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2013年1月29日 (火)

中街道①

2013年1月19日

近鉄奈良駅・・・(三条通り)・・延命地蔵堂・隼神社・・・竜田越奈良街道分岐地点・・・中街道踏切(JR桜井線)・・・京終橋(能登川)・・・大黒橋(岩井川)・・・県道754号・・・地蔵院川・・・(大和郡山市)・・・上三橋交差点・道標・中ツ道(県道51号)・・・地蔵祠・高橋(菩提仙川)・・・千束池・・・辻堂橋(楢川)・・・櫟本橋(高瀬川)・・・(西名阪自動車道)・・・業平姿見の井戸・地蔵寺・・・鉾立池・・・素盞鳴神社①・清照寺・・・素盞鳴神社②.・・・三十八神社・・・南六条交差点(国道24号)・・・嫁取橋碑・下ツ道・・・嫁取橋(珊瑚珠川)・・・菅田神社鳥居・・・(国道24号)・・・平端第六号踏切(近鉄天理線)・(天理市)・・・二階堂地蔵堂・・・菅田神社発祥地碑・北池・・・南池・・・地蔵堂・・・天神橋(大和川)・・・(田原本町)・・・唐古池・唐古・鍵遺跡・・・今里の浜(寺川)・・・杵築神社・正福寺・・・八尾大橋(寺川)・・安養寺・・・鏡作神社・・豊雛大明神・・・新町地区・竹村家・・道標・・田原本町役場・・平野氏陣屋跡・・田原本聖救主教会・・行幸橋(中川)・・背割下水・・浄照寺・・本誓寺・・津島神社・・楽田寺・・・多村道路元標・・・多池・・・(橿原市)・・・上品寺小池・稲荷神社・・・(国道24号)・・・大和八木駅(近鉄大阪線)

  【ル-ト地図】(25.6km)

 年末に上街道を歩いたら、中街道・下街道も歩きたくなった。ついでにそれらを東西に横切る横大路も歩くことにする。例年にない寒中の寒さを吹き飛ばして、今年の歩き初めとしよう。

 上街道は古代の上ツ道を、中街道は(中ツ道ではなく)下ツ道を踏襲する。下街道は中街道のさらに西側を通る近世の道だ。
 まずは中街道だ。奈良市→大和郡山市→天理市→田原本町→橿原市→明日香村→高取町→御所市→五條市で下街道と合流する。
 近鉄奈良駅の中筋町交差点から南下し、三条通り(暗越奈良街道)を横切って行く。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_6691 延命地蔵堂・隼神社(左) 《地図

鳥居の前に中街道の説明板がある。鎌倉時代の作という木造地蔵菩薩半跏像は奈良市指定文化財。

Img_6693 説明板

Img_6697 古梅園

墨の製造販売の老舗。

竜田越奈良街道が西へ分岐して行く。

Img_6700 中街道踏切を渡る。 【ル-ト地図】の①

Img_6710 上三橋交差点・道標 《地図

ここで県道754号から離れ、左に県道51号の中ツ道の道筋に入る。
道標には「西 右 高野山 左 なら道」・「北 右 郡山 左すぐ帯解」・「南 右帯解 左郡山」

Img_6724 辻堂橋(楢川) 《地図

地蔵の辻堂が立つ。ここから右斜めに南西方向に進むのが中街道の道筋だが、直進して業平姿見の井戸に寄る。

Img_6733 業平姿見の井戸(左)・地蔵寺(右) 【ル-ト地図】の②

業平の邸跡ともいう上街道沿いの在原寺から高安の女の所へ通った「業平道」。

Img_6735 業平姿見の井戸

左横に、蕪村の「蟲泣くや河内通ひの小提灯」の句碑が建つ。

Img_6738 説明板

鉾立池の先で右折し中ツ道から離れ、西に向かう。

Img_6751 素盞鳴神社① 《地図

右に素盞鳴命 (すさのおのみこと)
左に高龗命 (たかおかみのみこと)を祀る。

Img_6756 新庄町の家並みを抜けて行く。

Img_6757 素盞鳴神社② 《地図

Img_6762 三十八神社

南六条交差点(国道24号)を横切り、嫁取橋碑の手前を左折し、下ツ道に入る。

Img_6764 嫁取橋碑

碑は立派だが。

Img_6765 嫁取橋 《地図

面白い伝説のある橋だが、今はお粗末だ。川も珊瑚珠川と名だけはきれいだが・・・。

Img_6770 菅田神社鳥居 《地図

近いのだがここから遥拝のみ。

Img_6781 二階堂地蔵堂(左) 【ル-ト地図】の③

横大路と中ツ道が交差するあたりにあった膳夫(かしわで)寺がここに移転し、堂が二階造りのようで二階堂と呼ばれた。それがここの地名にもなっている。

Img_6783 説明板

Img_6807 唐古・鍵遺跡 【ル-ト地図】の④

唐古池の向こうに復元楼閣

Img_6804 説明板

Img_6817 今里の浜(八尾大橋から)

寺川最上流の川船の港で、中街道が通り流通の重要地点だった。

Img_6810 説明板

今里橋のそばの土手にある。

Img_6812 杵築神社 《地図

蛇巻き」に使われた麦藁で作った蛇が木に巻きつけてある。

Img_6811 説明板

Img_6809 説明板

Img_6818 安養寺

木造阿弥陀如来立像」は国指定文化財

鏡作神社へ曲がる所に「下ツ道と中街道」の説明板がある。

Img_6822 説明板

Img_6821 道筋概略図

Img_6823 鏡作神社 《地図

Img_6824 説明板

Img_6829 説明板

これは三角縁神獣鏡の外縁が欠けたもので中国製。

Img_6833 田原本町新町の家並み

右が竹村家

Img_6831 説明板

Img_6832 写真(竹村家)

「保存対策」はまだなされていない。

Img_6843 道標(元治元年(1864)) 《地図

正面は田原本町役場。その南側が平野氏陣屋跡だが遺構は残らず。

田原本は楽田寺(天平年間の創建と伝える)の門前町→教行寺(田原本の支配権をめぐって領主と争い江戸初期に箸尾に移転)の寺内町→田原本藩平野氏の陣屋町、寺川の水運による問屋町として発展した。

Img_6841 説明板

Img_6851 田原本聖救主教会

Img_6849 説明板

Img_6854 道標(文化11年(1814))

すぐ 大峯山 よし野 かう野」
新しく復元されたものだろう。「すぐ」は「真っ直ぐ」という意味。

Img_6862 背割下水

Img_6861 説明板

Img_6863 浄照寺 《地図

この山門は、伏見桃山城の城門を移築したものと伝える。

Img_6865 説明板

Img_6866 旧家

Img_6869 津島神社

Img_6867 説明板

Img_6870 楽田寺

Img_6873 説明板

Img_6877 道標(天保4年(1833))

電柱の左脇。ここを右折して行く。

Img_6879 説明板

Img_6882 寺川沿いを南下する。

Img_6884 多村(おおむら)道路元標(右の電柱の下)

多地区は古事記の編纂者の太安万侶らをはじめとする古代氏族多氏の根拠地。中街道の西方に多神社がある。四柱の祭神のうち神八井耳命は多氏の祖とされる。

Img_6888 多池 【ル-ト地図】の⑤

Img_6891 稲荷神社・上品寺小池

ここから国道24号を横切り、近鉄大阪線沿いに大和八木駅に向かった。

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