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2013年1月10日 (木)

初瀬街道④

2012年12月27日

伊賀上津駅(近鉄大阪線)・・・善福寺・・・菅笠日記碑・・伊勢路橋(青山川)・・伊勢地宿・・旅籠徳田屋跡・・・国道165号・・・(近鉄大阪線)・・・(西青山駅)・・・(近鉄大阪線)・・・旧道・・弘法大師講石仏・・国道165号・・・伊賀茶屋跡・乗馬クラブ・・・青山歩道橋・・・青山トンネル手前・県道512号・・・青山峠・・旧道・・・国道165号・・・旧道・・・国道165号・・・白山トンネル手前・・旧道・・・役行者像・・小峠・・・国道165号・・・旧道・八重坂・・・花山橋(垣内川)・・・垣内宿・・元標・・乗渓寺・・・国道165号・・・川久保橋・・旧道・・・(国道165号)・・・寺前橋(大村川)・・・成願寺・・・白山町郷土資料館・・・高樋橋(大村川)・・・白山比咩神社道標・・・称名寺・・・山の神塔群・・・道標・・・東明寺(二本木区会所)・二本木宿・・旅籠角屋・丁子屋・・・楠木橋(大堂川)・・・亀ケ広の桜堤・・・小川橋・・・笠着地蔵・さかさ地蔵・・・誕生寺道標・真盛上人誕生地道標・・・大仰橋(雲出川)・・県道15号・・旧道・・・県道15号・・谷戸坂・旧道・谷戸峠・・・県道15号・・・旧道・・・田尻交差点・・・川合高岡駅(近鉄大阪線)

  【ル-ト地図】(27.5km)

 伊勢地宿から時々風に雪が舞う青山峠(青越え・阿保越え・小倭越え)、小峠と越えて垣内宿へと下った。どちらも大した峠ではないが白山トンネルを越える小峠の方が悪路だった。その先の八重坂の長い下りも楽ではなかったが、後は気楽だ。大三駅までの予定だったが、明日は雨になるらしく、ひと踏ん張りして川合高岡駅まで足を延ばした。もう伊勢街道と合流する三渡橋までは10kmほどで、明日は雨でも雪でも楽勝だろう。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6379 伊勢地宿の入口近く 《地図

昨夜の雪の名残だろう。
右に本居宣長の『菅笠日記』碑が立ち、「からうじて伊勢地の宿にゆきつきたる。うれしさも又いはんかたなし。そこに松本のなにがしといふものゝ家にやどりぬ」と刻む。住まいの松阪から歩き始めて伊勢地が1泊目の地。2泊目は萩原(榛原)

Img_6382 伊勢地宿

Img_6380_2 宿場図

Img_6388 伊勢橋を渡って宿の家並みへ。 【ル-ト地図】の①

Img_6389_2 旧家

Img_6390 旧家

Img_6394 旅籠徳田屋

明治末期まで営業していた。今でも玄関先に徳田屋の看板が掛かる。宣長一行が泊まった松本某の家は当家の斜め向かいにあった郷士松本五右衛門家だったというが、宿場図には載っていないので確かなことかは分からず。

Img_6396 国道165号に出て緩やかに上って行く。

Img_6399 西青山駅の下を通る。

Img_6402 旧道が残る。

Img_6404 弘法大師講の石仏

明治32年に地元の大師講が設けた四国八十八ケ所のミニチュア霊場らしい。

Img_6405 伊賀茶屋跡あたり

乗馬クラブの向い側。

Img_6407 ここも弘法大師講のミニチュア霊場だろう。青山地蔵(青山大師)がここか?

向い側に伊賀茶屋があった。

Img_6409 0度だ。

Img_6413 青山トンネル手前で右に入る。《地図

ここは分かりやすい。

Img_6414 ここも県道512号で舗装されている。

Img_6416 青山峠 【ル-ト地図】の②

伊賀国と伊勢国の境で、古くは阿保(あお)山といわれ、初瀬街道中の最大の難所だった。また伊勢と長谷の中間地点で、峠まではおよそ2日間の旅だった。峠の東西半里に伊勢茶屋、伊賀茶屋があった。
壬申の乱で大海人皇子は、吉野から榛原→名張→加太(かぶと)越え→伊勢へと進んだ。青山越えは全部開通してなかったか、援軍との合流のためだったか。

ここから右に下って行く。

Img_6417 うっすらと雪化粧した道を行く。

宣長の「菅笠日記」の旅では「阿保の山路にかゝるほど、又ふりいでゝいとわびし」だった。

途中右側に地蔵道標が立つというが見つからなかった。

Img_6419 国道に出る。

Img_6422 旧道が残る。

このあたりが伊勢茶屋跡

Img_6427 国道に出て右に入って上るのだが、入り口が分かりにくい。

少し手前の広い林道をかなり上ってしまい引き返し大きくロスタイムした。

Img_6428 国道からここ入って来るのだ。

Img_6429 道らしくなるが。《地図》(道の標示はない)

Img_6431 倒木が道を塞ぐ。

Img_6432 足場が悪くぬかるんでいる。この道でいいのかちょっと不安になるが、だめなら白山トンネルを抜ければいいさ。

Img_6434 役行者像(宝暦4年(1754))を見て一安心。

国道の入口からここまで大した距離ではないが疲れた。

Img_6435 振り返る。

左が街道の道筋。

Img_6436 この先で白山トンネル先の国道に下る。

Img_6439 ここから左に八重坂の下りとなる。

Img_6440 注意掲示板

Img_6441 この道も歩き安い道ではない。 【ル-ト地図】の③

二本杉峠(旧天城峠)を越えた時に比べれば何ということもないが。『下田街道③

Img_6443 日なたに出るとほっとする。

Img_6445 何度も大きくカーブして林道下って行く。

街道は直進して下っていたそうだ。

Img_6446_2 ここが終点で、花山橋を渡ればすぐ垣内宿の入口となる。

Img_6450 垣内(かいと)宿の井筒屋跡

ここは宿の西端あたり。

Img_6462 宿場図

Img_6463 説明板

Img_6456 宿の家並み

伊能忠敬も泊まった宿場だった。

Img_6457 道路元標(大正3年)・乗渓寺の石標。

Img_6459 乗渓寺

宿場内で行き倒れになる旅人が多かったのか、無縁仏が多いという。

Img_6458 暖簾にも「初瀬街道 垣内宿」

サンタの長靴には何が入っていたかな。

国道165号に出て川久保バス停の先で、右に旧道に入る。

Img_6469 右に進み、再び国道165号を渡る。

Img_6475_2 成願寺 《地図

本尊は木造阿弥陀如来(国重文)で通称は「こしかけ阿弥陀如来」。

Img_6477 説明板

Img_6485 旧白山町役場倭支所

Img_6489 白山町郷土資料館 《地図

Img_6492 説明板(垣内宿)

Img_6490 講札

Img_6495 旧道の名残り(右)

Img_6500 白山比咩神社道標

正面の三叉路。一の鳥居があったそうだ。神社は直進で、街道は左折して行く。

Img_6503畔道のような道を行く。

Img_6508 称名寺境内 《地図

Img_6517 道標(左の民家前)

「上 いせみち」?

Img_6522 東明寺(二本木区会所内) 《地図

今は木造薬師如来立像などの保管場所か。

Img_6521 説明板

Img_6525 二本木宿へ入る。《地図

Img_6526 角屋(左)・丁子屋(右)

Img_6530 旅籠角屋

建物の前に犬矢来(やらい)が残る。

Img_6528丁子屋

安政4年(1857)まで旅籠、それ以降は醤油屋で今でも商っているようだ。

Img_6533 気分のいい道を行く。

Img_6539 亀ケ広古墳群案内板

ここからの距離が表示されていないので行かなかったが、近鉄大阪線の手前に3基の古墳があるようだ。

Img_6544亀ケ広の桜堤 【ル-ト地図】の④

車も通らず静かないい道だ。桜が咲いていればなお結構なのだが。

Img_6546 説明板

Img_6548 雲出川

「波多の横山」と呼ばれた景観の地。『菅笠日記』には、「さて川辺をのぼりゆくあたりのけしきいとよし。大きなるいはほども、山にも道のほとりにも、川の中にもいとおほくて、所々に岩淵などのあるを、見くだしたる、いとおそろし。かの吹黄刀自がよめりし、波多の横山のいはほといふは、【萬葉一に 川上のゆつ岩村にこけむさずつねにもがもなとこをとめにて】此わたりならんと、あがた居のうしのいはれしは、げにさもあらんかし

伊勢街道はずっと下流の雲出橋で雲出川を渡る。

Img_6555 笠着地蔵(逆着地蔵)

真盛上人ゆかりの地蔵。このあたりには誕生寺など上人ゆかりの史跡が多い。

Img_6554 由来

Img_6558 さかさ(逆さ)地蔵(笠着地蔵の前の川岸の巨岩の左下面)

安政の大地震の時、地蔵が刻まれていた道脇の巨岩が川岸に転がり落ち、地蔵も逆さになったという。
「笠着」・「逆着」・「逆さ」地蔵でややこしい。

Img_6566 大仰(おおのき)橋から雲出川 《地図

明治以前は200mほど下流に橋が架かっていた。増水時には橋は引き上げ、舟渡しになった。大仰の宿では関西方面からの参拝者達が板橋を渡ると、藤屋など土地の女将や女中が迎えて、宿に誘ったものだという。

『菅笠日記』には、「谷戸大仰などいふ里を過ゆく。こゝまで道すがら、ところ々櫻の花ざかり也。立やすらひては見つゝゆく。 しばしとてたちとまりてもとまりにし友こひしのぶ花のこの本。大のき川大きなる川也。雲出川のかはかみとぞいふ」とある。

Img_6568 大仰橋を渡り県道から右斜めに入る。

今は往時の宿場の面影はない。

Img_6573 谷戸(たんど)坂を上る。

Img_6574 左に旧道に入る。 【ル-ト地図】の⑤

Img_6575 坂上の谷戸峠近く

府近でボタン石が出ることから「ボタン峠」ともいわれた。
明治頃までは沢蟹焼きの露店が並んでいたという。
谷戸峠からは下りとなる。

Img_6579 常夜灯の先で県道に出る。

井関交差点の先で右に旧道に入ると波瀬川沿いが田尻の宿だったが、JR名松線で分断されて旧道、宿場の雰囲気は残っていない。

Img_6587川合高岡駅

この桜の老木は倒折れるおそれがあるため、切り倒されるらしい。支柱などで生き延ばせないものか。乗降客も少ないようだし、邪魔にはならないだろう。

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