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2012年10月28日 (日)

佐渡奉行街道②

2012年10月13日

群馬総社駅(JR上越線)・・・県道15号・・立石諏訪神社・・・前橋県道踏切(上越線)・・・総社町高井交差点・前橋城冠木門・・・観音寺・・・延命地蔵尊・・・(吉岡町)・・・牛王頭橋(牛王頭川)・大久保宿・・大下二十二夜塔・・・大泉寺・・子育地蔵尊・・・三津屋古墳・・・八坂神社・・・駒寄交差点・・道標・・・町民グランド・・・長坂踏切(上越線)・長坂・・・川久保橋(吉岡川)・(渋川市)・・・川久保踏切(上越線)・・・剣城址・・・八木原の道しるべ・・・柳橋(滝沢川)・・・長原寺・・・八木原宿高札場跡・・清泰寺・・八木原諏訪神社・・・渋川道標・・・牛王川・・・第一堰上踏切(上越線)・・(関越自動車道)・・・更生橋(茂沢川)・・・延命寺・・・早尾神社・・・(上越線)・・渋川駅・・・庚申橋(平沢川)・・・県道33号・渋川宿・・新町五差路交差点・・四ツ角交差点・・・秋葉神社・へそ地蔵・へそ石・・・堀口家住宅・・三国街道合流地点・・・大橋(平沢川)・・渋川女子高・・・八坂神社・・・渋川駅(JR上越線)

 昨日は総社宿まで歩いたので今日は楽だ。天気もいいし絶好の街道歩き日和だ。のんびりと渋川宿の三国街道との合流地点を目指そう。

  【ル-ト地図】(12.1km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3892 立石諏訪神社 

「浅間焼け供養地蔵」を探したが見つからず。
獅子舞

Img_3891 説明板

Img_3899 総社町高井交差点

ここを右折して北上する。角に前橋城冠木門の旧家。

Img_3897 前橋城冠木門 【ル-ト地図】の①

なぜここに移築されたのだろうか?

Img_3902 観音寺

平成22年12月に焼失して再建工事中だ。見ると目がつぶれるという秘仏の馬頭観音の目から火でも出たのか。明治23年にも火災で焼けたそうだ。

Img_3901 説明板

Img_3900 説明板(佐渡奉行街道)

Img_3903 旧家

Img_3908 延命地蔵と地蔵横丁

Img_3906 説明板

Img_3913 牛王頭橋手前の石造物群 《地図

牛王頭橋(牛王頭川)を渡って大久保宿に入る。

Img_3915 大久保宿の長宿

上・下・下町があり、大泉寺より北が寺上、南が寺下で約2kmもの長い宿。

Img_3916 説明板

Img_3919 大下二十二夜塔

女人講中の建てた子を抱いた如意輪観音

Img_3923 中町の家並み

Img_3925 大泉寺 《地図

芭蕉の句碑「鐘塚の碑」がある。

Img_3929 大久保宿は南北両隣の宿(総社と八木原)に近い上に、三国街道に旅人を奪われるなどで貧しい宿場だったが、養蚕に力を入れるようになってから豊かな農家が増え、「二階で百姓をする」と言われるほどになった。

Img_3932 長屋門

Img_3936 旧家

長屋門の家

Img_3937 上町の家並み

Img_3940 双体道祖神・二十一夜念仏供養塔

Img_3945 子育地蔵(元禄15年(1702))

足元に子どもがいる。この畑地は上の問屋跡。

Img_3946 説明板

Img_3958 三津屋古墳(復元整備) 【ル-ト地図】の②

7世紀中頃から8世紀初頭にかけての畿内の天皇陵などに見られる、全国でも珍しい正八角形墳。
墳丘対角線間は約23.8mで二段築成。
7世紀後半の築造で、設計には唐尺(1尺は約30cm)が使われたと推定される。(石室内に置いてある吉岡町教員委員会のパンフより)

Img_3953 横穴式石室

Img_3954 石室内

盗掘、破壊を受けている。自然石の乱積だったと推定されている。

Img_3961 八坂神社

小祠のみ。

Img_3966 道標(寛政12年(1800)) 《地図

伊香保道(左へ)との分岐点、「右ゑちご しぶかわ」で右へ進む。

Img_3968 説明板

町民グランドの先の二股を右に進む。

Img_3971 長坂踏切を渡って、緩やかに長坂を下って行く。《地図

Img_3975 田畑の間の道を直進する。

Img_3978 東に赤城山

Img_3979 西は榛名山方向?

川久保橋(吉岡川)を渡り渋川市に入る。川久保踏切(上越線)あたりには多くの鉄道ファンがカメラを構えていた。

Img_3987 剣城跡あたり 《地図

このあたりは昔は深い森で、剣城の森といった。鎌倉時代には比企藤太郎が築城した剣城の跡という。今は往時の面影も遺構もなく、剣城団地にその名を記すのみか。

Img_3990 八木原の道しるべ 【ル-ト地図】の③

Img_3991 説明板

Img_3992 「左江戸江三十里」・「右高崎江四里」

遠方の善光寺・伊勢太神宮・京都・大坂・讃州金毘羅(神社)までの距離も刻まれている。

Img_3994 振り返って見る。

左が江戸で歩いて来た道、右が高崎に向かう道。

Img_4003 八木原宿高札場跡 《地図

「八木原に過ぎたるものに高札場・・・」といわれ有名だった。
左に戦前まで生活用水として使われていた石積みの水路跡が残る。
高札場の向いに問屋、その西隣に郷倉があったようだ。
また、この通りは「乗切馬場」と呼ばれ、毎年1月10日の金毘羅さんの祭日に草競馬が行われていたそうだ。

Img_4007 説明板

Img_4015 八木原諏訪神社

Img_4016 説明板(鳥居)

Img_4017 説明板(太々神楽

Img_4019 道標 【ル-ト地図】の④

Img_4020 どっちへ行っても「渋川」だが左へ行く。

後ろに倒れているのは古い道標か?

Img_4022 牛王川を渡ると関越自動車道に突き当たり、街道は途切れる。《地図

自動車道沿いを進み上越線の踏切を渡る。

Img_4026 ここにも鉄道マニアがぎっしりいる。

この列車がお目当てなのか見当もつかない。興味がないというのはそんなものだろう。

Img_4030 上越線沿いを進んで、街道復活地点に出る。

Img_4036 直進、北上する。《地図

車も通らず気分がいい道だ。正面は何山だろう?

Img_4047 延命寺 《地図

「文安の薬師」を探すのに苦労した。

Img_4052 文安の薬師

Img_4051 説明板

Img_4055 薬師如来(中央)と左右に浮彫りの地蔵

Img_4056 風情があるくねった細い道に入る。

それでも車は通る。正面奥が早尾神社で、「渋川」の道標を右に行った道と合流する。

Img_4060 早尾神社 《地図

大ケヤキがそびえる。

Img_4062 説明板

Img_4061 大ケヤキ

樹齢約600年の二代目の神木。社殿よりも太そうだ。
平成8年、幹の空洞化が進み危険なため、主幹9mで切って、幹を治療したところ樹勢を持ち直したそうだ。

Img_4066 渋川駅前通り

Img_4067 庚申橋を渡る。《地図

右は庚申塔ではなく地蔵の小祠。

県道33号へ出て左折し、新町五差路交差点、四ツ角交差点へと進む。

Img_4075 へそ地蔵・へそ石 《地図

北緯36度29分・東経139度0分で日本の中心だそうだ。

Img_4076 説明板

Img_4080 渋川宿の町並み

宿は下ノ町、中ノ町、上ノ町、裏宿と西へ続き、本陣、脇本陣は設置されなかったが、旅籠が5軒、家数300~400軒と比較的大きな宿場町だった。
この先の下ノ町、中ノ町の境の四ツ角交差点あたりが宿の中心で賑わった。

Img_4083 荒物店

Img_4082 説明板

Img_4096 第一生命ビル

Img_4091 旧家 《地図

烏川で処刑される4日前までの120日の小栗上野介の日記があるそうだ。

Img_4090 説明板

Img_4099 堀口家住宅(国登録有形文化財)

ここは上ノ町

Img_4100 三国街道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

そば屋の所で左から来る三国街道と合流する。
この先、佐渡奉行一行は越後から佐渡へ向かうのだが、拙者はここで御役御免となって江戸へ帰された。

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2012年10月21日 (日)

佐渡奉行街道①

2012年10月12日

新町駅(JR高崎線)・・・中山道分岐地点(新町郵便局交差点)・県道40号・・・諏訪神社①・・岩倉橋(烏川)・・・旧道・・角淵八幡宮・・・県道40号・・・錦野橋(境川)・・・観照寺・・・下新田交差点・日光例幣使街道合流地点・玉村宿・国道354号・・・大橋(滝川)・日光例幣使街道分岐地点・・滝川土手・・道路改修工事で行止り迂回・・・上滝橋(滝川)・・・諏訪神社②・利根川自転車道・利根川土手・(北関東道・横手大橋)・・善勝寺・・宝篋印塔(西横手町公民館)・・・諏訪神社③・・・利根川自転車道・・・萩原の道しるべ・・・(昭和大橋)・公田の渡し跡・・・徳蔵寺・・・萩原の大笠松・・・黒姫稲荷神社・・・道標・・・福徳寺・・八幡神社・・・道標・県道13号・・・地蔵・・・真正(実政)の渡し跡・・・小相木町交差点・・・大徳寺・・富士浅間宮・県道13号・・・菅原神社・・・(両毛線)・・・(国道17号)・・・石倉橋(滝川放水路)・・・石倉城二の丸公園・・・王山公園・・・大渡しの渡し跡・・・利根川河川敷・・・総社城南木戸跡・・野馬塚神明宮・・野馬の不動尊・・大渡橋西詰交差点・県道6号・・・総社宿問屋場跡・本陣跡(総社町交差点)・・蛇穴山古墳・五千石用水・・宝塔山古墳・光厳寺・・総社神明宮・・大手橋(五千石用水)・総社城址・・熊谷稲荷神社・・・元景寺・・・立石橋(天狗岩用水・群馬県水力発電発祥の地)・総社城西木戸跡・・・総社愛宕山古墳・・・総社二子山古墳・・・群馬総社駅(JR上越線)

  【ル-ト地図】(29.8km)

 中山道を本庄宿か、その先の新町宿で分かれて烏川を渡り、日光例幣使街道と合流して玉村宿を西進し、利根川沿いに北上して、総社宿、大久保宿、八木原宿を経て、渋川宿で三国街道と合流する佐渡奉行街道を行く。
 もとは三国街道の古道で、高崎から渋川への道が整備され本道となってからも佐渡奉行はこの道筋を利用したので、佐渡奉行街道と呼ばれる。佐渡へ流人を運ぶ唐丸籠もこの道を通った。

 中山道からの主な分岐点の3か所のうち、新町宿からの道筋を三国街道と合流する渋川宿までたどる。今日は北風の強い日だったが、「赤城おろし」の上州空っ風にはほど遠い、なま暖かな風だった。もう気温も25度には届かず歩き安く、久しぶりに30kmほど歩いた。

 *参考:『群馬県歴史の道調査報告書 第7集』(群馬県教育委員会)

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Img_3596 中山道との分岐地点(新町郵便局交差点) 【ル-ト地図】の①

ここは中山道新町宿で直進は高崎方向、佐渡奉行街道は右折し北へ、烏川へと向かう。

Img_3597 烏川の手前で右に旧道に入る。

Img_3598 諏訪神社① 《地図

Img_3599 説明板(東音頭)

新町ふるさと祭り神流川合戦

Img_3601 岩倉橋を渡る。

街道は下流約250mの地点を渡し船で渡っていた。対岸の角淵には河岸町の名が残る。
橋の名は岩倉具視に由来する。

橋のたもとにある上武大学の学生が土手を走っていた。今月20日が箱根駅伝の予選会だ。(予選会5位で正月の本大会出場を果たした)

Img_3603 説明板

Img_3606 烏川(上流方向)

Img_3608 土手から下って旧道に入る。

Img_3615 角淵(つのぶち)八幡宮 《地図

玉村八幡宮のもとの所在地。源頼朝の勧請という。

Img_3612 説明板

Img_3624軍配山古墳 《地図

直径40mの円墳で、天正10年(1582)、厩橋城主滝川一益と小田原主北条氏直の神流川の戦いの際に、一益が墳丘上で軍配で指揮を取ったことからの名という。ちょっと離れているのでここから遠望のみ。
上毛野国(かみつけぬの国・群馬県)は古墳の宝庫だ、今日はこの後、5つの古墳を巡った。

Img_3629 観照寺 《地図

Img_3628 説明板

Img_3631 板碑

死者の冥福、死後の安穏祈願の緑泥片岩製の板碑。中央の弘長2年(1262)の板碑は、整形板碑では群馬県で最も古いものの一つで、高さ128cm、幅40cm、厚さ5cm。右は弘安7年(1284)のもので、高さ85cm、幅36cm、厚さ4cm。左は文和2年(1353)のもので、高さ97.5cm、幅34cm、厚さ3cm。

Img_3635 日光例幣使街道合流地点(下新田交差点) 【ル-ト地図】の②

左折して、日光例幣使街道を歩いた時とは逆方向(西方向)に進む。

Img_3641 玉村宿の通り

右は角淵八幡宮が遷宮した玉村八幡宮。玉村宿は日光例幣使街道①に記載。

Img_3643 日光例幣使街道分岐地点 【ル-ト地図】の③

大橋(滝川)の手前で右折し土手沿いを行くのだが。

Img_3645 滝川土手を行くが  《地図》(道の標示はない)

刈った草が深く、北風も強く歩きにくい。今は道としては使われていないようだ。この次の橋から先は工事中で両岸とも遮断されている。左に迂回して関越自動車道をくぐった道を行こうとしたが、自動車道手前も深く掘り下げられて通行不能。仕方なく右から北へ大きく迂回するハメとなる。佐渡奉行が通る時なら、この不始末は手討ちものだぞ。

Img_3654 上滝橋でやっと本来の街道筋に戻る。 《地図

Img_3657 宿横手の家並み

Img_3659 諏訪神社② 《地図

ここで利根川の堤防上に上がる。今は利根川自転車道として整備されている。ここから対岸の横手に渡る渡船場がカスリン台風の時まであったそうだ。

Img_3663 利根川自転車道

川からの吹きさらしの風が強いだろうと覚悟していたが、土手と樹木に防がれて風は弱く、平日で自転車も少なく歩きやすい。

Img_3667 明徳の宝篋印塔(西横手町公民館) 《地図

もとは西横手町の西福寺(廃寺)にあったもの。

Img_3666 説明板

Img_3668 諏訪神社③

Img_3676 萩原の道しるべ(坂東大橋から16.0km地点の自転車道)

右の自然石に「之よりひだり江戸みち 之より右ち〃ぶみち」、左は大正4年の「御即位記念」の碑。

Img_3683 公田の渡し(萩原の渡し)跡(上は昭和大橋)

昭和47年まで続いた重要な交通手段だった。

Img_3689萩原の大笠松 《地図

ここは八木家の庭内。樹齢は400年以上、高さ約7メートル、枝張り約20メートル。

Img_3695 黒姫稲荷神社 《地図

Img_3698 双体道祖神(文化12年(1815)・稲荷神社の敷地内の下新田公民館前)

仲の良い男女という感じの俗っぽい神さんだ。

Img_3699 下新田の家並み

Img_3700 旧家

Img_3702 道標(大正7年)

「前橋市 新高尾村 玉村町」などの文字が読める。

Img_3708 八幡神社 《地図

「佐渡奉行街道碑」が立つ。

Img_3711 県道13号に合流する。

道標(大正6年) 「右 小相木 経 前橋市 左 下新田 経 玉村町」

Img_3715 道標

「前東村役場 ヨリ 新高尾村」

Img_3717地蔵さんと石灯籠がぽつんと。

朝日が丘歩道橋の手前

Img_3720 真正(実政)の渡し跡道標(右)

Img_3729 真正(実政)の渡し跡 【ル-ト地図】の④

対岸には元和2年(1616)に真正(実政)関所が置かれた。渡しは明治3年に船橋ができて廃止された。今では南部大橋が架かる。このあたりは浅瀬で流れは早いが徒歩でも渡れそうだ。

Img_3731 大徳寺総門 《地図

Img_3732 説明板

Img_3745 菅原神社 《地図

「旧佐渡奉行街道碑」(67代総理大臣福田赳夫書)

Img_3743 佐渡奉行街道略図

ここは「石倉」

Img_3747 由来

Img_3754 石倉城二の丸公園 《地図

奥に「石倉城址碑」と外郭図があるのみで遺構は残らず。手前の西側に外堀公園がある。

Img_3757王山古墳公園

墳丘は川原石の「積石塚」

Img_3760 積石の様子(復元)

Img_3758 説明板

Img_3764 大渡しの渡し場跡あたり 《地図

対岸には元和元年(1615)大渡関所が置かれた。

Img_3776 総社城南木戸跡 【ル-ト地図】の⑤

総社宿は慶長6年(1601)に秋元越中守長朝が着任以来、総社城の築城事業の一環として形成されてきた。慶長9年の町づくりの時には、元総社から多くの人々を移住させたという記録があるそうだ。
宿場は城下町としての機能も持ち、街道は3か所で直角に折れ曲がり、宿の南と西(北)には木戸が設けられていた。このすぐ先の大渡橋西詰交差点が1か所目の左折地点。

Img_3775 説明板

Img_3784 野馬塚神明宮

野馬塚地区の鎮守として南木戸の外に建立された。

Img_3783 道祖神(安永3年(1774))

神明宮前だが、隣の家の方が絵になるか。

Img_3785 双体道祖神(享保6年(1721))・庚申塔(宝永?年)

神明宮前

Img_3779 野馬の不動尊 《地図

Img_3780 説明板

Img_3786 総社宿問屋場跡・本陣跡 《地図

総社町交差点の手前左側と、交差点を渡った北西角だが両者とも遺構は残っていない。ここが2か所目の右折地点。
本陣と問屋を備えた宿は玉村宿とこの宿で、大久保宿と八木原宿は荷物輸送の問屋だけだったようだ。

Img_3791 本陣跡

中古車販売店になっていてこの標柱のみ。

Img_3795 蛇穴山古墳

一辺約40mの方墳。

Img_3800 説明板

Img_3801 墳丘図

Img_3799 横穴式石室

常時開口していて石室内に入れる。

Img_3804 横穴式石室内

みごとな石材加工技術だ。

Img_3810 宝塔山古墳

一辺約55mの3段築成の方墳。
墳丘上には秋元氏歴代の墓がある。

Img_3814 説明板

Img_3811 墳丘図

Img_3815 横穴式石室

Img_3817 石室内

全長12mもある。奥に家形石棺が見える。

Img_3820 家形石棺

Img_3813 秋元氏墓地

Img_3812 説明板

Img_3827 光厳寺薬医門

Img_3826 説明板

Img_3828 光厳寺

秋元長朝が開基の秋元氏の菩提寺。

Img_3829 長屋門

Img_3832 説明板

Img_3835 総社宿の旧家

Img_3844 総社神明宮

ここは総社城の大手門の西の地で、総社の総鎮守。鳥居前に総社町道路元標が立つ。

Img_3841 12本の丸柱の遥拝殿

Img_3840 説明板

Img_3846 大手橋から五千石用水

総社城の外堀の名残りで、城内の内堀の用水、宿場の防火用水、水田の用水ともなった。「大手橋」というには名前負けしている橋で写真は撮らず。

Img_3796 説明板

Img_3847 総社城跡 《地図

遠見山古墳(正面奥)に物見の櫓台があったという。北方の城川公園に説明板があるようだ。

Img_3852 熊谷稲荷神社 《地図

宝永6年(1709)の総社騒動(安藤出雲守暴政訴訟事件)の際に農民達が江戸へ直訴に向かう途中、熊谷(埼玉県の中山道沿いか)の稲荷神社で落ち合い加護を祈った。そして首尾よく勝訴となり、この地へ熊谷稲荷神社として勧請したという。

Img_3850 説明板

Img_3854 旧家

Img_3855 元景寺 《地図

天狗岩用水の由来の「天狗」を祀る「羽階権現」の祠があるようだ。

参道手前の交差点が3か所目の左折地点となる。

Img_3864 総社城西木戸跡 《地図

Img_3859 説明板

Img_3862天狗岩用水

秋元長朝が領内の水田開発のために開削した用水路。難工事を山伏姿の天狗が手伝ったとか。
光厳寺境内には秋元長朝の徳を讃えて農民達が建てた『力田遺愛碑』がある。

ここは群馬県水力発電発祥の地でもある。

Img_3857 説明板

Img_3865 総社愛宕山古墳

一辺56mの2段築成の方墳

Img_3867 説明板

Img_3869 横穴式石室

奥に家形石棺がある。

Img_3887 総社二子山古墳

全長約90mの2段築成の前方後円墳。石室は2か所ある。

Img_3885 説明板

Img_3882 後円部の横穴式石室

前方部の石室は崩落していてフェンスが張ってあり入れない。

Img_3889 諏訪神社の手前で右折し、群馬総社駅に向かった。もう5時近くで薄暗くなってきた。今日はよく歩けて満足した。

Img_3890 群馬総社駅(JR上越線)

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2012年10月18日 (木)

多古街道②

2012年10月9日

芝山千代田駅(芝山鉄道)・・・多古街道復活地点(千代田交差点)・県道106号・・・御山神社・・・春日神社・・・旧道・・・県道106号・二太郎塚跡?・・・旧道・・・牛頭天王碑・・・阿弥陀堂・・・普賢院・・・高谷川・・・国道296号・・・(多古町)・・・三社神社・・・多古橋川・・・染井交差点・(一里塚跡あたり)・・旧道・・・三輪神社・・・までいどの三差路・・・法福寺跡・県道74号・・・八坂神社・・・多古陣屋跡(多古第一小学校)・・・多古町役場前(バス)→成田空港第二ターミナル

  【ル-ト地図】(12.1km)

 今日のコースは昔ながらの旧道も残り、まあ歩きがいがあった。だがIMF総会の開催で成田空港周辺は警備が厳しく、駅、電車の中には警官がいるし、多古町からの帰りのシャトルバスでは、空港エリアに入る所に検問所があり、バスに警官が乗り込んで来てチェックを受けた。無粋な始末にいい気分の街道歩きの余韻も半減した。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3470 多古街道復活地点(千代田交差点) 【ル-ト地図】の①

街道は成田空港(正面)を横切って、ここへ通じていた。

Img_3476 カーブしながら緩やかに上って行く県道106号。

Img_3477 春日神社 《地図

住母家・白枡・加茂・坂志岡・稲葉・千代田の旧六ヵ村の鎮守。

Img_3480 春日神社の先で右に旧道に入る。白枡地区ではこの道を「江戸街道」といい、加茂地区ではこれから通る道を「江戸街道」といっているそうだ。
民謡にも歌われた美人の娘いる茶屋、「白枡粉屋」跡へと続く道でもあるが、美人娘も粉屋も今は遠い昔の話よ。

Img_3482 行き止まりになってしまう。

Img_3486 少し先の道を進んでみる。

Img_3484 林の間の道となり県道からは離れて行ってしまうようで引き返す。

Img_3487 二太郎塚跡あたり? 《地図

字名に「二太郎塚」が残り、多古町の染井の一里塚から二里目の塚があった所ともいう。この次が成田の三里塚だろう。

Img_3491 やっとコスモスの似合う季節になってきた。

Img_3495 この先で左に旧道に入る。

田辺野入口バス停の所なのだが、バス路線は廃止されたようで、倒れたバス停に気づかずかなり進んでしまって引き返し、もっと前まで戻ってしまった。そば工房「篠」は健在だ。

Img_3498 これが加茂地区でいう「江戸街道」の道筋。《地図

右の小高い塚に牛頭天王碑が立つ。

Img_3503 切通しの気分のいい坂を下って行く。

Img_3504 阿弥陀堂 【ル-ト地図】の②

Img_3507 小さな阿弥陀さんもちゃんといらっしゃる。

Img_3508 このあたりから加茂宿なのだが、今は民家はない。そば屋があったというが。県道沿いにあったそば屋はここから移ったのかも? 勝手な想像で根拠なし。

Img_3511 旧家

Img_3516 普賢院 《地図

ちょと寂れた感じの参道、境内だった。

Img_3518 樹齢300年以上という大槇(普賢院境内)

加茂宿を抜けると旧道は国道を横切り、山道を上って行くのだが、今はゴルフ場内の道となる。事前の下調べでは通れないので国道を上って行く。国境の峠を越えるような感じだ。

Img_3528坂上で芝山町から多古町へ入る。《地図

「千葉県歴史の道調査報告書」では上総国と下総国の境という。成田市は下総、芝山町は上総、多古町は下総ということか。

Img_3531 三社神社前に出る旧道に入る。《地図

Img_3532 三社神社 【ル-ト地図】の③

慶長6年(1601)の勧請といい、天照大神・熊野大神・八王子大神が祭神。

Img_3534 旧道っぽい道が続いているが国道からは離れて行くようなので国道に出る。

Img_3539 国道をどんどん下って行く。

Img_3543 染井交差点

一里塚があったのはもう少し北側か?

すぐ先で左に旧道に入る。

Img_3544 旧道へ左折する。 《地図

民家の間を抜け、旧家の長屋門の突当りを右折すると上りとなる。

Img_3549 長屋門

Img_3552 ちょとした急坂となる。

Img_3554 三輪神社参道 【ル-ト地図】の④

Img_3555 社殿

染井地区の鎮守。開放されていて気持ちがいい。

Img_3557 みかんの成る道を下る。 《地図

Img_3559 明るい畑中の道となる。

Img_3561 までいどの三差路 【ル-ト地図】の⑤

分岐に道標などが立つ。ここを右折して坂を下って行く。

Img_3563 道標(明治21年)

「東多古八日市場てうし」・「西三里塚佐くら東京」・「北十余さくら田佐八ら」、西は今歩いて来た道、北は佐原への道で、道標に従い東の多古、銚子への道へと進む。

Img_3566 振り返って見る。

左が三里塚、佐倉へ、右が佐原への道。

Img_3567 坂を下る。

国道に出ると多古町の中心部だ。

Img_3572 法福寺跡の石灯籠と池 《地図

Img_3574 多古宿

多古(久松松平家)藩1万2千石の城下町で、多古第一小学校が陣屋跡で、その南方が中世の千葉氏の多古城跡。嘉永7年(1854)には旅籠が9軒の記録があるが問屋場どこにあったかなどは不明という。

Img_3576 家並み

Img_3578 八坂神社 《地図

Img_3580しいかご舞」説明板

Img_3584 旧家

Img_3586 郵便局のマーク(〒)がついている。門も立派だ。

前の郵便局で、もとは問屋場、本陣格の家だったのか?

Img_3592 多古陣屋跡(多古第一小学校) 《地図

敷地内に石垣の一部が残る。その南方が中世の千葉宗家の最後の砦の多古城跡のようだ。『千葉家騒動』(多古町史話) 案内板、説明板などはない(と思う)。多古町は歴史に無関心、無頓着のようだ。

多古町役場前バス停からシャトルバスで、成田空港に向かった。

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2012年10月16日 (火)

多古街道①

2012年10月5日

京成酒々井駅(京成本線)・・・成田街道(県道137号)・・・麻賀多神社①・・・多古街道分岐地点(酒々井町役場入口交差点)・・・朝日神社・・・朝日橋(国道51号)・・・東光寺・・・麻賀多神社②・下台T字路・国道296号・・・墨交差点・・・酒々井総合公園・墨小盛田古墳・・・百番拝礼供養塔道標・・東酒々井入口交差点・・・(富里市)・・・事教院・・・大溜側道橋(東関東自動車道)・・・七栄交差点・・・七栄東交差点・県道106号・・・ラディソンホテル・・根木名交差点・・・道標・三里塚消防署前交差点・・・三里塚第一公園・・・三里塚交差点・・浅間神社・・道標・・・多古街道消滅地点(成田空港)

  【ル-ト地図】(13.9km)

 多古街道は成田街道の佐倉の先の酒々井から東へ、佐倉七牧の内野牧、取香牧(成田空港)を通り多古宿に達し、多古からは北へ佐原へ向かう道と、東へ八日市場を経て銚子へ向かう道の総称という。
 佐倉への道は多古藩主の参勤交代などの公用の道でもあり「江戸街道」とも呼ばれ、佐原への道も江戸へ多古米などの物資運搬の道として整えられた。
 まずは酒々井から東に「江戸街道」を多古に向う。あまり面白味のある道でもなく、成田空港に行く手を阻まれることにはなるが。

  *参考:『千葉県歴史の道調査報告書 多古街道』

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3381 多古街道分岐地点(酒々井町役場入口交差点) 【ル-ト地図】の①

直進が成田街道の佐倉方向、多古街道は左折して行く。

Img_3387 朝日神社 《地図

酒々井横町の鎮守。

Img_3392 旧家

Img_3393 東光寺

康元2年(1257)の開基という佐倉五寺の一つ。

Img_3396 大日如来供養塔

Img_3394 説明板

「酒々井の庚申塔」は見つからず。

Img_3397 麻賀多神社② 【ル-ト地図】の②

Img_3401 酒々井総合公園

Img_3407 墨小盛田古墳(復元整備) 【ル-ト地図】の③

酒々井総合公園内

Img_3404 説明板

Img_3409 百番拝礼供養塔道標(安政3年(1856)) 【ル-ト地図】の④

Img_3413 「此方 尾上 芝山  西 酒々井 佐倉  此方 加茂 多古道」か。

Img_3415 富里市に入る。

Img_3426 野馬土手

放牧馬が耕地に入らないように作られた土手。
このあたりは大溜袋(おおためぶくろ)という地名で、「溜袋」とは野馬を追い込む場所。

Img_3434 七栄交差点あたり 《地図

昔は佐倉七牧の内野牧の、今は富里市の中心部で賑やかだ。それにしても飲食店が多い。
「七栄」という地名は、明治になり下級武士らの窮民対策として、下総の牧を開墾して農業に従事させる方針が取られ、その開拓地の七番目(富・和・咲・豊季・実・栄)ということで名づけられたという。しかし東京からの移住者は不慣れな労働と、厳しい自然との戦いに挫折する者が多く、夜な夜な「自ら退散すること鳴子をもって雀を追う如し」の有様だったという。

七栄東交差点で左折し県道106号に入る。

Img_3440 歩道もしっかりついていて、緑の多い歩き安い道だ。《地図

この先の根木名交差点で県道から離れ根木名小学校の方へ直進するのが旧道だが、うっかりして県道を進んでしまった。

Img_3451 道標(右の県道43号との分岐点) 【ル-ト地図】の⑤

「右 根木名 七栄 道」で今来た道のことだが・・・。

Img_3449 「左 ?? 」

県道43号方向の地名だろうが、読めそうで読めない。

三里塚交差点を渡り直進する。

Img_3468道標(左)

ここは浅間神社の敷地内か? この先の左手奥に地名の由来となった三里塚跡があるようだ。「多古町の日本寺から三里」、「佐倉城から三里」、「芝山仁王尊から三里」ほか諸説あり。

Img_3466 「九十九里」?

Img_3461 成田空港に突き当たる。

離陸した飛行機は何処へ。

Img_3464 多古街道消滅地点 《地図

街道は空港の真ん中を突っ切っていた。今は南側に大きく迂回せねばならない。千代田交差点から多古街道は復活する。

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2012年10月14日 (日)

川越・児玉往還⑤

2012年10月1日

児玉駅(JR八高線)・・鎌倉街道上道・・・龍體稲荷神社・国道254号・・・玉蓮寺・・・東石清水八幡神社・・・玉蔵寺・・・雉岡城跡・・・国道254号・・・大名小路・・・(八高線)・・長福寺・・・北続ケ橋・馬頭観音・・旧道・・・雀の宮橋(女堀川)・・・(神川町)・・・熊野神社・・・(県道22号)・・・道標・腰掛石跡・一本松跡・・・安保氏館跡・・・阿保神社・・・神流川土手・・・国道254号・藤武橋・・(群馬県藤岡市)・・・県道23号・・寿楽寺・・・沢田橋(笹川)・・・藤岡街道踏切(JR八高線)・・霊符殿古墳・・天龍寺・・・一丁目交差点・・・四丁目交差点・里程標・藤岡町道路元標・・・群馬藤岡駅(JR八高線)

  【ル-ト地図】(13.8km)

 台風一過の蒸し暑い日、児玉宿を抜け、八日市地区・元阿保地区を通り神流川の土手に出て、藤武橋を渡り川越・児玉往還の終着点の上州藤岡に着いた。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3223 玉蓮寺

武蔵七党の児玉党の領主児玉六郎時国の開基で、境内は時国の館跡。
日蓮足洗井戸を探したが見つからず。

Img_3224 説明板

Img_3232 東石清水八幡神社随身門

宝暦6年(1756)建立。

Img_3233 説明板

Img_3228社殿・青銅製の明神形鳥居。

Img_3229 説明板

Img_3227二見が浦」の夫婦岩もあるよ。

Img_3236 高札場

もとは本町と連雀町との境いの道路にあったものを昭和5年に八幡神社前へ移設。屋根は銅板葺きの切妻形式で、高さは3メートルで材質は杉材。

Img_3241 玉蔵寺

Img_3240 説明板

Img_3245 児玉宿の家並み

宿継ぎ業務は児玉と八幡山が月交替で行っていた。

Img_3247 雉岡城跡 【ル-ト地図】の①

城跡の一画に塙保己一記念館がある。

Img_3251 説明板

Img_3254 夜泣き石(民話)

二の郭前の空堀の中。

Img_3252 民話

Img_3259 大名小路 《地図

雉岡城跡へ通じる道。

Img_3263 北続ケ橋を渡って長浜町北交差点手前の美容院の前を左折して旧道に入る。

Img_3265 馬頭観音

橋のたもと。上部が欠けている。

Img_3266 砂利道の旧道 《地図

Img_3267 雑草に覆われた道となり、ちょっと不安になる。

Img_3268 雀の宮橋(女堀川) 【ル-ト地図】の②

橋が見えてほっとする。すぐ先で農免道路をくぐる。

Img_3270 なんとか道がついているが途切れてしまう。

Img_3272_2 左折して八高線沿いに進む。

陽射しをさえぎるものがなく暑い。かなり進んでから右に線路から離れて行く。

Img_3278 熊野神社への道となる。《地図

正面両側の家は「お熊ん前の店屋」といって、かつては飲食を供し、雑貨物を売っていたそうだ。

Img_3279 庚申塔(正面・万延元年(1860))

熊野神社前の辻

Img_3280 熊野神社

Img_3281 説明板

Img_3284 国道254号左側の未舗装の道を行く。

Img_3287 右角に道標らしき石柱があるが磨滅していて読めない。

Img_3306 元阿保公会堂の前で左に旧道に入る。《地図

Img_3307 「ひな市」は今も行われているのだろうか?

Img_3308 変則交差点の一画に道標・腰掛石跡・一本松跡 【ル-ト地図】の③

安保城(館)の門前に植えられたいたという松も、根元にあって旅人が休憩したという腰掛石も今はないがベンチがあって、道標が残っている。

Img_3309 道標(明治45年)

「右児玉町至壱里強」・「右 藤岡 左 本庄」 

Img_3311 旧家の前を右折して行く。

Img_3324 昔風情が残る一画だ。

Img_3328 安保氏館跡 【ル-ト地図】の④

Img_3303 説明板

Img_3330 阿保神社 《地図

安保氏が帰依し、社殿を造営し、神田を寄付したという。かつては「六所大明神」と称していた。

Img_3334神流川の土手に突き当たる。かつては四軒在家村の管理下に往還の橋が架けられていたようだ。

Img_3335 神流川土手の道はこの先で突然途切れる。右へ車道に出るしかない。

Img_3342 藤武橋を渡って上野国へ。

上里町(右岸)→神川町(中央)→藤岡市(左岸)のようだ。

Img_3344 下流方向

Img_3347 上流方向

Img_3359霊符殿古墳 【ル-ト地図】の⑤

民家の敷地内のようだが、所有者は天龍寺だった。

Img_3357 墳頂の霊符殿

Img_3361 天龍寺

Img_3365 藤岡の家並み

群馬藤岡駅近くの「西上州やまびこ街道」だが、ここもシャッター通りになっている。

Img_3368 四丁目交差点 《地図

Img_3369 里程標

「東京市 二十五里」とある。

Img_3376 群馬藤岡駅(JR八高線)

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2012年10月 8日 (月)

川越・児玉往還④

2012年9月29日

男衾駅(東武東上線)・・・(県道81号)・・・地光寺・常楽寺・大納言椿・・・荒川土手・赤浜の渡し跡・・・花園橋(荒川)・(深谷市)・・・馬坂・・・荒川の板石塔婆・薬師堂・・・(国道140号(彩甲斐街道))・・・富士塚・・・国道140号(秩父往還)・・・長善寺・・・花園郵便局・旧道・・諏訪神社①・・県道175号・・小前田№1踏切(秩父鉄道)・・・原宿交差点・道標・・・八幡神社・・常光寺・・・(寄居町)・・・道標・・・鎌倉街道踏切(JR八高線)・・・諏訪神社②・・・(美里町)・・・小栗川・・・普門寺・・・横関酒造・・天神橋(天神川)・・(国道254号)・・旧道・・・庚申塔・・・雷電神社・・浅間塚・・・道標・・・駒衣の石造物群・・・志戸川・・・曝井・・・ミカ神社参道・・・国道254号・・・広木の一里塚跡・(本庄市)・・・身馴川橋(小山川)・・・灯ろう坂・・・国道254号・・・龍體稲荷神社・子育地蔵堂・法養寺・・鎌倉街道上道・・・児玉駅(JR八高線)

  【ル-ト地図】(20.9km)

 荒川、小山川を渡り児玉の宿に入った。4日目にしてやっと名のある坂にも出会えた。次回は神流川を渡り上州の藤岡までの最後の道のりだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2993 地光坂を下る。 【ル-ト地図】の①

坂沿いの家並みは「横町」ともいわれるそうだが、左は常楽寺で今は家並みはない。

Img_2997 大納言椿

大久保家の敷地内の正面奥の説明板?の所だろう、多分。
「徳川家光の弟、大納言忠長が甲府から高崎に送られる途中、当家に泊まった。翌朝庭先の椿花の落ちるのを見て明日は我が身かと、ひと粒の涙を流したという」

Img_3000 荒川土手に下って行く。

Img_3001 赤浜の渡し跡あたり

右の花園橋を渡るのだが、かなり迂回しなければならない。

Img_3008 荒川上流方向(花園橋から)

Img_3012 馬坂を上る。 【ル-ト地図】の②

道の両側の石積みは荒川の洪水よけか。

Img_3022 右の民家の裏手あたりに荒川の板石塔婆群がある。

Img_3021 荒川の板石塔婆

長瀞周辺の石材(結晶片岩)を使っているそうだ。隣に小さな薬師堂がある。

Img_3018 説明板

Img_3034 大黒天(文政4年(1821))・庚申塔・三峰小祠

この先で国道140号(彩甲斐街道)を渡る。

Img_3040 富士塚

塚を覆う大木の方が見事だ。

Img_3042 国道140号(秩父往還)に合流する。 《地図

合流地点に倒れた道標がある。

Img_3043 道標だろう。

接地面に「右 ほん志やう ふかや」・「左 よりい 八まん山」とあるそうだが、確認しようがない。

小前田の宿に入る。

Img_3047 長善寺

右の石造物の中に供養塔道標がある。

Img_3046 四国西国供養塔道標(安永5年(1776))

「右 大山 小川 川ごえ ちちぶ 左 くまがや」で、もとは上町の往還沿いにあったもの。

Img_3049 小前田宿の旧家

Img_3052 旧家

Img_3053 旧家

花園郵便局の前で北西に旧道に入る。

Img_3058 諏訪神社① 《地図

Img_3059 説明板

小前田屋台祭

秩父鉄道の踏切を渡って行く。

Img_3065 原宿交差点 《地図

南西角の道標は北東角に移設されていた。

Img_3066 道標・移設碑(平成18年)

「右 川越 大山 小川」・「左 日光 妻沼 深谷 三里」

Img_3070 八幡神社 《地図

参道前に鎌倉街道上道の案内板が立つ。

Img_3075 台風前の晴天だが蒸し暑いことはなはだし。

この先で再び寄居町に入る。

Img_3082 右端の道標(天保8年(1837))には「脇往還川越道用土邑」
隣の大黒天(文化元年(1804))の台座に「右深谷 左八幡山」

Img_3089 鎌倉街道踏切(八高線)を渡る。

用土駅が近い。

Img_3095 諏訪神社② 《地図

Img_3094 説明板

美里町猪俣に入る。武蔵七党の猪俣党の本拠地だった。

Img_3106 普門寺 《地図

杉並木の気分のいい参道。裏山は普門寺古墳群

Img_3110 横関酒造 《地図

「天仁」の蔵元の先で、天神橋を渡り、旧道に入る。

Img_3116 左と正面奥に庚申塔(2基とも寛政12年(1800))

Img_3120 やっぱり旧道はいいね、暑さは変わりないが。 《地図

Img_3122 雷電神社

少し先に草に覆われた浅間塚がある。

Img_3129 ねぎ畑の向うの並木は国道254号

Img_3131 庚申塔・馬頭観音(天保14年(1843))・二十二夜塔

Img_3135 旧大仏村の家並み

Img_3140 正面に道標(明治以降のもの)と六道能化地蔵道標(延享2年(1745))

道標には「→駒衣古郡東児玉村ヲ経テ本庄駅(一二000米」

Img_3141 六道能化地蔵道標

下部に「右 西 八幡山 北 本庄  左 東 江戸 南 十二天 秩父」

Img_3143 旧家の先を直進し未舗装道に入る。

Img_3146 駒衣の石造物群 《地図

庚申塔・馬頭観音・富士登山記念塔など

Img_3150 広木の下宿・中宿の通り

Img_3154 志戸川沿いを南に進み曝井に寄る。

Img_3158 曝井(さらしい) 【ル-ト地図】の③

調布用の織布を洗いさらした井戸跡。

Img_3161 説明板

万葉集に歌われたとする「曝井」は茨城県水戸市にもある。

Img_3160 湧水は昭和45年の河川改修工事で水脈を断たれた。今は溜まり水か。

Img_3162 「三栗」の代わりに彼岸花。

Img_3168 広木の上宿の家並み

Img_3169 みか神社参道石灯籠 《地図

Img_3171 「みか」神社の標石

難しい漢字だ。「みか」とは酒造用の大きな甕(かめ)で、当社に神宝とされていたと思われる土師器の「みか」が4器保存されているそうだ。

Img_3173 みか神社鳥居

酒飲みとしては参拝すべきだが、ここから遥拝でご容赦を。

国道254号に合流して進む。

Img_3182 広木の一里塚跡 【ル-ト地図】の④

榎の切り株が見つからず。

Img_3183 説明板

ここを左折して行くのが往還の道筋で、陣街道とも呼ばれる鎌倉街道上道とも重なっているのだが、今は小山川を対岸へ渡る橋はない。国道を直進して身馴川橋を渡る。

Img_3190 身馴川橋(小山川)

Img_3192 小山川土手を進み右折して、灯ろう坂を上り児玉宿へ。橋が架かっていたのはどのあたりか。

Img_3195 灯ろう坂 【ル-ト地図】の⑤

明治の中頃までは児玉八幡宿を知らせる石灯ろうが1基残っていたという。大正の初めまでは、河原から台地への相当な坂だったそうだ。今は昔の面影は消え失せてしまった。

Img_3197 児玉宿の家並み

Img_3198 龍體稲荷神社 《地図

Img_3204 法養寺鐘楼門

Img_3206 法養寺観音堂

今日はここまでとし、龍體稲荷神社の脇から鎌倉街道上道を通り、児玉駅に向かった。

Img_3210 鎌倉街道上道 《地図

Img_3213 案内図

Img_3215 鎌倉街道

住宅街の通りで、何の風情もない。

Img_3218 旧家

Img_3219 児玉駅

小川町方面行きは出発したばかりで1時間近くの待ち時間だ。高崎回りで新幹線で帰ろうかとも思ったが急ぐ旅でもなし、近くの食堂でビールとそばで一休みして小川町経由で東上線で帰った。

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2012年10月 7日 (日)

川越・児玉往還③

2012年9月26日

武蔵嵐山駅(東武東上線)・・・嵐山三叉路・・東昌寺・・県道296号・・・東上線踏切・・・旧道・・・県道296号・・・志賀の菩薩堂・志賀堂沼・・・(杉山城跡)・・・雨降山石灯籠・・・(小川町)・・・庚申塔・・・(県道11号)・・・普光寺入口・・・旧道・・はりつけ場跡・・・県道296号・・・大黒天塔・・・高橋(新川)・・・奈良梨交差点・・・八和田神社・・・旧道・・・萬福寺・普賢寺・・・馬頭観音・庚申塔・・・県道296号・後谷津川・・・庚申塔・・・高札場跡・・・四津山神社・四津山城跡入口・・・金塚橋(市野川)・・・(寄居町)・一里塚跡・庚申塔・・・今市地蔵堂・・・高蔵寺・・・薬師堂・・・庚申塔・・・旧道・・・男衾小・中学校・・・県道296号・・・吉野川橋(新吉野川)・・・出雲乃伊波比神社・・・小被神社・・・男衾駅(東武東上線)

  【ル-ト地図】(15.6km)

 嵐山町→小川町→寄居町へと進んだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2837 菅谷宿の旧家 《地図

根岸医院

Img_2845 東昌寺

比企西国三十三観音の26番

Img_2851 志賀の菩薩堂(観音堂) 【ル-ト地図】の①

比企西国三十三観音の28番で、本尊は正観世音菩薩。

Img_2856 飽海地蔵?(菩薩堂境内)

左下に「左 鬼鎮道」で、ここへ移設されたものだろう。

Img_2860 志賀宿の家並み

継ぎ場だった面影はない。

Img_2863杉山城跡 《地図

Img_2865 雨降山石灯籠

嵐山町から小川町に入る。

Img_2868 庚申塔2基(万延元年(1860))・元文5年(1740))

ここに「川越道」・「児玉道」の道標があるというが見当たらず。
このあたりは中爪の「宿」というそうだ。

Img_2880 普光寺入口(右に標石)

絹本着色徳川家康画像」を安置するために建てられた寺。

Img_2881 右に旧道入る。

Img_2884 はりつけ場跡 【ル-ト地図】の②

刑場跡という。

Img_2887 コスモス咲けどこの暑さはまだ続くようだ。

Img_2888 大黒天(左・嘉永7年(1854))

ここは下横田地区

Img_2896 庚申塔(享保6年(1721))

Img_2899 奈良梨(ならなし)交差点

Img_2903 八和田神社

Img_2905_2 逆さ杉

Img_2904 説明板

Img_2909 奈良梨の宿の旧道(左)に入る。 《地図

中世には鎌倉街道の重要な拠点の一つで、戦国期には伝馬宿として栄えていた。

Img_2910 萬福寺(右)・普賢寺(正面)

Img_2916 切通しの石垣の道。

Img_2921 馬頭観音(寛政5年(1793))・庚申塔(元文5年(1740))

この先で県道に出て、後谷津川を渡る。

Img_2924 秩父の山並み

Img_2926 庚申塔2基(左上)

能増地区に入る。この先に高札場があったようだ。

Img_2935 四津山神社・四津山(高見)城跡入口

Img_2940 四津山(高見)城跡方向

Img_2941 一里塚跡(右) 【ル-ト地図】の③

小川町と寄居町との境。塚跡の木の下に庚申塔が2基立つ。

Img_2957 今市地蔵堂 【ル-ト地図】の④

今市宿の東端の県道が交差する三角地点で、古くから重要な場所だった。

Img_2950 地蔵

昔、鎌倉へ六体の地蔵像を運ぶ途中、この地でこの一体が動かなくなってしまい、仕方がなくここに安置したとも伝え、「一帯地蔵」ともいう。

Img_2949 説明板

Img_2961 今市の宿通り

昔は偲べずか。左は武蔵野国十三仏霊場の11番の高蔵寺(こうぞうじ)

Img_2964 旧家

Img_2967 庚申塔など

ここが今市宿の西端あたりか。

Img_2969 右に旧道入る。 《地図

Img_2973 男衾小・中学校の裏手を通る道で、「なが(長)山道」と呼ばれる。

「男衾」(おぶすま)の地名は古く、正倉院に伝わる白布(麻布)の墨書銘に『武蔵国男衾郡狩倉郷笠原里飛鳥部虫麻呂調布一端、天平六年十一月』とあるそうだ。

県道に出て新吉野川を渡り、赤浜の宿へと進む。

Img_2977 出雲乃伊波比神社 《地図

Img_2981 小被(おぶすま)神社へ樹木の間の道を行く。

Img_2986 小被神社 【ル-ト地図】の⑤

Img_2985 由緒

Img_2980 赤浜の宿の家並み

この先の交差点を左折し、男衾駅に向かった。

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2012年10月 4日 (木)

川越・児玉往還②

2012年9月24日

高坂駅(東武東上線)・・・千人同心日光道分岐地点・・東松山橋南交差点・・東上線踏切・・旧道・・石橋供養塔道標・・・悪戸の石造物群・・・都幾川土手・・・唐子橋(都幾川)・天神河原の渡し跡・・(関越自動車道)・・旧道・・・馬頭観音・・・県道344号・・・旧道・・県道344号・・・若宮八幡神社・若宮八幡古墳・・・唐子神社・・・県道344号・・・浄空院入口・千部供養塔・・・上唐子北交差点・・・(嵐山町)・・・菅谷宿・・嵐山駅入口交差点・・・武蔵嵐山駅(東武東上線)

 今日も暑く、高坂駅(東松山市)から都幾川を渡り、嵐山町に入った武蔵嵐山駅までのわずかな道のりだった。

  【ル-ト地図】(11.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2753 東松山橋南交差点

現在の千人同心日光道は橋を渡るが、川越・児玉往還は都幾川沿いを進み、東上線の踏切を渡って右に河川敷の旧道に入る。

Img_2757 石橋供養塔道標(右・文政2年(1819)) 【ル-ト地図】の①

「左 ちちぶ 小かわ」・「右 やきゅう」

Img_2763 やっぱり旧道はいいね。暑いのは変わりないが。

ここは都幾川の河川敷だ。

Img_2765 刈入れを終わった田んぼが広がる。

Img_2769 悪戸の石造物群 【ル-ト地図】の②

Img_2770 雨降山石灯籠(安政6年(1859))・九頭龍大神塔・地蔵・馬頭観音など

ここから県道に出て西本宿を通るのが本来の往還の道筋のようだが、都幾川の方へ進む。

Img_2774 都幾川方向への道がついている。

Img_2777 都幾川河川敷の土手を行く。

道が続いているのかちょっと不安だったが、唐子橋の手前で西本宿から来る道と合流してほっとした。

Img_2787 唐子橋から都幾川(下流方向) 【ル-ト地図】の③

橋の上流側が「天神河原の渡し跡」

唐子橋を渡り、関越自動車道をくぐり、天神河原の渡し跡から来る旧道に入る。

Img_2791 旧道 《地図

Img_2795 馬頭観音(文久3年(1863))

右のブロック塀脇。この先で県道344号に出る。北方の国道254号の北側には青鳥城跡があるが、ちょっと離れているのでカット。

高橋モータースの先で左に少し旧道が残っている。

Img_2804 旧道

Img_2806 若宮八幡神社鳥居 

Img_2811 若宮八幡神社 【ル-ト地図】の④

社殿は古墳上にある。

Img_2812 由緒

Img_2816若宮八幡古墳

横穴石室は鍵が掛かっていて入れず。

Img_2813 説明板

Img_2819 唐子神社 【ル-ト地図】の⑤

Img_2820 説明板(下唐子獅子舞

Img_2822 丸木美術館も近いが。《地図

Img_2826 千部供養塔(文化5年(1808))

ここは浄空院への入口。

Img_2833 菅谷宿の家並み

嵐山駅入口交差点を右折し、武蔵嵐山駅に向かった。
嵐山町の「菅谷館跡」・「鬼鎮神社」などは『嵐山町』に、武蔵嵐山駅→鎌倉街道上道→笛吹峠→物見山→岩殿観音→高坂駅は『笛吹峠・物見山・岩殿観音』に記載。

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2012年10月 3日 (水)

川越・児玉往還①

2012年9月20日

川越駅(東武東上線)・・・川越城大手門跡・・・札の辻・・・(菓子屋横丁)・・・六塚稲荷神社・・・高沢橋(新河岸川)・・・本応寺・・・石原町北交差点・・・寺山橋・・・八咫神社・・入間川土手・・・県道256号・平塚橋(入間川)・・・天満宮・・・莿橋(小坂橋・小畔川)・・・馬頭観音・・(坂戸市)・・・東坂戸団地入口交差点・・・大穴橋(大谷川)・・(川越市)・旧道・・県道256号・・・本応寺別院・・(圏央道)・・・(坂戸市)・・・八坂神社・・・大宮住吉神社標石・・・義家塚(塚越神社)・・・谷治川橋(谷治川)・・・石井下宿交差点・・宗福寺・・・須賀神社・・・注連松橋(飯盛川)・・・〆松地蔵・・・石井水処理センター・・・島田橋標識・・・島田橋(越辺川)・島田の渡し跡・・・千人同心日光道合流地点・(国道407号)・坂下橋(九十九川)・・・地蔵・庚申塔祠・・・地蔵祠・・・長松寺・・・高坂宿・・・高坂駅(東武東上線)

 川越・児玉往還は、川越城下から坂戸市、嵐山町、小川町、寄居町、児玉町(本庄市)を経由し、神流川を渡り上州の藤岡へ通じる街道で、中山道のバイパス的機能を果たしていた。途中には鎌倉街道上道と一致する部分もある。
 大名等の大きな行列は中山道を通ったが、将軍の代替わりごとに派遣される巡見使や諸役人などはこの街道を通行した。
 街道の北方では「江戸道」・「川越道」で、南方では「上州道」・「八幡山道」などと記すという。
 継ぎ場(宿)は、石井・塚越(坂戸市)、高坂(東松山市)、菅谷・志賀(嵐山町)、奈良梨(小川町)、今市・赤浜(寄居町)、小前田・原宿(深谷市(旧花園町))、広木(美里町)、児玉・八幡山(本庄市)にあった。
 今日は千人同心日光道との合流地点の高坂の宿まで行く。

  【ル-ト地図】(17.1km)

  参考:『川越・児玉往還』(歴史の道調査報告書・埼玉県教育委員会)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2612 川越城大手門跡 【ル-ト地図】の①

川越城大手門跡碑と太田道灌像が立つ川越市役所前。ここを川越・児玉往還の出発地点とした。
いつもながら川越は車の往来が激しく、おまけに道路工事中でなおさら歩きにくい。そしてこの蒸し暑さには参る。

Img_2615 札の辻交差点

高札場があった所。

Img_2616 菓子屋横丁 《地図

江戸時代には、養寿院の門前町として栄えたところで、明治の初めから菓子を製造し、関東大震災で被害を受けた東京に代わり駄菓子を製造し供給するようになった。最盛期の昭和初め頃には70軒程の店が軒を連ねていたという。

Img_2620 六塚稲荷神社本殿

太田道真が、この地にあった6つの塚を崩した代わりに、6つの稲荷社を建立し、後に5社を廃し1社に合祀したという。

Img_2618 説明板

Img_2621 高沢橋(新河岸川)

明治時代には石造のアーチ橋で、「めがね橋」と呼ばれていたそうだ。

Img_2623 本応寺力神門

川越藩国家老の高田繁文の墓がある。

Img_2624 石原町の旧家

石原町は城下への入口で、明石屋・山形屋など町の半数以上が旅館だったという。

Img_2625 旧家

Img_2626 鋸鍛冶屋

硝子戸に「鋸一式」とある。

石原町北交差点を直進して行く。

Img_2630 ここで左折して、入間川土手下の八咫神社に寄る。

Img_2633 八咫(やた)神社 【ル-ト地図】の②

「まんぐり」・「上寺山の獅子舞」は川越市の無形民俗文化財。

Img_2634 説明板

Img_2638 入間川の土手を進んで、平塚橋を渡る。

Img_2645 入間川

現在の平塚橋の下流100mほどの所の旧橋があったそうだ。冠水橋で大雨の時などは取り外したという。

Img_2648 天満宮

入間川を渡った旧道はこの神社前に通じていた。

Img_2656 莿橋(とげばし)(小坂橋・小畔川) 《地図

大男(でえだらぼう・ダイダラボッチ)に刺さった「とげ」の伝説に由来。『川越の伝説

Img_2654 莿橋

Img_2659 馬頭観音

宮坂米菓敷地。

Img_2663 馬頭観音(天明3年(1783)・三光建設手前) 

丸彫りで、三面か。

Img_2668 東坂戸団地入口交差点

この先の東坂戸団地内に大穴城跡がある。《地図

Img_2675 圏央道をくぐる。

この手間に左に観音堂があるはずだが、何故かみつからなかった。観音堂バス停もあるのだが。

Img_2679 八坂神社 《地図

蔵造りの祠で「天王さま」と呼ばれ親しまれている。「塚越ばやし」は坂戸市の無形民俗文化財。

Img_2680 大宮住吉神社標石2基(右)

古い標石には「川越江二里」とあるそうだ。
このあたりは塚越の宿(継ぎ場)だが、その面影はない。

Img_2685 義家塚 【ル-ト地図】の③

塚越の地名の由来ともいう。もとは円墳か。

Img_2684 説明板

この先に大宮住吉神社・西光寺があるが割愛した。

Img_2688 谷治川橋を渡ると石井の下宿だ。

もとは石橋で、鬼が置き去りにした大石を橋桁にしたという伝説から「鬼橋」といったそうだ。

Img_2690 宗福寺 《地図

文和5年(1356)銘の「南無阿弥陀仏」と刻まれた坂戸市内最大の六字名号板碑があるのだが見逃した。ここは勝呂氏館跡の一画で、勝呂公民館分館敷地が勝呂廃寺跡という。

Img_2698 須賀神社の小祠

ここは石井の上宿だがその景観は残らず。

Img_2703 〆松地蔵(右) 【ル-ト地図】の④

もとは手前の注連松(しめまつ)橋脇にあったもの。注連縄をかけた大きな松があったそうだ。

Img_2704 〆松地蔵

兄弟地蔵の伝説:「大智寺の兄弟地蔵が喧嘩をし、弟地蔵が兄地蔵から投げられ2kmも離れたこの地へ飛ばされてきて泣いていた。そこへ通りかかった大日様が、「寺にいる兄さん地蔵には死んだ人を守ってもらう。お前はここで旅人や村の人を守りなさい」と慰め諭した。その後、弟地蔵はいつもにこにこして旅人や村人を見守り、慕われたという」

Img_2708 島田橋の標識で右に入る。

Img_2710 長屋門の旧家

Img_2713 島田の家並み

継ぎ場(宿)ではなかったが、下宿・上宿の名が残る。
島田には、明治40年頃に開通した。「テトーテトー」とラッパを鳴らす「テト馬車」という乗合馬車が川越の江戸町から一日二往復走っていた。大正5年に東上線が坂戸駅まで開通した後もしばらくは走っていたそうだ。突当りは越辺川。

Img_2715 土手下の石造物

水神宮・地蔵・庚申塔など

Img_2721 島田橋(越辺川)を渡る。 【ル-ト地図】の⑤

島田の渡し跡で常備2艙で渡していた。

Img_2723 映画・TVの撮影場所でもある。

Img_2724 上流の高坂橋(国道407号)と違い、人の渡る木橋でいい気分だ。

Img_2726 越辺川上流方向

Img_2728 土手下から直線に伸びる道を行く。

Img_2730 千人同心日光道合流地点あたり 《地図

Img_2733 九十九川(坂下橋)を渡って高坂宿へ。

この先の高坂宿から千人同心日光道との分岐までは、『千人同心日光道③』に記載。

 

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