川越・児玉往還⑤
2012年10月1日
児玉駅(JR八高線)・・鎌倉街道上道・・・龍體稲荷神社・国道254号・・・玉蓮寺・・・東石清水八幡神社・・・玉蔵寺・・・雉岡城跡・・・国道254号・・・大名小路・・・(八高線)・・長福寺・・・北続ケ橋・馬頭観音・・旧道・・・雀の宮橋(女堀川)・・・鎌倉街道(上の道)分岐地点・・・熊野神社・・・(県道22号)・・・道標・腰掛石跡・一本松跡・・・安保氏館跡・・・阿保神社・・・神流川土手・・・国道254号・藤武橋・・(群馬県藤岡市)・・・県道23号・・寿楽寺・・・沢田橋(笹川)・・・藤岡街道踏切(JR八高線)・・霊符殿古墳・・天龍寺・・・一丁目交差点・・・四丁目交差点・里程標・藤岡町道路元標・・・群馬藤岡駅(JR八高線)
【ル-ト地図】
台風一過の蒸し暑い日、児玉宿を抜け、八日市地区・元阿保地区を通り神流川の土手に出て、藤武橋を渡り川越・児玉往還の終着点の上州藤岡に着いた。
写真をクリックすると拡大します。
武蔵七党の児玉党の領主児玉六郎時国の開基で、境内は時国の館跡。
日蓮足洗井戸を探したが見つからず。
宝暦6年(1756)建立。
「二見が浦」の夫婦岩もあるよ。
もとは本町と連雀町との境いの道路にあったものを昭和5年に八幡神社前へ移設。屋根は銅板葺きの切妻形式で、高さは3メートルで材質は杉材。
宿継ぎ業務は児玉と八幡山が月交替で行っていた。
雉岡城跡 【ル-ト地図】の19
城跡の一画に塙保己一記念館がある。
二の郭前の空堀の中。
大名小路 《地図》
雉岡城跡へ通じる道。
北続ケ橋を渡って長浜町北交差点手前の美容院の前を左折して旧道に入る。
橋のたもと。上部が欠けている。
砂利道の旧道 《地図》
橋が見えてほっとする。すぐ先で農免道路をくぐる。
陽射しをさえぎるものがなく暑い。かなり進んでから右に線路から離れて行く。この先で鎌倉街道(上の道)と分かれる。 【ル-ト地図】の21
熊野神社への道となる。《地図》
正面両側の家は「お熊ん前の店屋」といって、かつては飲食を供し、雑貨物を売っていたそうだ。
熊野神社前の辻
元阿保公会堂の前で左に旧道に入る。《地図》
変則交差点の一画に道標・腰掛石跡・一本松跡 【ル-ト地図】の22
安保城(館)の門前に植えられたいたという松も、根元にあって旅人が休憩したという腰掛石も今はないがベンチがあって、道標が残っている。
「右児玉町至壱里強」・「右 藤岡 左 本庄」
安保氏館跡
阿保神社 《地図》
安保氏が帰依し、社殿を造営し、神田を寄付したという。かつては「六所大明神」と称していた。
神流川の土手に突き当たる。かつては四軒在家村の管理下に往還の橋が架けられていたようだ。
神流川土手の道はこの先で突然途切れる。右へ車道に出るしかない。
上里町(右岸)→神川町(中央)→藤岡市(左岸)のようだ。
霊符殿古墳 【ル-ト地図】の23
民家の敷地内のようだが、所有者は天龍寺だった。
群馬藤岡駅近くの「西上州やまびこ街道」だが、ここもシャッター通りになっている。
四丁目交差点 《地図》
「東京市 二十五里」とある。
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コメント
「神流川の渡し」の石碑があることは知らずに、惜しいことをしました。
拙いブログですが今後もよろしくお願いします。
投稿: 児玉の旅人様へ(坂道散歩) | 2012年10月23日 (火) 07:30
毎回楽しく読ませていただいております。
川越・児玉往還④では自宅前を通過していたりしていたようで、嬉しくなりました。
⑤の神流川の土手に突き当たったとのレポートなんですが、信号先の砂利道を入り、土手を越えて川の方(アカシヤ林)に行きますと神流川の渡し(名称解らず)の石碑があります。
対岸にも同じような石碑があったと思います。
これからも楽しく、ためになるブログ楽しみにしております。
投稿: 児玉の旅人 | 2012年10月22日 (月) 20:20