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2013年1月 8日 (火)

初瀬街道③

2012年12月26日

三本松駅(近鉄大阪線)・・・国道165号・・・旧道・・辻堂・室生寺道標・・・国道165号・・・(近鉄大阪線)・・・青葉寺道標・・・六宝地蔵・・(三重県名張市)・・・牛飼地蔵・・・名張動物霊園・・・唐崖修路碑・・・延命地蔵・・・旧道・権現坂・・秋葉大神・・・鹿高智護神社・・・庚申堂・・・兵頭の瀬・・・安部田村義民碑・・・鹿高神社鳥居・菅笠日記碑①・・・水神碑・・・(沈橋)・・・地蔵道標・・・旧道・・・観世音菩薩塔・・・町石(無動寺)・・・地蔵祠・道標・黒田橋(宇陀川)・・新町橋(名張川)・道標・・・名張宿・・愛宕神社・・酒造旭金時・・江戸川乱歩生誕地碑①・②・栄林寺・・酒屋木屋正・・蛭子神社・・清風亭・・丁子屋・・道標・・名張藤堂屋敷・・宇流富志禰神社鳥居・一本松・・・両社八幡宮・県道57号・・旧道・・・(近鉄大阪線)・・・延命地蔵・・・国道165号・・・小波田西交差点・旧道・・・波田橋(小波田川)・・・姥ケ池・・新田池・・(伊賀市)・・伊賀ゴルフコース・・馬場池・・八丁坂・・国道165号・・・三谷橋(三谷川)・・・新羽根橋手前・旧道・・・羽根橋(前深瀬川)・・・安楽寺・・・阿保宿・・安養寺・・旅籠たわらや清右衛門跡・・大村神社参道・・菅笠日記碑②・阿保橋(木津川)・・国道165号・・・道標・・・中山トンネル手前・旧道・・・菅笠日記碑③・・国道165号・・中山橋(木津川)・・・道標・・・伊賀上津駅(近鉄大阪線)

  【ル-ト地図】(24.3km)

 今日も寒い。六宝地蔵の先で伊賀国に入る。名張宿、阿保宿へと進み、伊勢地宿の手前まで来た。明日は初瀬街道の難所の「青(阿保)越え」の青山峠を越える。雪が降らなければよいが。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6161 宇陀川沿いを行く。

Img_6165 道標(辻堂(右)の前)

「女人高野室生山道」で室生寺への町石。
辻堂の軒下に「室生山の絵図」が架けてある。ここで室生寺への参拝者に茶湯の接待をしていたという。

この先で国道165号に出る。

Img_6168 青葉寺石標

ここから近いとは知らずパスした。青葉の滝もあるのだが惜しい。

Img_6170 六宝地蔵

このすぐ先で三重県に入る。大和と伊賀の境だ。

Img_6172 三重県名張市に入った。《地図

Img_6174 牛飼地蔵(元文5年(1740))

地元では「ムカイ地蔵」と呼ぶそうだ。

さていさゝか山をのぼりて、くだらんとする所に、石の地蔵あり。伊賀と大和のさかひなり」『菅笠日記』で本居宣長が見たのはこの地蔵だろう。建立から32年でまだ新しかったろう。

Img_6176_2 唐崖修路碑(明治14年)

現在コンクリートで固められているこの崖は唐崖と呼ばれ、香取山から宇陀川へ大岩が張り出し、危険な場所だった。

本居宣長の『菅笠日記』の旅での、「又いと高く見あぐる、岩ぎしのひたひに、物よりはなれて、道のうへゝ一丈ばかりさし出たる岩あり。そのしたゆく程は、かしらのうえにもおちかゝりぬべくて、いといとあやふし。すこし行過て、つらつらかへりみれば、いとあやしき見物になん有ける。獅子舞岩とぞ、此わたりの人は言ける」の所か? 獅子舞岩と言っているが。

Img_6178 延命地蔵

Img_6180 権現坂の旧道(左)を上る。 【ル-ト地図】の①

Img_6181 坂上方向

川口屋という旅籠があったそうだ。

Img_6183 秋葉大神

素朴な造りだねえ。

国道へと下って行く。

Img_6187 鹿高智護神社(跡)

思兼神を祀っていた。「鹿高智護大神」の碑が立っている。鹿高小場の産土神で、鹿高権現とも呼ばれた。かつて、初瀬街道を通る人は、高貴な身分であっても、乗り物から降りて一礼したという。今は鹿高神社に合祀されている。

Img_6189 庚申堂(左)

元禄2年(1689)の庚申塔を安置するようだ。

Img_6197 兵頭の瀬(宇陀川)

川底が巨大が岩盤になっている。

Img_6201 安部田村義民碑

どんな騒動があってどんな義民だったのか? 調べても分からず。

Img_6203 鹿高(かたか)神社鳥居・菅笠日記碑①(左) 《地図

壬申の乱(672年)の際、このあたりを通りかかった大海人皇子が、折からの大水で宇陀川を渡れず困っていると、どこからともなく白鹿が現れ、皇子を乗せて川を渡ったという。皇子は乱ののち、勅使をもって白鹿を祀る神社を建てた。それが鹿高神社であり、鹿高の地名はこのことにちなむという。

『菅笠日記』碑には、「名張より又しも雨ふり出て、此わたりを物する程はことに雨衣もとほるばかりいみじくふる。かたかといふ所にて、きのふ今日 ふりみふらずみ 雲はるゝ ことはかたかの 春の雨かな  本居宣長」

この先街道は、宇陀川沿いを進む道筋と高橋を渡って丈六地区を通る道筋があり、新町橋の手前で合流する。宇陀川沿いの道を行く。

Img_6206 宇陀川

黒田荘の時代にはこの付近で東大寺用の用材が切り出され、筏に組まれて宇陀川から名張川を下って、木津川へと流されたという。

Img_6209 沈橋

猪尻橋で増水時は沈んでしまうのだろう。

Img_6213 地蔵道標

「右ならみち」で笠間峠を越えるこの道は、奈良時代には名張から奈良へ向かう重要な道であった。左の木柱に「東大寺二月堂お水取り 松明調達の道」とある。

Img_6221 南東方向の山

頂上部分が平坦だ。山の名は?

Img_6223 旧道に入り黒田橋へ向かう。《地図

Img_6224 観世音菩薩塔(右・宝暦5年(1755))

Img_6229 町石(大正5年)

「第五十三番黒田村弘法大師霊場 従是五丁 無動寺」・「国寶 不動明王 大正五年十月」、無動寺は北西にある。木造不動明王像は国の重文。

Img_6232 黒田橋を渡る。 《地図

左に地蔵の小祠と小さな道標。

法然寺への道標だそうだが、どこにあるのか、あったのか? 南町の西方寺のことか? よく分からず。

Img_6239 道標(天保15年(1844)黒田橋の南詰から東詰に移設されたもの。

「右はせならみち」・「左あめがたき」、「あめがたき」とは滝か?どこにあるのか?

Img_6244 宇陀川(左)が名張川と合流する。

新町橋(名張川)を渡り名張宿に入る。

Img_6246 北村酒造(天保8年(1837)創業)

純米吟醸酒「旭金時」

Img_6250 名張宿の家並み 【ル-ト地図】の②

Img_6252 江戸川乱歩生誕地碑①

乱歩の祖父の代までは津藩の藤堂家の藩士だったそうだ。この先にも碑が立つ。
名張といえばどうしても『名張毒ぶどう酒事件』が思い浮かんでくる。

Img_6264 栄林寺

元和5年(1619)に鍛冶町で酒造業をはじめた初代辻源次郎が檀家となり、浄誉を中興開山として創建したという。

Img_6265 酒屋木屋正(文政元年(1818)創業)

伊賀の地酒「高砂」・「而今」

Img_6277 鍛冶町通り

「えびすの町」だが今は商売繁盛には見えない通りだ。

Img_6271 蛭子(えびす)神社 《地図

「隠市守宮」で、倭姫命が天照大神を奉じて伊勢へと向かう途中で、大神を祀った市守宮であるという伝承がある。

Img_6274 清風亭

鰻料理が名物の料理旅館。江戸川乱歩も通ったとか。

Img_6281 丁子屋 《地図

呉服屋で街道はここを左折するが直進し、名張藤堂屋敷に寄る。

Img_6282 道標(文政10年(1827))

「ひだり いせミち」・「右はせ  みち」
もとは丁子屋の辻にあったもの。

Img_6285名張藤堂屋敷 【ル-ト地図】の③

津藩藤堂家の一門の藤堂宮内家の屋敷跡。

Img_6290 宇流富志禰(うるふしね)神社の一の鳥居・一本松

鳥居の向うに社殿があると思ったが逆方向だった。(ここは参道の途中ということ)
おかげ参りの盛んな頃、鳥居の下で名物の焼き餅や茶などを出してもてなしたという。

Img_6291 一本松

何と読むのか?

Img_6292 森本造酢店

Img_6294 上八町の家並み 《地図

Img_6296 旧家

Img_6300 両社八幡宮(右) 《地図

ここで県道57号に出て200mほど進む。七見峠越えの道は伊賀ゴルフ場で遮られ通れないので、近鉄大阪線の右に出て、国道165号を上り、桔梗ケ丘を抜けて行く。小波田西交差点から波田橋(小波田川)を渡り伊賀ゴルフ場のそばを通り抜けて行く。

Img_6313 波田橋を渡り静かな道を行く。《地図

Img_6314 姥ケ池→新田池→馬場池沿いを進む。

この先で伊賀市に入る。

Img_6321 伊賀ゴルフ場 《地図

小雪がちらつくこの寒さではゴルファーの姿もなしか。
七見峠越えの街道はこのゴルフ場内を横断していた。峠というほどの高さではないが。

『菅笠日記』には「すこしゆきて、四五丁ばかり坂路をのぼる。この坂のたむけより、阿保の七村を見おろす故に、七見たうげといふよし、里人いへり。されどけふは雲霧ふかくて、よくも見わたされず

Img_6323_2 八丁坂を下って国道165号に出る。《地図

Img_6329 新羽根橋(前深瀬川)の手前

ここが左から来る七見峠越えの道との合流地点。

Img_6330新羽根橋を渡らず右に川沿いを進み、羽根橋を渡り阿保宿へ向かう。《地図

Img_6339 羽根地区の家並み

Img_6340 阿保(あお)宿 【ル-ト地図】の④

伊賀上野に通じる上野街道と津市美杉町に通じる八知街道が分岐する交通の要衝。上野・名張とともに藤堂藩から伊賀の地で3ヵ所だけ許された商業の町として栄え、宿場町としても賑わった。

Img_6345 常夜灯(安政7年(1860)

街道随一の大きさとか。右に八知街道が分岐する。

Img_6344 説明板

Img_6350 説明板

Img_6349 宿場図

常夜灯は左端。阿保頓宮は聖武天皇が伊勢への巡幸をした時に造営し、その後、斎王が伊勢へ往復する時の宿泊所として使用された。室町時代にはここに安保氏が阿保城を築いたそうだ。近くに陵墓に比定されている阿保親王の墓がある。

Img_6347 家並み

Img_6352 若戎の重藤酒造場 《地図

たわらや(俵屋)儀左衛門)の酒造場で銘酒「若戎」の醸造元。
向いの「旅籠たわらや清右衛門」は「初瀬街道交流館」になっていて、参宮講看板などを展示しているようだが見損なった。

Img_6354大村神社参道

日本三大奇鐘のひとつ「虫食鐘」、地震封じの「要石」があるそうだが、ここも寄らなかった。

Img_6357 旧家

Img_6359 菅笠日記碑②(左) 《地図

河づらの伊賀の中山なかなかに見れば過うき岸のいはむら。かくいふは、きのふこえしあほ山よりいづる。阿保川のほとり也。朝川わたりて、その河べをつたひゆく。岡田別府などいふ里を過て、左にちかく阿保の大森明神と申す神おはしますは、大村神社などをあやまりて、かくまうすにはあらじや。なほ川にそひつゝゆきゆきて、阿保の宿の入口にて又わたる。昨日の雨に水まさりて、橋もなければ衣かゝげてかちわたりす。水いと寒し」の部分か。

阿保橋を渡り、木津川沿いを進む。

Img_6361 道標(左下)

「右 いせ道 左 うゑの」

Img_6364 近鉄大阪線

Img_6365 中山トンネルの手前で右に迂回する。《地図

このあたりは伊賀の中山、天狗岩と呼ばれた。

Img_6367 菅笠日記碑③ 【ル-ト地図】の⑤

河づらの伊賀の中山なかなかに見れば過うき岸のいはむら」の歌。

Img_6371 道標 《地図

「右 いせ」で少し先を右斜めに入って行くのだが今日はここまでとし、伊賀上津駅に向かった。

Img_6374 気温は3℃。追い風なのが救いだ。

Img_6375 伊賀上津(いがこうづ)駅

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