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2013年2月 5日 (火)

横大路

2013年1月22日

磐城駅(近鉄南大阪線)・・・長尾神社・・・国道166号・・磐城踏切(近鉄南大阪線)・・・古池・・・三つ池・・・大中公園(浮舞台・静御前記念碑)・・・大中橋(高田川)・・・長谷本寺・・下街道合流地点(北片塩町交差点)・・・専立寺・寺内町・・・馬冷池・天神地蔵・不動院・・・東口踏切(JR和歌山線)・・・太神宮高灯籠・・・下街道分岐地点(旭北町交差点)・・・(JR桜井線ガード)・・・葛城橋(葛城川)・・・今里橋(住吉川)・・・徳応寺・・・金橋神社・安閑天皇勾金橋宮趾碑・・・藤堂家代官屋敷長屋門・・・(国道24号バイパス)・・・道標(太玉社)・豊津橋(曽我川)・・道標・・・光岩院・・・五井川(跡)・・・入鹿神社・大日堂(正蓮寺)・・・高橋(飛鳥川)・・・八木第三号踏切(近鉄橿原線)・・・太神宮灯籠・・藤原京横大路南側溝跡遺跡・・ラ・バンク(旧六十八銀行)・・接待場跡・・札の辻(中街道交差地点)・・・武蔵橋(米川)・・・山の坊山口神社・・・道標・地蔵前橋(米川)・・・弘法大師堂・・・中ツ道交差地点・三輪神社・・・阿彌寺地蔵堂・・・香久山踏切(JR桜井線)・・・医王寺・・・八幡宮・・・小西橋(寺川)・・・茶臼山古墳・・・宗像神社・・・不動院・・・城山橋(粟原川)・・・宇陀ケ辻・・・(近鉄大阪線ガード)・・・佐野渡橋(大和川)・・・上街道追分・初瀬街道始点・・・大和朝倉駅(近鉄大阪線)

  【ル-ト地図】(21.6km)

 竹内街道の終点の長尾神社から東へ、古代の官道、大道の横大路を上街道の終点で初瀬街道の始点の慈恩寺の追分まで歩く。
 雨の中を当麻町→大和高田市→橿原市→桜井市と進んで行く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7369 横大路説明板(長谷本寺前に設置)

雨粒で見にくいが。
『日本書紀』(推古天皇21年条)には、「自難波大道」と記す。

Img_7370 概略図

上津道→上街道、下津道→中街道となるが、中津道は農地や住宅地で、途切れがちの道になっている。

Img_7346長尾神社 《地図

竹内街道を歩いた時は、社殿の後方からの夕日が眩しかったが、今日は雨に煙っている。

Img_7349 狛蛙親子(石灯籠前)

雨で元気が出たか、生き生きしている。

Img_7351 古池 《地図

蛙親子はこの池に飛び込んで遊んでいるとか。

高田川沿いの桜の名所、大中(おおなか)公園に入る。

Img_7362 浮舞台桜華殿

市政50周年の1億円の寄附で実現した能舞台だそうだ。

Img_7364 静御前記念碑 【ル-ト地図】の①

表面に「しずやしず 賤のおだまきくり返し 昔を今になすよしもがな」

磯野の地は静の母の故郷。鎌倉から京へ帰された静は、この里で暮らし生涯を閉じたそうだ。

Img_7366 裏面

Img_7365 「静御前めぐり」案内図

静御前の史跡

日光街道の栗橋宿にも「静御前の墓」がある。平泉へ向かう途中で、義経の死を聞き京へ戻ろうとしたが病となり、栗橋で死去したと伝える。

Img_7373長谷本寺 《地図

左は道標(明治元年)で、東面に「すぐ 大坂 さかい 道」。(「すぐ」は「真っ直ぐ」という意)

 この先の北片塩町交差点から650mほど下街道と合流して進むが、北に入って専立寺の寺内町に寄る。
 

Img_7376専立寺の寺内町の家並み 《地図

Img_7382 専立寺(せんりゅうじ・高田御坊)

左の歌碑は野口雨情の「高田小唄」の一節。

Img_7381 説明板(寺内町)

Img_7383 説明板(歌碑)

Img_7384 森川商店

もとは明治27年にこの地に開設された高田銀行が大正6年に産業銀行高田支店となり、昭和2年5月に建築された建物。

Img_7389 雨が似合う通りだ。

Img_7395 馬冷池 【ル-ト地図】の②

向うが不動院

Img_7396 説明板

Img_7397 天神地蔵

馬冷池の河童と地蔵の伝説がある。

Img_7398 伝説

Img_7399 天神橋商店街

Img_7402 地蔵さんのお助けを借りても・・・。

 横大路に戻る。

Img_7407 大卯

和菓子店

Img_7412 高灯籠

Img_7410 説明板

Img_7413 下街道分岐地点(旭北町交差点) 《地図

下街道は左折、横大路は直進。

JR桜井線ガードをくぐり、→葛城橋(葛城川)→今里橋(住吉川)と渡って行く。

Img_7422 曲川町の旧家

Img_7429 旧家

Img_7430 徳応寺 《地図

曲川は、本田善光が難波の堀江から出現した善光寺如来像を最初に安置した地と伝わるようだ。

Img_7434 金橋神社

Img_7436 安閑天皇勾金橋宮趾碑

Img_7440 藤堂家代官屋敷長屋門?

曲川陣屋の堀家だろうか。

Img_7443 道標(左)・豊津橋 《地図

「太玉社 是ヨリ四丁南」に、「天太玉命社」がある。

Img_7447 道標(嘉永?年)

豊津橋を渡った所

Img_7450 光岩院

蘇我氏が建てた東楽寺・西楽寺・北楽寺・南楽寺のうちの西楽寺の後身だと伝わるそうだ。鎌倉時代の高さ2.7mの五輪塔があるようだが見落とした。

Img_7454 五井川(跡)に架かる橋だが、「那ゐ波し」か?

Img_7461 道標(文化3年(1806)) 《地図

大日堂と入鹿神社への道標。このあたりは歩いたことがあるのだが、ほとんど忘れている。

Img_7470 入鹿神社

Img_7469 説明板

Img_7464 大日堂

Img_7467 大日如来像

先の道標には「聖徳太子御自作」とあるが鎌倉時代の作。

Img_7465 説明板

近鉄橿原線を渡り、八木の町に入る。『周辺案内図

Img_7476 太神宮灯籠(右) 《地図

この先の接待場(せんたいば)から移されたもの。

Img_7477 説明板

Img_7481 藤原京横大路南側溝跡遺跡(法務局の所)

Img_7484 ラ・バンク(旧六十八銀行) 《地図

今も結婚式場として営業しているのだろうか?

Img_7488 接待場(せんたいば)跡

今は接待を受けているのは車だ。

Img_7486 説明板

札の辻あたりは、『中街道②』にも記載。

Img_7490 説明板

Img_7489 札の辻(中街道交差地点) 【ル-ト地図】の③

Img_7496 耳成山

大和三山の一つ

Img_7503 山の坊山口神社 《地図

葉がこんもりと繁った大木が見事だ。

Img_7507 道標(正面電柱前) 《地図

「すぐかぐ山 法ねん寺道」で、右の地蔵前橋(米川)を渡って南に行けば「法然寺」がある。

Img_7510 (積川)弘法大師堂?

石碑には、「弘法大師が回国のみぎり、米川と出合川の合流地に来て、「くしゃみ」に悩ませられ、川水を掬って飲んだところ全治したという伝承」が書かれているようだ。

Img_7515 中ツ道交差地点 【ル-ト地図】の④

Img_7516 中ツ道(北方向)

右の地蔵の後ろの溝の中に礎石がある。

Img_7517 南方向は民家で途切れる。

Img_7518 礎石

①藤原京内にあった寺院のものを持ち出した。②『大和旧跡幽考』に記された面堂の遺構、すなわち面堂にあった寺院の礎石。③壬申紀に見える大井寺の礎石(『奈良県歴史の道調査報告書』)などの説がある。『日本書紀』の壬申紀には中道(中ツ道)の戦いで、「大井寺の奴の徳麻呂」の名が見える。

今も出垣内町、膳夫町、出合町のうち横大路に沿った部分を面堂という。

Img_7519 説明板

Img_7521 三輪神社

鳥居の左側が「おかげ参り」の目印になったという大ケヤキか。

Img_7528 旧家

Img_7534 小西橋(寺川) 《地図

『奈良県歴史の道調査報告書』では、古代の横大路はここまでとする。

Img_7546 本町通2商店街(桜井駅前)

昼なお暗い通りに、なぜかNHKFMからベートーベンの曲が流れていた。ショパンの「葬送行進曲」の方がお似合いだ。

Img_7552 山本五平薬局

Img_7563 茶臼山古墳 《地図

後方部南側から

Img_7561 説明板

 

Img_7572 宗像神社

Img_7579 不動院

Img_7580 説明板

Img_7583 三輪山方向

Img_7589 宇陀ケ辻

舒明(じょめい)天皇御陵への道標(右端)

Img_7595 近鉄大阪線をくぐり右に入る。

Img_7597 佐野渡橋(大和川) 《地図

工事中で渡れず新佐野渡橋へ迂回し、この橋を渡った所まで戻る。

Img_7606 追分 【ル-ト地図】の⑤

上街道合流地点・初瀬街道始点

Img_7611 大和朝倉駅

一日中雨模様の道のりだった。

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