佐渡奉行街道②
2012年10月13日
群馬総社駅(JR上越線)・・・県道15号・・立石諏訪神社・・・前橋県道踏切(上越線)・・・総社町高井交差点・前橋城冠木門・・・観音寺・・・延命地蔵尊・・・(吉岡町)・・・牛王頭橋(牛王頭川)・大久保宿・・大下二十二夜塔・・・大泉寺・・子育地蔵尊・・・三津屋古墳・・・八坂神社・・・駒寄交差点・・道標・・・町民グランド・・・長坂踏切(上越線)・長坂・・・川久保橋(吉岡川)・(渋川市)・・・川久保踏切(上越線)・・・剣城址・・・八木原の道しるべ・・・柳橋(滝沢川)・・・長原寺・・・八木原宿高札場跡・・清泰寺・・八木原諏訪神社・・・渋川道標・・・牛王川・・・第一堰上踏切(上越線)・・(関越自動車道)・・・更生橋(茂沢川)・・・延命寺・・・早尾神社・・・(上越線)・・渋川駅・・・庚申橋(平沢川)・・・県道33号・渋川宿・・新町五差路交差点・・四ツ角交差点・・・秋葉神社・へそ地蔵・へそ石・・・堀口家住宅・・三国街道合流地点・・・大橋(平沢川)・・渋川女子高・・・八坂神社・・・渋川駅(JR上越線)
昨日は総社宿まで歩いたので今日は楽だ。天気もいいし絶好の街道歩き日和だ。のんびりと渋川宿の三国街道との合流地点を目指そう。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
「浅間焼け供養地蔵」を探したが見つからず。
『獅子舞』
ここを右折して北上する。角に前橋城冠木門の旧家。
前橋城冠木門 【ル-ト地図】の6
なぜここに移築されたのだろうか?
平成22年12月に焼失して再建工事中だ。見ると目がつぶれるという秘仏の馬頭観音の目から火でも出たのか。明治23年にも火災で焼けたそうだ。
牛王頭橋手前の石造物群 《地図》
牛王頭橋(牛王頭川)を渡って大久保宿に入る。
上・下・下町があり、大泉寺より北が寺上、南が寺下で約2kmもの長い宿。
女人講中の建てた子を抱いた如意輪観音
大泉寺 《地図》
芭蕉の句碑「鐘塚の碑」がある。
大久保宿は南北両隣の宿(総社と八木原)に近い上に、三国街道に旅人を奪われるなどで貧しい宿場だったが、養蚕に力を入れるようになってから豊かな農家が増え、「二階で百姓をする」と言われるほどになった。
長屋門の家
足元に子どもがいる。この畑地は上の問屋跡。
7世紀中頃から8世紀初頭にかけての畿内の天皇陵などに見られる、全国でも珍しい正八角形墳。
墳丘対角線間は約23.8mで二段築成。
7世紀後半の築造で、設計には唐尺(1尺は約30cm)が使われたと推定される。(石室内に置いてある吉岡町教員委員会のパンフより)
盗掘、破壊を受けている。自然石の乱積だったと推定されている。
小祠のみ。
道標(寛政12年(1800)) 《地図》
伊香保道(左へ)との分岐点、「右ゑちご しぶかわ」で右へ進む。
町民グランドの先の二股を右に進む。
長坂踏切を渡って、緩やかに長坂を下って行く。《地図》
川久保橋(吉岡川)を渡り渋川市に入る。川久保踏切(上越線)あたりには多くの鉄道ファンがカメラを構えていた。
剣城跡あたり 《地図》
このあたりは昔は深い森で、剣城の森といった。鎌倉時代には比企藤太郎が築城した剣城の跡という。今は往時の面影も遺構もなく、剣城団地にその名を記すのみか。
遠方の善光寺・伊勢太神宮・京都・大坂・讃州金毘羅(神社)までの距離も刻まれている。
左が江戸で歩いて来た道、右が高崎に向かう道。
八木原宿高札場跡 《地図》
「八木原に過ぎたるものに高札場・・・」といわれ有名だった。
左に戦前まで生活用水として使われていた石積みの水路跡が残る。
高札場の向いに問屋、その西隣に郷倉があったようだ。
また、この通りは「乗切馬場」と呼ばれ、毎年1月10日の金毘羅さんの祭日に草競馬が行われていたそうだ。
説明板(太々神楽)
後ろに倒れているのは古い道標か?
牛王川を渡ると関越自動車道に突き当たり、街道は途切れる。《地図》
自動車道沿いを進み上越線の踏切を渡る。
この列車がお目当てなのか見当もつかない。興味がないというのはそんなものだろう。
直進、北上する。《地図》
車も通らず気分がいい道だ。正面は何山だろう?
延命寺 《地図》
「文安の薬師」を探すのに苦労した。
それでも車は通る。正面奥が早尾神社で、「渋川」の道標を右に行った道と合流する。
早尾神社 《地図》
大ケヤキがそびえる。
樹齢約600年の二代目の神木。社殿よりも太そうだ。
平成8年、幹の空洞化が進み危険なため、主幹9mで切って、幹を治療したところ樹勢を持ち直したそうだ。
庚申橋を渡る。《地図》
右は庚申塔ではなく地蔵の小祠。
県道33号へ出て左折し、新町五差路交差点、四ツ角交差点へと進む。
へそ地蔵・へそ石 《地図》
北緯36度29分・東経139度0分で日本の中心だそうだ。
宿は下ノ町、中ノ町、上ノ町、裏宿と西へ続き、本陣、脇本陣は設置されなかったが、旅籠が5軒、家数300~400軒と比較的大きな宿場町だった。
この先の下ノ町、中ノ町の境の四ツ角交差点あたりが宿の中心で賑わった。
旧家 《地図》
烏川で処刑される4日前までの120日の小栗上野介の日記があるそうだ。
堀口家住宅(国登録有形文化財)
ここは上ノ町
そば屋の所で左から来る三国街道と合流する。
この先、佐渡奉行一行は越後から佐渡へ向かうのだが、拙者はここで御役御免となって江戸へ帰された。
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