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2012年9月 3日 (月)

千人同心日光道①(千人町→箱根ヶ崎宿)

2012年9月1日

西八王子駅(JR中央線)・・・甲州街道(国道20号)・・・千人町交差点・・・追分町交差点・八王子千人同心屋敷跡記念碑・・・八王子宿・八幡交差点・千人同心日光道(国道16号)・・・極楽寺・・・浅川橋(浅川)・・・川口川橋・・・稲荷坂・・覚祐稲荷・・・ひよどり公園・・・小宮公園・・・ひよどり山中学校・・・ひよどり第一橋(中央高速道路)・・・鶯啼庵・・・東京環状道路・・・神明社・・・左入橋(谷地川)・・・(滝山街道)・・・(昭島市)・・・拝島橋(多摩川・拝島の渡し跡)・・・拝島町交差点・奥多摩街道・拝島宿・・円福寺・拝島大師・大日堂・日吉神社・・龍津寺・・拝島天神社・・・拝島三叉路・・・武蔵野橋南交差点・王坂・・・(拝島駅(八高線・青梅線))・・・日光橋(玉川上水)・・日光橋第二交差点・・五日市街道合流地点・・・わらつけ街道・・・五日市街道交差地点・・・わらつけ公園・・・東福生駅(八高線)・・・国道16号・・・(羽村市)・・・(瑞穂町)・・・新青梅街道交差点・・・旧道復活地点・・・箱根ヶ崎宿・・箱根ヶ崎駅(JR八高線)

  【ル-ト地図】(18.3km)

 千人同心日光道は、八王子千人同心が日光東照宮の「火の番」の任に往来した道で、千人同心街道、日光火之番街道、八王子街道、日光脇街道、日光脇往還、日光裏街道などとも呼ばれ、統一された名称はない。街道沿いの表示板、説明板などにはずばり「日光街道」と記されたものが多い。
 八王子宿で甲州街道から分かれ、拝島→箱根ケ崎→二本木→扇町屋→根岸→高萩→坂戸→高坂→松山→行田→館林と進み、佐野(天明宿)で日光例幣使街道に合流した。日光までは約40里、3泊4日の行程だった。

 今日は千人町から八王子宿へ甲州街道を東進し、八幡町交差点で北上して、ひよどり山を越え多摩川を渡り、拝島宿から青梅街道と合流する箱根ヶ崎宿まで行った。激しい雷雨での一時中断や、横田基地沿いの長く味気ない道もあったが、猛暑が一休みなのが何よりだった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5415 八王子千人同心屋敷跡記念碑 【ル-ト地図】の①

このあたり一帯が屋敷跡で千人町にその名が残る。八王子千人同心と日光の関係は、元和3年(1617)の家康の日光山改葬、元和5年の秀忠の日光社参、元和8、9年の家光の社参に供奉と、東照宮竣工時から始まり、慶安5年(1652)に八王子千人同心が日光の火の番を命じられ、千人同心街道が整備されるまでは甲州街道→江戸→日光街道で日光に赴いていた。
 寛政3年(1791)以降の日光勤番は、千人頭1名、同心50名、勤務日数を半年とし、毎年6月・10月が勤務交代期日と定められた。

Img_5416 説明板①

Img_5417 説明板②

八王子宿の八幡町交差点で甲州街道から分かれ、国道16号を北上し浅川、川口川を渡る。

Img_1372 稲荷坂を上る。【ル-ト地図】の②

左に旧道が残るがすぐに途切れていまう。

Photo 覚祐稲荷(2006年5月3日撮影・『八王子市の坂』)

八王子千人同心の小池覚祐の建立という。

東京環状道路から分かれ右に旧道に入り、ひよどり山への上りとなる。

Img_1375 ひよどり公園(右) 《地図

Img_1378 うかい亭(ステーキ屋)の塀

このあたりは立派な料亭が多い。

Img_1386 天山(懐石料理)前から八王子市街、奥多摩の山並み。

Img_1389 ひよどり山中学校(左)・小宮公園(右の先)

このあたりから下りとなる。

Img_1392 ひよどり第一橋(中央高速道路)へ下って行く。

Img_1395 ひよどり第一橋を渡る。

Img_1400 鶯啼庵(ようていあん・左)に沿って下る。《地図

ここも懐石料理店

東京環状道路に出る。

Img_1409 左入町交差点 《地図

滝山街道との交差点

Img_1412 上りとなる。

Img_1414 拝島橋へ下って行く。

左前方に「滝山城跡入口」の案内板が立つ。

Img_1421 拝島橋(多摩川)を渡る。

少し上流に「拝島の渡し」があった。昭和10年から数年間は八王子-川越間の定期バスもこの渡し舟で渡ったという。 橋の北詰の児童遊園に 昭島市の建てた石碑があるようだが、雷ゴロゴロ、土砂降りの雨に気もそぞろで見忘れた。

Img_1424 多摩川(下流方向)

激しい雨脚で歩くのは困難となり、拝島町交差点の手前の民家の軒下で小降りになるまで待つ。その間約30分、濡れたせいで少し寒くなってきた。

Img_1430 円福寺

大日堂八坊のひとつとして天正年間(1573~91)に創建。本尊は阿弥陀如来。

Img_1432 三面出世大黒天の絵

Img_1441 拝島大師

天正6年(1578)の創建。正月2日・3日の縁日は、「だるま市」として有名で、初詣と合わせて多くの参拝者で賑わうそうだ。

Img_1446 大日堂仁王門

Img_1444 説明板①

Img_1445 説明板②

Img_1451 おねいの井戸

戦国時代、滝山城主の重臣石川土佐守は、娘おねいの眼病平癒を大日堂に祈願、この清泉で洗眼したところたちまち治ったと伝えられる。

Img_1455 日吉神社

旧拝島村の鎮守。祭神は大山咋命・香山戸命・羽山戸命。毎年9月の例祭は有名で、その前夜祭の榊祭は都指定無形民俗文化財。

Img_1461 拝島のフジ(都指定天然記念物)

千歳のフジとも呼ばれ、樹齢800年という。

Img_1458 説明板

Img_1462 拝島分水

玉川上水の分水の一つで、かつては、拝島宿内の日光街道の中央を流れ、村民の生活用水や宿場用水として重要な役割を果たしてきた。

Img_1371 拝島宿の中央を流れていた拝島分水。

拝島宿は千人同心が日光を往還する街路の宿場として成立した。宿は下宿・中宿・上宿と続いていた。
弘化3年(1846)には家数159軒のうち宿屋が6軒、そのほか居酒屋・質屋・荒物屋・菓子屋・鍛治屋・銭湯などが56軒も建ち並んでいたそうだ。

Img_1466 臼井家

拝島宿成立以前からの旧家。『臼井氏由来記』には、「武蔵国北多摩郡拝島村には臼井冨兵衛という人がいて正平年中、南北両朝時代に所属に従って分かれた千葉の一流であることは明白である」とある。

Img_1471 上宿のあたりで右へ鈎型に曲がって行く。

Img_1474 拝島天神社

文禄年間(1592~95)に谷保天満宮から勧請されたというから、拝島宿の成立以前だ。

Img_1478 拝島三叉路

奥多摩街道は左に分かれて行く。

武蔵野橋南交差点で右に入り天王坂を上り、拝島駅構内を抜ける。

Img_1482 日光橋(玉川上水)を渡る。【ル-ト地図】の④

Img_1486玉川上水

Img_1487 五日市街道合流地点 《地図

横田基地の南側を迂回してきた現在の五日市街道が合流し、基地沿いに第五ゲート前まで進むのだが、味気ない道を避け、西側の「わらつけ街道」(由来話)を北上する。

Img_1490 わらつけ街道に入る。【ル-ト地図】の⑤

鎌倉街道の道筋のようだが、見所はない。

Img_1494 五日市街道交差点 《地図

第五ゲート前から西進してきた五日市街道を横切る。右に「わらつけ街道」の標識が立つ。

Img_1497 わらつけ公園(右)

案内板・説明板などはない。

Img_1502 米軍横田基地が長く続く。

Img_1505 横田基地

新青梅街道との交差点で右折する。

Img_1510 旧道復活地点(横田基地方向) 《地図

街道は第五ゲート前あたりから、ここへ通じていた。

Img_1511 箱根ヶ崎宿へ向かう。

Img_1513 今日はここまでとし、左折して箱根ヶ崎駅に向かった。

このすぐ先で青梅街道と合流する。

Img_1516 箱根ヶ崎駅(八高線)

電車に乗る頃からまた激しく雨が降り出した。

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