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2013年2月 1日 (金)

下街道①

2013年1月21日

近鉄郡山駅(近鉄橿原線)・・・郡山城跡・・・柳町商店街通り・・洞泉寺町(遊郭街跡・源九郎稲荷神社・洞泉寺・大信寺)・・・郡山八幡神社・・竜田越奈良街道合流地点・・・天井池・・・本庄踏切(JR関西本線)・・・西念寺・・・八幡宮・・・専念寺・・・菅田比売神社・・・筒井城跡・・・筒井村道路元標・・・(近鉄橿原線)・・・馬司西池・・・(西名阪自動車道)・・・鎌倉坂・・額安寺五輪塔群・・・推古神社・・・額安寺・・・中家住宅・・・馬場尻橋(大和川)・・・吐田橋(寺川)・・・地蔵道標・唐院橋(飛鳥川)・・・小柳橋(曽我川)・・・但馬第六号踏切(近鉄田原本線)・・・枯木橋(葛城川)・・・大福寺・・・教行寺・・・小北稲荷神社鳥居・・・山王神社鳥居・・・高田第二号踏切(近鉄大阪線)・・・大道踏切(JR桜井線)・・・横大路合流地点・・・高田城址・・・光寺踏切(JR和歌山線)・常光寺・・・高田町道路元標・・・八王子神社・・・横大路分岐地点(北片塩町交差点)・太神宮常夜灯・県道5号・・国道166号・・・多久蟲玉神社・・・高田市駅(近鉄南大阪線)・・・浮孔橋(高田川)・・・(大和高田バイパス)・・・古池・・柿本北交差点・旧道・・・大和新庄駅(JR和歌山線)

  【ル-ト地図】(28.0km)

 下街道は中街道(下ツ道)の西側を通る近世の道で、大和郡山市→安堵町→川西町→三宅町→広陵町→大和高田市→葛城市→御所市から風の森峠を越えて五條市に入り、中街道と合流する。
 まずは郡山城跡と洞泉寺町の遊郭街跡を散策し、下街道に入る。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7167 郡山城跡

追手向櫓と追手門

Img_7170 説明板

Img_7175 天守台

Img_7184天守台の北側の石垣

「さかさ地蔵」とは?

Img_7182 さかさ地蔵

付近から接収され石垣に組み込まれ、逆さになった石地蔵。
平城京の城門跡から運ばれた礎石と伝わるものなども使われているそうだ。築城のためなら手当り次第、神も仏もあったものではないか。

Img_7179 説明板

Img_7195 洞泉寺町の遊郭街跡

右隣に源九郎稲荷神社と洞泉寺。

Img_7197 源九郎稲荷神社 《地図

かつては日本三大稲荷の一つに数えられていた社。遊郭関係者の信仰も篤かったという。
源九郎狐伝説のパロディ落語『猫の忠信

Img_7201 妓楼だった建物だろう。

Img_7203 突当りが旧川本家

3階建てだ。

Img_7206 川本家(隣の大信寺境内から)

♪「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来るという」♪ と浪曲の一節にもあるように、虚々実々の色里の世界に、マークとは洒落ているか、自虐的か。

城と遊郭で遊び過ぎた。道中は長い。さあ、街道を歩き始めよう。柳町商店街通りを南下して行く。

Img_7212 柳町商店街

Img_7213 郡山八幡神社

この南側の交差点で竜田越奈良街道が西から合流し、北上して奈良に向って行く。

Img_7216 御宿花うちや(花内屋) 《地図

虫籠窓の回りに鏝絵(こてえ)で屋号を描いている。今は廃業してしまったようだ。

この西側の東岡町にも遊郭街の跡が色濃く残っているというが、まあいいだろう。

Img_7222 金魚池

大和郡山市は金魚の養殖が盛んな金魚の町。向うに近鉄橿原線が通る。

Img_7229 菅田比売神社 《地図

Img_7232 筒井城跡 【ル-ト地図】の①

ここにたどり着くまでかなり苦労した。ここより南方の平端駅近くの筒井順慶歴史公園が筒井順慶の墓所のようだ。

Img_7236 筒井村道路元標(正面)

この先で右折し、近鉄橿原線の西側に出て南下する。

西名阪自動車道をくぐった先で、右へ南西方向に進む。

Img_7241 鎌倉坂 【ル-ト地図】の②

坂上の鎌倉時代の忍性らの五輪塔、その西側の鎌倉時代の額田窯跡(ぬかたべかまあと)による坂名だろう。

Img_7243 坂上方向

坂上左側に「鎌倉墓」と呼ばれる五輪塔群がある。

Img_7247 額安寺五輪塔群(国重文)

左端が忍性の墓という。

額安寺五輪塔納置品」(国重文)

Img_7248 推古神社 《地図

前方後円墳上に建てられている。額田は推古天皇の出生地と伝える。

Img_7249 額安寺くあんじ)

乾漆虚空蔵菩薩半跏像」(国重文)・「宝筺印塔

Img_7250 説明板

Img_7255 中家住宅 《地図

南北朝時代頃から在地武士で、戦国時代には筒井氏の一族として活躍した土豪家。

Img_7256 二重の濠に囲まれた広大な屋敷

濠には跳ね上げ橋が架かる。内部の見学は「要予約」

『中家住宅かいわい』の記事が、1月29日の朝日新聞朝刊の奈良28面、『週刊まちぶら』に詳しく載っている。

馬場尻橋(大和川)、吐田橋(寺川)を渡り唐院地区を南下する。

Img_7260島の山古墳が左前方に横たわる。《地図

周濠に囲まれた全長190mで、奈良県下の前方後円墳中20番目の規模。

Img_7263 地蔵道標(左・唐院橋際)(文化11年(1814)) 《地図

「右 なら 郡山 左 法隆寺 大坂道」で、ここに移設されたものだろう。

Img_7267 旧家

Img_7277 旧家

Img_7281 大福寺 《地図

「名刹」とあるから寄ってみたが、境内は荒れていた。

Img_7285 かぐや姫の里

広陵町は「竹取物語」の舞台という地で、竹取の翁(讃岐造)が住んでいたといい、讃岐神社や竹取公園もある。

Img_7287 教行寺(箸尾御坊)

田原本の支配権を平野氏と争い、上街道沿いの田原本からこの地へ移転してきた。

Img_7288 説明板

Img_7296小北稲荷神社鳥居

占いの「家相方位研究所」

Img_7300 旧家

Img_7308 横大路合流地点 【ル-ト地図】の③

右折して、横大路をしばらく進む。

Img_7309 横大路を西へ進む。

Img_7311 高田城址 【ル-ト地図】の④

Img_7310 説明板

Img_7312常光寺

踏切は「光寺踏切」

Img_7317八百屋お七の墓」と伝える墓か?(地蔵堂の右横)

東京文京区白山の浄心寺坂の円乗寺にある墓が有名だが、「八百屋お七」のモデルは複数いたようだ。

Img_7319 和漢薬店

Img_7321 高田町道路元標(左下)

Img_7329 横大路分岐地点(北片塩町交差点) 《地図

ここを旧高田川(現県道5号)が流れ、雛倉橋が架かっていた。正面左の覆い屋の中には「太神宮常夜灯」。横大路は伊勢街道でもある。
ここを左折して行く。県道はすぐに国道に合流する。

Img_7333 しゃれた時計台

Img_7335 多久蟲玉神社 【ル-ト地図】の⑤

静御前ゆかりの社。静御前は鎌倉から京都に帰されてから、母の故郷のこの地、磯野に移り住み病を養った。病気平癒を祈願して通ったという「笠神の社」がこの境内に移されている。
静御前は奥州街道の栗橋で病のため死んだという伝承もあり墓もある。『日光街道(栗橋宿→野木宿)

Img_7337 説明板

国道166号を南下し、古池の先の柿本北交差点を直進して旧道に入り、大和新庄駅に向かった。

Img_7345柿本北交差点 《地図

ここから葛城市だ。

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