西近江路②
2013年3月28日
比叡山坂本駅(JR湖西線)・・・(旧)比叡辻・・・大崎神社・・・供所神社・・・国道161号・・来迎寺・・・新大宮川橋(大宮川)・・・高橋川・・・苗鹿三丁目交差点・苗鹿の常夜灯・旧道・・・那波加神社・・・大正寺川・・・雄琴温泉・雄琴港・・福領寺・・雄琴神社・・・北雄琴橋(雄琴川)・・・寿命寺・・・国道161号・・・御呂戸川・・・天神川橋・・・仰木口交差点・・堅田地区・・妙盛寺・・本福寺・・湖族の郷資料館・・浮御堂・・堅田藩陣屋跡・・伊豆神社・・都久夫須麻神社・・居初家(天然図画亭)・・福聚禅院・・堅田漁港・・堅田内湖・内湖大橋・・・湖族の郷青年像・堅田駅・・・一本松跡・・・県道558号・・・真野川大橋・・・小野駅・・・小野交差点・旧道・・・丹出川橋・・・(湖西線)・・・小野妹子墓道標・・・小野道風神社・・・小野神社・小野篁神社・・上品寺・・和邇川・・・榎の石碑・・・報恩寺常夜灯・道標・・・(和邇駅)・・・出口辻あたり・・大将軍神社・・・灯籠地蔵堂・・・和邇浜・・・喜撰川浜橋・・・真光寺・・・住吉神社標石・・県道558号・・・鎌田川橋・・・(蓬莱駅)・・八所神社・・・八屋戸橋(八屋戸川)・・・八屋戸交差点・旧道・・・六地蔵・道標・・・県道558号・・・旧道・・・野離子川・・・志賀清林墓・・・木戸川橋・・・木戸地区・樹下神社①・・白髭大明神道標・・県道558号・・志賀駅口交差点・国道161号・・・大川・・・木元大明神標石・・・湯島神社標石・・・荒川交差点・・・大谷川橋・・・旧道・・・国道161号・・・樹下神社②・・・比良駅(JR湖西線)
【ル-ト地図】(27.0km)
雨模様の中を比叡辻(坂本)から北へ、雄琴→衣川・堅田→小野→和邇→木戸(志賀)へと進んだ。雨はうっとうしいが、まあ順調だろう。
写真をクリックすると拡大します。
来迎寺山門
坂本城の表門を移築。
苗鹿(のうか)の常夜灯(弘化4年(1847)) 【ル-ト地図】の①
西近江路沿いでは最大の規模。もとの場所からは西北に移設されている。
ここを左に入る。
苗鹿の地名由来が書かれている。
歓楽・風俗温泉のイメージから脱却を目指しているか。
福領寺は木造阿弥陀如来坐像を安置。
ここの南西側が雄琴城跡。
西近江路の最初の宿だった衣川には往時の面影はない。
仰木口交差点(国道161号)で西近江路から離れ右に入り、堅田地区へと進む。 《地図》
左に入った西近江路沿いには一里塚の役割を果たしていた榎と白髭神社への道標があるようだ。
蓮如がここを近江での布教活動の拠点とした。また、十一世住職明式(みょうしき)は、松尾芭蕉の高弟(俳号「千那」)で、芭蕉は当寺に泊まり多くの句を残している。 「病雁の夜寒に落ちて旅寝哉」
中世堅田は、琵琶湖の水運・漁業権を一手に掌握し、泉州堺と並ぶ自治都市として栄え「堅田千軒」と称された。その歴史、文化を築いたのが堅田湖族と呼ばれた堅田衆だが、近世に入ると大津百艙船にその地位を奪われ、大津百艙船も彦根三湊(松原・米原・長浜)に既得権を奪われて行く。栄枯盛衰世のならいか。
堅田駅前の「湖族の郷青年像」の所に設置のもの。
近江八景「堅田落雁」
ここでパリ在住のインド人で、日本全国を一人で回っているという中年の男性に出会う。北から南(逆だったかも)へもう3か月以上も旅行中で、この先、敦賀にも寄るという。この景観が素晴らしいとしきりに感嘆していた。こちらは2度目だし、それほどのものとも思わないが自分が褒められているようで、いい気分だった。(彼は日本語が喋れる。自分はむろん仏語も英語も喋れない)
堅田藩陣屋跡 【ル-ト地図】の②
ここは表御門跡。
堅田湖族の三家の一つである居初氏の邸宅。茶室「天然図画亭」と庭園がある。
琵琶湖の水が入り込んだ池のような内湖の一つで、淡水真珠の養殖も行われている。
「旧北国海道 「一里塚」 一本松跡」と刻む。一里塚の役割を果たした一本の松で、正式な一里塚ではなかったようだ。
歌枕の「真野の浜」は、今は真野浜水泳場になっている。 《地図》
「近江路やまのの浜べに駒とめて比良の高ねの花をみるかな」(源頼政「新続古今和歌集」 )
「うづら鳴く真野の入江のはま風に尾花なみよる秋の夕暮」(源俊頼「金葉集」)
小野交差点で左に入り、湖西線をくぐって行くのが「上街道」、湖西線の手前で右折し湖岸方向へ進むのが「下街道」で、和邇駅の先の大将軍神社手前の「出口辻」で上・下街道は合流する。上街道を行く。
小野妹子墓道標(大正8年)
「外交始祖大徳冠小野妹子墓 是ヨリ 三丁余」と刻む。唐臼山古墳(正面の小高い小野公園内 《地図》)を小野妹子の墓とする伝承がある。以前行ったことがあるが、琵琶湖の眺めがよかったことしか覚えていない。
小野道風神社 【ル-ト地図】の④
三蹟(跡)の一人。
小野篁(たかむら)神社・小野神社(左奥)
妹子王が小野妹子、小野小町は篁の孫になっている。華麗なる一族だ。
「小町は父である篁・・・」とある。上記の系図からは祖父だろうが、「小野小町」の真実については定かでないというのが事実のようだ。
和邇川を渡り和邇地区に入る。
「榎」と刻まれた石碑。かって榎の大木がそびえ、和邇宿を「榎の宿」と呼んだ。一里塚の榎とも、天皇社の神木ともいう。《地図》
この辻は途中越えの竜華道との交差点で、石碑の裏面には「→途中大原八瀬京都道」の道標が立つ。若狭街道(通称は鯖街道)へ出る道筋だろう。 (途中は地名)
常夜灯(慶応2年(1866))・道標 《地図》
常夜灯は報恩寺十一面観世音常夜灯。
道標は「北国海道 大津 江五里余 白髭江 五里」・「近江西国第八番比良山観世音江二丁」で報恩寺のこと。白髭神社までまだ5里もある。
和邇駅下をくぐり、大将軍神社沿いを進み琵琶湖方向に進む。
左に近辺の北国海道(西近江路)地図が貼られている。(中浜会議所の所)すぐ先の灯籠の所が灯籠地蔵堂だろう。正面は琵琶湖。 《地図》
海岸を歩いている気分だが、磯の香りがしないので湖岸だと気づかされる。
近江八景「比良の墓雪」
中浜・和邇漁港・北浜と進み、真光寺手前で県道に戻る。
向う側は八所神社。
八屋戸交差点の石材店の所で左に旧道に入る。《地図》
江戸時代に東海道の京と大津の間に敷設された車石には、主として付近から産出される木戸石が使用されたそうだ。
道標・六地蔵の辻 《地図》
道標は「左京大津」、木の立札は「←金ピラ峠を越え 蓬莱山 JR蓬莱駅→」で、右に行き県道に出る。
ここにも地蔵と道標(文政2年(1819))、「左かいとう」で北国海道(西近江路)のことか?
再び左に旧道に入る。《地図》
しゃれた名の野離子川を渡り、「びわこバレー」に通じる道路を横切り進む。
志賀清林の墓 【ル-ト地図】の⑤
木戸地区出身の奈良時代の力士。
滋賀県には樹下神社が多いそうだ。このあたりが木戸宿の中心部だったか。木戸も設けられていたのだろうか。標石の傍らに道標(宝暦9年(1759))がある。「観音堂号西方寺」・「従是至二町」で西方寺は樹下神社の北側にある。
荒川交差点 《地図》
右に「湯島の里碑」・「蓮如上人御旧蹟碑」が立つが、どんないわれがあるのか?
樹齢300年のスダジイの老神木が「樹下」に似合いだ。右に天満宮が隣合う。
ここを右折して比良駅に向かった。
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