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2013年2月27日 (水)

美濃路①

2013年2月20日

金山駅(JR東海道線)・・・佐屋街道追分(金山新橋南交差点)・・・新橋(JR東海道線)・・・榊森白山社・・・古渡一里塚跡①あたり・・・古渡町交差点(都心環状線)・・・東別院・古渡城跡・・・橘町大木戸跡・・・栄国寺・切支丹塚・・・日置神社・・・西別院・・・仁王門通り・・大須観音・・・札の辻・伝馬会所跡(伝馬町通本町交差点)・・・伝馬橋(堀川)・・・浅間神社・四間道・・慶栄寺・・金刀比羅神社・・円頓寺・・五条橋(堀川)・・・御深地蔵尊・・・名古屋城西北隅櫓・・・江川一里塚跡②・稲生街道分岐地点・・・樽屋町大木戸跡・・・白山神社・・・庄内用水路・・尾州殿茶屋跡・・・八幡神社・・・清音寺・・(名鉄線)・・・黒體龍王大神・・・枇杷島橋(庄内川)・・岩倉街道分岐地点・・橋詰神社・・・(JR線)・・・旧青果問屋街(小田井の市場)・・高照寺・・六軒神社・・問屋記念館・・松原神社・・・瑞正寺・・・新川橋(新川)・・・須佐之男神社・・・名鉄津島線踏切・・・一里田橋(一里塚川)・須ケ口一里塚跡③・・・外町一里塚道標・正覚寺・今川塚供養碑・・・(名鉄名古屋本線)・・・日吉神社道標・・・五条橋(五条川)・・清洲古城趾道標・・・清洲公園・・・札の辻・清涼寺・・・上畠神社・・・清洲宿本陣跡・・・(JR線)・(名古屋環状2号線)・・・清洲駅(JR東海道線)

  【ル-ト地図】(20.7km)

 東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ美濃路を、佐屋街道との追分から歩く。
 名古屋宿(城下)→清洲(清須)宿→稲葉宿→萩原宿→起宿から木曽川を渡り岐阜県に入り→墨俣宿→大垣宿→垂井宿へと進む。
 桶狭間の戦での信長、小田原征伐での秀吉、関ヶ原の戦での家康の戦勝・凱旋道で吉例街道とも呼ばれ、参勤交代の諸大名、朝鮮通信使、琉球使節、悪名高きお茶壺道中などが通行し、長良川で獲れた鮎を鮎鮨にして、将軍家に献上するため継ぎ送った道、広南国(ベトナム)から将軍吉宗に献上された象が通った道でもある。

 2月も下旬となったが相変わらずの寒さだ。北西方向に進むので冷たい風をまともに受けながらの道中となる。 

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7962 美濃路説明板

新川橋ポケットパークに設置のもの。

Img_8236 美濃路略図(起宿手前の冨田一里塚跡に設置のもの)

四ツ家追分から中山道の加納宿への岐阜街道(御鮨街道)も歩く予定。

Img_7813 佐屋街道(左折)との追分 【ル-ト地図】の①

東面に「右 なこや 木曽 海道」とあり、美濃路は直進して行く。

東海道の宮宿の追分からここまでと佐屋街道は、『東海道(知立宿→宮宿・佐屋街道①』に記載。

Img_7815 榊森白山社

熱田神宮へ榊を奉納していたため、榊森と呼ばれるようになり、北から熱田神宮へ参る時の祓い所だったそうだ。

 古渡町交差点の手前の伝昌寺の東側あたりに、美濃路で最初の古渡(ふるわたり)一里塚跡①があり、塚上に榎がそびえていたというがむろん跡形もない。《地図
 美濃路には13か所に一里塚があったが、塚跡が残るのは冨田一里塚⑦と久徳一里塚⑫のみ。

Img_7827 古渡町交差点の先で右に入る。《地図

ここに名古屋城下の南口の橘町大木戸があった。

Img_7822 東別院

Img_7821_2 説明板

Img_7824 古渡城趾碑(東別院境内)

信長はこの城で元服したという。

Img_7826 説明板

Img_7833_2切支丹塚(正面右奥・栄国寺) 《地図

このあたりは千本松原といわれた尾張藩の刑場だった。刑場は後に土器野(かわらけの)刑場に移された(後述)。
境内には切支丹遺蹟博物館もある。

Img_7830 説明板①

Img_7832 説明板②

Img_7840 日置神社

信長が桶狭間へ出陣の時、戦勝を祈願し戦勝後の礼に松を千本を植えたという。

Img_7841 説明板

Img_7843 門前町家並み

仏具店通りだ。

Img_7847 仁王門通り 《地図

大須観音へ向かう。

Img_7850 「ういろう」の青柳

Img_7849 大須観音(宝生院)

平日でも参拝者が多い。

Img_7851 札の辻・伝馬会所跡(問屋場) 【ル-ト地図】の②

名古屋宿は尾張藩の城下町で宿高はなかった。本陣・脇本陣もなく、諸大名は宮宿から清洲宿まで通過させた。朝鮮通信使の場合には性高院を宿所とし、藩が接待に当たった。

直進が稲置街道(犬山街道)・善光寺街道(下街道)で、右折するのは岡崎街道(飯田街道)。美濃路は左折して西に向かう。

Img_7852 説明板

Img_7854 往時の賑わい

Img_7855 伝馬橋(堀川) 《地図

清洲(清須)越」で開削された堀川に架かる七橋の一つ。

橋を渡って右折し北上する。

Img_7856 説明板

橋の東側には材木商が多かった。

Img_7859 旧家

Img_7861 浅間神社前を右折し、四間道に入る。【ル-ト地図】の③

Img_7869 説明板

「四間道」の由来には別説もあり、①このあたりにあった4軒の寺社の「四軒道」から ②ぬかるみの道、「湿気道」からとも。

Img_7870 東側は石垣の上に土蔵、西側には町家が並ぶ。

Img_7875 屋根神様

Img_7873 説明板

Img_7877 この屋根にも鎮座。

Img_8605 円頓寺商店街

以前はもっと賑わっていたようだが。

Img_8610 金刀比羅神社

商店街の途中にほっそりと祀られている。

Img_8609 説明板

Img_8607 円頓寺(えんどうじ)

Img_8608 説明板

Img_7879 五条橋(堀川) 《地図

「清洲越」で橋まで引っ越して来た。

Img_7880 説明板

旧五条橋の擬宝珠

Img_7897 名古屋城

金鯱がまぶしい。

Img_7890 西北隅櫓 《地図

清洲城から移築したものという。

美濃路に戻る。

Img_7898 江川一里塚跡② 【ル-ト地図】の④

このあたりで稲生街道が北に分岐する。

Img_7899 説明板

Img_7900 樽屋町大木戸跡 《地図

名古屋城下の西口

Img_7901 説明板

Img_7902 白山神社 《地図

信長が桶狭間へ出陣の時、戦勝を祈願し、戦勝後の礼に太刀を寄進したという。

この前には立場があり、旅人のための茶店があった。

Img_7904 尾州殿茶屋跡

庄内用水路を渡った左側。

Img_7907 説明板

Img_7915 清音寺 《地図

治承3年(1179)、平清盛によって流罪に処せられた太政大臣藤原師長と村娘の悲恋話。赦免され都へ帰る師長は村娘に形見として琵琶を与えた。師長を追った村娘は庄内川に身を投げた。それが琵琶(枇杷)島の由来という。
平針街道の近くには師長の謫居跡と伝える所がある。

Img_7913 説明板

Img_7917 旧枇杷島橋のモニュメント

Img_7918 説明板

黒體龍王社前を通り、枇杷島橋を渡る。

Img_7922 庄内川(枇杷島橋から上流方向)

名鉄線が走る。橋を渡った所から北に岩倉街道が分岐する。

Img_7923 橋詰神社 《地図

この前で岩倉方面から農産物などを小田井の市場に運んだ岩倉街道が合流する。

Img_7928 旧青果問屋街を通って行く。

問屋は小田井の市場、枇杷島市場ともいわれ、江戸千住や大阪天満と並び、日本三大市場に数えられたそうだ。青果に限らず乾物・魚鳥・薪炭・糸・煙草など広範囲だったという。

Img_1934青物市(尾張名所図会)

Img_7931 問屋記念館 《地図

Img_7932 説明板

Img_7936 内部

Img_7942 旧家

Img_7943 屋根神様

Img_7949 はりつけ松原跡あたり

この先の瑞正寺の北方の北中野公園あたりに尾張藩の土器野刑場(千本松原から移された)があった。

Img_7956 宝塔(瑞正寺) 《地図

処刑者の供養塔で、もとは刑場の前にあったもの。

Img_7955 説明板

Img_7961 高札場跡(新川橋ポケットパーク) 《地図

津島道道標・新川橋親柱

Img_7973 須ケ口一里塚跡③

左の民家前に「みの路 一里塚之跡」碑が立つ。手前は一里田橋(一里塚川)。

Img_7975 説明板

Img_7978 古い造りの商店

Img_7981 外町一里塚道標(正覚寺前) 《地図

もとは一里塚跡あたりにあったもの。

Img_7980 説明板

Img_7984 今川塚供養碑(正覚寺境内)

これも手前の美濃路沿いの民家にあったもの。

Img_7983 説明板

Img_7985伊勢安商店

まげわっぱ」を商っている。

Img_7986 揚げ棚(格子の前)のある旧家

荷物などを置く折りたたみ式縁台。格子には「美濃路」の標示板が架かっている。

Img_7991 日吉神社道標 《地図

清洲城下の氏神

Img_7994 信長・秀吉・家康ゆかりの神社とか。

Img_7995 五条橋(五条川) 《地図

これが元祖の清洲城下の五条橋

Img_7999 説明板

Img_8000 清洲古城趾道標(五条橋を渡った所)

「是より弐丁」とある。対岸奥は現在の清洲城。

Img_8007 信長像(清須公園内) 《地図

桶狭間へ出陣の姿という。傍らに濃姫の像が見守っている。清洲古城はJR線に分断されている。

Img_8012 清洲城(平成元年の建築の模擬天守)

手前を新幹線と東海道線がひっきりなしに通る。もう5時近くで天守へは上れないのでここからの眺めのみ。

Img_8017 札の辻 【ル-ト地図】の⑤

Img_8014 説明板

Img_8015 時の鐘(清涼寺)

Img_8018 上畠神社(上畠神明社)

「不浄除け」の塀が社殿を隠している。清須三社の一つで、ここ神明町の町名にもなっている。

Img_8031 清洲宿本陣跡

林惣兵衛が勤めた。「本陣の松」といわれた2本の松があり、「松になりたや 本陣の松に 諸国大名を 下に見る」と歌われた。天保14年(1843)には本陣1・脇本陣3・問屋場1・旅籠21軒の宿場だった。脇本陣と問屋場は札の辻と本陣の間にあった。

「清洲」・「清須」の2つの表記があり、混用されている。市名は清須市だが、駅名はJR・名鉄とも清洲だ。「清須」が古いようだが、こちらも気にせず混用する。

Img_8022 説明板

Img_8023 林医院(本陣の左隣)

本陣家の家柄だろう。

Img_8035 この先を左折し清洲駅に向かった。

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2013年2月 5日 (火)

横大路

2013年1月22日

磐城駅(近鉄南大阪線)・・・長尾神社・・・国道166号・・磐城踏切(近鉄南大阪線)・・・古池・・・三つ池・・・大中公園(浮舞台・静御前記念碑)・・・大中橋(高田川)・・・長谷本寺・・下街道合流地点(北片塩町交差点)・・・専立寺・寺内町・・・馬冷池・天神地蔵・不動院・・・東口踏切(JR和歌山線)・・・太神宮高灯籠・・・下街道分岐地点(旭北町交差点)・・・(JR桜井線ガード)・・・葛城橋(葛城川)・・・今里橋(住吉川)・・・徳応寺・・・金橋神社・安閑天皇勾金橋宮趾碑・・・藤堂家代官屋敷長屋門・・・(国道24号バイパス)・・・道標(太玉社)・豊津橋(曽我川)・・道標・・・光岩院・・・五井川(跡)・・・入鹿神社・大日堂(正蓮寺)・・・高橋(飛鳥川)・・・八木第三号踏切(近鉄橿原線)・・・太神宮灯籠・・藤原京横大路南側溝跡遺跡・・ラ・バンク(旧六十八銀行)・・接待場跡・・札の辻(中街道交差地点)・・・武蔵橋(米川)・・・山の坊山口神社・・・道標・地蔵前橋(米川)・・・弘法大師堂・・・中ツ道交差地点・三輪神社・・・阿彌寺地蔵堂・・・香久山踏切(JR桜井線)・・・医王寺・・・八幡宮・・・小西橋(寺川)・・・茶臼山古墳・・・宗像神社・・・不動院・・・城山橋(粟原川)・・・宇陀ケ辻・・・(近鉄大阪線ガード)・・・佐野渡橋(大和川)・・・上街道追分・初瀬街道始点・・・大和朝倉駅(近鉄大阪線)

  【ル-ト地図】(21.6km)

 竹内街道の終点の長尾神社から東へ、古代の官道、大道の横大路を上街道の終点で初瀬街道の始点の慈恩寺の追分まで歩く。
 雨の中を当麻町→大和高田市→橿原市→桜井市と進んで行く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7369 横大路説明板(長谷本寺前に設置)

雨粒で見にくいが。
『日本書紀』(推古天皇21年条)には、「自難波大道」と記す。

Img_7370 概略図

上津道→上街道、下津道→中街道となるが、中津道は農地や住宅地で、途切れがちの道になっている。

Img_7346長尾神社 《地図

竹内街道を歩いた時は、社殿の後方からの夕日が眩しかったが、今日は雨に煙っている。

Img_7349 狛蛙親子(石灯籠前)

雨で元気が出たか、生き生きしている。

Img_7351 古池 《地図

蛙親子はこの池に飛び込んで遊んでいるとか。

高田川沿いの桜の名所、大中(おおなか)公園に入る。

Img_7362 浮舞台桜華殿

市政50周年の1億円の寄附で実現した能舞台だそうだ。

Img_7364 静御前記念碑 【ル-ト地図】の①

表面に「しずやしず 賤のおだまきくり返し 昔を今になすよしもがな」

磯野の地は静の母の故郷。鎌倉から京へ帰された静は、この里で暮らし生涯を閉じたそうだ。

Img_7366 裏面

Img_7365 「静御前めぐり」案内図

静御前の史跡

日光街道の栗橋宿にも「静御前の墓」がある。平泉へ向かう途中で、義経の死を聞き京へ戻ろうとしたが病となり、栗橋で死去したと伝える。

Img_7373長谷本寺 《地図

左は道標(明治元年)で、東面に「すぐ 大坂 さかい 道」。(「すぐ」は「真っ直ぐ」という意)

 この先の北片塩町交差点から650mほど下街道と合流して進むが、北に入って専立寺の寺内町に寄る。
 

Img_7376専立寺の寺内町の家並み 《地図

Img_7382 専立寺(せんりゅうじ・高田御坊)

左の歌碑は野口雨情の「高田小唄」の一節。

Img_7381 説明板(寺内町)

Img_7383 説明板(歌碑)

Img_7384 森川商店

もとは明治27年にこの地に開設された高田銀行が大正6年に産業銀行高田支店となり、昭和2年5月に建築された建物。

Img_7389 雨が似合う通りだ。

Img_7395 馬冷池 【ル-ト地図】の②

向うが不動院

Img_7396 説明板

Img_7397 天神地蔵

馬冷池の河童と地蔵の伝説がある。

Img_7398 伝説

Img_7399 天神橋商店街

Img_7402 地蔵さんのお助けを借りても・・・。

 横大路に戻る。

Img_7407 大卯

和菓子店

Img_7412 高灯籠

Img_7410 説明板

Img_7413 下街道分岐地点(旭北町交差点) 《地図

下街道は左折、横大路は直進。

JR桜井線ガードをくぐり、→葛城橋(葛城川)→今里橋(住吉川)と渡って行く。

Img_7422 曲川町の旧家

Img_7429 旧家

Img_7430 徳応寺 《地図

曲川は、本田善光が難波の堀江から出現した善光寺如来像を最初に安置した地と伝わるようだ。

Img_7434 金橋神社

Img_7436 安閑天皇勾金橋宮趾碑

Img_7440 藤堂家代官屋敷長屋門?

曲川陣屋の堀家だろうか。

Img_7443 道標(左)・豊津橋 《地図

「太玉社 是ヨリ四丁南」に、「天太玉命社」がある。

Img_7447 道標(嘉永?年)

豊津橋を渡った所

Img_7450 光岩院

蘇我氏が建てた東楽寺・西楽寺・北楽寺・南楽寺のうちの西楽寺の後身だと伝わるそうだ。鎌倉時代の高さ2.7mの五輪塔があるようだが見落とした。

Img_7454 五井川(跡)に架かる橋だが、「那ゐ波し」か?

Img_7461 道標(文化3年(1806)) 《地図

大日堂と入鹿神社への道標。このあたりは歩いたことがあるのだが、ほとんど忘れている。

Img_7470 入鹿神社

Img_7469 説明板

Img_7464 大日堂

Img_7467 大日如来像

先の道標には「聖徳太子御自作」とあるが鎌倉時代の作。

Img_7465 説明板

近鉄橿原線を渡り、八木の町に入る。『周辺案内図

Img_7476 太神宮灯籠(右) 《地図

この先の接待場(せんたいば)から移されたもの。

Img_7477 説明板

Img_7481 藤原京横大路南側溝跡遺跡(法務局の所)

Img_7484 ラ・バンク(旧六十八銀行) 《地図

今も結婚式場として営業しているのだろうか?

Img_7488 接待場(せんたいば)跡

今は接待を受けているのは車だ。

Img_7486 説明板

札の辻あたりは、『中街道②』にも記載。

Img_7490 説明板

Img_7489 札の辻(中街道交差地点) 【ル-ト地図】の③

Img_7496 耳成山

大和三山の一つ

Img_7503 山の坊山口神社 《地図

葉がこんもりと繁った大木が見事だ。

Img_7507 道標(正面電柱前) 《地図

「すぐかぐ山 法ねん寺道」で、右の地蔵前橋(米川)を渡って南に行けば「法然寺」がある。

Img_7510 (積川)弘法大師堂?

石碑には、「弘法大師が回国のみぎり、米川と出合川の合流地に来て、「くしゃみ」に悩ませられ、川水を掬って飲んだところ全治したという伝承」が書かれているようだ。

Img_7515 中ツ道交差地点 【ル-ト地図】の④

Img_7516 中ツ道(北方向)

右の地蔵の後ろの溝の中に礎石がある。

Img_7517 南方向は民家で途切れる。

Img_7518 礎石

①藤原京内にあった寺院のものを持ち出した。②『大和旧跡幽考』に記された面堂の遺構、すなわち面堂にあった寺院の礎石。③壬申紀に見える大井寺の礎石(『奈良県歴史の道調査報告書』)などの説がある。『日本書紀』の壬申紀には中道(中ツ道)の戦いで、「大井寺の奴の徳麻呂」の名が見える。

今も出垣内町、膳夫町、出合町のうち横大路に沿った部分を面堂という。

Img_7519 説明板

Img_7521 三輪神社

鳥居の左側が「おかげ参り」の目印になったという大ケヤキか。

Img_7528 旧家

Img_7534 小西橋(寺川) 《地図

『奈良県歴史の道調査報告書』では、古代の横大路はここまでとする。

Img_7546 本町通2商店街(桜井駅前)

昼なお暗い通りに、なぜかNHKFMからベートーベンの曲が流れていた。ショパンの「葬送行進曲」の方がお似合いだ。

Img_7552 山本五平薬局

Img_7563 茶臼山古墳 《地図

後方部南側から

Img_7561 説明板

 

Img_7572 宗像神社

Img_7579 不動院

Img_7580 説明板

Img_7583 三輪山方向

Img_7589 宇陀ケ辻

舒明(じょめい)天皇御陵への道標(右端)

Img_7595 近鉄大阪線をくぐり右に入る。

Img_7597 佐野渡橋(大和川) 《地図

工事中で渡れず新佐野渡橋へ迂回し、この橋を渡った所まで戻る。

Img_7606 追分 【ル-ト地図】の⑤

上街道合流地点・初瀬街道始点

Img_7611 大和朝倉駅

一日中雨模様の道のりだった。

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2013年2月 4日 (月)

下街道②

2013年1月23日

大和新庄駅(JR和歌山本線)・・・大和新庄南二番踏切・・・笛吹若宮神社・・・新町橋(安位川)・・・薑地区・・・閻魔堂・・・御所まち(北の木戸跡・高札場跡・四地蔵①(長命地蔵)・・大橋(葛城川)・・正栄寺・・町石・・四地蔵②(大日地蔵)・・四地蔵③(馬橋地蔵)・・円照寺・・・大橋・・真龍寺・・背割下水・・加茂口踏切(JR和歌山本線)・四地蔵④(安産地蔵))・・鴨口橋(柳田川)・・鴨都波神社・・・端駆橋(葛城川)・・・国道24号・・・宝国寺・・八幡神社・宮山古墳(室の大墓)・・・かやの木淡島神社・・・小殿交差点・旧道・・・西蓮寺・・・田口橋(葛城川)・・・船宿寺・・・風の森峠・国道24号・・・小山跨線橋(JR和歌山本線)・・・春日神社・・・北川橋(北川)・・・中街道合流地点・・・北宇智駅(JR和歌山本線)

  【ル-ト地図】(20.5km)

 御所まちを散策し、国道24号に出て右手に金剛・葛城山を見ながら進む。小殿で左に旧道に入り緩やかに上って行くと、船宿寺の先で風の森峠に出た。ここは葛城古道で歩いた所だ。
 後は五條に向かってひたすら下って行く。北宇智駅を過ぎて中街道との合流地点に着いた。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_7622 笛吹若宮神社 《地図

葛木坐火雷神社(笛吹神社)の分社。

Img_7639 閻魔堂(右)

Img_7637 地蔵が真ん中に幅をきかせている。

閻魔さんは右奥に引っ込まされて渋い顔だ。

Img_7640 薑(はじかみ)地区の家並み

Img_7644 御所駅前の商店街だが開いている店も、人通りもなし。

『御所まちマップ』を頼りに散策する。

Img_7762 北の木戸跡 【ル-ト地図】の①

枡形(遠見遮断)になっている。
御所まちは江戸初期に形成された陣屋町で、葛城川の西側が環濠集落の商業地区の西御所、東側が寺内町の西御所として発展した。
(『御所市HP』) 陣屋はどこにあったのか?

Img_7767 高札場・四地蔵①(馬橋地蔵)

枡形を過ぎ振り返った所。四地蔵は御所まちの四隅を守る道祖神みたいなものか。

Img_7766 旧家(上の写真の右側の家)

Img_7769 西御所の家並み

Img_7772  旧家

大橋(葛城川)を渡って東御所の寺内町へ。

Img_7776 旧家

Img_7778 旧家

Img_7779 四地蔵②(大日地蔵) 《地図

Img_7780四地蔵③(馬橋地蔵) 《地図

Img_7782 円照寺(御所御坊) 《地図

再び大橋を渡って西御所に戻る。

Img_7796 中井家(国登録有形文化財)

Img_7799 旧家

Img_7800 油長酒造(享保4年(1719)創業) 《地図

「風の森」の樽が積んである。

Img_7804 旧家

Img_7805 背割下水

Img_7648 四地蔵④(安産地蔵) 《地図

ここで御所まちともおさらばだ。

Img_7653鴨都波神社

葛城氏・鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)に対して「下鴨社」とも呼ばれる。京都の上賀茂・下賀茂神社の本家という。

Img_7662 蛇穴(さらぎ)交差点から金剛山

Img_7675 宝国寺(室身替大師)

Img_7673

宮山古墳(室の大墓) 【ル-ト地図】の②

Img_7679 説明板

Img_7678 八幡神社

ここは宮山古墳の後円部下。

Img_7676 説明板

Img_7690 葛城山(右)・金剛山(左)

Img_7699 かやの木淡島神社(右)

小殿交差点から左に旧道に入る。

Img_7706 旧家の前に「家長韜庵」の石碑

生家か旧宅か?

Img_7707 石碑

Img_7711 小殿→鳥井戸→五百家(いうか)→船路へと上って行く。

Img_7718 葛城川も細くなっている。

Img_7723 船宿寺 【ル-ト地図】の③

「花の寺」だが今の時期、花はお休みか。なぜ「船」なのかと思っていたが、船形岩からきているようだ。船路という地名もこの寺に由来するのだろう。

Img_7722 説明板

Img_7728

Img_7734 風の森峠 【ル-ト地図】の④

名前のような景観はない。
ここで国道24号と合流する。

Img_7736 風の森バス停(振り返って見ている)

2008年5月に御所駅からここまで、下街道の西側の葛城・金剛山麓の「葛城古道」を歩いている。なんだが懐かしい。

Img_7739 ひたすら国道を下る

Img_7756 北宇智駅を過ぎる。

Img_7089 中街道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

この先、五條までは「中街道②」に記載。

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2013年2月 1日 (金)

下街道①

2013年1月21日

近鉄郡山駅(近鉄橿原線)・・・郡山城跡・・・柳町商店街通り・・洞泉寺町(遊郭街跡・源九郎稲荷神社・洞泉寺・大信寺)・・・郡山八幡神社・・竜田越奈良街道合流地点・・・天井池・・・本庄踏切(JR関西本線)・・・西念寺・・・八幡宮・・・専念寺・・・菅田比売神社・・・筒井城跡・・・筒井村道路元標・・・(近鉄橿原線)・・・馬司西池・・・(西名阪自動車道)・・・鎌倉坂・・額安寺五輪塔群・・・推古神社・・・額安寺・・・中家住宅・・・馬場尻橋(大和川)・・・吐田橋(寺川)・・・地蔵道標・唐院橋(飛鳥川)・・・小柳橋(曽我川)・・・但馬第六号踏切(近鉄田原本線)・・・枯木橋(葛城川)・・・大福寺・・・教行寺・・・小北稲荷神社鳥居・・・山王神社鳥居・・・高田第二号踏切(近鉄大阪線)・・・大道踏切(JR桜井線)・・・横大路合流地点・・・高田城址・・・光寺踏切(JR和歌山線)・常光寺・・・高田町道路元標・・・八王子神社・・・横大路分岐地点(北片塩町交差点)・太神宮常夜灯・県道5号・・国道166号・・・多久蟲玉神社・・・高田市駅(近鉄南大阪線)・・・浮孔橋(高田川)・・・(大和高田バイパス)・・・古池・・柿本北交差点・旧道・・・大和新庄駅(JR和歌山線)

  【ル-ト地図】(28.0km)

 下街道は中街道(下ツ道)の西側を通る近世の道で、大和郡山市→安堵町→川西町→三宅町→広陵町→大和高田市→葛城市→御所市から風の森峠を越えて五條市に入り、中街道と合流する。
 まずは郡山城跡と洞泉寺町の遊郭街跡を散策し、下街道に入る。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7167 郡山城跡

追手向櫓と追手門

Img_7170 説明板

Img_7175 天守台

Img_7184天守台の北側の石垣

「さかさ地蔵」とは?

Img_7182 さかさ地蔵

付近から接収され石垣に組み込まれ、逆さになった石地蔵。
平城京の城門跡から運ばれた礎石と伝わるものなども使われているそうだ。築城のためなら手当り次第、神も仏もあったものではないか。

Img_7179 説明板

Img_7195 洞泉寺町の遊郭街跡

右隣に源九郎稲荷神社と洞泉寺。

Img_7197 源九郎稲荷神社 《地図

かつては日本三大稲荷の一つに数えられていた社。遊郭関係者の信仰も篤かったという。
源九郎狐伝説のパロディ落語『猫の忠信

Img_7201 妓楼だった建物だろう。

Img_7203 突当りが旧川本家

3階建てだ。

Img_7206 川本家(隣の大信寺境内から)

♪「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来るという」♪ と浪曲の一節にもあるように、虚々実々の色里の世界に、マークとは洒落ているか、自虐的か。

城と遊郭で遊び過ぎた。道中は長い。さあ、街道を歩き始めよう。柳町商店街通りを南下して行く。

Img_7212 柳町商店街

Img_7213 郡山八幡神社

この南側の交差点で竜田越奈良街道が西から合流し、北上して奈良に向って行く。

Img_7216 御宿花うちや(花内屋) 《地図

虫籠窓の回りに鏝絵(こてえ)で屋号を描いている。今は廃業してしまったようだ。

この西側の東岡町にも遊郭街の跡が色濃く残っているというが、まあいいだろう。

Img_7222 金魚池

大和郡山市は金魚の養殖が盛んな金魚の町。向うに近鉄橿原線が通る。

Img_7229 菅田比売神社 《地図

Img_7232 筒井城跡 【ル-ト地図】の①

ここにたどり着くまでかなり苦労した。ここより南方の平端駅近くの筒井順慶歴史公園が筒井順慶の墓所のようだ。

Img_7236 筒井村道路元標(正面)

この先で右折し、近鉄橿原線の西側に出て南下する。

西名阪自動車道をくぐった先で、右へ南西方向に進む。

Img_7241 鎌倉坂 【ル-ト地図】の②

坂上の鎌倉時代の忍性らの五輪塔、その西側の鎌倉時代の額田窯跡(ぬかたべかまあと)による坂名だろう。

Img_7243 坂上方向

坂上左側に「鎌倉墓」と呼ばれる五輪塔群がある。

Img_7247 額安寺五輪塔群(国重文)

左端が忍性の墓という。

額安寺五輪塔納置品」(国重文)

Img_7248 推古神社 《地図

前方後円墳上に建てられている。額田は推古天皇の出生地と伝える。

Img_7249 額安寺くあんじ)

乾漆虚空蔵菩薩半跏像」(国重文)・「宝筺印塔

Img_7250 説明板

Img_7255 中家住宅 《地図

南北朝時代頃から在地武士で、戦国時代には筒井氏の一族として活躍した土豪家。

Img_7256 二重の濠に囲まれた広大な屋敷

濠には跳ね上げ橋が架かる。内部の見学は「要予約」

『中家住宅かいわい』の記事が、1月29日の朝日新聞朝刊の奈良28面、『週刊まちぶら』に詳しく載っている。

馬場尻橋(大和川)、吐田橋(寺川)を渡り唐院地区を南下する。

Img_7260 島の山古墳が左前方に横たわる。《地図

周濠に囲まれた全長190mで、奈良県下の前方後円墳中20番目の規模。

Img_7263 地蔵道標(左・唐院橋際)(文化11年(1814)) 《地図

「右 なら 郡山 左 法隆寺 大坂道」で、ここに移設されたものだろう。

Img_7267 旧家

Img_7277 旧家

Img_7281 大福寺 《地図

「名刹」とあるから寄ってみたが、境内は荒れていた。

Img_7285 かぐや姫の里

広陵町は「竹取物語」の舞台という地で、竹取の翁(讃岐造)が住んでいたといい、讃岐神社や竹取公園もある。

Img_7287 教行寺(箸尾御坊)

田原本の支配権を平野氏と争い、上街道沿いの田原本からこの地へ移転してきた。

Img_7288 説明板

Img_7296 小北稲荷神社鳥居

「家相方位研究所」とどんな関係があるのか?

Img_7300 旧家

Img_7308 横大路合流地点 【ル-ト地図】の③

右折して、横大路をしばらく進む。

Img_7309 横大路を西へ進む。

Img_7311 高田城址 【ル-ト地図】の④

Img_7310 説明板

Img_7312 常光寺

踏切は「光寺踏切」

Img_7317八百屋お七の墓」と伝える墓か?(地蔵堂の右横)

東京文京区白山の浄心寺坂の円乗寺にある墓が有名だが、「八百屋お七」のモデルは複数いたようだ。

Img_7319 和漢薬店

Img_7321 高田町道路元標(左下)

Img_7329 横大路分岐地点(北片塩町交差点) 《地図

ここを旧高田川(現県道5号)が流れ、雛倉橋が架かっていた。正面左の覆い屋の中には「太神宮常夜灯」。横大路は伊勢街道でもある。
ここを左折して行く。県道はすぐに国道に合流する。

Img_7333 しゃれた時計台

Img_7335 多久蟲玉神社 【ル-ト地図】の⑤

静御前ゆかりの社。静御前は鎌倉から京都に帰されてから、母の故郷のこの地、磯野に移り住み病を養った。病気平癒を祈願して通ったという「笠神の社」がこの境内に移されている。
静御前は奥州街道の栗橋で病のため死んだという伝承もあり墓もある。『日光街道(栗橋宿→野木宿)

Img_7337 説明板

国道166号を南下し、古池の先の柿本北交差点を直進して旧道に入り、大和新庄駅に向かった。

Img_7345柿本北交差点 《地図

ここから葛城市だ。

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