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2012年11月11日 (日)

出雲街道⑩(新庄宿→根雨宿)

2012年11月5日

中国勝山駅(JR姫新線)真庭市コミュニティバス(40分)→新庄村役場・国道181号・・・大歳神社・・・大熊橋(戸島川)・・・力士塚・・・地神塔・・・後鳥羽上皇旧跡碑・・五人塚・・・杉並木・・・一里塚跡・後鳥羽公園・・・嵐ケ乢(730m)・・・二つ橋地区・・茶屋集落・・二つ橋(二つ橋川)・・六体地蔵・・里程標・・辻の地蔵・・・四十曲峠手前・・・四十曲トンネル・・(鳥取県)・国道181号・・・板井原橋(板井原川)・・・板井原トンネル・・・旧道・・板井原宿・・・国道181号・板井原小学校跡・・・金持景藤の墓・・・金持上橋(板井原川)・・・金持下橋・・・神明橋・・・金持神社・・・高尾交差点・・・旧道(根雨上橋手前)・・根雨宿・・大日如来塔・・鳥獣供養塔・地蔵群・・弘法大師像・・近藤家・・祇園橋・・根雨神社・・本陣門・・歴史民俗資料館・・本陣跡・・川舟の碑・・権現神社(跡)・・根雨駅(JR伯備線)

  【ル-ト地図(1)】・【ル-ト地図(2)

 2年半ぶりに出雲街道の続きを、美作国から伯耆国に入り山陰道と合流して米子城下まで歩き、米子城跡の北の京橋を起点とする境往来を「ゲゲゲのふる里」の境港まで行く。

 出雲街道⑨(勝山宿→新庄宿)』からの続きです。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_4109 新庄村役場

新庄村は岡山県の北西部で、鳥取県と境を接する。2012年3月31日現在の世帯数は387、人口は1008人で、そのうち65才以上が400人で過疎化と高齢化が進んでいる。

標高500m以上はあるか。小雨が降っていて寒い。

Img_4115 大歳神社 【ル-ト地図(1)】の①

道中の恙(つつが)なきを祈っていざ出発だ。

Img_4116 説明板①

Img_4117 説明板②

Img_4113 戸島川左岸に沿って戸島地区を進む。

Img_4122 力士塚(右)

Img_4124 説明板

Img_4123 稲妻雷五郎の門人の滝ノ音庄右衛門の塚

庄右衛門は新庄宿に泊まった時、宿代を軒先の2枚目の瓦の下に入れて出て行ったという逸話がある。

Img_4125 地神塔・題目塔(安政2年(1855))

Img_4126 説明板

Img_4128後鳥羽上皇旧跡中山道」標柱(右)

ここから右に野呂川沿いを進むのだが、少し左に行くと五人塚がある。

Img_4132 五人塚 【ル-ト地図(1)】の②

Img_4130 説明板

Img_4135 杉並木に入る。

Img_4136 一里塚跡・後鳥羽公園

【ル-ト地図(1)】の③

Img_4137 説明板

Img_4138 説明板

後醍醐天皇の御水池もあるようだが足元が悪いので探さなかった。

Img_4140硯岩

後鳥羽上皇が歌を詠む時に、硯代わりにした岩ということか。
雨に濡れた草の道で、ここからの遠望のみ。

Img_4145 後鳥羽上皇旧跡

この古道の奥で休憩し歌を詠んだという。
「みやこ人 たれふみそめてかよひけん むかひの道のなつかしきかな」

Img_4146 説明板

Img_4150 しだれ栗(岡山県指定天然記念物)

もとは後鳥羽上皇が箸に使った栗の枝から芽生えたという伝承。弘法大師の伝承によくある話だ。

Img_4151 説明板

Img_4157 嵐ケ乢(あらせがたわ) 【ル-ト地図(1)】の④

上りは八丁(約900m)、下りは七丁で、参勤交代の行列、大名・公家の姫の嫁入り道中籠、出雲大社、伊勢参りの庶民もこの峠を越えて行った。津山藩主も領地検分でここまで上って来たという。ここは標高730mで、旧道はこの少し上方右側を通っていたようだ。

Img_4156 峠の地蔵(文政4年(1821))

「説明板はあるが姿は見えず。ほんにあなたは・・・のような」。
ずぶ濡れを覚悟で雑草をかき分ければ見つかるかも。

Img_4161 二つ橋地区へ下って行く。

Img_4163 ここを左折して茶屋集落へ。

Img_4166 二つ橋地区の茶屋集落

嵐ケ乢と四十曲峠の間で、吹雪の時など旅人のための休憩所として津山藩森家によって茶屋が設けられた。宿泊所にもなったという。元禄2年(1689)の戸数は5軒だった。

堂の右側に六体地蔵(六地蔵)がある。

Img_4164 説明板

Img_4169 六体地蔵 【ル-ト地図(1)】の⑤

左端は三界万霊塔(宝暦5年(1755))

Img_4171 里程標

「元標十五里」で津山からの距離標示で、明治初年に建てられたもの。

Img_4175 辻の地蔵・四十曲峠説明板

Img_4173 説明板

峠まで「1000メートルほど・・・」とあるが。

この先、500mほどで山道となる所で柵がしてあり行止りとなる。仕方なく四十曲トンネルを抜けた鳥取県側へ出る。道を間違えたとも思えないのだが。→(追記)田中様からコメント(下記)をいただきました。道を間違えた可能性が大のようです。残念で、再挑戦!と言いたいところですが、何せ東京からここまでのアプローチが大変です。機会があればということにします。

Img_4659 四十曲トンネルの鳥取県側 【ル-ト地図(2)】の①

街道はここから左に峠へ上っているのだが、草木に覆われ道跡は失われている。以前はここに四十曲峠の説明板があったのだが。

Img_4661 少し上ってみたが・・・。乢根の地蔵も草叢に埋もれているのだろう。

Img_4660 これ以上先へは無理だ。

Img_4665 板井原宿へ国道181号を下る。

Img_4667 板井原橋

下を旧道が通っているらしいが下り口が分からなかった。

Img_4669 旧道か

どうせ草深く雨で歩きにくいだろうと言い聞かせる。

Img_4677 だいぶ下って来た。

Img_4681 左に板井原宿に入る。 【ル-ト地図(2)】の②

Img_4683 板井原の家並み

Img_4687 屋敷廻橋を渡る。

今はかなり名前負けしている橋だ。

Img_4691 旧家

特定郵便局、それ以前は宿業務を扱っていた家か。板井原は古くからの宿駅で、松江藩主の参勤交代の宿泊休憩所の御茶屋(桂藤家→吉岡家)が置かれ、木戸番所、制札場もあった。

板井原集落を抜けて国道に出る。

Img_4692 板井原小学校跡(国道に出た所)

こんな所に小学校があったとは。今は子どもの姿はまったくない。大人も見かけないが。一番近い根雨駅近くの根雨小学校まではここから8kmぐらいはある。

Img_4695 金持景藤(かもちかげふじ)の墓

出雲街道沿いのあちこちで出会った児島高徳と同じ、南朝方の忠臣。

Img_4697 鎧を埋めた宝篋印塔

Img_4698 碑文

神明橋を渡って金持神社へ。

Img_4727 金持(かもち)神社参道 【ル-ト地図(2)】の③

Img_4725 チャンチンの銘木(右) 

Img_4723 銘木の樹皮の間、狛犬の頭にも小銭がぎっしり。

他者の迷惑顧みず。自分さえ金持ちになればそれで良しか。
境内は思ったほど広くなく、社殿も小さい。金持ちグッズの売店もないが(参道入口にはあるが)、インターネットでの販売で儲けているようだ。金持ちになるのは金持ち祈願の参拝者ではなく、神社自身なのはどこの寺社でも同じことだが。

Img_4710 説明板

Img_4728 高尾(こお)交差点

明地峠越えの「備中道」(左・国道180号)との分岐地点で、「右備中道 左上方道」の道標(寛政5年(1793))があったそうだ。上方道が今来た出雲街道のこと。

Img_4730 根雨上橋の手前で右へ根雨宿へと進む。

Img_4733 鳥獣供養塔・題目塔・地蔵群

Img_4737 根雨(ねう)の家並み

Img_4738 弘法大師像

Img_4742 近藤家(江戸後期の建物)

江戸期に備後から根雨に移住し、たたら製鉄で財をなした大庄屋家。

Img_4750 日野往来に入って根雨神社に寄る。

Img_4751 祇園橋(昭和8年)

このあたりは平氏追討計画が発覚しこの地に流された、長谷部信連が京の文化を模して造ったと伝える。

Img_4753 根雨神社 【ル-ト地図(2)】の④

通称「祇園さん」

Img_4746 根雨宿本陣門 【ル-ト地図(2)】の⑤

150mほど北方の本陣梅林家跡から移築。

Img_4749日野町歴史民俗資料館

昭和15年建築の旧根雨公会堂

Img_4748 説明板

Img_4756 山陰合銀

昭和4年雲陽実業銀行として建築。今も現役の銀行で営業中。

Img_4760 旧家(富士印刷)

Img_4763 旧家

Img_4764 本陣梅林家跡(右)

Img_4766 説明板

Img_4768 往時の本陣跡梅林家

移築前の門はここにあった。

Img_4771川舟の碑(左)

「日野川の岩打つ瀬々の浪よりも砕くはひとの心なりけり」と刻むそうだ。
明治17年に根雨~車尾(くずも)間に川舟15隻で開業。この碑はもとは日野川の船場渡し場あたりにあったらしい。
この奥に権現神社(根雨神社に合祀)の小祠がある。

Img_4776 根雨駅(伯備線)

大正11年開業、岡山~米子間(伯備線)は昭和3年に全面開通。特急「やくも」も一部停車する。

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コメント

 ご親切ありがとうございます。
方法としては、①メールで写真の画像を送付していただき、それを私のブログに載せればいいと思うのですが、ここにメールアドレスは書くのは控えたいと思います。
②貴殿がHPかブログを作成されていましたら、そこに写真を掲載していただき、それを私のブログで紹介する。
 何せメカに弱いので他の方法は思いつきません。すみません。

投稿: 田中様へ(坂道散歩) | 2012年11月21日 (水) 06:18

東京から来られてたんですね。遠路はるばるお疲れ様でございます。私は兵庫県からですのでどおってことはないのですが、もし私が関東に行って道を間違えるとちょっと後悔が残ります。今後、他の皆様のためにと思い山道の手前の写真と、道なき道の写真も若干ですがあるのですが、参考になればご覧いただきたいのですがそういう方法はあるのでしょうか?

投稿: また田中です | 2012年11月20日 (火) 22:13

 やはり道を間違えたようですね。残念です。
ブログに記事を追加しました。
 間地峠越えの道は標高も距離もさほどでなく、多少草に覆われていますが、入口さえ間違えなければ大丈夫でしょう。
 これからもよろしくお願いします。

投稿: 田中様へ(坂道散歩) | 2012年11月19日 (月) 06:21

いつも興味深く拝見しております。10月6日に四十曲峠を(新庄→根雨)越えましたが山道の手前には柵はなかったです。しかしそのあとは道なき道でしたが・・・私はまだ根雨までしか行っておらず、間地峠は参考になりました。ありがとうございました。

投稿: 田中です | 2012年11月18日 (日) 16:58

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