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2013年1月 3日 (木)

大和街道(奈良街道)

2012年12月23日

観月橋駅(京阪宇治線)・・・旅館月見館・・国道24号・観月橋(宇治川)・・旧道・・小倉堤跡・・・向島駅(近鉄京都線)・・・二の丸橋・・・(京滋バイパス)・・・巨椋池の水路・・・0の通り~12の通り・・・槇島交差点・・・巨椋神社・・地蔵院・・観音寺・・・(井川)・・・小倉西山交差点・国道69号・・・(伊勢田駅(近鉄京都線))・・・旧道・・・宇治屋の辻・道標・・・(新田駅(JR奈良線))・・・皇大神宮社・・・円蔵院・・・(城陽市)・御拝茶屋八幡宮・・・芭蕉塚古墳・・・久津川車塚古墳・・・平川廃寺跡・・・久世神社・・・(城陽駅(JR奈良線))・・・玉池・・・府道69号・・・宮の谷川・・・国道24号・・・長池交差点・府道70号・・・長池の道標・・・(長池駅(JR奈良線))・・・山背古道分岐地点・・・南城陽中学校・・・仲谷橋(長谷川)・・・青谷橋(青谷川)・(井出町)・・・山城多賀駅・・・南谷川・・・石山街道踏切(JR奈良線)・・・玉水駅(JR奈良線)・・・上玉川橋(玉川)・・・玉川寺・・・川田道踏切(JR奈良線)・・・阿弥陀寺・・・棚倉小学校・旧道・・・(不動川)・・・第二平尾踏切(JR奈良線)・・・涌出宮・・棚倉駅(JR奈良線)

 【ル-ト地図

 クリスマス寒波の中を京都→奈良→三重へ、大和街道(奈良街道)・上街道(上ツ道・伊勢本街道)・初瀬街道(青越え伊勢街道・伊勢表街道)を伊勢街道との合流地点の松阪手前の三渡橋まで歩く。
 部分的には歩いた所も多く、気楽に今年最後の街道歩きとしたい所だが、ちょうど初瀬街道の難所の青山峠を越えるあたりが寒波のピークになりそうで、今年1月の高野山町石道、3年前の四国遍路での66番雲辺寺と同様に雪中行軍になるかも。

 まずは伏見街道の終点の観月橋を渡り、京都市伏見区→宇治市→城陽市→井出町→木津川市へと大和街道を南下する。 

 写真をクリックすると拡大します。

Img_5302 観月橋(宇治川) 【ル-ト地図】の1

桂橋(鎌倉時代)→豊後橋(桃山時代)→鳥羽伏見の戦で焼け落ち明治になって復旧され、月を観るのに格好の場所ということで、この橋名になったそうだ。

 

Img_5308 三十石船(旅館月見館の玄関前) 《地図

宇治川を巡航していた木造船を引き上げて、当時の資料から復元したもの。落語『三十石

 

Img_5314 小倉堤(巨椋(おぐら)堤・太閤堤)跡を行く。【ル-ト地図】の2

巨椋池の中を縦断する秀吉が築いた堤で、伏見城下から向島に宇治川を渡る豊後橋(現観月橋)を架橋し、堤上を通り伏見と奈良の距離を縮める大和街道の道筋。道の左右は少し低くなっている。

 

Img_5330 向島(むかいじま)駅

向島地区には秀吉が築いた向島城があった。本丸町、二ノ丸町、二の丸小学校、二の丸橋などがその名残りだ。

 

Img_5338 落合地区 《地図

ここも小倉堤上だろう。正面は「えのきむくの木」(樹齢250年以上)

 

Img_5348 巨椋池跡の水路 

ここはすり鉢状だった巨椋池の堤防近く。

 

Img_5351 ありし日の巨椋池

池というより湖のようだ。
昭和8年からの干拓事業で農地に生まれ変わった。

 

Img_5354 「0の通り~12の通り」まで進み、近鉄線京都線から離れ南東に入って行く。

 

Img_5363 巨椋神社 《地図

巨椋池のほとりに住んでいた巨椋氏一族が祖神を祀ったのが創始だが、今は子安神社として有名なようだ。巨椋氏(小椋氏)は、「ろくろ」を使って木材を削り、鉢や盆などの木製品を作る木地師(きぢし)の集団だったという。

 

Img_5369 山政小山園

このあたりには宇治茶の製茶問屋が多い。

 

Img_5383 宇治屋の辻 【ル-ト地図】の3

左角に道標「左 なら道」・「右 うぢミち」・「左 京道」で、ここは左から来る旧大和街道との合流地点。旧大和街道は巨椋池を避けて、深草大亀谷から六地蔵を経由していた。その一部は『伏見街道』で歩いている。

 

Img_5394 御拝茶屋八幡宮(右) 【ル-ト地図】の4

宇治市から城陽市に入る。

 

Img_5397 御拝茶屋八幡宮

このあたりは峠状になっていて、ここから旅人が西方の石清水八幡宮を遥拝したというが、今はとても無理。左はエノキの大木。

 

Img_5402 今はここが遥拝所のようだ。

 

この先、芭蕉塚古墳・平川廃寺・久世神社・久世の鷺坂などは、『城陽市の坂』に記載。

Img_5420 旧家

向い側に長池の道標が立つ。

 

Img_5421 長池の道標(昭和3年) 《地図

「南 奈良街道」を進む。

 

Img_5431 このあたりは『山背古道①』で歩いて見覚えがある。京都へ5里、奈良へ5里の中間地で、「五里五里の里」と呼ばれ、秀吉の時代には宿場が置かれ 賑わっていたという。

 

Img_5432 旧家

 

Img_5436 旧家

 

Img_5442_2 山背古道分岐(左) 《地図

大和街道は直進。

 

Img_5451 坂を下って行く。

 

Img_5452青谷梅林

城陽市は、梅の実の生産量が京都府一で、梅干し工場も多いようだ。

 

Img_5456_2 青谷小学校のクスノキ 《地図

 

Img_5460 ここを左に入ればすぐに山背古道に出る。《地図

 

Img_5465 青谷橋 《地図

青谷川は天井川で、JR奈良線は川の下の青谷川トンネルを通る。

 

Img_5471 青谷橋から

川はすぐ下を流れているから、かなり高い位置にある。

 

山城多賀駅を過ぎ、JR奈良線の西側に出て南下する。玉水駅を過ぎ左折に玉川沿いを少し進み、上玉川橋を渡り南下する。

Img_5492 「井出の玉川」堤 【ル-ト地図】の6

日本六玉川の一つ。

 

Img_5495 玉川寺

 

Img_5514 不動川をくぐる。《地図

上を川が流れているようには見えないが。

 

Img_5521 旧家

 

以仁王墓・高倉神社・綺原(かんばら)神社・蟹満寺・涌出宮などは、『山城古道②』に記載。

この先でJR奈良線の踏切を渡り、線路沿いに棚倉駅に向かった。

Img_5524 棚倉駅

この先、奈良の猿沢池までは『山背古道②』・『奈良市の坂②』へ続く。

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コメント


初めてコメントします。

“第二平尾踏切”付近の写真を
撮ってあったのですが
その住所がどこだか分からず
困っておりましたところ、
このブログにヒットいたしました。
ルートが印されていましたので
棚倉駅付近だったことが
分かりました。

ありがとうございました!

投稿: MEwmew | 2016年3月24日 (木) 23:51

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