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2013年1月 5日 (土)

上街道・初瀬街道①

2012年12月24日

近鉄奈良駅・・・辷坂・・猿沢池・・奈良町通り(道祖神社・・住吉神社・・元興寺・・奈良町資料館・・庚申堂・・元興寺塔跡・・御霊神社・・格子の家・・高林寺)・・・岩井橋(岩井川)・・・青井神社・・・富池・・・地蔵院橋(地蔵院川)・・・帯解寺・・・龍象寺・・・(天理市)・・・蔵之庄大橋(菩堤仙川)・・稲荷神社・・八王子神社・・・楢神社・・・長林寺・・道標・・・道標・土橋・・・奈良警察署櫟本分署跡・・・市場自治会館・・馬つなぎ遺構・・・(西名阪道)・・・在原寺跡・・・花園寺・・・浄土院・・・天理教詰所群・・・宮崎酒造・・・市場遺構・・市座神社・・・南池・・・八坂権現・・・芭蕉句碑・・・(国道169号)・・・岡地蔵・・・朝日観音堂・・・東池・・・(国道169号)・・・大池・・・大和神社参道・・・矢矧塚古墳・・・長岳寺五智堂・・・黒塚古墳・・・伊射奈岐神社参道・・・(石名塚古墳)・・新池・・・(桜井市)・・・大兵主神社石標・・・(国道169号・JR桜井線跨線橋)・・・箸墓古墳・・・大神神社鳥居・・・纏向(まきむく)川・・・三輪の茶屋跡・・・道標・・・恵比須神社・・・心念寺・・・春日神社・・・初瀬街道踏切(JR桜井線)・・・道標・・・馬井出橋(大和川)・仏教伝来地碑・・・県道199号・・・慈恩寺北交差点・・追分・初瀬街道・・・脇本地蔵堂・・・朝倉村道路元標・・・白山神社参道・・・国道165号・・・流れ地蔵堂・・・旧道・・・十二柱神社・・・国道165号・・・長谷寺参道・・・参急橋(初瀬川)・・(国道165号)・・・長谷寺駅(近鉄大阪線)

  【ル-ト地図】(28.3km)

 大阪から暗峠を越えて来た暗越奈良街道、京都からの伏見街道大和街道(奈良街道)は、猿沢池から上街道となって南下する。古代の官道の上ツ道、初瀬から伊勢へ向かう伊勢本街道の道筋でもある。
 寒さが一段と増してきた中を、初瀬街道との追分の朝倉を過ぎた長谷寺の参道まで行く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5530 猿沢池から興福寺五重塔

Img_5532 奈良町通りに入る。 《地図

このあたり一帯は奈良時代の元興寺の伽藍跡。

Img_5537 道祖神社(猿田彦神社・左)

街灯の覆いに「上ツ道 伊勢街道」とある。上街道は古代の官道の上ツ道(かみつみち)であり、伊勢参宮街道の一つの伊勢本街道の道筋でもある。

Img_5545 旧家

Img_5548 住吉神社

Img_5558 奈良町物語館

町家を修復して作られた交流・情報館

Img_5560 旧家

Img_5561 ならまちの家並み

正面突当りに地蔵の祠、その左が菊岡漢方薬局。藤原氏の家系で、創業は元暦元年(1184)というから恐れ入る。

Img_5564奈良町資料館

ここは宝徳3年(1451)に戦火で焼失した旧元興寺本堂跡という。

Img_5565 庚申堂

Img_5566 由来

Img_5585 元興寺塔跡 【ル-ト地図】の①

奈良時代の元興寺の東塔(大塔)跡

Img_5580 説明板

Img_5577 伽藍配置図

南北は4町の規模で、(6)大塔が現在地。

Img_5591 御霊神社

Img_5592 祭神

なるほど怨霊にぴったしの人たちが祭神だ。北山の辺の道には早良親王(崇道天皇)を祀る嶋田神社、崇道天皇陵がある。

姫街道の本坂には橘逸勢の墓がある。

Img_5596 砂糖傳

熱心に商品を見ているおじさんがいる。こちらは甘い物は素通りだ。

Img_5600 格子の家 《地図

Img_5603 高林寺

当麻曼荼羅の中将姫ゆかりの尼寺で、「中将姫修道霊場」碑が建つ。

Img_5608 常夜灯

「天照皇太神宮」(伊勢神宮)と刻む。文政の「おかげ参り」の年、文政13年(1830)の建立。この年には427万人が伊勢神宮に参ったそうだ。もとは道路の両側に建っていたのだろう。

Img_5619 雅匠 奥林呉服店

Img_5624 若草山(左)・高円山(右)?

Img_5628 帯解寺(おびとけでら) 《地図

山号が「子安山」の安産祈願の寺。世継ぎに恵まれなかった文徳天皇后の染殿皇后(藤原明子)が当寺にて祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)が生まれたことから、天安2年(858)文徳天皇の勅願により伽藍が建立され、勅命により帯解寺と名乗るようになったという。

Img_5633 龍象寺 《地図

ここも「安産子授け」の寺で、「帯解子安地蔵尊」を本尊とする。帯解寺とは縁起の違い(この寺の方が古い)、宗派の違いだけなのか? 本家・元祖争いはあるのか? まあ、どうでもいいが。

Img_5638 蔵之庄大橋(菩堤仙川)

Img_5648 楢(なら)神社の銅の鳥居 《地図

Img_5649 長林寺(左)正面分岐に道標が2基。

Img_5652 道標

このあたりと「和珥(わに)坂下伝承地」は『奈良(記紀の坂)』で歩いている。
「左 不動山大師道」の不動寺は近年廃寺になったとか? ミニ四国八十八ヶ所巡りの石仏があるようだ。

Img_5662_2 道標(享保?年・電柱右下)

土橋の手前から振り返る。

Img_5659 「右 なら 左 たつた みち」・「右 ・・・ 左 はせミち」?

Img_5665 奈良署櫟本分署跡

天理教教祖中山みきは、ここに明治19年2月18日から12日間拘留された。

Img_5670 馬つなぎ遺構(市場自治会館から東に高瀬街道に入った所) 《地図

Img_5668_2 説明板

Img_5673在原寺跡(在原神社) 【ル-ト地図】の②

ここに楼門があった。

Img_5684 説明板

Img_5677 井筒

謡曲井筒の舞台の井戸。井筒と伝える所は他にもあったのだが、どこだったか思い出せない。

Img_5676 説明板

Img_5678 芭蕉句碑

「うぐひすを 魂(たま)にねむるか 嬌柳(たおやなぎ)」

Img_5693 浄土院の先の家並み 《地図

この先を右折し、天理教の詰所の間を抜けて行く。

Img_5695 天理駅から天理教本部へのアーケード商店街を横切る。

Img_5697 宮崎酒造 《地図

「白堤」の醸造元

Img_5707 魚市場跡

道の中央の水路が覆われている。ここは天理市丹波町。

Img_5706_2この時点には水路は覆われていた。

Img_5708 市座神社 【ル-ト地図】の③

市場の守護神

Img_5715_2 八坂権現

文久3年(1863)9月25日、岡見留次郎ら5人(6人?)の天誅組の志士は、この社の裏手で津藤堂藩兵によって捕らえられ、文久4年(元治元年)2月16日、京都六角の獄で斬首されたという

Img_5716 芭蕉句碑と藤棚 《地図

Img_5717 説明板

Img_5720 岡地蔵

Img_5723 笑っているような地蔵さん。

Img_5724 東池

このあたりは溜池が多い。

Img_5728 大和(おおやまと)神社参道 《地図

今日はここから遥拝のみ。

Img_5730 矢矧塚(やはぎづか)古墳

墳丘は私有の果樹園になっているか。

Img_5731 説明板

Img_5734 営業しているのだろうか?

Img_5738 長岳寺五智堂 【ル-ト地図】の④

長岳寺は離れた東方にある。

Img_5737 説明板

Img_5746 黒塚古墳 (前方部北側から)《地図

33面の三角縁神獣鏡が出土したことで一躍有名になった古墳。

Img_5750 雪がちらついてきた。南に向かっているので北からの追い風と思っていたが、冷たい南風も吹いて来て寒い寒い。

Img_5751 伊射奈岐神社参道

Img_5752 二上山がうっすらと見える。

Img_5761 柳本町の家並み

Img_5753 三輪山

登ったのはもう7年前になる。

Img_5762_2 大兵主神社鳥居・石標

ここから1.6kmほど東方だ。

Img_5768 箸墓古墳(JR桜井線の跨線橋から) 《地図

孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓として管理されているが、卑弥呼の墓とする説もある。

Img_5774 大神(おおみわ)神社一の鳥居

Img_5775 三輪の茶屋跡(左へ)

近松門左衛門の「冥途の飛脚」の舞台だそうだ。三段目に奈良の旅籠屋三輪の茶屋が登場するようだ。二段目の「封印切り」の場面だけは知っている。

Img_5777 「忠兵衛 梅川之碑」と由緒碑

ここは民家の庭で、早々に引き上げる。

Img_5785 道標 《地図

正面の塀の前。

Img_5786 「左 はせ いせ・・・・」で、ここを左折し、恵比須神社の角を右折して行く。

Img_5789 小屋根看板

看板の文字は消えかかっていて店の名は分からず。今は営業していないか。

Img_5791 恵比須神社

日本最初の市場、海石榴市(つばいち)の守護神。

Img_5793 由緒

Img_5797 白玉屋の看板

創業弘化元年(1844)という和菓子店。名物は最中の「みむろ」だが、甘い物はパスよ。

Img_5802 今西酒造

「三諸杉」・「鬼ごのみ」、これは俺ごのみだ。呑みたいねえ。でも先が長い我慢、我慢。

春日神社の先、出口橋(大和川)の手前で左折し、初瀬街道踏切(JR桜井線)を渡り、「山の辺の道」と合流し東に向かう。金屋の石仏・海柘榴市(つばいち)観音堂・仏教伝来地碑などがある。

Img_5809 金屋の家並み 《地図

Img_5811 説明板

Img_5812 道標(正面) 《地図

「左 はせ いせ」

Img_5821 大和川の堤を行く。

河原に並ぶのは錺馬。

Img_5823 錺馬(かざりうま・飾馬)

遣隋使小野妹子が、隋使裴世清(はいせいせい)を伴って帰国し飛鳥の京に入る時、錺馬75匹を遣わして海柘榴市の路上に迎え、額田部連比羅夫(ぬかたべのむらじひらふ)が挨拶の言葉をのべた。『日本書紀』

県道199号に出て西に長谷寺方向に向かう。慈恩寺北交差点を横切り、すぐ先の追分の辻を上街道の終点とし、初瀬街道の始点とした。

Img_5827 追分の辻 【ル-ト地図】の⑤

本居宣長は明和9年(1772)3月の『菅笠日記』(行程表)の旅で、住まいの松阪(三重県)から西へ初瀬街道をたどり、長谷寺に詣で、ここから吉野に向かった。

「此里の末を 追分とかいひて 三輪の方へも桜井のかたへもゆく道のちまた也。 今はそのすこしこなたより 左へわかれ 橋をわたりて 多武の峯へゆく細道にかゝる」

Img_5832朝倉の家並み

Img_5834 脇本地蔵堂(左)

Img_5840 朝倉村道路元標

県道北側の東海自然歩道沿いには玉列神社・春日神社・白山神社などがあるが訪れたことがあるのでパスした。

Img_5846 白山神社参道

ここ黒崎には名物の饅頭があった。「此くろざき(黒崎)に家ごとにまんぢうといふ物をつくりてうるなれば、かのふりにし宮どもの事、たづねがてら、あるじの年おいたるがみゆる家見つけて、くひに立よる」菅笠日記

Img_5851 流れ地蔵堂

Img_5852 説明板

Img_5853 流れ地蔵

腰から下は地下に埋まっている。

Img_5858 十二柱(じゅうにはしら)神社 《地図

出雲村の村社。力士4人が狛犬の台座を支えている。出雲の地名は出雲国出身の土師氏の祖、相撲の元祖の野見宿彌によるという。

Img_5861 説明板

出雲人形

Img_5863 野見宿彌五輪塔

野見宿彌の古墳と伝える塚上にあったものを、明治16年にここに移した。

Img_5862 由来

Img_5872 長谷寺参道に入る。《地図

途中で右折し、参急橋(大和川)を渡り、国道165号を横切り、坂を上って長谷寺駅に出た。

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