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2013年1月13日 (日)

初瀬街道⑤

2012年12月28日

川合高岡駅(近鉄大阪線)・・・八太橋(波瀬川)・・八太宿・八太の七曲り・・斑光寺跡石柱・・・伊勢自動車道・・・(県道58号)・・・(県道24号)・・・忘れ井道標①・・・忘れ井道標②・・・忘れ井・・・常楽寺廃寺(宮古公会堂)・・・中村川土手・・・小川橋(中村川)・・・常念寺・・・小川神社・・・西方寺・五六橋・・・中原神社・・・伊勢中川第十三踏切(近鉄山田線)・・長官塚・・・巡見橋(三渡川)・・・三渡川踏切(JR紀勢本線)・・・三渡橋・道標・伊勢街道合流地点・・・六軒駅(JR紀勢本線)

  【ル-ト地図】(11.9km)

 時々、小雨がぱらつく中を昼前には伊勢街道との合流地点の三渡橋へ着いた。ここを今年の歩き納めとしよう。

 この先は伊勢神宮までは、『伊勢街道③・④・⑤』へ続く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6589 八太橋を渡る。《地図

本居宣長の『菅笠日記』の旅の時は、「八太といふ駅あり。八太川これも板橋也。雨なほやまずふる。かくてはよし野の花いかゞあらんと、ゆくゆく友どちいひかはして、春雨にほさぬ袖よりこのたびはしをれむ花の色をこそ思へ」で板橋だった。

Img_6592 八太宿 【ル-ト地図】の①

旅籠武蔵屋・朝日屋・まる屋などがあったというが宿の面影はない。

Img_6600 八太の七曲りを進む。

きっちり7回曲がって行く。斑光寺跡石柱と道標(川合小学校のグランドのネット前)。昭和56年頃までは斑光寺(ばんこうじ)の無住の堂があったようだ。

Img_6605 伊勢自動車道をくぐる。

このあたりは明治頃まで茶の産地で、遠くは江戸まで積み出されていたそうだ。

Img_6611 初瀬街道は斎王群行の道でもあった。

Img_6612 忘れ井道標①(正面の民家前)

「斎宮御道蹟 従是 右凡二丁 左参宮道」で、右折し忘れ井に寄る。

Img_6614 古い家並みの間を抜ける。

Img_6616 忘れ井道標②

「右 忘れ井道」

Img_6624 忘れ井 【ル-ト地図】の②

伊勢街道の市場庄にも「忘れ井」がある。『菅笠日記』で宣長は、「むかしいつきの宮の女房の、言の葉をのこせる忘井といふ清水は、【千載集旅に斎宮の甲斐 わかれゆく都の方のこひしきにいざむすび見んわすれ井の水】今その跡とて、かたをつくりて、石ぶみなど立たる所の、外にあなれど、そはあらぬ所にて、まことのは此里になんあると、近きころわがさと人の、たづねいでたる事あり。げにかの哥、千載集には、群行のときとしるされたれど、ふるき書を見るに、すべていつきのみこの京にかへりのぼらせ給ふとき、此わたりなる壹志の頓宮より、二道に別れてなん、御供の女房たちはのぼりければ、わかれ行みやこのかたとは、そのをり此里の名によせてこそはよめりけめ。なほさもと思ひよる事共おほかれば、年ごろゆかしくて、ふりはえても尋ね見まほしかりつるに、けふよきついでなれば、立よりてたづね見るに、まことに古き井あり。昔よりいみしきひでりにもかれずなどして、めでたきし水也とぞ。されどさせるふるき傳へごともなきよし、里人もいひ、又たしかにか、わすれ井なるべきさま共見えず。いとうたがはしくこそ、なほくはしくもとひきかまほしけれど、こたみはゆくさきのいそがるればさて過ぬ」と千載集の歌は伊勢へ群行の時ではなく、京に帰る時の歌ではないかと考証するが、実際に見るとこの井戸が「忘れ井」かどうかは大変疑わしいと言っている。宣長の頃にはまだ水は湧いていたようだ。

Img_6621 説明板

「伊勢へ群行の途中」としている。

Img_6627 常楽寺廃寺(宮古公会堂) 【ル-ト地図】の③

応永20年(1413)の建立で、明治4年に廃寺となったという。公民館に本尊の木造聖観音立像があるというが、説明板などはない。

Img_6633 中村川の土手に出る。以前は小川橋(前方)は、ここに架かっていた。

Img_6644 常念寺 《地図

真盛上人御旧蹟」碑が立つ。京都府木津川市加茂町の常念寺との関係は?

Img_6648 小川神社

村内31社を合祀。

Img_6651 西方寺・五六橋

五六橋の伝説:「平維盛の子六代(平高清日川に隠れ住んでいた。代が病になった時、家来の斎藤五、六兄弟は、清流寺(現在の西方寺)の大日如来に平癒祈願をした。その後、六代の病は完治した。そのお礼に、五六兄弟は橋を架け、寺に糸椿を植えた。その橋は五六橋と名付けられ、西方寺に残る欄干は五六橋の欄干であると伝えられている」 今は伝説の橋にはとても見えず、橋かどうかも分からない。欄干も境内には見当たらない。
神奈川県逗子市に「六代御前の墓」がある。田越川で処刑されずに、ここまで落ち延びて来た落人伝説ということか。
また、沼津市の東海道には六代の首塚と伝える「六代松の碑」がある。埼玉県川口市にも六代の伝説がある。(『六ヵ村用水・緑川を歩く』に記載)

Img_6664 中原神社 《地図

もとは雨乞いの龍王神社。大晦日には付近の神々が集まり、火の玉が舞うとか。旅人の休憩所にもなっていたそうだ。

Img_6663 説明板

Img_6688 長官塚(正面中央の小さな盛り土) 【ル-ト地図】の④

津屋城城主の別府九郎左衛門武綱の墓という。ここは津屋城町で、北畠氏の家臣の居城があったというが、調べても分からず。

Img_6669 ここを右折して三渡川へと進む。

前方の火の見の下に頭部の欠けた常夜灯が立つ。

Img_6682 三渡川(巡見橋から) 《地図

三か所の渡し場があった。

Img_6679_2 伊勢街道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

道標は「いがごへ追分」・「右いせみち」・「やまとめぐりかうや道」で右折は松阪、伊勢方向。

松阪を出発した宣長一行はここで左折し初瀬街道に入る。「三渡りの橋のもとより、にわかれて、川のそひをやゝのぼりて板橋をわたる。此わたり迄は事にふれつゝ、をりをり物する所なれば、めづらしげもなきを、このわかれゆくかたは、阿保ごえとかやいひて、伊賀國をへてはつせにいづる道になん有ける」『菅笠日記』(行程表)の初瀬から吉野に向かう旅は始まったばかりだが、拙者の旅はここで終わった。

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