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2013年4月 3日 (水)

小関越え・西近江路①

2013年3月27日

四宮駅(京阪京津線)・・・東海道・・・小関越え追分・小関越道標・・・藤尾道踏切(京阪京津線)・・・徳丸稲荷大明神・・(東海道線・湖西線)・・・寂光寺・・・(国道161号)・・・普門寺・・・琵琶湖疏水第一竪坑・・・小関峠・・峠の地蔵・・・(小関町)・・新光寺・・等正寺・・小関越道標・天満宮・腹帯地蔵尊・・・札の辻(京町1丁目交差点)・大津市道路元標・・・北国橋(琵琶湖疏水)・・・大門踏切((京阪石山坂本線)・・・観音寺西交差点・大津城跡・道標・・・観音寺地区・・蛭子社・・・熊野川橋・・・不動川橋・・・国道161号・・・柳川橋・・・新際川橋・・・神馬仮屋地・・唐崎神社・・・国道161号・・・四ツ谷交差点・旧道・・・志津若宮神社・・・四ツ谷川橋・・・七本柳・・坂本城跡公園・・東南寺川・・東南寺・・坂本城址碑・・・蓮瑞寺・・・両社の辻・・酒井神社・両社神社・・・専念寺・・・幸神神社・・・厳島神社・・・(下坂本5丁目交差点)・・・磯成神社・・磯成川橋・・・大宮川橋・・・若宮神社・比叡辻・・・比叡山坂本駅(JR湖西線)

  【ル-ト地図

 東海道の横木1丁目(大津市)の追分から小関越えで札の辻へ出て西近江路(北国道)に入り、琵琶湖西岸を北上し、海津からは七里半越えで追坂峠、国境(くにざかい・地名)を越え、日本海沿いの敦賀を目指す。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9266 小関(こぜき)越道標 【ル-ト地図】の1

京都と大津を結ぶ古道の一つで、西国三十三観音の第14番三井寺(園城寺)への巡礼道でもある。ここを左折し東海道から分かれ北方向に進む。

 

Img_9292 由来(小関峠に設置のもの)

東海道の逢坂越えを大関とする。『近江・若狭と湖の道』(街道の日本史)では、逢坂山を越える逢坂関は大関と小関の複合体で、大関は東海・東山道、小関は北陸道を抑えたとする。

 

Img_9273 東海道線・湖西線を越える。 《地図

 

Img_9275 寂光寺方向へ進む。

 

Img_9280 普門寺沿いに上りとなる。

 

Img_9286 琵琶湖疏水第一竪坑 【ル-ト地図】の2

この底から東西の三井寺下、藤尾の出入り口に向かって堀り進められた。

 

Img_9284 説明板

 

Img_9283 琵琶湖疏水は小関越えの道とほぼ重なる。

 

Img_9288 山道っぽくなるが舗装されていて、すぐに峠に出る。

 

Img_9291 小関峠 《地図

野ざらし紀行』で芭蕉は、「大津に至る道、山路を越えて 山路来て何やらゆかしすみれ草」と詠んだ。

 

Img_9298 峠の地蔵堂(喜堂)

 

Img_9295峠の地蔵

出世・延命地蔵

 

Img_9297 説明板

 

Img_9300 車道となって下って行く。

 

Img_9303 三井寺への近道が分岐。

 

Img_9307 小関町に入る。

 

Img_9308 等正寺(右)

 

Img_9309 天満宮(右)前に道標 《地図

 

Img_9310 小関越道標 【ル-ト地図】の3

左は「かたゝげんべゑのくび」・「蓮如上人御旧蹟 等正寺」への道標で、蓮如上人の信奉者の『堅田源兵衛親子の伝承』。

 

Img_9317 説明板

 

Img_9319 腹帯地蔵堂(天満宮の向い側・左)

寛平年間(889~897)に園城寺を再興した円珍の開基と伝える。長等神社から三井寺への道。

 

Img_9321 西近江路に突き当たる。 【ル-ト地図】の4

ここを左折して行くのだが、右折して西近江路の起点の札の辻まで行く。

Img_9324 阪本屋鮒寿司店

明治2年の開業

 

Img_9326 札の辻(東海道) 【ル-ト地図】の5

ここを西近江路の起点とする。
右が歌枕の逢坂の関跡方向。

 

Img_9327 大津市道路元標(交差点の右側)

 

Img_9330 道標(文政2年(1819)・北国橋の手前)

「右 くさ津 いしやま」、西近江路は直進。

 

Img_9338 北国橋から琵琶湖疏水

 

Img_9342 大津城跡(観音寺西交差点)

ここは北西部の外堀跡あたり。

 

Img_9344 説明板

 

Img_9348 道標(文政10年(1827)) 《地図

「右三井寺観音道」は今歩いて来た道で、「右 山王唐崎道」を進むのが西近江路。

 

Img_9354 観音寺地区

枡形のように曲がっている。江戸時代前期に琵琶湖の船奉行を務めた観音寺の屋敷にちなむ町名。

 

Img_9376 神馬仮屋地(唐崎神社手前)

 

Img_9374 説明板

 

Img_9377 白髭神社道標(天保7年(1836))

ここは唐崎神社の参道で、白髭神社はまだまだ遠い。

 

Img_9381唐崎の松 《地図

「野ざらし紀行」には、「辛崎の松は花より朧にて」
万葉集には、「
楽浪(さざなみ)の 志賀の辛崎 さき幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ」(柿本人麻呂) 

 

Img_9384 近江八景 「唐崎夜雨」

三上山(近江富士)がうっすらと。夕刻間近で今にも雨が降り出しそうだ。
落語『近江八景

 

Img_9393 四ツ谷交差点

左へ旧道に入る。

 

Img_9398 志津若宮神社 《地図

下坂本の「三津浜」(戸津・志津・今津)の志津はこのあたりか。

 

Img_9399 説明板

 

Img_9403 天井川の四ツ谷川を渡り、下坂本地区を通って行く。

 

Img_9404 湖岸沿いに出て、七本柳・坂本城跡公園に寄る。

 

Img_9405 山王鳥居 《地図

日吉大社山王祭の「船渡御」で7基の神輿はここから唐崎神社の沖まで行き、若宮神社で下船し日吉大社に還御する。鳥居の間の遥かに三上山。

 

Img_9406 説明板

ちほん」ではなく「ちほん」だ。

 

Img_9412 坂本城跡公園 【ル-ト地図】の6

明智光秀像が立つ。

 

Img_9408 説明板

 

Img_9409 城域図

 

Img_9417 東南寺川沿いを進み西近江路に戻る。

坂本城の堀として利用されていたと考えられている。

 

Img_9422 東南寺 《地図

 

Img_9420 説明板

 

Img_9423 坂本城址碑

正面奥が東南寺

 

Img_9426 西近江路石標

右は蓮瑞寺

 

Img_9434 両社の辻 【ル-ト地図】の7

松の馬場通りを左折すれば2つの社がある。

 

Img_9450 説明板

 

Img_9436 酒井神社(右)・両社神社(左)

もとは一社だった。

 

Img_9443 説明板

 

Img_9445 琵琶湖洪水石標・道標

明治29年の洪水の水位を記す。もとは両社の辻の東南隅にあった。
右は道標(宝暦8年(1758)で、「右北国海道・「左 日吉山王 ひゑいさん道」と刻むそうだが、下部は埋まっている。もとは両社の辻の西北角にあったもの。

 

Img_9444 説明板

 

Img_9439説明板

 

Img_9462 磯成神社

鳥居に向うはムクロジの大木。このあたりは中世には坂本の馬借・車借の居住地だった。

 

Img_9461 説明板

 

Img_9468 比叡辻 【ル-ト地図】の8

右が若宮神社

 

Img_9469 若宮神社

山王祭の船渡御を終えた神輿はこの裏の浜へ下船し、日吉大社へ還御する。

 

Img_9470 説明板

 

Img_9478 比叡山坂本駅へ向う。

神輿が還御する日吉神社の参道だ。本降りの雨になってきた。明日はどうか。ちょっと気が重い。

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