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2012年10月 8日 (月)

川越・児玉往還④

2012年9月29日

男衾駅(東武東上線)・・・(県道81号)・・・地光寺・常楽寺・大納言椿・・・荒川土手・赤浜の渡し跡・・・花園橋(荒川)・(深谷市)・・・馬坂・・・荒川の板石塔婆・薬師堂・・・(国道140号(彩甲斐街道))・・・富士塚・・・国道140号(秩父往還)・・・長善寺・・・花園郵便局・旧道・・諏訪神社①・・県道175号・・小前田№1踏切(秩父鉄道)・・・原宿交差点・道標・・・八幡神社・・常光寺・・・(寄居町)・・・道標・・・鎌倉街道踏切(JR八高線)・・・諏訪神社②・・・(美里町)・・・小栗川・・・普門寺・・・横関酒造・・天神橋(天神川)・・(国道254号)・・旧道・・・庚申塔・・・雷電神社・・浅間塚・・・道標・・・駒衣の石造物群・・・志戸川・・・曝井・・・ミカ神社参道・・・国道254号・・・広木の一里塚跡・(本庄市)・・・身馴川橋(小山川)・・・灯ろう坂・・・国道254号・・・龍體稲荷神社・子育地蔵堂・法養寺・・鎌倉街道上道・・・児玉駅(JR八高線)

  【ル-ト地図】(20.9km)

 荒川、小山川を渡り児玉の宿に入った。4日目にしてやっと名のある坂にも出会えた。次回は神流川を渡り上州の藤岡までの最後の道のりだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2993 地光坂を下る。 【ル-ト地図】の①

坂沿いの家並みは「横町」ともいわれるそうだが、左は常楽寺で今は家並みはない。

Img_2997 大納言椿

大久保家の敷地内の正面奥の説明板?の所だろう、多分。
「徳川家光の弟、大納言忠長が甲府から高崎に送られる途中、当家に泊まった。翌朝庭先の椿花の落ちるのを見て明日は我が身かと、ひと粒の涙を流したという」

Img_3000 荒川土手に下って行く。

Img_3001 赤浜の渡し跡あたり

右の花園橋を渡るのだが、かなり迂回しなければならない。

Img_3008 荒川上流方向(花園橋から)

Img_3012 馬坂を上る。 【ル-ト地図】の②

道の両側の石積みは荒川の洪水よけか。

Img_3022 右の民家の裏手あたりに荒川の板石塔婆群がある。

Img_3021 荒川の板石塔婆

長瀞周辺の石材(結晶片岩)を使っているそうだ。隣に小さな薬師堂がある。

Img_3018 説明板

Img_3034 大黒天(文政4年(1821))・庚申塔・三峰小祠

この先で国道140号(彩甲斐街道)を渡る。

Img_3040 富士塚

塚を覆う大木の方が見事だ。

Img_3042 国道140号(秩父往還)に合流する。 《地図

合流地点に倒れた道標がある。

Img_3043 道標だろう。

接地面に「右 ほん志やう ふかや」・「左 よりい 八まん山」とあるそうだが、確認しようがない。

小前田の宿に入る。

Img_3047 長善寺

右の石造物の中に供養塔道標がある。

Img_3046 四国西国供養塔道標(安永5年(1776))

「右 大山 小川 川ごえ ちちぶ 左 くまがや」で、もとは上町の往還沿いにあったもの。

Img_3049 小前田宿の旧家

Img_3052 旧家

Img_3053 旧家

花園郵便局の前で北西に旧道に入る。

Img_3058 諏訪神社① 《地図

Img_3059 説明板

小前田屋台祭

秩父鉄道の踏切を渡って行く。

Img_3065 原宿交差点 《地図

南西角の道標は北東角に移設されていた。

Img_3066 道標・移設碑(平成18年)

「右 川越 大山 小川」・「左 日光 妻沼 深谷 三里」

Img_3070 八幡神社 《地図

参道前に鎌倉街道上道の案内板が立つ。

Img_3075 台風前の晴天だが蒸し暑いことはなはだし。

この先で再び寄居町に入る。

Img_3082 右端の道標(天保8年(1837))には「脇往還川越道用土邑」
隣の大黒天(文化元年(1804))の台座に「右深谷 左八幡山」

Img_3089 鎌倉街道踏切(八高線)を渡る。

用土駅が近い。

Img_3095 諏訪神社② 《地図

Img_3094 説明板

美里町猪俣に入る。武蔵七党の猪俣党の本拠地だった。

Img_3106 普門寺 《地図

杉並木の気分のいい参道。裏山は普門寺古墳群

Img_3110 横関酒造 《地図

「天仁」の蔵元の先で、天神橋を渡り、旧道に入る。

Img_3116 左と正面奥に庚申塔(2基とも寛政12年(1800))

Img_3120 やっぱり旧道はいいね、暑さは変わりないが。 《地図

Img_3122 雷電神社

少し先に草に覆われた浅間塚がある。

Img_3129 ねぎ畑の向うの並木は国道254号

Img_3131 庚申塔・馬頭観音(天保14年(1843))・二十二夜塔

Img_3135 旧大仏村の家並み

Img_3140 正面に道標(明治以降のもの)と六道能化地蔵道標(延享2年(1745))

道標には「→駒衣古郡東児玉村ヲ経テ本庄駅(一二000米」

Img_3141 六道能化地蔵道標

下部に「右 西 八幡山 北 本庄  左 東 江戸 南 十二天 秩父」

Img_3143 旧家の先を直進し未舗装道に入る。

Img_3146 駒衣の石造物群 《地図

庚申塔・馬頭観音・富士登山記念塔など

Img_3150 広木の下宿・中宿の通り

Img_3154 志戸川沿いを南に進み曝井に寄る。

Img_3158 曝井(さらしい) 【ル-ト地図】の③

調布用の織布を洗いさらした井戸跡。

Img_3161 説明板

万葉集に歌われたとする「曝井」は茨城県水戸市にもある。

Img_3160 湧水は昭和45年の河川改修工事で水脈を断たれた。今は溜まり水か。

Img_3162 「三栗」の代わりに彼岸花。

Img_3168 広木の上宿の家並み

Img_3169 みか神社参道石灯籠 《地図

Img_3171 「みか」神社の標石

難しい漢字だ。「みか」とは酒造用の大きな甕(かめ)で、当社に神宝とされていたと思われる土師器の「みか」が4器保存されているそうだ。

Img_3173 みか神社鳥居

酒飲みとしては参拝すべきだが、ここから遥拝でご容赦を。

国道254号に合流して進む。

Img_3182 広木の一里塚跡 【ル-ト地図】の④

榎の切り株が見つからず。

Img_3183 説明板

ここを左折して行くのが往還の道筋で、陣街道とも呼ばれる鎌倉街道上道とも重なっているのだが、今は小山川を対岸へ渡る橋はない。国道を直進して身馴川橋を渡る。

Img_3190 身馴川橋(小山川)

Img_3192 小山川土手を進み右折して、灯ろう坂を上り児玉宿へ。橋が架かっていたのはどのあたりか。

Img_3195 灯ろう坂 【ル-ト地図】の⑤

明治の中頃までは児玉八幡宿を知らせる石灯ろうが1基残っていたという。大正の初めまでは、河原から台地への相当な坂だったそうだ。今は昔の面影は消え失せてしまった。

Img_3197 児玉宿の家並み

Img_3198 龍體稲荷神社 《地図

Img_3204 法養寺鐘楼門

Img_3206 法養寺観音堂

今日はここまでとし、龍體稲荷神社の脇から鎌倉街道上道を通り、児玉駅に向かった。

Img_3210 鎌倉街道上道 《地図

Img_3213 案内図

Img_3215 鎌倉街道

住宅街の通りで、何の風情もない。

Img_3218 旧家

Img_3219 児玉駅

小川町方面行きは出発したばかりで1時間近くの待ち時間だ。高崎回りで新幹線で帰ろうかとも思ったが急ぐ旅でもなし、近くの食堂でビールとそばで一休みして小川町経由で東上線で帰った。

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