千人同心日光道⑤(吹上宿→行田宿)
2012年9月13日
吹上駅(JR高崎線)・・・松山街道踏切(高崎線)・・・中山道合流地点・吹上宿・東曜寺・・・県道66号・・・佐賀橋(元荒川)・・・(国道17号)・・・本倉稲荷神社・・・がんがら大橋(がんがら落し)・・・(上越新幹線)・・・前谷交差点(国道17号熊谷バイパス)・・・新兵衛地蔵尊標柱・・・大蔵寺・遍照院・・・水城公園・・・行田窯・・・館林道合流地点・・高源寺・佐間口・佐間天神社・・天神橋・・・天満稲荷神社・・大澤蔵・・今津蔵・・奥貫蔵・・・新兵衛橋・・・清善寺・・・行田宿・高札場跡・・本陣跡・・脇本陣跡・・保泉蔵・・・愛宕神社・・・長野口御門跡・船着場跡・小沼橋(忍川)・・・東行田駅(秩父鉄道)・・・長久寺・・久伊豆神社・赤飯伊奈利神社・・・観音前橋・・・真観寺・真観寺古墳・・虚空蔵山古墳・・・武蔵橋(武蔵水路)・・・棒川橋(見沼代用水)・・東福寺・・・琴平神社・・・天州寺・・・武州荒木駅(秩父鉄道)
【ル-ト地図】
中山道と合流する吹上宿から忍城下の行田宿を通り、羽生市の手前の武州荒木駅まで、今日も暑さがこたえて早目に切り上げた。
写真をクリックすると拡大します。
吹上宿は中山道では間の宿だが、千人同心日光道では本宿だった。中山道と合流しているの東曜寺門前の50mほどだけ。
佐賀橋から元荒川
がんがら大橋を渡る。 《地図》
「がんがら落し」は約4kmの農業用排水路。正面は上越新幹線。
この道筋には大正12年まで、行田と吹上を結ぶ行田馬車鉄道が走っていた。
前谷歩道橋から 《地図》
広々とした光景だ。
地蔵が祀られているのは、清善寺でここからはかなり離れている。
駒形地区はこの寺を中心とした門前町として開かれた。
水城公園 《地図》
忍城(おしじょう)の外堀の沼を利用して、中国江南水郷式造園の手法を取り入れた水郷公園として整備された公園。
水を見ると少しは涼しさを感じる。
もとは穂国足袋の倉庫。
交差点の右から来る館林道(忍城も記載)と合流し、ここを左折する。
秀吉の小田原攻めの際に、忍城で奮戦した正木丹波守利英の開基。
『のぼうの城』は映画化された。
天神社あたりが忍城防衛の死闘を繰り広げた「佐間口」だった。
「ほうらい足袋」の奥貫家の足袋蔵。「行田の足袋」は昭和13年には8,400万足の生産量で、全国生産の約8割を占めていた。『ぎょうだ足袋蔵ネットワーク』
「新兵衛地蔵入口」バス停もある。
「新兵衛地蔵」の標柱。
昭和6年、日本中が不景気の中、大沢証券㈱の大沢龍次郎が失業対策事業として清善寺の無縁仏整備を提案し、無縁塔を造立し、その頂きに地蔵を奉安した。この地蔵は大沢氏の父が所持していた仏像を宝珠の中に入れた地蔵だそうだ。
そもそも「新兵衛」の由来は何なのか?
「花形足袋」の文庫蔵
店蔵は市内最古級というが、保存状態がいまいちか。
高札場跡 《地図》
レトロな武蔵野銀行の右前に「高札場跡」碑が立つ。
埼玉県信用金庫銀行の所で、東隣に脇本陣があった。
呉服商の店蔵→足袋蔵→ふくさや店舗
大長寺の手前で左折する。
このあたりが馬車鉄道の発着所跡で、石標が立つというが見逃した。 《地図》(馬車道の標示がある)
長徳寺跡という。
すぐ先の小沼橋(忍川)あたりが船着場跡
この先の交差点を左折し、秩父鉄道の踏切を渡る。
藤は行田市の天然記念物。『花 蕾日記』
久伊豆神社の摂社。初午に赤飯と油揚げを献ずるという。
館林は今日も猛暑日だった。明日は館林市に入るが。
「小見の観音様」として親しみ信仰されてきた寺。
全長約60mだが前方部の一部が残るのみ。
「笑う女人埴輪」
武蔵水路(武蔵橋から)
利根川の水を荒川に導くための導水路。
見沼代用水(棒川橋から)
正面向う側は東福寺。
天州寺 《地図》
「木造聖徳太子立像」は国指定重文
ちょうど羽生行きが出発した後で、30分待ちとなった。
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