千人同心日光道③(高萩宿→松山宿)
2012年9月7日
武蔵高萩駅(JR川越線)・・・国道407号・・・(川越線ガード)・・高萩宿・・旅籠鶴屋・亀屋跡・・・日高団地入口交差点・旧道・・北小畔川・・国道407号・・・旭ヶ丘交差点・高萩飛行場跡・・・日光街道杉並木・・安養寺・・河岸街道交差点・地蔵道標・(鶴ヶ島市)・・・高倉天神交差点・・・鶴ヶ島中学校・榜示杭・・川崎平右衛門陣屋跡・・桜並木・・才道木庚申塔・馬頭観音・・脚折才道木交差点・日光道道標・・・白髭神社・・・寿橋(飯盛川)・・・善能寺・・・針売庚申塔・・・(関越自動車道)・(坂戸市)・・(東武越生線踏切)・・・(東武東上線踏切)・坂戸神社・坂戸宿・・旅籠角屋跡・延命地蔵尊・・・坂戸小学校前交差点・日光道道標・・・薬師堂・・・旧道消滅地点・・跨線橋(東上線)・・・溝端公園・・北坂戸団地・・旧道復活地点・旧日光街道碑・・・上吉田の一本杉?・・・(東上線ガード)・・・国道407号・・高坂橋(越辺川)・・(東松山市)・・川越児玉往還合流地点・坂下橋(九十九川)・・・高坂神社・・高坂宿・・高済寺・・川越児玉往還分岐地点(塚田屋商店)・日光道道標・・・都幾川河原(高坂の渡し跡)・石橋・石橋供養塔・・・東松山橋(都幾川)・・・(国道407号)・・・下野本橋(新江川)・・野本村道路元標・・・無量寿寺(野本館跡)・・野本将軍塚古墳・利仁神社・・・(国道407号)・・・野本八幡神社・・・(国道254号)・・・若松町一交差点・国道254号・・・神明歩道橋・・旧道・・松山宿・・・東松山駅(東武東上線)
【ル-ト地図】
日高市の旭ヶ丘交差点から鶴ヶ島市にかけて3kmほどの杉並木が続く。本場の日光街道杉並木と違い、全区間に歩道が分離していて歩き安く、強い陽射しを除けてくれて助かる。
坂戸宿の先で途切れた旧道は旧日光街道碑あたりで復活するが、越辺川の手前でまた途切れる。越辺川を高坂橋で渡り、高坂宿を通り、都幾川の高坂の渡し跡あたりまで下る。引き返して東松山橋で都幾川を渡り大きく迂回し、国道407号の東側を北上し、松山宿までたどり着いた。迂回路もあり、途中で道を間違えたりもして、暑い中の20km以上の道のりはけっこうな消耗戦だった。
写真をクリックすると拡大します。
高萩宿の家並み 《地図》
右の金毘羅大権現の碑の所が旅籠鶴屋跡、道路の向い側が亀屋跡。
旭ヶ丘交差点の西側一帯
歩道が分離し、日陰歩きなのでありがたい。右の地蔵道標(手前の石柱・天明6年(1786))は、「右 坂戸 左 高萩」で少し手前の河岸街道とのに立っていたもの。東の方から来る人のための道標だったようだ。
高倉天神交差点で左に進む。
左奥の小石祠は平右衛門の徳を追慕して農民達が建てた「川崎大明神」。悪代官が相場だが、中には名代官もいたようだ。玉川上水の『小金井桜』を植えたのも川崎平右衛門だ。『五日市街道①』
才道木庚申塔(宝暦10年(1760))・馬頭観音(安永10年(1781))
日光道道標(文政4年(1827)) 《地図》
ここは脚折才道木(すねおりさいどぎ)交差点で、脚折は日本武尊が東征の際に、馬が脚を折ったという伝承からか?
「脚折雨乞」
樹齢900年以上だが、惜しいかな上部が折れている。
関越自動車道をくぐり坂戸市に入る。東武越生線踏切、東武東上線踏切を渡ると坂戸宿だ。
坂戸神社の北側から坂戸小学校あたりまでの1kmほどが宿場だった。
旅籠角屋跡(左)・延命地蔵尊(右) 《地図》
坂戸宿は日光へ向かう八王子千人同心の1日目の宿泊地だった。高萩宿の数倍の規模だったというが、今はご覧の通りの「シャッター通り商店街」になってしまった。
突当りの坂戸小学校前に日光道の道標が立つ。《地図》
この先で旧道は消滅する。
旧道消滅地点 《地図》
跨線橋で東上線を越え、溝端公園、北坂戸団地沿いを進む。
正面右に旧日光街道碑・雨降山常夜灯・馬頭観音で、裏手の田んぼの水路が旧道の道筋だったようだ。
上吉田の一本杉(正面右奥)あたりで県道に出る。《地図》
越辺川の渡し場の位置は確定できないそうだ。東上線の鉄橋の上流100mの地点ともいう。
東上線のガードをくぐり国道407号に出る。
東上線が鉄橋を渡って行く。越辺川の語源にはアイヌ語に由来するという説もある。
この先で島田橋(越辺川・島田の渡し跡)を渡ってきた「川越・児玉往還」と合流して九十九川を渡る。
橋のたもとの左手に「左 江戸道」・「右 八王子道」の道標(安永3年(1774))があるというが見当たらず。
祠の右に馬頭観音(文政4年(1821))、左に回国供養塔・力石。
高坂神社 《地図》
宿場の面影は薄く、静かな家並みが続く。
川越児玉往還分岐地点(道標が2本立つ) 《地図》
千人同心日光道は塚田屋手前の道標で右に入り、都幾川の高坂の渡しへ通じていた。
左の道標(安永10年(1781))は「右 日光 よしみ いわどの 道」・ 「八王子道」・「左 ちゝぶ ひき いわどの 道」。
右の道標(嘉永?年)は、「右 松山 行田 熊谷 左 小川 八幡山 道」
石橋・石橋供養塔 《地図》
「高坂の渡し跡」には旧国道407号の沈下橋(高坂橋)が平成の初めまで残っていたが、都幾川の流路改良により消滅したそうだ。
引き返して東松山橋を渡る。
東松山橋(都幾川) 《地図》
国道407号の東側の道を北上する。《地図》
野本将軍塚古墳(右前方)
無量寿寺 《地図》
銅像誕生釈迦仏立像は県指定彫刻。
野本館跡地で、本堂の北側に土塁跡、堀跡が確認できるそうだ。
野本将軍塚古墳 【ル-ト地図】の15
前方部上から後円部方向。全長115mの前方後円墳。後円部上に利仁神社。
若松町一交差点で国道254号に出る。
神明歩道橋の先で右に旧道に入る。ここは松山宿の入口だ。《地図》
駅前通りとの交差点で今日の打ち止めとし、左折して東松山駅に向かった。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分(2022.06.20)
- 結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)(2020.07.02)
- 結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)(2020.06.29)
- 結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)(2020.06.23)
- 結城街道③(内原駅→稲田駅)(2020.06.19)
コメント