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2012年9月 9日 (日)

千人同心日光道②(箱根ヶ崎宿→高萩宿)

2012年9月5日

箱根ヶ崎駅(JR八高線)・・・箱根ヶ崎宿・青梅街道合流地点・・青梅街道分岐地点・・・大橋(残堀川)・・・狭山神社・・・富士山交差点(国道16号)・・・(埼玉県入間市)・・・二本木上宿の道標・二本木宿・・入間宮寺教会・・・入間市博物館・・・武蔵工業団地・・旧道消滅地点・・・狭山開墾記念碑・旧道復活地点・・・国道16号・・・扇町屋上町の道標・上町子育地蔵尊・扇町屋宿・・志茂町子育地蔵・日光道道標(道祖神)・・・黒須坂・・・(西武池袋線ガード)・・河原町交差点・・国道299号・・霞橋(霞川)・・旧黒須銀行・・・豊水橋(入間川・根岸の渡し跡)・(狭山市)・・ねぎし歩道橋・馬頭観音・旧道・・根岸宿・・明光寺・根岸宿問屋久下家・・・金山坂・・・国道407号・・・(日高市)・・・田木交差点・旧道・・・内出橋(南小畔川)・(圏央道)・・・児童ふれあいセンター・・子安地蔵道標・・割元屋敷跡・・国道407号・・・鎌倉街道交差点・日光街道杉並木・・・高萩南交差点・・・旧道・・・(神流川)・・・馬頭観音・・・谷雲寺・・・下小畔川・・・県道15号・・・武蔵高萩駅(JR川越線)

  【ル-ト地図】(18.9km)

 瑞穂町(東京都)→入間市(埼玉県)→狭山市→日高市と進んだ。まだ昼間の暑さは真夏並みで、千人同心のスピードにはついて行けない。何せ向うは重大任務に赴く道。こちらは物見遊山の街道歩きだ。ゆっくり、ゆったりと進もう。それにしても暑い。

 参考:『埼玉県歴史の道調査報告書(日光脇往還)』

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1519 青梅街道との分岐地点 《地図

合流しているのは130mほど。「青梅街道」はこの交差点で左折して行く。日光街道(千人同心街道)が幅4尺3寸に対し青梅街道は幅3尺3寸だった。右角は創業明治5年の「漢方の會田」。

Img_1522 大橋(残堀川)

橋脇に建っていた「日光街道の常夜灯」のレリーフが欄干に飾ってある。

Img_1523 説明板

Img_1524 「日光街道」標識

Img_1529 狭山神社 《地図

箱根ヶ崎は祭神の箱根大神から由来する地名なのか?

Img_1531 由緒

Img_1533 富士山交差点 《地図

このあたりは駒形富士山という地名だが、富士山も見えず、小さな富士山もない。駒形明神が鎮守の駒形村と、富士浅間神社があった富士山村が合併して駒形富士山の地名となったそうだ。

Img_1537 まだひまわりの季節が続くのか。

Img_1542 元狭山神社

大正7年に駒形神社・高根神社・八雲神社・子安神社を合祀。

Img_1546 埼玉県入間市に入る。

突当りの左に二本木上宿の道標が立つ。

Img_1553 二本木上宿の道標 【ル-ト地図】の①

振り返って見ている。右が青梅方向。

Img_1550 道標(延享元年(1744))

「右 青梅 左 大山 八王子」

Img_1549 説明板

肝心の道標に彫られている文字が記されていない。

Img_1554 二本木宿の家並み

戸数170軒余の継立場だった。

Img_1558 旧家

Img_1560 入間宮寺教会 《地図

埼玉県で最初のカトリック教会。

Img_1559 説明板

 この先で左に入って行く。

Img_1565 入間市博物館の「茶花の小径」

狭山小学校の先で旧道は武蔵工業団地の中に消滅する。《地図》 旧道は北東に直線的に通じていた。

Img_1568 武蔵工業団地の中を抜ける。

Img_1570 旧道復活地点 《地図

正面に「狭山開墾記念碑」

Img_1572 茶畑が広がる。

「味の狭山茶」だ。

Img_1573 国道16号に合流する。

Img_1576 扇町屋上町の道標・上町子育地蔵(奥の祠) 【ル-ト地図】の②

馬頭観音道標(左)、右の道標(安政3年(1856))には、「青梅 小河内原湯道 みたけ山みち ふし山 高尾山 大山 今熊山道」だそうだが、すり減っていて読み取れない。

Img_1577 馬頭観音道標(文政3年(1820))

右側面に「青梅 みたけ みち」、左側面に「大山 ? 道」

Img_1575 説明板

消えかかって読みにくく、これも道標の文字が記されていない、お粗末な代物。

Img_1582 子育地蔵(元禄5年(1692))

道標を兼ねているようで、「右おう免みち 左八王じみち」らしい。

Img_1590 青梅・御岳道(右)

左が千人同心日光道(二本木宿方向)

Img_1593 扇町屋宿の家並み

扇町屋宿は、八王子千人同心の往きの昼食地、帰りの宿泊だった。
宿の長さ6町、道幅8間余、戸数90軒、三・八の日に米穀などの市が立ち賑わったという。千人同心は1日目の昼にここまで来てしまうのだ。早いねえ。

Img_1595 旧家

Img_1596 志茂町子育地蔵 《地図

左手前に日光道道標(道祖神)

Img_1600 道祖神道標(享和2年(1802))

左側面に「従是 まつ山 日こう 道」

Img_1598_2 右側面に、「従是 入間川 かわこへ 道」?

もとは三叉路にあったものか。

Img_1601 黒須坂(町屋坂)を下る。【ル-ト地図】の③

この先で西武池袋線をくぐる。

Img_1610 旧黒須銀行 《地図

埼玉銀行豊岡支店から郷土民芸館となっていた。

Img_1609 説明板

Img_1614 繁田醤油

江戸時代の創業で「キッコウブ醤油」(亀甲武?)の醸造元。

Img_1617 狭山茶店

Img_1623 豊水橋(入間川) 《地図

平成15年完成の3代目の橋。
すぐ上流に「根岸の渡し」があった。渇水期は仮橋で渡った。

Img_1622 初代豊水橋

大正2年完成の木橋

Img_1630 2代目豊水橋

昭和4年完成の鉄筋コンクリート橋

Img_1633 ねぎし歩道橋下

右に旧道に入り、根岸宿へと進む。右の橋脚下に馬頭観音(文久2年(1862))

Img_1637 根岸宿問屋跡久下家 《地図

Img_1634 明光寺

紙本地蔵十王図は市指定文化財

Img_1635 説明板

Img_1638 金山坂を上る。【ル-ト地図】の④

坂上あたりに金山神社があるというが見当たらず。白髭神社か水富神社のことなのか?

Img_1641 国道407号をさらに上る。

Img_1644 日高市に入る。

車の往来が激しい。田木交差点で左に旧道に入る。

Img_1649 旧道 《地図

ほっとする道だ。

Img_1654 旧家

左の石塔には「子育尊」と刻む。

Img_1655 この先で内出橋(南小畔川)を渡り圏央道(正面)をくぐる。《地図

Img_1660 児童ふれあいセンター(正面)沿いを進む。

Img_1662 子安地蔵の祠(左) 《地図

Img_1663 子安地蔵(文化8年(1811))の台石が道標

右側面に「日光道」、左側面に「ちちぶ道」だそうだ。

国道に出る手前右あたりが割元屋敷跡というが、どういう屋敷だったのか?

Img_1666鎌倉街道交差点から杉並木に入る。

北西1.5kmあたりが女影ヶ原古戦場

Img_1669 ずばり「日光街道杉並木」 【ル-ト地図】の⑤

「女影」もいいが、今は「日影」の方がありがたい。

Img_1674 高萩南交差点で国道407号は左に進む。

すぐ先で左に旧道に入る。

Img_1677 旧道を行く 《地図

Img_1678 谷雲寺の墓地沿いを下る。

この手前右に馬頭観音がある。

下小畔川に突き当たり、県道15号に出る。街道は右折して行くが、左折して武蔵高萩駅に向かった。《地図

Img_1684 武蔵高萩駅(JR川越線)

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