萩往還②
2013年4月22日
萩駅(JR山陰本線)・・・国道262号・・(山陰本線)・・・旧道・・・前原騒動慰霊碑・・・大屋観音橋(大屋川)・・・涙松の遺址・・・猿田彦神塚木・・・萩八十八ヶ所の第八番・・・地下道(県道32号)・・・悴坂一里塚跡①・・・大屋刑場跡・栗山孝庵女刑屍体腑分之跡碑・首切り地蔵・・・地下道(県道32号)・・・道の駅萩往還・松陰記念館・・・(鹿背隧道)・・・悴坂駕籠建場跡・茶屋跡・・・烏帽子岩・・・地蔵・殉難三士説明板・・・(県道32号)・・・吉田松陰詩碑・・・・彦六・又十郎伝説明板・明木橋(明木川)・明木市(明木宿)・・高札場跡・・乳母の茶屋(御茶屋跡)・・目代所跡・・瑞光寺・・明木神社・・赤間関街道分岐・明木市頭ノ尾一里塚跡②・地蔵・庚申塔・・・(国道262号)・・・一升谷入口・・下茶屋の浴(川)・・石畳・・町田梅之進自刃の地・行司の墓・・金ヶ浴・・上茶屋の浴・・彦六の道分岐・・根の迫石橋・・五文蔵峠(一升谷十合目・346m)・・・釿切駕籠建場跡・桜茶屋跡・・・釿切中ノ峠下一里塚跡③・・・七賢堂の展望台・・国道262号・・・中ノ峠(釿ノ切峠・405m)・・・旧道・・・落合の石橋・・・千持峠・・・佐々並市(宿)・・西岸寺・・佐々並橋(佐々並川)・高札場跡・・目代所跡・・御客屋跡・・・佐々並バス停→東萩駅街道歩きには絶好の天気の下、萩城下を後に涙松跡から悴坂を上って、宿駅風情の残る明木市へと下った。明木市を抜けると五文蔵峠への一升谷の長い上りとなる。所々に石畳が残っている。釿切地区へ下り、中ノ峠から千持峠を越えて宿駅だった佐々並市へ入った。ここにも宿場の面影が残っていた。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
山陰本線を渡り、国道262号から旧道に入る。《地図》
山陰本線が通じる前の旧道は、萩駅前から大屋縄手という直線的な道で、ここへ通じていた。今日も晴れていて気持ちがいい。
前原騒動慰霊碑
萩の乱(前原騒動)で戦死した多くの若者の慰霊のため地元の人が建てたという。
頂上に狼煙場があったと伝え、中世には大内氏の将、岩城豊後守の城跡と伝える。
道標「左 山口 小郡 道」・「右 河内 木間 道」と、観音橋の古い親柱が立つ。橋の下の石造観音像を探したが見つからず。
萩城下が見える最後の所で、旅立つ時には萩の街との別れの涙を流し、帰って来た時は嬉し涙した所。松は枯れてしまってない。安政6年(1859)、江戸に護送される吉田松陰はここで歌を詠んだ。
倒れているのでなく、置かれて祀られている道祖神だろう。
地下道で県道32号をくぐる。
基点の唐樋札場から最初の一里塚跡。三田尻まで11の一里塚があった。
刑死者供養の地蔵。優しく物悲しそうで、女性的な顔立ちをしている。
再び地下道をくぐる。
ここから隧道入口までは約250mある。隧道の出口はこの先の萩往還のすぐ近くにある。
長さ約182mの山口県で最初の洋風石造隧道。
萩往還はこの上を越え、隧道の向う口の少し先へ下って行く。
悴坂峠あたり。
この道標は萩市内では多くて助かるが、山口市・防府市では少ない。
自然の道しるべとして往還を行く人々の目標物になっていたという。慶応元年(1865)鎮静会議員の香川半助ら3名(殉難三士)を襲った選鋒隊は、香川らの首級と睾丸をここに晒したという。
明木川沿いを進む。 《地図》
静かでのどかだ。
殉難三士を供養する地蔵ともいう。
伊豆の下田で捕らえられた松陰は江戸の伝馬町の牢屋敷へ送られ、助命されて萩へ檻送され野山獄に幽囚された。
(現)明木橋を渡って明木市へ入る。 《地図》
もとは西来寺前に架かっていて明木川を渡った所に高札場があった。
明木地区の恩人。
元郵便局の児玉家
御客屋から昇格した御茶屋跡(藩主の休憩・宿泊施設)。
明木市の家並み 《地図》
石州赤瓦葺きの屋根。右側に目代所(問屋場)・馬継場があった。
ここを左折。左角に道標と曲がった右手に高札場があったようだ。
この先で国道262号をくぐる。
3km以上の長い上り坂の始まりだ。途中に石畳が残っている。
町田梅之進自刃の地・行司の墓(左)
「東京行司木村久治墓」とあるそうだ。詳細は不明のようだ。旅の途中のこの地で病死したのだろうか。
昔、大泥棒が処刑される時、このあたりに盗んだ千両箱を埋めたという埋蔵金伝説があるそうだ。今だ発見されず・・・。「浴」とは小川のことか?
何の標示、説明板などはない。写真を撮って通り過ぎ、塚上の木柱の文字を読もうと思い引き返すが、フェンスで近づけず読めない。近くで農作業中のおばさんに聞いてみる。確かに一里塚跡で、役場に何度も案内板・説明板などを立てるように言っているが、駄目らしい。以前はもっと粗雑に扱われ、塚石は炭焼きの窯(かまど)用に持ち去られていた時もあったそうだ。地区の人たちがこのように復元したという。その他いろんな話を聞けてよかった。
この先で左折し、国道262号へ上って行く。
七賢堂の展望台から 《地図》
下が萩往還の釿切中ノ峠下一里塚跡あたり。
孟宗竹・黒竹・大名竹ほか色々ある。
標高405mで五文蔵峠より高い。下りとなって佐々並に向かう。
刎橋構造になっている。
木造の刎橋は甲州街道沿いの「猿橋」が有名だ。
佐々並橋 《地図》
渡った所の左の呉服屋前に高札場があった。
御茶屋(藩主の宿泊・休息施設)は宿の東端(写真の右端)にあった。
江戸期からの旅館
右は阿武萩森林組合佐々並出張所。
もとはバスの佐々並停留所の建物。佐々並で唯一の洋風建築だそうだ。
ここを左折して行くのだが、この先のバスの便を考えて今日はここまでとし、佐々並バス停に向う。
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