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2013年3月 8日 (金)

美濃路④・岐阜街道(御鮨街道)①

2013年2月23日

大垣駅(JR東海道線)・・・新大橋(水門川)・・・名古屋口門跡(大垣城東総門跡)・・高札場跡・・大垣宿脇本陣跡・・大垣城大手門跡(広嶺神社)・・本町道標・・問屋場跡・・本陣跡・・飯沼慾斎邸跡・・京口門跡(大垣城西総門跡)・・船町道標・・住吉燈台・船町港跡・・住吉神社・・高橋(水門川)・・船町中組常夜灯・・奥の細道むすびの地・・無何有荘・・全昌寺・・・県道31号・・・常隆寺・・・大泉寺・・・愛宕神社・・芭蕉・木因遺跡・正覚寺・・・水神神社・・・近鉄養老線踏切・・・山王用水・・旧道・・・徳円寺・・・秋葉神社・・・旧塩田橋(杭瀬川)・・塩田常夜灯・・・長源寺・・・秋葉神社・・・法永寺・・・(県道31号)・・・瓊瓊杵神社・・久徳一里塚跡⑫・・・谷汲道道標・・・白髭神社・・・大谷川橋・・・林松院・・・平林荘跡あたり・・・龍松禅寺・・・慈応寺・・・国道21号・・・(垂井町)・・・綾戸口交差点・旧道・・・等運寺・・・光堂寺・・綾戸一里塚跡⑬あたり・六所神社・・・大垣街道踏切(東海道線)・・・綾戸古墳・熊坂長範物見の松・・・美濃路松並木・・・中山道合流地点(垂井追分)・・・相川橋・・・垂井駅(東海道線)

垂井駅→岐阜駅→長良橋(長良川)・鵜飼観覧船乗場・・・川原町・・・霞橋・・・御鮨所跡あたり(林稲荷神社)・・・正法寺・・・常在寺・・妙照寺・・・岐阜奉行所跡あたり・・・岐阜町本陣跡・・・御園の榎・・橿森神社・・・名鉄各務原線踏切・・・東海道線ガード・北番所跡あたり・・・名鉄名古屋本線踏切・・・道標・中山道合流地点・・(加納宿)・岐阜問屋跡・・専福寺・・善徳寺・・東番所跡・・道標・・・加納大橋(新荒田川)・・中山道分岐地点・道標・力士「鏡岩」の碑(ぶたれ坊)・・・順勝寺・・・馬頭観音祠・・・(岐大バイパス)・・・県道14号・・西川手8交差点・・・境川・・旧道・・・三つ目川・・・笠松駅(名鉄名古屋本線)

 【ル-ト地図】(美濃路④)・【ル-ト地図】(岐阜街道(御鮨街道①))

 城下町で「奥の細道の結びの地」でもある大垣宿を通り、ひたすら中山道との合流地点の垂井宿へと向う。まばらな松並木を抜けると見覚えある垂井の追分に着いた。
 ここを美濃路歩きの「結びの地」とし、東海道線で垂井駅から岐阜駅へ行き、長良橋へ出て岐阜街道(御鮨街道)を歩き始めた。

 岐阜街道は四ツ家追分で美濃路と分かれ、一宮宿を通り木曽川を渡り笠松宿から、中山道の加納宿に至りさらに北に進み、尾張藩領の岐阜町に至る街道で、岐阜の方からは尾張藩が長良川で獲れた鮎を鮎鮨にして江戸の将軍家へ献上するため継ぎ送った道で、「御鮨街道」と呼ばれた。長良川から御鮨所跡を通り、岐阜町→加納宿→笠松宿→笠松湊(木曽川)→一宮宿→四ツ家追分と歩くので、「御鮨街道」・「尾張街道」・「名古屋街道」といった方が適当だろう。

 美濃路は北西方向に歩いたので風の冷たさが身にしみたが、今度は南東方向へ向かうので寒さはかなり和らぐ道中となるだろう。 

 写真をクリックすると拡大します。

Img_8621 水門川

かつては大垣城の外堀で、川沿いの「四季の路」は「ミニ奥の細道」となっている。

Img_8620 「夏草や 兵共が 夢の跡」の句碑

Img_8699 説明板

Img_8623 名古屋口門跡(大垣城東総門跡) 《地図

ここを左折し10回の曲りで大垣宿を抜けて行く。(宿場図参照)

Img_8572宿場図

Img_8625 高札場跡 《地図

ここを左折する。

Img_8627 説明板

Img_8640 脇本陣跡 《地図

今は田中屋せんべい総本舗(創業安政6年(1859))が店を構えている。

Img_8630 説明板

Img_8634 広嶺神社(脇本陣跡の西側)

ここは大垣城大手門跡

Img_8633 説明板

Img_8636 大手門石垣跡と堀跡

Img_8641 本町道標(文政9年(1826)の複製・正面左) 《地図

「右 京道」・「左江戸道」、東に進むのは竹鼻街道で、揖斐川の平の渡し、長良川の本郷の渡し、木曽川の駒塚の渡しを越え、冨田の「駒塚道道標」の所で再び美濃路と出会う。『美濃路②』に記載。

ここを右折し、すぐ左折する

Img_8643 説明板

Img_8646 問屋場跡(右角)

Img_8648 説明板

ここを右折する。

Img_8651 本陣跡(右) 【ル-ト地図】の①

大垣宿は本陣1・脇本陣1・問屋場1・旅籠11軒の宿場だった。(天保14年(1843))

この先を左折しすぐ右折する。

Img_8658説明板

Img_8665 柿羊羹の槌谷

創業は宝暦6年(1756)の老舗。

飯沼慾斎邸跡碑のすぐ先を左折する。

Img_8675 京口門跡(大垣城西総門跡) 【ル-ト地図】の②

Img_8676 説明板

Img_8678 船町道標

Img_8679 説明板

Img_8686 住吉燈台・船町港跡

Img_8688 説明板

Img_8569 往時の船町港

Img_8690 現在の家並み

美濃路はこの先で右折し(10度目の曲り)、高橋(水門川)を渡り西進して行く。

Img_8692 船町常夜灯

Img_8695 説明板

Img_8702 奥の細道むすびの地 《地図

Img_8697 説明板

Img_8705 無何有荘(むかゆうそう)・鉄心門

Img_8703 説明板

Img_8709 全昌寺

朝鮮通信使が宿泊したそうだ。

Img_8711 奥の細道むすびの地記念館

Img_8712 常隆寺楼門

竜宮門で1階部分にも屋根があるのは珍しいか。

Img_8715 「カネマル 守屋孫八本家」

Img_8717 旧商店

Img_8727芭蕉・木因遺跡(正覚寺前)

Img_8725 説明板

正覚寺の隣には西から大垣宿を通行する諸侯などを迎えた「使者場」があった、

近鉄養老線踏切を渡り、山王用水の先で左に旧道に入る。

Img_8741 杭瀬川土手下の家並み

Img_8744 塩田橋・塩田常夜灯(対岸) 《地図

塩田港があった所で、赤坂港と桑名港の中継地として栄えた。

Img_8753 説明板

Img_8762 旧家

県道31号を横切って行く。

Img_8766 久徳一里塚跡⑫ 【ル-ト地図】の③

Img_8767 南塚だけが残る。

Img_8768 説明板

この先旧街道は太平洋工業内で消滅している。しばらく県道を歩き右に入る。

Img_8786 谷汲道道標(電柱下) 《地図

北に進めば荒尾を経て赤坂から谷汲巡礼道で谷汲山華厳寺に通じていた。後ろは江戸時代には「十里四方売薬御免」の屋号「とら屋」の薬草店。

Img_8793 伊吹山方向

Img_8800 ここが平林荘跡(飯沼慾斎の隠居所)と思っていたが、この西側のようだ。 《地図

Img_8803 慈応寺

Img_8805 大垣市指定文化財

この先で国道21号に出る。

Img_8816 綾戸口交差点で右に入る。 《地図

Img_8826 綾戸一里塚跡⑬あたり・六所神社 《地図

美濃路で最後の一里塚で六所神社の東側にあったという。

Img_8830 ここで右折して綾戸古墳・熊坂長範物見の松(跡)に寄る。

Img_8840 「武内宿祢公墳」の標柱が立つ。(左)

綾戸古墳は武内宿祢の墓という言い伝えがあるのようだ。

Img_8832_2 綾戸古墳 【ル-ト地図】の④

Img_8833 説明板

Img_8836 熊坂長範物見の松

何代目かの若い松は元気がなく倒れそうだ。別名を「幣掛松」(しでかけまつ)ともいい、南宮大社で平将門調伏祈願の時、この松に御幣を掛けたからという。
北国街道」の野尻坂峠の北方には長範山がある。右は「武内大神」碑

Img_8834 説明板

Img_8842 松並木

期待していたがまばらだった。

Img_8844 説明板

Img_8846 中山道合流地点(垂井の追分) 【ル-ト地図】の⑤

Img_8848 追分道標

Img_8849 説明板

Img_8851 振り返る。

左中山道・右が歩いて来た美濃路

Img_8856 垂井駅

東海道線で岐阜駅まで行き岐阜街道(御鮨街道)を歩き始める。

******ここからは岐阜街道(御鮨街道)******

Img_8864 長良川鵜飼観覧船乗場    《地図

Img_8861 鵜飼像(ポケットパーク鵜かがり)

Img_8869 川原町の家並み 《地図

Img_8868 説明板

Img_8873 風情ある町屋

Img_8871 レトロな吊り行燈

Img_8876 屋根神様も鎮座

Img_8879 電線もなく空が広い。車も少ない。

Img_8878 古い町屋

Img_8889 霞橋を渡ったあたりから川沿いの家並み

Img_9262 岐阜町図(愛知県歴史の道調査報告書より)

中央あたりに「御鮨所」がある。その南方の広い敷地の「御役所」は岐阜奉行所

Img_8894 御鮨所跡あたり 【ル-ト地図】の①

左の林稲荷神社の所。
鮎はここで「なれ鮨」(熟れ鮨)に加工されて江戸城まで継ぎ送りされた。

金華山の左上に岐阜城が小さく見える。
正面の正法寺で「岐阜大仏」を見る。拝観料200円也。

Img_8922_2 説明板①(御鮨街道)

Img_8929 鮎鮨の桶

4~5日で江戸に着く頃にはちょうど食べごろになったそうだ。将軍も「これは美味だ」といったとか。

Img_8900 常在寺

Img_8899 説明板

Img_8903 妙照寺

貞享5年(1688)6月、芭蕉は約1か月当寺に滞在した。鵜飼見物をしただろうか?

Img_8901 説明板

Img_8907 御鮨街道の立札が立つ。

Img_8927 説明板②

Img_8928鮎鮨の搬送行列

岐阜問屋→笠松問屋→一宮問屋→(美濃路)→名古屋→宮宿(熱田)→(東海道)→江戸へと継ぎ送られた。

Img_8914 料亭「水琴亭

元治元年(1864)創業

Img_8921_2 岐阜町本陣跡 【ル-ト地図】の②

本陣賀島家の跡地に日下部邸が建った。その洋館(右・石原美術)は残るが和館はビルになってしまった。(尾張藩主が岐阜を訪れる時の本陣で、中山道加納宿の本陣とは別物)

Img_8915 説明板

Img_8916 説明板

Img_8920日下部邸跡(和館)の写真

県外に移築されたようだ。

Img_8930 御鮨街道の新しい大きな看板。

小熊町2交差点

Img_8931 旧家

Img_8935 岡本太右衛門邸

前の釣鐘は西側にある「岐阜鋳物会館」への案内用のようだ。

Img_8942 御園の榎・橿森神社両部鳥居 《地図

当社は瑞竜寺との関わりが深く、両部鳥居も神仏習合の名残りという。

Img_8938 説明板

東海道線ガード下あたりが北番所跡だが説明板などは見当たらず。

Img_8954 中山道合流地点 《地図

右の太田薬局前に道標「右 ぎふ道」・「左 中山道」、「ぎふ道」が今通って来た岐阜街道・御鮨街道のこと。ここを左折してすぐ左側が加納宿の岐阜問屋場跡。

ここから中山道との分岐地点までは、いくつもの枡形を曲がって行く。このあたりは『中山道(太田宿→加納宿』でも歩いている。

Img_8956 岐阜問屋熊田家跡(左) 【ル-ト地図】の③

御鮨所で作られた「鮎鮨」はこの問屋を経て、笠松問屋へと継ぎ送りされた。
何の標示もないが、後で調べると民家の軒下に説明板があるそうだが?

Img_8959 専福寺(右)

Img_8962 東番所跡 【ル-ト地図】の④

Img_8967 道標(明治18年) 《地図

「「右 岐阜 谷汲」「左 西京」で、明治時代に立てられたので「西京」か。「谷汲」は谷汲山華厳寺で、さっきの美濃路にもあった。

ここを右折する。

Img_8977 中山道分岐地点 【ル-ト地図】の⑤

中山道は直進、御鮨街道は右折。

Img_8978 道標・力士「鏡岩」の碑(ぶたれ坊)

道標は「江戸木曽路」・「東海道いせ路」

Img_8982 説明板

鏡岩は自分をぶたせたのではなく、木像をぶたせたようだ。身代わりとはちゃっかりしている。

この先は境川沿いの道となり、笠松宿まで見所も少ない。

Img_8987 境川沿いを進む。 《地図

街道は八丁畷と呼ばれる自然堤防上の松並木の道だったそうだが、今は何の風情もない。

Img_9002 笠松駅

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