Img_2175 互福衣料

創業明治38年

Img_2177 脇本陣跡須永家か?

もとは欅造りの門の中に総茅葺の母家だったそうだ。

Img_2182 本陣跡須永家 【ル-ト地図】の①

Img_2184 説明板

Img_2185 椎の木(本陣家敷地内)

推定樹齢400年

Img_2183 説明板

Img_2188_2 愛宕神社

社殿は古墳上にある。この先の勘兵衛松並木沿いにあった塞神塔が合祀されているという。
ここが新郷宿のはずれ。

Img_2191_2 勘兵衛松並木跡 【ル-ト地図】の②

寛永5年(1628)の徳川家光の日光社参の折に、街道沿いに風趣を添えるために忍藩城主が家臣の勘兵衛に命じ、延長559mの間に黒松150本を植えた松並木の名残り。
本数は少なくなっているが、日を除けてくれて助かる。

Img_2193 塞神社跡

「愛宕神社に合祀」とある。

Img_2196地蔵・如意輪観音・庚申塔祠

庚申塔は両側面にも2体づつの観音が浮彫されている。

Img_2201 利根川土手に上る。

Img_2203 川俣関所跡 【ル-ト地図】の③

関所跡・渡船場跡は河川改修で、川底に眠ってしまった。

Img_2207 説明板

Img_2208 定書

Img_2209 昭和橋(656m)を渡る。

橋の上流側に新郷の渡船場、下流側に川俣の渡船場があったようだ。渡船場からは富士山の眺めがよく「富士見の渡し」と呼ばれていた。

下調べでは昭和橋には歩道がないというので覚悟はしていたが、しっかりと幅広い歩道がついていた。

Img_2217 利根川

少雨で流量が少ないのか。

昭和橋を渡れば群馬県明和町だ。

Img_2223 土手から下りると川俣宿

すぐ下に本陣塩谷家

Img_2225 川俣宿本陣跡 【ル-ト地図】の④

Img_2226 川俣宿の家並み

鳥居の奥が粟島神社

Img_2228 粟島神社

川俣宿の鎮守

Img_2232 宿場図(上が南)

右側中央より少し下に脇本陣がある。

Img_2234 説明板

Img_2235 川俣事件衝突の地 《地図

Img_2238 説明板

この右側に新しい記念碑もある。
すぐ後ろを邑楽(おうら)用水路が流れている。

Img_2248 長良神社①・東光寺 《地図

あたり一帯は鎌倉時代の御家人、佐貫氏の館跡という。館林周辺は佐貫庄と呼ばれ、鎌倉時代の佐貫荘は秀郷流足利氏流の佐貫氏が勢力を持っていたそうだ。

Img_2249 阿弥陀三尊板碑標柱(右の電柱脇)

秋野家の敷地内に永仁3年(1295)の高さ40cmほどの板碑があるそうだ。

Img_2254 一里塚跡・富士山供養塔(左の松の脇) 【ル-ト地図】の⑤

富士山供養塔(安政4年(1857))は、富士参拝に向かう老人がこの地で力尽き、田の水面に映る富士を見て息絶えたのを、村人が弔ったものという。

Img_2259 館林市に入る。

「つつじのまち」なら涼しそうでいいが、館林と言えばやはりこの暑さだろう。

Img_2261 龍積寺(りゅうしゃくじ) 《地図

麻疹地蔵(山門左)は、この先の青柳刑場にあって「首斬地蔵」と呼ばれていた。明治42年にここへ移設。
このあたり一帯が青柳城跡で、文明年間(1469~86)に大袋城築城まで赤井氏の居城だったという。(「群馬県歴史の道調査報告書」では、長良神社③の北側一帯を青柳城跡としている)

Img_2265 長良神社③ 《地図

長良神社が多いのは古代の豪族、長柄氏と関連があるのか。
 

茂林寺入口交差点に出て茂林寺に向う。

Img_2269 「ラーメン分福庵」・「分福住宅団地」・「分福公民館」

ここは「分福茶釜の里」、分福町なのだ。

Img_2600 茂林寺山門(赤門) 《地図

居並ぶ狸が出迎えてくれる。

Img_2602 本堂

Img_2606 分福茶釜

紫金銅製・周囲4尺・口径八寸・重量約三貫目・容量一斗二升

Img_2609 やっぱり狸が化けていたというのは本当だった?

ちなみに「童謡『証城寺の狸囃子』の證誠寺は、千葉県木更津市。『房総往還④』に記載。

Img_2274 茂林寺前駅

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2012年9月21日 (金)

千人同心日光道⑤(吹上宿→行田宿)

2012年9月13日

吹上駅(JR高崎線)・・・松山街道踏切(高崎線)・・・中山道合流地点・吹上宿・東曜寺・・・県道66号・・・佐賀橋(元荒川)・・・(国道17号)・・・本倉稲荷神社・・・がんがら大橋(がんがら落し)・・・(上越新幹線)・・・前谷交差点(国道17号熊谷バイパス)・・・新兵衛地蔵尊標柱・・・大蔵寺・遍照院・・・水城公園・・・行田窯・・・館林道合流地点・・高源寺・佐間口・佐間天神社・・天神橋・・・天満稲荷神社・・大澤蔵・・今津蔵・・奥貫蔵・・・新兵衛橋・・・清善寺・・・行田宿・高札場跡・・本陣跡・・脇本陣跡・・保泉蔵・・・愛宕神社・・・長野口御門跡・船着場跡・小沼橋(忍川)・・・東行田駅(秩父鉄道)・・・長久寺・・久伊豆神社・赤飯伊奈利神社・・・観音前橋・・・真観寺・真観寺古墳・・虚空蔵山古墳・・・武蔵橋(武蔵水路)・・・棒川橋(見沼代用水)・・東福寺・・・琴平神社・・・天州寺・・・武州荒木駅(秩父鉄道)

  【ル-ト地図】(11.2km)

 中山道と合流する吹上宿から忍城下の行田宿を通り、羽生市の手前の武州荒木駅まで、今日も暑さがこたえて早目に切り上げた。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2013 中山道合流地点 【ル-ト地図】の①

吹上宿は中山道では間の宿だが、千人同心日光道では本宿だった。中山道と合流しているの東曜寺門前の50mほどだけ。

Img_2019 佐賀橋から元荒川

Img_2028 がんがら大橋を渡る。 《地図

がんがら落し」は約4kmの農業用排水路。正面は上越新幹線。
 この道筋には大正12年まで、行田と吹上を結ぶ行田馬車鉄道が走っていた。

Img_2037 前谷歩道橋から 《地図

広々とした光景だ。

Img_2040 新兵衛地蔵標柱

地蔵が祀られているのは、清善寺でここからはかなり離れている。

Img_2043 遍照院

駒形地区はこの寺を中心とした門前町として開かれた。

Img_2046 右折して忍城下・行田宿に入る。

Img_2047 水城公園 《地図

忍城(おしじょう)の外堀の沼を利用して、中国江南水郷式造園の手法を取り入れた水郷公園として整備された公園。

Img_2049 しのぶ池

水を見ると少しは涼しさを感じる。

Img_2051 行田窯

もとは穂国足袋の倉庫。

Img_2050 説明板

Img_2052 館林道合流地点 【ル-ト地図】の②

交差点の右から来る館林道(忍城も記載)と合流し、ここを左折する。

Img_2053 高源寺

秀吉の小田原攻めの際に、忍城で奮戦した正木丹波守利英の開基。

Img_2055 説明板

のぼうの城』は映画化された。

Img_2059 佐間口説明板

天神社あたりが忍城防衛の死闘を繰り広げた「佐間口」だった。

Img_2064 佐間天神社

Img_2061 縁起

Img_2549 奥貫蔵

「ほうらい足袋」の奥貫家の足袋蔵。「行田の足袋」は昭和13年には8,400万足の生産量で、全国生産の約8割を占めていた。『ぎょうだ足袋蔵ネットワーク

Img_2550 説明板

Img_2553 新兵衛橋

「新兵衛地蔵入口」バス停もある。

Img_2561清善寺 《地図

「新兵衛地蔵」の標柱。

Img_2558 新兵衛地蔵

昭和6年、日本中が不景気の中、大沢証券㈱の大沢龍次郎が失業対策事業として清善寺の無縁仏整備を提案し、無縁塔を造立し、その頂きに地蔵を奉安した。この地蔵は大沢氏の父が所持していた仏像を宝珠の中に入れた地蔵だそうだ。
そもそも「新兵衛」の由来は何なのか?

Img_2070 大澤蔵

「花形足袋」の文庫蔵

Img_2071 説明板

Img_2075 今津蔵

店蔵は市内最古級というが、保存状態がいまいちか。

Img_2074 説明板

Img_2081 高札場跡 《地図

レトロな武蔵野銀行の右前に「高札場跡」碑が立つ。

Img_2080 説明板

Img_2085 本陣跡 【ル-ト地図】の③

埼玉県信用金庫銀行の所で、東隣に脇本陣があった。

Img_2086_2 本陣跡碑

Img_2092ふくさや

呉服商の店蔵→足袋蔵→ふくさや店舗

Img_2089 説明板

大長寺の手前で左折する。

Img_2093 このあたりが馬車鉄道の発着所跡で、石標が立つというが見逃した。 《地図》(馬車道の標示がある)

Img_2094 愛宕神社

長徳寺跡という。

Img_2095 長野口御門跡 【ル-ト地図】の④

すぐ先の小沼橋(忍川)あたりが船着場跡

Img_2096 説明板

Img_2099 船着場跡碑

Img_2100 船着場跡から忍川(おしがわ)

Img_2103横田酒造 《地図

この先の交差点を左折し、秩父鉄道の踏切を渡る。

Img_2109 長久寺山門

Img_2111 説明板

Img_2110 説明板

Img_2117 久伊豆神社

藤は行田市の天然記念物。『花 蕾日記

Img_2116 説明板

Img_2119 社殿

Img_2121 赤飯(しゃくじき)伊奈利神社

久伊豆神社の摂社。初午に赤飯と油揚げを献ずるという。

Img_2123 館林12kmの標識

館林は今日も猛暑日だった。明日は館林市に入るが。

Img_2126 真観寺

「小見の観音様」として親しみ信仰されてきた寺。

Img_2128 小見真観寺古墳

Img_2129 説明板

Img_2131 虚空蔵山古墳 【ル-ト地図】の⑤

全長約60mだが前方部の一部が残るのみ。

Img_2132 説明板

Img_2135 墳丘図

「笑う女人埴輪」

Img_2139 武蔵水路(武蔵橋から)

利根川の水を荒川に導くための導水路。

Img_2143見沼代用水(棒川橋から)

正面向う側は東福寺。

Img_2147 天州寺 《地図

木造聖徳太子立像」は国指定重文

Img_2148 説明板

Img_2149 武州荒木駅(秩父鉄道)

ちょうど羽生行きが出発した後で、30分待ちとなった。

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2012年9月15日 (土)

千人同心日光道④(松山宿→吹上宿)

2012年9月12日

東松山駅(東武東上線)・・・駅前交差点・・旧道・・県道66号・・馬頭観音・・下沼公園・・福聚寺・松山宿・・八雲神社・・曹源寺・・・上沼公園・・・日吉神社・・・簗瀬橋(市野川)・・・大沼・・・白坂・白坂陸橋・・・松平橋(滑川)・・・覚性寺・・・東橋(角川)・・・馬頭観音・地蔵・・東平交差点(国道407号)・・・熊野神社・・・(熊谷市)・・地蔵祠・・・春日神社・・・三階沼・・・大福寺・・・和田吉野川・・荒川土手・大芦の渡し跡・・大芦橋(荒川)・(鴻巣市)・・・医王寺・・・日枝神社・道六神祠・庚申塔道標・・・龍光寺・・・大芦氷川神社・・・吹上小学校・大芦河岸問屋秋池家・・・吹上駅(JR高崎線)

  【ル-ト地図】(13.4km)

 東松山市から吉見町との境を進み熊谷市に入る。「熊谷市」の標識を見た途端、暑さが倍増した感じだ。今日は行田宿までの予定だったが、長い大芦橋で荒川を渡り鴻巣市に入った吹上宿までとした。この暑さは当分続くようだ。この先も亀のような歩みで進もう。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1898 下沼公園

下沼(女沼)と上沼(男沼)を結ぶ「夢小路」を歩けば恋がかなうとか。正面は弁財天堂

Img_1902 説明板

Img_1905 松山宿の家並み 【ル-ト地図】の①

斜交いに建てられた家々が見られる。宿場町にはよく見られる光景だ。松山宿は八王子千人同心の帰りの昼食地だった。

Img_1907 旧家

Img_1909 島田医院(左)・㈲プロスパ(右)

Img_1918 八雲神社

本殿のみの素朴な神社。

Img_1919 説明板

Img_1923 上沼公園 【ル-ト地図】の②

西側に松山神社がある。

Img_1925 日吉神社

Img_1924 由緒

Img_1930 大沼 《地図

小さい沼だが。

Img_1931 白坂 【ル-ト地図】の③

緩やか上って白坂陸橋をくぐると下りになる。

Img_1934 緩やかに下って滑川、角川を渡り、東平交差点へと進む。

Img_1944 馬頭観音(文化10年(1813))・地蔵(東平交差点の手前の右側)

Img_1946 熊野神社 《地図

平将門を追討するために藤原秀郷が祀ったのが始めとか。

Img_1950 吉見町との境を行く。

Img_1954 熊谷市に入る。

ぎんぎらぎんの「名にし負う」熊谷の暑さだ。もとはここは古代の武蔵国大里郡の大里村だった。

Img_1955 地蔵・如意輪観音の祠

Img_1958 切通しを下って、「道路改修碑」の所を左折する。《地図

 街道は春日神社の前を通るように迂回している。

Img_1962 春日神社 【ル-ト地図】の④

Img_1964 三階沼

Img_1967 「コスモス咲けど 秋まだ遠し」だ。

このあたりの旧道は確認できない。

Img_1969 大福寺

Img_1971 和田吉野川を渡り、荒川土手に向かう。

Img_1975 大芦の渡し跡あたり

大芦橋の下流約200m地点(荒川水管橋あたり)で、以前は橋が架かっていたそうだ。昭和15・16年頃までは洪水の警報が出ると村人総出で、この橋の床をはがして流されないように安全な所まで運び、水が治まるとまた床を並べたという。

Img_1977 大芦橋(1016m)を渡り鴻巣市に入る。

右方に見えるのが荒川水管橋

Img_1978 河川敷は広いが流れは細く、静かだ。

Img_1979 土手から下りて行く。

Img_1983 医王寺 《地図

山門の右が文明の板碑か?

Img_1984 日枝神社・道六神社の祠 【ル-ト地図】の⑤

手前に「普門品二十万巻供養塔」(文化5年(1808))・地蔵(享保7年(1722))、鳥居の向う側に庚申塔道標。

Img_1996 庚申塔・塞神道標(文化11年(1814))」

「右 松山道 左 五反田かし

Img_1997 龍光寺

嘉禎2年(1236)の板碑があるそうだ。

Img_1999 説明板

Img_2000 大芦氷川神社 《地図

Img_2003 説明板

Img_2006 秋池家(吹上小学校前)

舟材で造られた塀。大芦河岸の舟問屋で数十艘の舟を有していたという。大芦の荒川べりから昭和初期に当地に移転した。

Img_2007 吹上小学校の木造校舎

富士電機の工場前を通り、右折して吹上駅に向かった。

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2012年9月11日 (火)

千人同心日光道③(高萩宿→松山宿)

2012年9月7日

武蔵高萩駅(JR川越線)・・・国道407号・・・(川越線ガード)・・高萩宿・・旅籠鶴屋・亀屋跡・・・日高団地入口交差点・旧道・・北小畔川・・国道407号・・・旭ヶ丘交差点・高萩飛行場跡・・・日光街道杉並木・・安養寺・・河岸街道交差点・地蔵道標・(鶴ヶ島市)・・・高倉天神交差点・・・鶴ヶ島中学校・榜示杭・・川崎平右衛門陣屋跡・・桜並木・・才道木庚申塔・馬頭観音・・脚折才道木交差点・日光道道標・・・白髭神社・・・寿橋(飯盛川)・・・善能寺・・・針売庚申塔・・・(関越自動車道)・(坂戸市)・・(東武越生線踏切)・・・(東武東上線踏切)・坂戸神社・坂戸宿・・旅籠角屋跡・延命地蔵尊・・・坂戸小学校前交差点・日光道道標・・・薬師堂・・・旧道消滅地点・・跨線橋(東上線)・・・溝端公園・・北坂戸団地・・旧道復活地点・旧日光街道碑・・・上吉田の一本杉?・・・(東上線ガード)・・・国道407号・・高坂橋(越辺川)・・(東松山市)・・川越児玉往還合流地点・坂下橋(九十九川)・・・高坂神社・・高坂宿・・高済寺・・川越児玉往還分岐地点(塚田屋商店)・日光道道標・・・都幾川河原(高坂の渡し跡)・石橋・石橋供養塔・・・東松山橋(都幾川)・・・(国道407号)・・・下野本橋(新江川)・・野本村道路元標・・・無量寿寺(野本館跡)・・野本将軍塚古墳・利仁神社・・・(国道407号)・・・野本八幡神社・・・(国道254号)・・・若松町一交差点・国道254号・・・神明歩道橋・・旧道・・松山宿・・・東松山駅(東武東上線)

  【ル-ト地図】(21.9km)

 日高市の旭ヶ丘交差点から鶴ヶ島市にかけて3kmほどの杉並木が続く。本場の日光街道杉並木と違い、全区間に歩道が分離していて歩き安く、強い陽射しを除けてくれて助かる。
 坂戸宿の先で途切れた旧道は旧日光街道碑あたりで復活するが、越辺川の手前でまた途切れる。越辺川を高坂橋で渡り、高坂宿を通り、都幾川の高坂の渡し跡あたりまで下る。引き返して東松山橋で都幾川を渡り大きく迂回し、国道407号の東側を北上し、松山宿までたどり着いた。迂回路もあり、途中で道を間違えたりもして、暑い中の20km以上の道のりはけっこうな消耗戦だった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1688 高萩宿の家並み 《地図

右の金毘羅大権現の碑の所が旅籠鶴屋跡、道路の向い側が亀屋跡。

Img_1689 旧家

Img_1694_2 高萩飛行場跡 《地図

旭ヶ丘交差点の西側一帯

Img_1701 日光街道杉並木 【ル-ト地図】の①

歩道が分離し、日陰歩きなのでありがたい。右の地蔵道標(手前の石柱・天明6年(1786))は、「右 坂戸 左 高萩」で少し手前の河岸街道とのに立っていたもの。東の方から来る人のための道標だったようだ。

高倉天神交差点で左に進む。

Img_1718 榜示杭(鶴ヶ島中学校校庭前)

Img_1717 説明板

Img_1719 川崎平右衛門陣屋跡 【ル-ト地図】の②

左奥の小石祠は平右衛門の徳を追慕して農民達が建てた「川崎大明神」。悪代官が相場だが、中には名代官もいたようだ。玉川上水の『小金井桜』を植えたのも川崎平右衛門だ。『五日市街道①

Img_1720 説明板

Img_1722 陣屋図

Img_1725 ここは桜並木(鶴ヶ島中学校前)

Img_1724説明板

Img_1729 才道木庚申塔(宝暦10年(1760))・馬頭観音(安永10年(1781))

Img_1730 日光道道標(文政4年(1827)) 《地図

ここは脚折才道木(すねおりさいどぎ)交差点で、脚折は日本武尊が東征の際に、馬が脚を折ったという伝承からか?

Img_1731 説明板

Img_1735 「北 日光 さかと」に従い直進する。

Img_1747 白髭神社

脚折雨乞

Img_1739 説明板

Img_1746 脚折(すねおり)のケヤキ

樹齢900年以上だが、惜しいかな上部が折れている。

Img_1745 説明板

Img_1757 針売庚申塔 【ル-ト地図】の③

Img_1751 説明板

Img_1755 針売庚申塔(元禄6年(1693))

関越自動車道をくぐり坂戸市に入る。東武越生線踏切、東武東上線踏切を渡ると坂戸宿だ。

Img_1767 坂戸宿

坂戸神社の北側から坂戸小学校あたりまでの1kmほどが宿場だった。

Img_1769 坂戸神社

Img_1768 由緒

Img_1770 旅籠角屋跡(左)・延命地蔵尊(右) 《地図

坂戸宿は日光へ向かう八王子千人同心の1日目の宿泊地だった。高萩宿の数倍の規模だったというが、今はご覧の通りの「シャッター通り商店街」になってしまった。

Img_1777 突当りの坂戸小学校前に日光道の道標が立つ。《地図

Img_1779 「左 日光道」・「右 よしミみち」で、左に進む。

Img_1783 薬師堂

この先で旧道は消滅する。

Img_1782 説明板

Img_1785 旧道消滅地点 《地図

跨線橋で東上線を越え、溝端公園、北坂戸団地沿いを進む。

Img_1791 北坂戸団地(右)

Img_1792 旧道復活地点 【ル-ト地図】の④

正面右に旧日光街道碑・雨降山常夜灯・馬頭観音で、裏手の田んぼの水路が旧道の道筋だったようだ。

Img_1794 碑文

Img_1803 旧道は県道を横切って行く。

Img_1805 旧道は続くが。

Img_1806 上吉田の一本杉(正面右奥)あたりで県道に出る。《地図

越辺川の渡し場の位置は確定できないそうだ。東上線の鉄橋の上流100mの地点ともいう。

東上線のガードをくぐり国道407号に出る。

Img_1815高坂橋(越辺川(おっぺがわ))を渡る。

東上線が鉄橋を渡って行く。越辺川の語源にはアイヌ語に由来するという説もある。

Img_1817 毛塚交差点

この先で島田橋(越辺川・島田の渡し跡)を渡ってきた「川越・児玉往還」と合流して九十九川を渡る。

Img_2733 九十九川(坂下橋)を渡って高坂宿へ。

橋のたもとの左手に「左 江戸道」・「右 八王子道」の道標(安永3年(1774))があるというが見当たらず。

Img_2734 地蔵・庚申塔祠(左)

Img_2737 六地蔵祠(右)

Img_2741 六地蔵

祠の右に馬頭観音(文政4年(1821))、左に回国供養塔・力石。

Img_1824 高坂神社 《地図

Img_1831 高坂宿の家並み 

宿場の面影は薄く、静かな家並みが続く。

Img_1833 旧家

Img_1834 川越児玉往還分岐地点(道標が2本立つ) 《地図

千人同心日光道は塚田屋手前の道標で右に入り、都幾川の高坂の渡しへ通じていた。

Img_1841 都幾川の河原へ進む。

左の道標(安永10年(1781))は「右 日光 よしみ いわどの 道」・ 「八王子道」・「左 ちゝぶ ひき いわどの 道」。
右の道標(嘉永?年)は、「右 松山 行田 熊谷 左 小川 八幡山 道」

Img_1849 石橋・石橋供養塔 《地図

「高坂の渡し跡」には旧国道407号の沈下橋(高坂橋)が平成の初めまで残っていたが、都幾川の流路改良により消滅したそうだ。

Img_1848 石橋供養塔

Img_1846 説明板

引き返して東松山橋を渡る。

Img_1853 東松山橋(都幾川) 《地図

Img_1856 土手沿いを新松山橋へと進む。暑くて参った。

Img_1860 国道407号の東側の道を北上する。《地図

野本将軍塚古墳(右前方)

Img_1872 無量寿寺 《地図

銅像誕生釈迦仏立像は県指定彫刻。
野本館跡地で、本堂の北側に土塁跡、堀跡が確認できるそうだ。

Img_1877 野本館跡説明板

Img_1871 野本将軍塚古墳 【ル-ト地図】の⑤

前方部上から後円部方向。全長115mの前方後円墳。後円部上に利仁神社。

Img_1866 説明板

Img_1879 野本八幡神社

Img_1880 説明板

若松町一交差点で国道254号に出る。

Img_1890 神明歩道橋の先で右に旧道に入る。ここは松山宿の入口だ。《地図

駅前通りとの交差点で今日の打ち止めとし、左折して東松山駅に向かった。

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2012年9月 9日 (日)

千人同心日光道②(箱根ヶ崎宿→高萩宿)

2012年9月5日

箱根ヶ崎駅(JR八高線)・・・箱根ヶ崎宿・青梅街道合流地点・・青梅街道分岐地点・・・大橋(残堀川)・・・狭山神社・・・富士山交差点(国道16号)・・・(埼玉県入間市)・・・二本木上宿の道標・二本木宿・・入間宮寺教会・・・入間市博物館・・・武蔵工業団地・・旧道消滅地点・・・狭山開墾記念碑・旧道復活地点・・・国道16号・・・扇町屋上町の道標・上町子育地蔵尊・扇町屋宿・・志茂町子育地蔵・日光道道標(道祖神)・・・黒須坂・・・(西武池袋線ガード)・・河原町交差点・・国道299号・・霞橋(霞川)・・旧黒須銀行・・・豊水橋(入間川・根岸の渡し跡)・(狭山市)・・ねぎし歩道橋・馬頭観音・旧道・・根岸宿・・明光寺・根岸宿問屋久下家・・・金山坂・・・国道407号・・・(日高市)・・・田木交差点・旧道・・・内出橋(南小畔川)・(圏央道)・・・児童ふれあいセンター・・子安地蔵道標・・割元屋敷跡・・国道407号・・・鎌倉街道交差点・日光街道杉並木・・・高萩南交差点・・・旧道・・・(神流川)・・・馬頭観音・・・谷雲寺・・・下小畔川・・・県道15号・・・武蔵高萩駅(JR川越線)

  【ル-ト地図】(18.9km)

 瑞穂町(東京都)→入間市(埼玉県)→狭山市→日高市と進んだ。まだ昼間の暑さは真夏並みで、千人同心のスピードにはついて行けない。何せ向うは重大任務に赴く道。こちらは物見遊山の街道歩きだ。ゆっくり、ゆったりと進もう。それにしても暑い。

 参考:『埼玉県歴史の道調査報告書(日光脇往還)』

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1519 青梅街道との分岐地点 《地図

合流しているのは130mほど。「青梅街道」はこの交差点で左折して行く。日光街道(千人同心街道)が幅4尺3寸に対し青梅街道は幅3尺3寸だった。右角は創業明治5年の「漢方の會田」。

Img_1522 大橋(残堀川)

橋脇に建っていた「日光街道の常夜灯」のレリーフが欄干に飾ってある。

Img_1523 説明板

Img_1524 「日光街道」標識

Img_1529 狭山神社 《地図

箱根ヶ崎は祭神の箱根大神から由来する地名なのか?

Img_1531 由緒

Img_1533 富士山交差点 《地図

このあたりは駒形富士山という地名だが、富士山も見えず、小さな富士山もない。駒形明神が鎮守の駒形村と、富士浅間神社があった富士山村が合併して駒形富士山の地名となったそうだ。

Img_1537 まだひまわりの季節が続くのか。

Img_1542 元狭山神社

大正7年に駒形神社・高根神社・八雲神社・子安神社を合祀。

Img_1546 埼玉県入間市に入る。

突当りの左に二本木上宿の道標が立つ。

Img_1553 二本木上宿の道標 【ル-ト地図】の①

振り返って見ている。右が青梅方向。

Img_1550 道標(延享元年(1744))

「右 青梅 左 大山 八王子」

Img_1549 説明板

肝心の道標に彫られている文字が記されていない。

Img_1554 二本木宿の家並み

戸数170軒余の継立場だった。

Img_1558 旧家

Img_1560 入間宮寺教会 《地図

埼玉県で最初のカトリック教会。

Img_1559 説明板

 この先で左に入って行く。

Img_1565 入間市博物館の「茶花の小径」

狭山小学校の先で旧道は武蔵工業団地の中に消滅する。《地図》 旧道は北東に直線的に通じていた。

Img_1568 武蔵工業団地の中を抜ける。

Img_1570 旧道復活地点 《地図

正面に「狭山開墾記念碑」

Img_1572 茶畑が広がる。

「味の狭山茶」だ。

Img_1573 国道16号に合流する。

Img_1576 扇町屋上町の道標・上町子育地蔵(奥の祠) 【ル-ト地図】の②

馬頭観音道標(左)、右の道標(安政3年(1856))には、「青梅 小河内原湯道 みたけ山みち ふし山 高尾山 大山 今熊山道」だそうだが、すり減っていて読み取れない。

Img_1577 馬頭観音道標(文政3年(1820))

右側面に「青梅 みたけ みち」、左側面に「大山 ? 道」

Img_1575 説明板

消えかかって読みにくく、これも道標の文字が記されていない、お粗末な代物。

Img_1582 子育地蔵(元禄5年(1692))

道標を兼ねているようで、「右おう免みち 左八王じみち」らしい。

Img_1590 青梅・御岳道(右)

左が千人同心日光道(二本木宿方向)

Img_1593 扇町屋宿の家並み

扇町屋宿は、八王子千人同心の往きの昼食地、帰りの宿泊だった。
宿の長さ6町、道幅8間余、戸数90軒、三・八の日に米穀などの市が立ち賑わったという。千人同心は1日目の昼にここまで来てしまうのだ。早いねえ。

Img_1595 旧家

Img_1596 志茂町子育地蔵 《地図

左手前に日光道道標(道祖神)

Img_1600 道祖神道標(享和2年(1802))

左側面に「従是 まつ山 日こう 道」

Img_1598_2 右側面に、「従是 入間川 かわこへ 道」?

もとは三叉路にあったものか。

Img_1601 黒須坂(町屋坂)を下る。【ル-ト地図】の③

この先で西武池袋線をくぐる。

Img_1610 旧黒須銀行 《地図

埼玉銀行豊岡支店から郷土民芸館となっていた。

Img_1609 説明板

Img_1614 繁田醤油

江戸時代の創業で「キッコウブ醤油」(亀甲武?)の醸造元。

Img_1617 狭山茶店

Img_1623 豊水橋(入間川) 《地図

平成15年完成の3代目の橋。
すぐ上流に「根岸の渡し」があった。渇水期は仮橋で渡った。

Img_1622 初代豊水橋

大正2年完成の木橋

Img_1630 2代目豊水橋

昭和4年完成の鉄筋コンクリート橋

Img_1633 ねぎし歩道橋下

右に旧道に入り、根岸宿へと進む。右の橋脚下に馬頭観音(文久2年(1862))

Img_1637 根岸宿問屋跡久下家 《地図

Img_1634 明光寺

紙本地蔵十王図は市指定文化財

Img_1635 説明板

Img_1638 金山坂を上る。【ル-ト地図】の④

坂上あたりに金山神社があるというが見当たらず。白髭神社か水富神社のことなのか?

Img_1641 国道407号をさらに上る。

Img_1644 日高市に入る。

車の往来が激しい。田木交差点で左に旧道に入る。

Img_1649 旧道 《地図

ほっとする道だ。

Img_1654 旧家

左の石塔には「子育尊」と刻む。

Img_1655 この先で内出橋(南小畔川)を渡り圏央道(正面)をくぐる。《地図

Img_1660 児童ふれあいセンター(正面)沿いを進む。

Img_1662 子安地蔵の祠(左) 《地図

Img_1663 子安地蔵(文化8年(1811))の台石が道標

右側面に「日光道」、左側面に「ちちぶ道」だそうだ。

国道に出る手前右あたりが割元屋敷跡というが、どういう屋敷だったのか?

Img_1666鎌倉街道交差点から杉並木に入る。

北西1.5kmあたりが女影ヶ原古戦場

Img_1669 ずばり「日光街道杉並木」 【ル-ト地図】の⑤

「女影」もいいが、今は「日影」の方がありがたい。

Img_1674 高萩南交差点で国道407号は左に進む。

すぐ先で左に旧道に入る。

Img_1677 旧道を行く 《地図

Img_1678 谷雲寺の墓地沿いを下る。

この手前右に馬頭観音がある。

下小畔川に突き当たり、県道15号に出る。街道は右折して行くが、左折して武蔵高萩駅に向かった。《地図

Img_1684 武蔵高萩駅(JR川越線)

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2012年9月 3日 (月)

千人同心日光道①(千人町→箱根ヶ崎宿)

2012年9月1日

西八王子駅(JR中央線)・・・甲州街道(国道20号)・・・千人町交差点・・・追分町交差点・八王子千人同心屋敷跡記念碑・・・八王子宿・八幡交差点・千人同心日光道(国道16号)・・・極楽寺・・・浅川橋(浅川)・・・川口川橋・・・稲荷坂・・覚祐稲荷・・・ひよどり公園・・・小宮公園・・・ひよどり山中学校・・・ひよどり第一橋(中央高速道路)・・・鶯啼庵・・・東京環状道路・・・神明社・・・左入橋(谷地川)・・・(滝山街道)・・・(昭島市)・・・拝島橋(多摩川・拝島の渡し跡)・・・拝島町交差点・奥多摩街道・拝島宿・・円福寺・拝島大師・大日堂・日吉神社・・龍津寺・・拝島天神社・・・拝島三叉路・・・武蔵野橋南交差点・王坂・・・(拝島駅(八高線・青梅線))・・・日光橋(玉川上水)・・日光橋第二交差点・・五日市街道合流地点・・・わらつけ街道・・・五日市街道交差地点・・・わらつけ公園・・・東福生駅(八高線)・・・国道16号・・・(羽村市)・・・(瑞穂町)・・・新青梅街道交差点・・・旧道復活地点・・・箱根ヶ崎宿・・箱根ヶ崎駅(JR八高線)

  【ル-ト地図】(18.3km)

 千人同心日光道は、八王子千人同心が日光東照宮の「火の番」の任に往来した道で、千人同心街道、日光火之番街道、八王子街道、日光脇街道、日光脇往還、日光裏街道などとも呼ばれ、統一された名称はない。街道沿いの表示板、説明板などにはずばり「日光街道」と記されたものが多い。
 八王子宿で甲州街道から分かれ、拝島→箱根ケ崎→二本木→扇町屋→根岸→高萩→坂戸→高坂→松山→行田→館林と進み、佐野(天明宿)で日光例幣使街道に合流した。日光までは約40里、3泊4日の行程だった。

 今日は千人町から八王子宿へ甲州街道を東進し、八幡町交差点で北上して、ひよどり山を越え多摩川を渡り、拝島宿から青梅街道と合流する箱根ヶ崎宿まで行った。激しい雷雨での一時中断や、横田基地沿いの長く味気ない道もあったが、猛暑が一休みなのが何よりだった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5415 八王子千人同心屋敷跡記念碑 【ル-ト地図】の①

このあたり一帯が屋敷跡で千人町にその名が残る。八王子千人同心と日光の関係は、元和3年(1617)の家康の日光山改葬、元和5年の秀忠の日光社参、元和8、9年の家光の社参に供奉と、東照宮竣工時から始まり、慶安5年(1652)に八王子千人同心が日光の火の番を命じられ、千人同心街道が整備されるまでは甲州街道→江戸→日光街道で日光に赴いていた。
 寛政3年(1791)以降の日光勤番は、千人頭1名、同心50名、勤務日数を半年とし、毎年6月・10月が勤務交代期日と定められた。

Img_5416 説明板①

Img_5417 説明板②

八王子宿の八幡町交差点で甲州街道から分かれ、国道16号を北上し浅川、川口川を渡る。

Img_1372 稲荷坂を上る。【ル-ト地図】の②

左に旧道が残るがすぐに途切れていまう。

Photo 覚祐稲荷(2006年5月3日撮影・『八王子市の坂』)

八王子千人同心の小池覚祐の建立という。

東京環状道路から分かれ右に旧道に入り、ひよどり山への上りとなる。

Img_1375 ひよどり公園(右) 《地図

Img_1378 うかい亭(ステーキ屋)の塀

このあたりは立派な料亭が多い。

Img_1386 天山(懐石料理)前から八王子市街、奥多摩の山並み。

Img_1389 ひよどり山中学校(左)・小宮公園(右の先)

このあたりから下りとなる。

Img_1392 ひよどり第一橋(中央高速道路)へ下って行く。

Img_1395 ひよどり第一橋を渡る。

Img_1400 鶯啼庵(ようていあん・左)に沿って下る。《地図

ここも懐石料理店

東京環状道路に出る。

Img_1409 左入町交差点 《地図

滝山街道との交差点

Img_1412 上りとなる。

Img_1414 拝島橋へ下って行く。

左前方に「滝山城跡入口」の案内板が立つ。

Img_1421 拝島橋(多摩川)を渡る。

少し上流に「拝島の渡し」があった。昭和10年から数年間は八王子-川越間の定期バスもこの渡し舟で渡ったという。 橋の北詰の児童遊園に 昭島市の建てた石碑があるようだが、雷ゴロゴロ、土砂降りの雨に気もそぞろで見忘れた。

Img_1424 多摩川(下流方向)

激しい雨脚で歩くのは困難となり、拝島町交差点の手前の民家の軒下で小降りになるまで待つ。その間約30分、濡れたせいで少し寒くなってきた。

Img_1430 円福寺

大日堂八坊のひとつとして天正年間(1573~91)に創建。本尊は阿弥陀如来。

Img_1432 三面出世大黒天の絵

Img_1441 拝島大師

天正6年(1578)の創建。正月2日・3日の縁日は、「だるま市」として有名で、初詣と合わせて多くの参拝者で賑わうそうだ。

Img_1446 大日堂仁王門

Img_1444 説明板①

Img_1445 説明板②

Img_1451 おねいの井戸

戦国時代、滝山城主の重臣石川土佐守は、娘おねいの眼病平癒を大日堂に祈願、この清泉で洗眼したところたちまち治ったと伝えられる。

Img_1455 日吉神社

旧拝島村の鎮守。祭神は大山咋命・香山戸命・羽山戸命。毎年9月の例祭は有名で、その前夜祭の榊祭は都指定無形民俗文化財。

Img_1461 拝島のフジ(都指定天然記念物)

千歳のフジとも呼ばれ、樹齢800年という。

Img_1458 説明板

Img_1462 拝島分水

玉川上水の分水の一つで、かつては、拝島宿内の日光街道の中央を流れ、村民の生活用水や宿場用水として重要な役割を果たしてきた。

Img_1371 拝島宿の中央を流れていた拝島分水。

拝島宿は千人同心が日光を往還する街路の宿場として成立した。宿は下宿・中宿・上宿と続いていた。
弘化3年(1846)には家数159軒のうち宿屋が6軒、そのほか居酒屋・質屋・荒物屋・菓子屋・鍛治屋・銭湯などが56軒も建ち並んでいたそうだ。

Img_1466 臼井家

拝島宿成立以前からの旧家。『臼井氏由来記』には、「武蔵国北多摩郡拝島村には臼井冨兵衛という人がいて正平年中、南北両朝時代に所属に従って分かれた千葉の一流であることは明白である」とある。

Img_1471 上宿のあたりで右へ鈎型に曲がって行く。

Img_1474 拝島天神社

文禄年間(1592~95)に谷保天満宮から勧請されたというから、拝島宿の成立以前だ。

Img_1478 拝島三叉路

奥多摩街道は左に分かれて行く。

武蔵野橋南交差点で右に入り天王坂を上り、拝島駅構内を抜ける。

Img_1482 日光橋(玉川上水)を渡る。【ル-ト地図】の④

Img_1486玉川上水

Img_1487 五日市街道合流地点 《地図

横田基地の南側を迂回してきた現在の五日市街道が合流し、基地沿いに第五ゲート前まで進むのだが、味気ない道を避け、西側の「わらつけ街道」(由来話)を北上する。

Img_1490 わらつけ街道に入る。【ル-ト地図】の⑤

鎌倉街道の道筋のようだが、見所はない。

Img_1494 五日市街道交差点 《地図

第五ゲート前から西進してきた五日市街道を横切る。右に「わらつけ街道」の標識が立つ。

Img_1497 わらつけ公園(右)

案内板・説明板などはない。

Img_1502 米軍横田基地が長く続く。

Img_1505 横田基地

新青梅街道との交差点で右折する。

Img_1510 旧道復活地点(横田基地方向) 《地図

街道は第五ゲート前あたりから、ここへ通じていた。

Img_1511 箱根ヶ崎宿へ向かう。

Img_1513 今日はここまでとし、左折して箱根ヶ崎駅に向かった。

このすぐ先で青梅街道と合流する。

Img_1516 箱根ヶ崎駅(八高線)

電車に乗る頃からまた激しく雨が降り出した。

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