川越・児玉往還③
2012年9月26日
武蔵嵐山駅(東武東上線)・・・嵐山三叉路・・東昌寺・・県道296号・・・東上線踏切・・・旧道・・・県道296号・・・志賀の菩薩堂・志賀堂沼・・・(杉山城跡)・・・雨降山石灯籠・・・(小川町)・・・庚申塔・・・(県道11号)・・・普光寺入口・・・旧道・・はりつけ場跡・・・県道296号・・・大黒天塔・・・高橋(新川)・・・奈良梨交差点・・・八和田神社・・・旧道・・・萬福寺・普賢寺・・・馬頭観音・庚申塔・・・県道296号・後谷津川・・・庚申塔・・・高札場跡・・・四津山神社・四津山城跡入口・・・金塚橋(市野川)・・・(寄居町)・一里塚跡・庚申塔・・・今市地蔵堂・・・高蔵寺・・・薬師堂・鎌倉街道(上の道)分岐地点・・・庚申塔・・・旧道・・・男衾小・中学校・・・県道296号・・・吉野川橋(新吉野川)・・・出雲乃伊波比神社・・・小被神社・・・男衾駅(東武東上線)
【ル-ト地図】
嵐山町→小川町→寄居町へと進んだ。
写真をクリックすると拡大します。
菅谷宿の旧家 《地図》
根岸医院
比企西国三十三観音の26番
比企西国三十三観音の28番で、本尊は正観世音菩薩。
左下に「左 鬼鎮道」で、ここへ移設されたものだろう。
継ぎ場だった面影はない。
嵐山町から小川町に入る。
ここに「川越道」・「児玉道」の道標があるというが見当たらず。
このあたりは中爪の「宿」というそうだ。
「絹本着色徳川家康画像」を安置するために建てられた寺。
刑場跡という。
ここは下横田地区
奈良梨の宿の旧道(左)に入る。 《地図》
中世には鎌倉街道の重要な拠点の一つで、戦国期には伝馬宿として栄えていた。
萬福寺(右)・普賢寺(正面)
馬頭観音(寛政5年(1793))・庚申塔(元文5年(1740))
この先で県道に出て、後谷津川を渡る。
能増地区に入る。この先に高札場があったようだ。
小川町と寄居町との境。塚跡の木の下に庚申塔が2基立つ。
今市宿の東端の県道が交差する三角地点で、古くから重要な場所だった。
昔、鎌倉へ六体の地蔵像を運ぶ途中、この地でこの一体が動かなくなってしまい、仕方がなくここに安置したとも伝え、「一帯地蔵」ともいう。
昔は偲べずか。左は武蔵野国十三仏霊場の11番の高蔵寺(こうぞうじ)
薬師堂の所で武蔵嵐山駅の手前で合流してきた鎌倉街道(上の道)と分かれる。【ル-ト地図】の12
ここが今市宿の西端あたりか。
右に旧道入る。 《地図》
男衾小・中学校の裏手を通る道で、「なが(長)山道」と呼ばれる。
「男衾」(おぶすま)の地名は古く、正倉院に伝わる白布(麻布)の墨書銘に『武蔵国男衾郡狩倉郷笠原里飛鳥部虫麻呂調布一端、天平六年十一月』とあるそうだ。
県道に出て新吉野川を渡り、赤浜の宿へと進む。
小被神社 【ル-ト地図】の13
この先の交差点を左折し、男衾駅に向かった。
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