西近江路④
2013年3月30日
新旭駅(JR湖西線)・・・平井交差点・県道558号・・・旧道・今市地区・・田井川・・北国海道道標・・・熊野本交差点・県道558号・・・本養寺・・永正寺・・・元三大師石標・・・大国主神社・・・報恩寺・・・覚伝寺・・・法泉寺・・・林照寺・・・岡橋(林照寺川)・・堂西遺跡・・・岡の玉水・・・妙静寺・・・饗庭交差点(国道161号高島バイパス)・・(湖西線)・・・旧道・・今川・・木津地区・・木津の一里塚跡・・北国海道道標・波爾布神社石標・・木津浜・竹生島遥拝所(跡)・・・二つ石大明神・・・今津地区・松並木・・日枝神社・大水別神社・・今津桟橋跡・・丁子屋・・金沢藩今津代官所跡・・住吉神社・・九里半街道起点・・ヴォーリズ通り・・ヴォーリズ資料館・・今津基督教会館・・(湖西線)・・辻川通り・・旧今津郵便局・・天神坂・・九里半街道分岐地点・・行過天満宮(阿志都彌神社)・・・弘川口交差点・県道335号・・・前川橋(今津川)・・・保寿院・・・明厳寺・・・石田川・・・上郷川・・・櫟原神社・・・旧道・・・境川小橋・・・県道335号・・・旧道・・・日吉神社・・・県道335号・・・旧道・・・県道335号・・・新保地区・・新保天満宮・・・(湖北バイパス)・・・百瀬川トンネル(百瀬川)・・・生来橋(生来川)・・・長法寺・・・栄敬寺・・・知内川橋・・・国道161号・・・マキノ駅(湖西線)
【ル-ト地図】
4日目にしてすっきりと晴れた。木津の一里塚跡から木津(古津)浜に出て今津宿へ進み、九里半街道の起点から天神坂を上り、行過天満宮の常夜灯の所で九里半街道と分かれ北進した。
マキノ町(高島市)に入り天井川の百瀬川をくぐりマキノ駅まで進んだ。まだ時間はたっぷりあり、折角のいい天気の下をもっと歩きたいところだが、この先、西近江路は湖西線から離れ、海津からは琵琶湖からも離れ、追坂峠、国境(地名)を越えて行く。次の新疋田駅(北陸本線)までは、かなりな距離なので急ぐ旅でもなし、今日はここを打ち止めとした。
昨日までは大津に泊まっていたが、今日からは敦賀に泊まる。マキノ駅ではスイカでスイーと乗ったが、敦賀駅はスイカは使えなかった。スイカだけでなく、電子カードを使えるシステムになっていないのだ。改札口で「やっぱり裏日本だなあ」と思わず蔑称を口走りそうになった。
写真をクリックすると拡大します。
県道ができるまではこちらが表通りだった。突き当り右に北国海道の道標が立つ。
左折して熊野本交差点で県道に出る。
慈恵大師良源のことで西方の大泉寺(通称お大師さん)への道標。
通称は五十川(いかがわ)神社でバス停名も「五十川神社前」。なぜ出雲の神が祀られているのか?
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この上が吉武壱岐守の詰城の五十川城跡と推定されている。東方には居城の吉武城跡がある。
「蓮如上人御旧蹟・吉武壱岐守墓所」の標石が立つ。吉武壱岐守は延暦寺から任じられた荘官を務めていた。
親鸞にゆかりの寺
堂西遺跡の標柱が立つがどんな遺跡か調べても分からず。(岡橋(林照寺川)を渡った左側)
旅人ののどを潤した井戸だが、正面の覆い屋に井戸があるのか、水は湧いているのか確認しなかった。
饗庭交差点で国道161号高島バイパスを渡り、湖西線をくぐり、今川の手前で旧道に入る。
今川を渡り木津(こうつ)地区へ入る。《地図》
今津よりも古い港で古津ともいった。
塚はないが不気味な廃屋が残る。写真を撮っていたら廃屋を撮っていると近所の人に間違われた。
振り返って見ている。波爾布神社は国道161号の西方にある。
大津長命寺は?
木津浜・竹生島遥拝所跡碑 《地図》
北の今津に対しての古津。今津と物資集散の取り扱いをめぐって対立が起き、街道が分かれる追分村で貨客争奪が生じたため、寛永9年(1632)古津村は小浜藩の荷物だけを扱うことで一旦決着したが、その後もしばしば竹生島へ渡る巡礼客をめぐって対立が続いたそうだ。
古銭を探したりはしなかったが。
琵琶湖上で沖の島に次ぐ2番目に大きな島。神の住むといわれる信仰の島で琵琶湖八景のひとつ。神仏一体思想で発展してきたが、明治の神仏分離令で、弁才天を本尊とする「宝厳寺(ほうごんじ)」と浅井姫命を祀る「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)」に分かれた。
本物の「二つ石」は海中にある。
今津浜の松並木から今津宿へ 《地図》
日枝神社大水別神社(左)
竹生島から帰船か。♪「琵琶湖周航の歌記念碑」が立つ。
若狭の塩や海産物が集散する港として繁栄した。今津港では延宝5年(1677)に丸子船74隻、また享保年間(1720年頃)には82隻を所有し、最盛期には加賀藩米を中心に年間20万駄を扱う賑わいだった。
江戸時代の旅籠屋で、福寿・鶴屋・丸福などの旅籠・料理屋とともに置屋の営業もしていたという。
金沢藩今津代官所跡(右) 《地図》
江戸時代、今津村は金沢藩近江領だった。
手前を左に入った泉慶寺には身代わりとなって蓮如を救ったという娘、お初を祀る「お初地蔵」がある。
毎年5月4日に日枝神社大水別神社と住吉神社で、今津祭が行われる。
九里半街道は行過天満宮の常夜灯までは西近江路と同じ道筋。保坂で若狭街道(通称鯖街道)と合流し、水坂峠を越え小浜へ通じる。またここを直進し、浜沿いに海津に向かう西近江路の「浦海道」のルートもあった。
「右 わかさ」・「左 京」
ヴォーリズ通りに入る。
天神坂の坂上で右折し、北進する。 《地図》
西近江路は行過天満宮(阿志都彌神社)の東側を北進する。分岐の天満宮永代常夜灯は明和3年(1766)の建立。
天保14年(1843)に行過(ゆきすぎ)天満宮を合祀した。「行過」の由来は、菅原道真が越中の国守として任地に赴く時、湖西地域に滞在していた藤原時平に会おうとして、村人にその所在を尋ねたところ、すでに通り過ぎていたという伝承からという。(別の伝承もあるようだ)
弘川口交差点で県道335号に出る。
石田川 《地図》
水彩画のような風景?
北陸から奥州へ逃れる源義経一行の伝承。
この先のJA今津町の交差点あたりに一里塚があったそうだ。
ここで一休み
右斜めに旧道 《地図》
分岐点に「義人長三郎の墓」の標識がある。道沿いにあるものとキョロキョロしながら探したが見当たらず。後で調べるとここを右折した芳春院境内に碑が立っているそうだ。
左に旧道に入る。
この先で県道に出る。
京都の北野天満宮より勧請。
平安時代の大處荘の荘園の時代から、多くの変遷の歴史が書かれている。そして今はマキノ町から高島市マキノ町になっている。
百瀬川トンネル(百瀬川) 【ル-ト地図】の23
上に川は流れているのか見に行く。
マキノスキー場はもうシーズンは終わっただろう。
この先、知内川(うないがわ)橋を渡り、国道161号に出てマキノ駅まで行った。
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