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2013年4月20日 (土)

西近江路⑥

2013年4月1日

新疋田駅(JR北陸本線)・・・国道161号・・・(北陸本線)・・疋田地区・・南無阿弥陀仏碑・・西愛発小学校跡・・疋檀城跡・・定広院・・舟川(敦賀運河)の船溜跡・・日吉神社・・・国道8号・・・小河交差点・・・(北陸本線)・・・農兵隊鳩原水害記念碑・・・(北陸本線)・・・旧道・・・道ノ口踏切(JR小浜線)・・・国道8号・・・木の芽橋(木の芽川)・・・白銀交差点・・・気比神宮・・・天満神社・・・敦賀港線踏切・・金ヶ崎公園・・芭蕉翁鐘塚・・金ヶ崎宮・・金ヶ崎城跡・尊良親王墓所見込地・月見御殿跡・絹掛松・・・赤レンガ倉庫・・・旧敦賀港駅駅舎(敦賀鉄道資料館)・・・敦賀港・・・今橋・・・松島橋(笙の川)・・・専安寺・・気比の松原・・・神明社・・・松原神社・水戸烈士記念館・・武田耕雲斎等の墓・・・来迎寺・・・松原橋(笙の川)・・・真願寺(敦賀城跡)・・・今橋・・・みなとつるが山車会館・・・敦賀市立博物館(休館中)・・・晴明神社・・・西方寺跡(アクアトム跡)・・・神明神社・・・白銀交差点・・・敦賀駅(JR北陸本線・小浜線)

  【ル-ト地図】(19.4km)

 宿駅だった疋田地区・道口地区から木の芽橋を渡り、敦賀の中心街へ進んだ。気比神宮に寄り、桜の見頃な金ヶ崎公園から金ヶ崎城跡に上り、敦賀湾を眺めを楽しんだ後、気比の松原まで足を延ばし、西近江路歩きの終点とした。浜辺で小休止し、幕末の天狗党の史跡、敦賀城跡の遺構などに寄り道しながら敦賀駅に向かった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0168 北陸本線をくぐって疋田地区へ

Img_0172 南無阿弥陀仏碑

Img_0171 説明板

Img_0177 疋檀(ひきた)城跡 【ル-ト地図】の①

Img_0176 説明板

Img_0183 舟川(敦賀運河)の船溜跡 【ル-ト地図】の②

敦賀からの曳き舟の終着点。川幅約2.8mというからもっと広かったのだろう。
古くは平清盛の深坂峠を越えて琵琶湖までの運河開削計画もあった。『本州縦断運河計画
 疋田は七里半越え(西近江路)・塩津道などの交通の要衝で、小浜藩の本陣が置かれ、郡内最大の宿駅として伝馬や多数の問屋があった。しかし、西廻り航路が開かれて以降、敦賀港への米穀など諸物資の積み降ろしが減少し、衰退して行った。

Img_0182 説明板

Img_0186 説明板(舟川)①

Img_0187 説明板(舟川)②

Img_0197 疋田地区を抜け、国道8号に出て緩やかに下って行く。

国道の北側の市橋地区にも旧道が残っているようだ。右前方は小河トンネル。

Img_0203 農兵隊の鳩原水害記念碑

慶応2年(1866)8月7日の暴風雨で屯所の裏山が崩れ、警戒に当たっていた17名の農兵隊が犠牲となったそうだ。その慰霊碑らしいが、それが「郷土を守った」ことになるのか?

Img_0205 笙の川沿いを行く。歩道がなく歩きづらい。

Img_0209 北陸本線を越え右に旧道に入る。

Img_0211 道ノ口踏切(小浜線)を渡る。 《地図

若狭・敦賀・越前三方への分岐点であることから「三ノ口」と呼ばれるようになり、さらに「道口」になったという道口は古くからの交通の要所で「愛発関」の推定地の一つでもある。江戸期には宿駅だったが、その面影は見当たらなかった。

Img_0215 木の芽橋を渡って敦賀の中心部へ 《地図

Img_0216 木の芽橋の古い親柱

Img_0374 気比神宮の大鳥居 《地図

春日大社・厳島神社の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」の一つ。越前国一宮、北陸道の総鎮守。

Img_0375 説明板

Img_0377 拝殿

Img_0385 敦賀港線

JRの貨物線で現在は休止中。正面の金ヶ崎公園から金ヶ崎城跡へ向う。

Img_0434 敦賀港駅ランプ小屋

Img_0433 説明板

Img_0390 芭蕉鐘塚

「月いつく 鐘は沈る 海の底」、南北朝時代の金ヶ崎城落城にまつわる陣鐘の沈鐘伝説を聞いて詠んだ句。

Img_0391 説明碑

ここでは「月いつこ・・・・」になっている。

Img_0396 金崎宮

恒良親王と尊良親王を祀る。

桜の見頃で「花換まつり」中だ。

Img_0404 敦賀港

Img_0428 尊良親王墓所見込地

墓所ではなく、自刃の地のようだ。

Img_0429 説明板

Img_0418 金ヶ崎城跡月見御殿から敦賀湾 【ル-ト地図】の③

ここは海抜86mで南北朝時代の本丸跡という。陣鐘を沈めたという海だ。戦国時代には朝倉攻めの織田信長は浅井長政の裏切りで退路を断たれ、この城から一目散に総退却し、朽木越え(若狭街道)で京へと逃げ帰った。司馬遼太郎は『街道をゆく』の旅の始まりの『湖西のみち』で「朽木渓谷」を訪れ、信長の退却を面白く書いている。

Img_0387 説明板①

Img_0394 説明板②

 下って敦賀港方向に出る。

Img_0441 赤レンガ倉庫

Img_0443 説明板

Img_0448 旧敦賀港駅駅舎(敦賀鉄道資料館) 《地図

Img_0447 説明板

Img_0473 気比の松原 《地図

三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の一つ。

Img_0471 気比の松原海水浴場

Img_0491 松原神社

この地で処刑された武田耕雲斎ら天狗党員を祀る。

Img_0488 ニシン蔵(水戸烈士記念館

天狗党員823名が幽閉された16棟の鰊蔵の一つを松原神社境内に移築。幽閉中に多くの病死者を出した。敦賀市と水戸市は姉妹都市だそうだ。

Img_0498 武田耕雲斎等の墓 【ル-ト地図】の④

Img_0497 説明板

Img_0502 来迎寺山門 《地図

敦賀城の中門を移築。この寺で武田耕雲斎らは処刑された。

Img_0510 真願寺(敦賀城跡) 《地図

Img_0508 説明板

Img_0514みなとつるが山車会館 《地図

Img_0517 敦賀市立博物館(旧大和田銀行本店)

修復工事で長期休館中というが、工事中には見えなかったが。何時、修復が終わって再開するのかなどの標示もなし。入場者が減少し閉館したのだろうと勝手に想像した。

Img_0519 晴明神社 【ル-ト地図】の⑤

晴明の祈念石」なる物を見せてもらった。何の変哲もない石で、賽銭が沢山乗っていた。写真を撮らせてもらおうかとも思ったが、賽銭も上げないようでは厚かましいと思い止めといた。

Img_0520 由緒

Img_0526 西方寺跡(アクアトム跡) 《地図

芭蕉の『奥の細道』にも詠まれた「お砂持ち行事」の2世遊行上人真教ゆかりの寺跡。

アクアトム((独)日本原子力研究開発機構)も24年3月末で閉館してしまった。これももったいない建物だ。再利用する計画はあるのか? まあどうでもいいが。

Img_0523 説明板

白銀交差点から敦賀駅へ向かった。

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