横大路
2013年1月22日
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【ル-ト地図】
竹内街道の終点の長尾神社から東へ、古代の官道、大道の横大路を上街道の終点で初瀬街道の始点の慈恩寺の追分まで歩く。
雨の中を当麻町→大和高田市→橿原市→桜井市と進んで行く。
写真をクリックすると拡大します。
雨粒で見にくいが。
『日本書紀』(推古天皇21年条)には、「自難波至京置大道」と記す。
上津道→上街道、下津道→中街道となるが、中津道は農地や住宅地で、途切れがちの道になっている。
竹内街道を歩いた時は、社殿の後方からの夕日が眩しかったが、今日は雨に煙っている。
雨で元気が出たか、生き生きしている。
古池 《地図》
蛙親子はこの池に飛び込んで遊んでいるとか。
高田川沿いの桜の名所、大中(おおなか)公園に入る。
市政50周年の1億円の寄附で実現した能舞台だそうだ。
表面に「しずやしず 賤のおだまきくり返し 昔を今になすよしもがな」
磯野の地は静の母の故郷。鎌倉から京へ帰された静は、この里で暮らし生涯を閉じたそうだ。
『静御前の史跡』
日光街道の栗橋宿にも「静御前の墓」がある。平泉へ向かう途中で、義経の死を聞き京へ戻ろうとしたが病となり、栗橋で死去したと伝える。
左は道標(明治元年)で、東面に「すぐ 大坂 さかい 道」。(「すぐ」は「真っ直ぐ」という意)
この先の北片塩町交差点から650mほど下街道と合流して進むが、北に入って専立寺の寺内町に寄る。
専立寺(せんりゅうじ・高田御坊)
左の歌碑は野口雨情の「高田小唄」の一節。
もとは明治27年にこの地に開設された高田銀行が大正6年に産業銀行高田支店となり、昭和2年5月に建築された建物。
向うが不動院
馬冷池の河童と地蔵の伝説がある。
横大路に戻る。
和菓子店
下街道分岐地点(旭北町交差点) 《地図》
下街道は左折、横大路は直進。
JR桜井線ガードをくぐり、→葛城橋(葛城川)→今里橋(住吉川)と渡って行く。
曲川は、本田善光が難波の堀江から出現した善光寺如来像を最初に安置した地と伝わるようだ。
安閑天皇勾金橋宮趾碑
曲川陣屋の堀家だろうか。
道標(左)・豊津橋 《地図》
「太玉社 是ヨリ四丁南」に、「天太玉命社」がある。
豊津橋を渡った所
蘇我氏が建てた東楽寺・西楽寺・北楽寺・南楽寺のうちの西楽寺の後身だと伝わるそうだ。鎌倉時代の高さ2.7mの五輪塔があるようだが見落とした。
道標(文化3年(1806)) 《地図》
大日堂と入鹿神社への道標。このあたりは歩いたことがあるのだが、ほとんど忘れている。
先の道標には「聖徳太子御自作」とあるが鎌倉時代の作。
近鉄橿原線を渡り、八木の町に入る。
太神宮灯籠(右) 《地図》
この先の接待場(せんたいば)から移されたもの。
今も結婚式場として営業しているのだろうか?
今は接待を受けているのは車だ。
札の辻あたりは、『中街道②』にも記載。
大和三山の一つ
葉がこんもりと繁った大木が見事だ。
道標(正面電柱前) 《地図》
「すぐかぐ山 法ねん寺道」で、右の地蔵前橋(米川)を渡って南に行けば「法然寺」がある。
石碑には、「弘法大師が回国のみぎり、米川と出合川の合流地に来て、「くしゃみ」に悩ませられ、川水を掬って飲んだところ全治したという伝承」が書かれているようだ。
右の地蔵の後ろの溝の中に礎石がある。
①藤原京内にあった寺院のものを持ち出した。②『大和旧跡幽考』に記された面堂の遺構、すなわち面堂にあった寺院の礎石。③壬申紀に見える大井寺の礎石(『奈良県歴史の道調査報告書』)などの説がある。『日本書紀』の壬申紀には中道(中ツ道)の戦いで、「大井寺の奴の徳麻呂」の名が見える。
今も出垣内町、膳夫町、出合町のうち横大路に沿った部分を面堂という。
鳥居の左側が「おかげ参り」の目印になったという大ケヤキか。
小西橋(寺川) 《地図》
『奈良県歴史の道調査報告書』では、古代の横大路はここまでとする。
昼なお暗い通りに、なぜかNHKFMからベートーベンの曲が流れていた。ショパンの「葬送行進曲」の方がお似合いだ。
後方部南側から
舒明(じょめい)天皇御陵への道標(右端)
佐野渡橋(大和川) 《地図》
工事中で渡れず新佐野渡橋へ迂回し、この橋を渡った所まで戻る。
上街道合流地点・初瀬街道始点
一日中雨模様の道のりだった。
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