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2012年10月16日 (火)

多古街道①

2012年10月5日

 

京成酒々井駅(京成本線)・・・成田街道(県道137号)・・・麻賀多神社①・・・多古街道分岐地点(酒々井町役場入口交差点)・・・朝日神社・・・朝日橋(国道51号)・・・東光寺・・・麻賀多神社②・下台T字路・国道296号・・・墨交差点・・・酒々井総合公園・墨小盛田古墳・・・百番拝礼供養塔道標・・東酒々井入口交差点・・・(富里市)・・・事教院・・・大溜側道橋(東関東自動車道)・・・七栄交差点・・・七栄東交差点・県道106号・・・ラディソンホテル・・根木名交差点・・・道標・三里塚消防署前交差点・・・三里塚第一公園・・・三里塚交差点・・浅間神社・・道標・・・多古街道消滅地点(成田空港)

  【ル-ト地図

 多古街道は成田街道の佐倉の先の酒々井から東へ、佐倉七牧の内野牧、取香牧(成田空港)を通り多古宿に達し、多古からは北へ佐原へ向かう道と、東へ八日市場を経て銚子へ向かう道の総称という。
 佐倉への道は多古藩主の参勤交代などの公用の道でもあり「江戸街道」とも呼ばれ、佐原への道も江戸へ多古米などの物資運搬の道として整えられた。
 まずは酒々井から東に「江戸街道」を多古に向う。あまり面白味のある道でもなく、成田空港に行く手を阻まれることにはなるが。

  *参考:『千葉県歴史の道調査報告書 多古街道』

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3381 多古街道分岐地点(酒々井町役場入口交差点) 【ル-ト地図】の①

直進が成田街道の佐倉方向、多古街道は左折して行く。

 

Img_3387 朝日神社 《地図

酒々井横町の鎮守。

 

Img_3392 旧家

 

Img_3393 東光寺

康元2年(1257)の開基という佐倉五寺の一つ。

 

Img_3396 大日如来供養塔

 

Img_3394 説明板

「酒々井の庚申塔」は見つからず。

 

Img_3397 麻賀多神社② 

 

Img_3401 酒々井総合公園

 

Img_3407 墨小盛田古墳(復元整備) 【ル-ト地図】の②

酒々井総合公園内

 

Img_3404 説明板

 

Img_3409 百番拝礼供養塔道標(安政3年(1856)) 【ル-ト地図】の③

 

Img_3413 「此方 尾上 芝山  西 酒々井 佐倉  此方 加茂 多古道」か。

 

Img_3415 富里市に入る。

 

Img_3426 野馬土手

放牧馬が耕地に入らないように作られた土手。
このあたりは大溜袋(おおためぶくろ)という地名で、「溜袋」とは野馬を追い込む場所。

 

Img_3434 七栄交差点あたり 《地図

昔は佐倉七牧の内野牧の、今は富里市の中心部で賑やかだ。それにしても飲食店が多い。
「七栄」という地名は、明治になり下級武士らの窮民対策として、下総の牧を開墾して農業に従事させる方針が取られ、その開拓地の七番目(富・和・咲・豊季・実・栄)ということで名づけられたという。しかし東京からの移住者は不慣れな労働と、厳しい自然との戦いに挫折する者が多く、夜な夜な「自ら退散すること鳴子をもって雀を追う如し」の有様だったという。

 

七栄東交差点で左折し県道106号に入る。

Img_3440 歩道もしっかりついていて、緑の多い歩き安い道だ。《地図

 

この先の根木名交差点で県道から離れ根木名小学校の方へ直進するのが旧道だが、うっかりして県道を進んでしまった。

Img_3451 道標(右の県道43号との分岐点) 【ル-ト地図】の④

「右 根木名 七栄 道」で今来た道のことだが・・・。

 

Img_3449 「左 ?? 」

県道43号方向の地名だろうが、読めそうで読めない。

 

三里塚交差点を渡り直進する。

Img_3468道標(左)

ここは浅間神社の敷地内か? この先の左手奥に地名の由来となった三里塚跡があるようだ。「多古町の日本寺から三里」、「佐倉城から三里」、「芝山仁王尊から三里」ほか諸説あり。

 

Img_3466 「九十九里」?

 

Img_3461 成田空港に突き当たる。

離陸した飛行機は何処へ。

 

Img_3464 多古街道消滅地点 《地図

街道は空港の真ん中を突っ切っていた。今は南側に大きく迂回せねばならない。千代田交差点から多古街道は復活する。

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