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2012年11月20日 (火)

出雲街道⑫(溝口宿→米子城下)・境往来①

2012年11月7日

岸本駅(JR伯備線)・・・県道53号・・・日野川土手・・・金刀比羅大神宮・・道標・・・八幡神社・八幡の渡し跡・・・東千田神社・・十日市地区・・・古豊千地区・・・(国道9号)・・・(JR山陰本線)・・・山陰道合流地点・日野橋(日野川)・・・車尾地区・・深田氏庭園・・貴布禰神社・・梅翁寺・・鳥取藩御会所跡(車尾小学校)・祇園神社・・・車尾の道標・米川橋(米川)・・・刑場跡(住之江公園)・・・新土手(勝田の土手)跡・・・法城寺・・・勝田神社・・・了春寺・・博労町駅(境線)・・・枡形・一里塚跡・光西寺・米子城下・・旧加茂川・・・新出雲街道(新上方往来)合流地点あたり・・・愛宕橋(加茂川)・・・愛宕神社・・・やな井・桂住寺・・・総泉寺・・・祇園橋(加茂川)・・・米子城跡・・・湊山公園・清洞寺跡・・潮止め松・・・川口神社・・・後藤家・京橋(旧加茂川)・境往来起点・・寺町・・・糺坂・・鴨御祖神社・・(県道157号)・・・浜橋(米川)・常夜灯・旧道・・・井沢踏切(JR境線)・・・県道208号・・・夜見神社・・・迎接院・・・弓ヶ浜・・・弓ヶ浜駅(JR境線)

  【ル-ト地図】(29.7km)

 日野橋で山陰道と合流した出雲街道を米子城下まで行き、米子城跡の北の京橋から境港への境往来に入り、夕暮れ間近な弓ヶ浜を今日の終点とした。  

 参考:『鳥取県歴史の道調査報告書 第7集 境往来』

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4364 日野川の土手を北上する。

Img_4369 大山方向

Img_4370 金刀比羅大神宮 《地図

川岸に木々に覆われてひっそりと鎮座。

Img_4375 社殿

Img_4376 境内から

Img_4372 道標(右)

金刀比羅大神宮前の土手から水浜の集落に下りる所。

Img_4373 道標(寛政元年(1789))

「右くけみち 左上方ミち 大山」

Img_4377 八幡神社・八幡橋

昔の「八幡(やわた)の渡し」跡あたり。渡し場の位置は一定していなかった。

Img_4380 八幡神社 《地図

「馬場の八幡さん」と親しまれている。「人形流し」は今でも行われているのだろうか?

Img_4379 説明板

日野川土手の道から下り、十日市地区、古豊千(こほうち)地区へと進む。

Img_4387 東千田神社

土手を背にしている社殿。神社名は地元のおじさんに聞いた名。

Img_4389 十日市地区

Img_4400 古豊千地区 《地図

一里松(一里塚跡)があったそうだ。『一里松の妖怪』(米子の民話散歩)

Img_4402 山陰線をくぐる。

Img_4404 山陰道合流地点 【ル-ト地図】の①

日野橋の東詰。北(淀江方向)から来た山陰道と合流し、橋を渡って米子城下へ向かう。

Img_4405 日野橋

歩道はついていないが、車は北側の新日野橋を通るので歩き安い。
これが3度目の最後の日野川の渡し。渡れば米子城下は近い。

Img_4407 日野川を渡る伯備線

Img_4415 日野橋親柱

Img_4416 説明板

Img_4420 車尾(くずも)地区に入る。

Img_4421深田家 《地図

始祖は近江源氏佐々木源三秀義七代の孫、佐々木三郎兵衛信輝で、隠岐へ配流される後醍醐天皇の行在所にもなったと伝える旧家。
「車尾」の地名由来は、後醍醐天皇が当家へ立ち寄られた時、「春の日の めくるもやすき尾車の うしとおもはて くらすこの里」と詠んだのを逆に綴って改名したと言われる。(庭園のパンフによる) ちょっとこじつけ過ぎと思うが。
戦国期の合戦記「老翁物語」では「くづもう」と記されているそうだ。

Img_4431 庭園

池中の右がひなを羽の下に抱いた女性的な鶴島、左が亀頭を直立させている男性的な亀島。当主のお話では左端の岩が景観の目障りになっていると言われる。後からここに置かれた岩ではないかとのこと。確かに池の正面から見ると亀島の大部分は隠れてしまう。

Img_4422 説明板

Img_4438 貴布禰神社

Img_4439 説明板

Img_4446 鳥取藩御会所跡(車尾小学校)

大庄屋以下の在方役人が交代で勤務し、西伯耆三郡の行政に当たっていた。

Img_4449 車尾の道標(米川橋手前右の民家の敷地内) 《地図

「米子入口 八丁」・「東  尾高 大山□□□道」・「南 天万 法勝寺□り□□道 二部」などと刻むそうだが、何せ民家内でゆっくり見る余裕はなく早々に引き上げる。

Img_4454 刑場跡(住之江公園) 《地図

右のフェンス内に新しい「合葬の碑」が建つ。
刑場跡』(米子の民話散歩)

Img_4459 新土手(勝田の土手)跡 【ル-ト地図】の②

日野川方向からの洪水防止土手で南北に山陰線の線路あたりから出雲街道まで延びていた。

Img_4458 説明板

Img_4461 この先は山陰線の線路

Img_4462「連理根上りの松」名残りの根(法城寺)

昭和40年代に松喰い虫にやられた。『根上り連理松』(米子の民話散歩)

Img_4469 「連理水」の井戸

今でも使える?

Img_4466_2 説明板

Img_4473 勝田(かんだ)神社

米子城築城の際に北東の鬼門守護として勧請された。

Img_4474 説明板

Img_4478 了春寺

米子城代の鳥取藩家老の荒尾家の菩提寺。

Img_4477 説明板

Img_4479 博労町駅(愛称はコロポックル駅)に入るJR境線

妖怪電車の「目玉おやじ列車」だ。ほかに「鬼太郎」・「ねずみ男」・「ねこ娘」列車があり、「鬼太郎ファミリー列車」(後掲)も最近お目見えした。

Img_4483 枡形・一里塚(松)跡 《地図

この地は米子城下の出入口で、牛馬を扱う博労たちが居住していた。

博労町→糀町→道笑町→日野町→茶屋町→塩町→大工町→愛宕町へと南西方向に進む。

Img_4485 火事か?

Img_4486 旧家

Img_4487 旧家

Img_4490 博労町1交差点の旧家(名島本店?)

Img_4496 旧加茂川(米子城の外堀)を渡る。

正面は地蔵の小祠

Img_4499 「糀」(こうじ)の景山屋

ここは糀町で制札場があった。糀、綿、荒物、履き物、菓子、肥料、染物など多くの店があり、荷物船も糀町までは(旧)加茂川を遡って来たそうだ。

Img_4501 新上方往来(新出雲街道)合流地点 《地図

このあたりで左から来る、三部~天万経由の新出雲街道と合流するようだ。

Img_4502第二次米子映画事変」会場

「事変」には満州事変など暗いイメージしか浮かばないが。

「国際まんがサミット鳥取大会」も開催中だった。

Img_4506 愛宕橋(加茂川)を渡る。

Img_4509_2 愛宕神社 《地図

鳥居右の標柱に出雲街道の説明文。

Img_4510_2 旧出雲街道の説明

Img_4511 桂住寺

右の石垣下に「やな井」

Img_4513やな井」(民話)と「やな井戸地蔵」

往来の人々ののどを潤した水だが今は使用不可。

Img_4518 総泉寺

出雲国との境も近く、出雲からの敵襲に備えた砦の役目を持つ寺だった。民話「総泉寺のねずみ

Img_4519 説明板

ここを出雲街道歩きの打ち止めとし、米子城跡から境往来の起点の京橋へと向かう。

Img_4524 枡形 《地図

二の丸への上り口で、門があった。

Img_4526 長屋門(移築)

城代荒尾氏の家臣の武家屋敷の門でここへ移築された。

Img_4528 説明板

Img_4529 御用井戸

米子にも「お菊さん」の登場する「皿屋敷」話がある。

姫路城の「お菊井戸」・落語『皿屋敷

Img_4531番所跡→鉄御門跡→本丸跡へと上る。

Img_4550 説明板

Img_4543 米子城本丸跡から(標高90mの湊山山頂)

中海方向、左は島根半島で右は米子港

Img_4545 米子港方向

Img_4541 米子市街・大山方向

Img_4552 内膳丸(ないぜんまる)へ

中村一忠の家老横田内膳正村詮が構築。二重櫓数棟と武器庫が設置された。

Img_4559 湊山公園から中海

Img_4567 清洞寺跡

昔は中海に浮かぶ亀島と呼ばれる小島だったが、今は埋め立てられ、大きな松と岩が残る。
地蔵信仰の「札打ち供養打止め」の地でもありお札がぎっしり。

Img_4566 説明板

Img_4573 潮止め松 《地図

豪雪で折れたがまだしっかりと生きている。

Img_4570 説明板

Img_4572 二世がすくすくか?

こちらは「打止め」・「潮止め」とはいかず、川口神社の前を通り、境往来の起点の京橋へ向かう。

Img_4576 後藤家(京橋の手前)

回船問屋だった。

Img_4579 説明板

Img_4585 判屋船越家

水運による商いを掌握していた町家。

Img_4587 京橋(旧加茂川) 【ル-ト地図】の③

「境往来」と標識が指す。

境往来に入る前に京橋・天神橋・寺町界隈を散策する。参考:『境往来』(周辺案内図もある)

Img_4590 本教寺

Img_4595 路地を抜けると東西に伸びる寺町の通りに出る。

Img_4594 寺町

通りの北側に9つの寺が並ぶ。ここも米子城築城の際、防衛のために伯耆各地から寺が集められた。

Img_4596 岡本一銭屋

一銭硬貨の看板は昭和25年に米子で博覧が開かれた時に造られた。
売っている菓子、玩具などは懐かしさを感じるほど古い物ではない。こちらが古過ぎるのか。

Img_4598 つなぎ地蔵

何をつないでいるのか? あちこちで地蔵さんに出会う。この地域は地蔵巡りのスポットにもなっているようだ。

Img_4604 白壁土蔵

ここから「加茂川・中海遊覧船」が出ている。

Img_4614 坂口家

隣のレトロなビルも坂口合名会社

Img_4626 川守地蔵

ちょうど旧加茂川が直角に曲がる所にあり「曲がりの地蔵」とも。

Img_4628 由来

Img_4633 猫がたむろしている。「猫地蔵」はなかったが。

Img_4636 咲い(わらい)地蔵

Img_4637 説明板

Img_4640 昭和を感じさせる家並み

Img_4642 出現地蔵

Img_4644 由来

ちょっと胡散臭い話だが、まあいいか。

Img_4645 持田金物店

Img_4646 枡形のような変則交差点

左に入れば笑い通り商店街

Img_4647 「第一モテル館」

ここで理髪すれば男前が上がり「もてる」か?

Img_4650 笑い通り商店街

笑えるような状態ではないようだが。

ここから境往来に戻る。

Img_4781 米子から境港に向かう境往来は①美保湾沿いの外浜往来と、②中海沿いの内浜往来があった。①の道筋をたどる。

右は寺町の西端の万福寺

Img_4787 糺坂(ただすざか) 【ル-ト地図】の④

鴨御祖神社(神社)の前を上り下りする坂で、今は坂と呼べるような起伏はないが、昔は民話にもあるように交通の難所の一つだったのだろう。
民話『糺坂の怪』の妖怪は「ゲゲゲの鬼太郎」の祖先だったか。いや妖怪に先祖も子孫もないか。

Img_4785鴨御祖(かもみおや)神社

「ただすさん」で親しまれている。

Img_4790 浜橋(米川)

ここは米川土手を通り、車尾から日野方面に通じる道の分岐点で交通の要衝であった。
ここから橋の右の常夜灯前の細い旧道に入る。分かりづらい地点だ。

Img_4793 植込みの手前の道に入る。

左に常夜灯(安政2年(1855))

Img_4795 住宅街を抜けて行く旧道 《地図

Img_4796車が少ないのはありがたいが、見所もない。

Img_4799 井沢踏切で境線を渡る。

右の大石は何か?

Img_4803 「鬼太郎ファミリー列車」が通る。

妖怪列車の新車輛で、「鬼太郎」・「ねずみ男」・「ねこ娘」・「目玉おやじ」・「こなきじじい」・「一反木綿」・「ぬりかべ」・「砂かけばばあ」・「やまび­こ」の人気キャラ9種類が描かれているそうだ。

Img_4812 夜見神社 《地図

Img_4813 芋代官碑(迎接院境内)

「芋侍」・「芋姉ちゃん」の蔑称と違い、山陰地方へ薩摩芋の恩恵をもたらした石見国大森銀山領の代官井戸平左衛門の遺徳を讃えた敬称だ。天保期の飢饉を契機として弓ヶ浜半島の村々では「芋代官碑」の建碑が相次いだという。

Img_4814 説明板

境往来から離れ北へ『出雲国風土記』の「国引き神話」に登場する弓ヶ浜へ向かう。

Img_4822 弓ヶ浜(国を引っ張った綱) 【ル-ト地図】の⑤

大山(国を引っ張った綱をつないだ杭)方向だが霞んでいる。

Img_4827 島根半島の美保関方向

北陸地方の高志(こし)の国から引っ張ってきた国の三穂の埼。

Img_4831 弓ヶ浜駅(あずきあらい駅・JR境線)

おもちゃ箱のような駅舎で、電車待ちは学生ばかり。

Img_4840 あずきあらい駅(愛称)

確かに小豆洗い婆でも出そうな寂しい駅だ。

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