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2013年2月27日 (水)

美濃路①

2013年2月20日

金山駅(JR東海道線)・・・佐屋街道追分(金山新橋南交差点)・・・新橋(JR東海道線)・・・榊森白山社・・・古渡一里塚跡①あたり・・・古渡町交差点(都心環状線)・・・東別院・古渡城跡・・・橘町大木戸跡・・・栄国寺・切支丹塚・・・日置神社・・・西別院・・・仁王門通り・・大須観音・・・札の辻・伝馬会所跡(伝馬町通本町交差点)・・・伝馬橋(堀川)・・・浅間神社・四間道・・慶栄寺・・金刀比羅神社・・円頓寺・・五条橋(堀川)・・・御深地蔵尊・・・名古屋城西北隅櫓・・・江川一里塚跡②・稲生街道分岐地点・・・樽屋町大木戸跡・・・白山神社・・・庄内用水路・・尾州殿茶屋跡・・・八幡神社・・・清音寺・・(名鉄線)・・・黒體龍王大神・・・枇杷島橋(庄内川)・・岩倉街道分岐地点・・橋詰神社・・・(JR線)・・・旧青果問屋街(小田井の市場)・・高照寺・・六軒神社・・問屋記念館・・松原神社・・・瑞正寺・・・新川橋(新川)・・・須佐之男神社・・・名鉄津島線踏切・・・一里田橋(一里塚川)・須ケ口一里塚跡③・・・外町一里塚道標・正覚寺・今川塚供養碑・・・(名鉄名古屋本線)・・・日吉神社道標・・・五条橋(五条川)・・清洲古城趾道標・・・清洲公園・・・札の辻・清涼寺・・・上畠神社・・・清洲宿本陣跡・・・(JR線)・(名古屋環状2号線)・・・清洲駅(JR東海道線)

  【ル-ト地図】(20.7km)

 東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ美濃路を、佐屋街道との追分から歩く。
 名古屋宿(城下)→清洲(清須)宿→稲葉宿→萩原宿→起宿から木曽川を渡り岐阜県に入り→墨俣宿→大垣宿→垂井宿へと進む。
 桶狭間の戦での信長、小田原征伐での秀吉、関ヶ原の戦での家康の戦勝・凱旋道で吉例街道とも呼ばれ、参勤交代の諸大名、朝鮮通信使、琉球使節、悪名高きお茶壺道中などが通行し、長良川で獲れた鮎を鮎鮨にして、将軍家に献上するため継ぎ送った道、広南国(ベトナム)から将軍吉宗に献上された象が通った道でもある。

 2月も下旬となったが相変わらずの寒さだ。北西方向に進むので冷たい風をまともに受けながらの道中となる。 

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7962 美濃路説明板

新川橋ポケットパークに設置のもの。

Img_8236 美濃路略図(起宿手前の冨田一里塚跡に設置のもの)

四ツ家追分から中山道の加納宿への岐阜街道(御鮨街道)も歩く予定。

Img_7813 佐屋街道(左折)との追分 【ル-ト地図】の①

東面に「右 なこや 木曽 海道」とあり、美濃路は直進して行く。

東海道の宮宿の追分からここまでと佐屋街道は、『東海道(知立宿→宮宿・佐屋街道①』に記載。

Img_7815 榊森白山社

熱田神宮へ榊を奉納していたため、榊森と呼ばれるようになり、北から熱田神宮へ参る時の祓い所だったそうだ。

 古渡町交差点の手前の伝昌寺の東側あたりに、美濃路で最初の古渡(ふるわたり)一里塚跡①があり、塚上に榎がそびえていたというがむろん跡形もない。《地図
 美濃路には13か所に一里塚があったが、塚跡が残るのは冨田一里塚⑦と久徳一里塚⑫のみ。

Img_7827 古渡町交差点の先で右に入る。《地図

ここに名古屋城下の南口の橘町大木戸があった。

Img_7822 東別院

Img_7821_2 説明板

Img_7824 古渡城趾碑(東別院境内)

信長はこの城で元服したという。

Img_7826 説明板

Img_7833_2切支丹塚(正面右奥・栄国寺) 《地図

このあたりは千本松原といわれた尾張藩の刑場だった。刑場は後に土器野(かわらけの)刑場に移された(後述)。
境内には切支丹遺蹟博物館もある。

Img_7830 説明板①

Img_7832 説明板②

Img_7840 日置神社

信長が桶狭間へ出陣の時、戦勝を祈願し戦勝後の礼に松を千本を植えたという。

Img_7841 説明板

Img_7843 門前町家並み

仏具店通りだ。

Img_7847 仁王門通り 《地図

大須観音へ向かう。

Img_7850 「ういろう」の青柳

Img_7849 大須観音(宝生院)

平日でも参拝者が多い。

Img_7851 札の辻・伝馬会所跡(問屋場) 【ル-ト地図】の②

名古屋宿は尾張藩の城下町で宿高はなかった。本陣・脇本陣もなく、諸大名は宮宿から清洲宿まで通過させた。朝鮮通信使の場合には性高院を宿所とし、藩が接待に当たった。

直進が稲置街道(犬山街道)・善光寺街道(下街道)で、右折するのは岡崎街道(飯田街道)。美濃路は左折して西に向かう。

Img_7852 説明板

Img_7854 往時の賑わい

Img_7855 伝馬橋(堀川) 《地図

清洲(清須)越」で開削された堀川に架かる七橋の一つ。

橋を渡って右折し北上する。

Img_7856 説明板

橋の東側には材木商が多かった。

Img_7859 旧家

Img_7861 浅間神社前を右折し、四間道に入る。【ル-ト地図】の③

Img_7869 説明板

「四間道」の由来には別説もあり、①このあたりにあった4軒の寺社の「四軒道」から ②ぬかるみの道、「湿気道」からとも。

Img_7870 東側は石垣の上に土蔵、西側には町家が並ぶ。

Img_7875 屋根神様

Img_7873 説明板

Img_7877 この屋根にも鎮座。

Img_8605 円頓寺商店街

以前はもっと賑わっていたようだが。

Img_8610 金刀比羅神社

商店街の途中にほっそりと祀られている。

Img_8609 説明板

Img_8607 円頓寺(えんどうじ)

Img_8608 説明板

Img_7879 五条橋(堀川) 《地図

「清洲越」で橋まで引っ越して来た。

Img_7880 説明板

旧五条橋の擬宝珠

Img_7897 名古屋城

金鯱がまぶしい。

Img_7890 西北隅櫓 《地図

清洲城から移築したものという。

美濃路に戻る。

Img_7898 江川一里塚跡② 【ル-ト地図】の④

このあたりで稲生街道が北に分岐する。

Img_7899 説明板

Img_7900 樽屋町大木戸跡 《地図

名古屋城下の西口

Img_7901 説明板

Img_7902 白山神社 《地図

信長が桶狭間へ出陣の時、戦勝を祈願し、戦勝後の礼に太刀を寄進したという。

この前には立場があり、旅人のための茶店があった。

Img_7904 尾州殿茶屋跡

庄内用水路を渡った左側。

Img_7907 説明板

Img_7915 清音寺 《地図

治承3年(1179)、平清盛によって流罪に処せられた太政大臣藤原師長と村娘の悲恋話。赦免され都へ帰る師長は村娘に形見として琵琶を与えた。師長を追った村娘は庄内川に身を投げた。それが琵琶(枇杷)島の由来という。
平針街道の近くには師長の謫居跡と伝える所がある。

Img_7913 説明板

Img_7917 旧枇杷島橋のモニュメント

Img_7918 説明板

黒體龍王社前を通り、枇杷島橋を渡る。

Img_7922 庄内川(枇杷島橋から上流方向)

名鉄線が走る。橋を渡った所から北に岩倉街道が分岐する。

Img_7923 橋詰神社 《地図

この前で岩倉方面から農産物などを小田井の市場に運んだ岩倉街道が合流する。

Img_7928 旧青果問屋街を通って行く。

問屋は小田井の市場、枇杷島市場ともいわれ、江戸千住や大阪天満と並び、日本三大市場に数えられたそうだ。青果に限らず乾物・魚鳥・薪炭・糸・煙草など広範囲だったという。

Img_1934青物市(尾張名所図会)

Img_7931 問屋記念館 《地図

Img_7932 説明板

Img_7936 内部

Img_7942 旧家

Img_7943 屋根神様

Img_7949 はりつけ松原跡あたり

この先の瑞正寺の北方の北中野公園あたりに尾張藩の土器野刑場(千本松原から移された)があった。

Img_7956 宝塔(瑞正寺) 《地図

処刑者の供養塔で、もとは刑場の前にあったもの。

Img_7955 説明板

Img_7961 高札場跡(新川橋ポケットパーク) 《地図

津島道道標・新川橋親柱

Img_7973 須ケ口一里塚跡③

左の民家前に「みの路 一里塚之跡」碑が立つ。手前は一里田橋(一里塚川)。

Img_7975 説明板

Img_7978 古い造りの商店

Img_7981 外町一里塚道標(正覚寺前) 《地図

もとは一里塚跡あたりにあったもの。

Img_7980 説明板

Img_7984 今川塚供養碑(正覚寺境内)

これも手前の美濃路沿いの民家にあったもの。

Img_7983 説明板

Img_7985伊勢安商店

まげわっぱ」を商っている。

Img_7986 揚げ棚(格子の前)のある旧家

荷物などを置く折りたたみ式縁台。格子には「美濃路」の標示板が架かっている。

Img_7991 日吉神社道標 《地図

清洲城下の氏神

Img_7994 信長・秀吉・家康ゆかりの神社とか。

Img_7995 五条橋(五条川) 《地図

これが元祖の清洲城下の五条橋

Img_7999 説明板

Img_8000 清洲古城趾道標(五条橋を渡った所)

「是より弐丁」とある。対岸奥は現在の清洲城。

Img_8007 信長像(清須公園内) 《地図

桶狭間へ出陣の姿という。傍らに濃姫の像が見守っている。清洲古城はJR線に分断されている。

Img_8012 清洲城(平成元年の建築の模擬天守)

手前を新幹線と東海道線がひっきりなしに通る。もう5時近くで天守へは上れないのでここからの眺めのみ。

Img_8017 札の辻 【ル-ト地図】の⑤

Img_8014 説明板

Img_8015 時の鐘(清涼寺)

Img_8018 上畠神社(上畠神明社)

「不浄除け」の塀が社殿を隠している。清須三社の一つで、ここ神明町の町名にもなっている。

Img_8031 清洲宿本陣跡

林惣兵衛が勤めた。「本陣の松」といわれた2本の松があり、「松になりたや 本陣の松に 諸国大名を 下に見る」と歌われた。天保14年(1843)には本陣1・脇本陣3・問屋場1・旅籠21軒の宿場だった。脇本陣と問屋場は札の辻と本陣の間にあった。

「清洲」・「清須」の2つの表記があり、混用されている。市名は清須市だが、駅名はJR・名鉄とも清洲だ。「清須」が古いようだが、こちらも気にせず混用する。

Img_8022 説明板

Img_8023 林医院(本陣の左隣)

本陣家の家柄だろう。

Img_8035 この先を左折し清洲駅に向かった。

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