初瀬街道②
2012年12月25日
長谷寺駅(近鉄大阪線)・・・参急橋(大和川)・・長谷寺参道・・・伊勢辻・・・伊勢辻橋(大和川)・・下化粧坂・・・愛宕神社・・・下化粧坂・・・與喜天満神社御旅所・・・法起院・・・長谷寺(雲居坂①・・二本の杉・・登廊・・天狗杉・・蔵王堂・紀貫之故里之梅・・雲居坂②・・本堂・・雲居坂③)・・・連歌橋(大和川)・・・素戔雄神社・・・玉鬘庵跡・・・與喜天満神社・・與喜寺跡・・上化粧坂・・・庚申の辻・下化粧坂合流地点・・・桜井浄水場・多羅尾瀧道標・・国道165号・・・吉隠バス停・旧道・・・道標・・国道165号・・(宇陀市)・・・春日宮御陵道標・・・西峠交差点・旧道・・・道標・・ムラサキ地蔵堂(西峠会所)・・・墨坂伝承地碑①・・道標・・萩原(榛原)宿・・墨坂伝承地碑②・・札の辻(伊勢本街道と初瀬街道の追分)・旅籠あぶらや・道標・・・宗祐寺・・・金平稲荷神社・・・椋下神社・・・孝心塔の辻・道標・・・(榛原バイパス)・・・観音寺道標・・・国道165号・・・榛原第八踏切(近鉄大阪線)・・・ぬれ地蔵・・・(近鉄線)・・・国道165号・・・緑の道標・・半焼橋(宇陀川)・・・(近鉄線)・・・(国道165号)・・(近鉄線)・・・道標・・・大野寺・磨崖仏・・・大野海神社・・・(室生口大野駅)・・・(近鉄線)・・・えび坂・・・北向地蔵・・・元三宿・・相馬醤油店・・上ぬしや(西澤家)・・元三の道標・・旅籠ますや・ぬしや・・・薬師橋(近鉄線)・・長命寺・琴弾峠跡碑・・・琴弾橋・・・国道165号・・・県道242号・・頓光寺・・藤堂藩本陣跡・・・三本松海神社常夜灯・・・三本松駅(近鉄大坂線)
【ル-ト地図】
今日からは起伏のある道筋となり、名のついた坂もある。相変わらずの寒さだが、天気もまあまあだし気分よく坂道散歩を楽しめるだろう。
まずは長谷寺参道から下化粧坂を往復して長谷寺に参拝し、連歌橋から與喜天満神社へ上り、上化粧坂を上り下りし、下化粧坂と合流する庚申の辻から畔道を桜井浄水場へと進み、国道に出て東に西峠へと向う。所々に旧道が残っている。
初瀬街道(青越え伊勢街道・伊勢表街道)は、萩原(榛原)宿の札の辻で伊勢本街道と分かれ東へ進む。室生ダムのぬれ地蔵や大野寺の磨崖仏などを見ながらえび坂を上り、元三宿から三本松駅まで進んだ。
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伊勢辻の道標 《地図》
「伊勢の辻」・「右 いせミち」で、ここで参道から右折し伊勢辻橋から下化粧坂を上るのが初瀬街道の新道。
右に行けば長谷山口神社に出る。
坂名の由来は長谷寺に参詣する女人たちが急坂で汗をかき化粧を直したからともいう。
絶好のビューポイントというが、冬枯れの今でも木々に遮られていまいちか。
上化粧坂と合流する庚申の辻まで行き、長谷寺参道に引き返す。
長谷の地酒「こもりくの里」
こもりく(隠国(口))は、両側から迫る山に囲まれたような地形で、地名「泊瀬(はつせ)」にかかる枕詞とされる。
「こもりくの泊瀬の山に 照る月は 満ち欠けしけり 人の常なき」(万葉集)
長谷寺仁王門
『境内案内』
雲居坂には3説あるそうだ。①二本の杉・俊成、定家の碑の前の坂。②第二回廊の上、蔵王堂から本堂への石段。③第一回廊から本堂への石段。
仁王門の北側に雲居庵がある。
坂上を進むと雲居庵があるようで、この坂が本命か。途中に二本の杉。
源氏物語の「玉鬘(たまかづら)の巻」、それに拠った謡曲「玉鬘」に登場する杉。
本居宣長は『菅笠日記』に、「二本の杉の跡とて、ちひさき杉あり。又すこしくだりて、定家の中納言の塔也といふ、五輪なる石たてり。此ごろやうの物にて、いとしもうけられず」と記す。あまり納得していない様子だ。
古今集の「初瀬に詣つることに宿りける人の家に久しく宿らて、程経て後に至れりけれは、かの家の主かく定かになむ宿りはあるといひい出して侍りけれは、そこに立てりける梅の花を折りてよめる」 「人はいさ心もしらす故里は花そ昔の香に匂ひける」 久しぶりに訪れた初瀬の宿の主人から「昔のままに宿はあるのに」と皮肉られたことに返答した一種の挨拶歌だそうだ。
本居宣長はこの坂としている。「貫之の軒端の梅といふもあり、又蔵王堂産霊の神のほこらなど、ならびたてり。こゝより上を雲ゐ坂といふとかや」『菅笠日記』
上が本堂
登廊から仁王門へ下る。
連歌橋を渡る。《地図》
県下最大という大イチョウがそびえる。
本居宣長は『菅笠日記』で、「川辺にいで、橋をわたりて、あなたのきしに玉葛の君の跡とて庵あり。墓もありといへど、けふはあるじの尼物へまかりてなきほどなれば門さしたり。すべて此はつせに、そのあとかの跡とてあまたある。みなまことしからぬ中にも。この玉かづらこそ、いともいともをかしけれ。かの源氏物語は、なべてそらごとぞともわきまへで、まことに有けん人と思ひて、かゝる所をもかまへ出たるにや」と手厳しく、つれない。
表参道の石段を下る。
「ひだり いせミち」とあるが、ここからだと右へ上化粧坂を上るのが古い道筋。ここへ移された道標か?
『菅笠日記』では「けはひ坂とて、さがしき坂をすこしくだる。此坂路より、はつせの寺も里も目のまへにちかく、あざあざと見わたされるけしきえもいはず」だが、今はそれほどの景色でもないか。
左下に庚申塔と地蔵の祠。
上化粧坂(右)・下化粧坂(左)の合流地点の道標。(振り返って見ている)
ここまで来るのに2時間近くを費やしてしまった。先を急ごう。
畦道を桜井浄水場に向かって進む。《地図》
「従是四丁 多羅尾瀧」、多羅尾不動堂への道標だそうだが、滝がどこにあるのか分からず。
国道165号に出て東に西峠へ向かう。部分的に旧道が残っている。
ちゃんとした祠が欲しそうだった。
「降る雪はあはには降りそ吉隠の猪養(いかい)の岡のさむからまくに」但馬皇女の死を悲しむ穂積皇子の万葉集の歌。
この先の廃パチンコ店から右へ入る旧道が残るようだ。 西峠が古代の墨坂だろう。墨坂神社の旧社地も付近にあった。 旧道 《地図》 伊勢街道と戒場薬師(戒長寺)を示すというが読めず。この少し上に西峠会所がある。木造薬師如来坐像を安置し、永仁2年(1294)の石仏の断片(ムラサキ地蔵)が残るそうだ。 初瀬街道は直進する。 墨坂伝承地碑① 《地図》 神武天皇が国中へ侵攻の途中、墨坂では八十梟師(やそたける)が「おこし炭」をおいて防御した。『日本書紀』 ここを下って行くのだがうっかり見逃して、かなり進んでしまった。 萩原宿の北端の旧家 坂下から「伊勢本街道」のアーチの架かる道を進む。 墨坂①②とも日本書紀に出てくる坂にしては役不足といった感じだ。 札の辻(伊勢本街道(直進)と初瀬街道(左折)の追分)・旅籠あぶらや 【ル-ト地図】の4 旧南都銀行前に道標が立つ。 「あぶらや」(油屋)は「菅笠日記」の旅での本居宣長一行の2泊目の宿 松阪からここまで2日で歩いていまうのだから昔の人にはかなわない。それも長谷まで行く予定が2日間とも雨にたたられ、やむなくここに泊まったのだからなおさらだ。 宣長一行は吉野、飛鳥からの帰りにも、ここに泊まり(12泊目)、夜明け前に雨の中を伊勢本街道で松阪に向かっている。 「右 いせ本かい道 左 あをこ江みち」で、「左 青(阿保)越え江みち」が初瀬街道(伊勢表街道) 「聖徳太子殺生戒旧蹟」で、太子の創建とも伝える。 左に「孝心塔」と小祠が立つ辻。 「是より二丁」とあるが、そんな近くに寺はあるのか? 国道165号に出て2kmほど進み、右に榛原第八踏切(近鉄大阪線)を渡る。《地図》 ちょっと不安になるが、だめなら戻って国道を行けばいいか。 ぬれ地蔵(正面中央) 《地図》 室生ダムが増水時は水没するそうだ。 この先で近鉄線をくぐる。 旧道は左側の山手を通っていたそうだ。 休憩所になっている。 すぐ先右の半焼橋を渡る。半分焼け落ちているのではないから心配ない。 近鉄線沿いを下り、近鉄線・・国道165号・・・近鉄線とくぐりを繰り返す。旧道は国道と近鉄線によって消滅してしまったのだろう。 「右 室生山道」 ここを右折し大野寺に寄る。 薄れていて線刻画、壁画のようだ。宣長が訪れた時(明和9年(1772))も、「大野寺といふてらのほとりに、又あやしき岩あり。道より二三町左に見えたり。こは名高くて、旅ゆく人もおほく立よる所也といへば、ゆきて見るに、げにことさらに作りてたてたらんやうなるいはほのおもてに、みろくぼさちの御かたとてゑりつけたる、ほのかに見ゆ」で、すでにうっすらとしか見えなかったようだ。 大野海神社 【ル-ト地図】の5 奈良に海はなくとも海神社。祭神は海神の綿津見神の娘の豊玉姫命で、「山幸彦と海幸彦」神話に登場する。 室生口大野駅の先でまた近鉄線をくぐる。 林の中の道となる。 中央下は室生口大野駅 分かりにくい所だ。 少し地道を進み、元三の宿場に入る。舗装道路に出る手前の右側に赤い鳥居の社がある。 本陣を務めていた西澤家。 元三の宿場は榛原の宿と名張の宿の中間地点。 ①義経が静との逃避行の時に琴を弾いた。②全国行脚をした北条時頼が琴を弾いた。などの伝承があるそうだ。 ここは大和から伊賀への最初の峠で、伊賀国境への標石、制札場、茶屋、藤堂藩の郷倉屋敷もあったという。 薬師橋(近鉄線の跨線橋)を渡って長命寺へ 左に「源義経公参籠伝承地」碑が立つ。義経が流浪の折り、如来に宿願し琴を弾いたとか。京で育った義経は琴も弾けたのか。武士らしくなく、頼朝から嫌われるのも当然か。 もとは跨線橋の手前にあったそうだ。 芭蕉・宣長・義経の名が見える。 三本松の宿場に入る。 向い側に庭園が残るそうだが見落とした。
「こよひ雨いたくふり。風はげしきに、故郷のそらはさしおかれて、まづ花の梢やいかになるらんと、吉野の山のみ、よひとよやすからず思ひやられて、いとゞめもあはぬに、此やどのあるじにやあらん、よなかにおき出て、さもいみしき雨風かな、かくて明日はかならずはれなんとぞいふなる。きゝふせりて、いかでさもあらなんと、ねんじをり」
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