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2013年5月29日 (水)

奥州街道(古川宿→築館宿)

2013年5月18日

東北イン古川駅前・・・金谷不動尊・・一把藁神社・・・十日町交差点・県道1号・・・吉野作造生家跡パーク・・・八幡神社・・・江合橋(江合川)・・・聖骨傳眞居士碑(追分石)・・・延慶の碑・・・天満宮・・・(国道4号)・・・荒谷宿・・・稲荷橋(田尻川)・・・斗瑩稲荷神社・・・羽黒山公園・・・国道4号・・・(栗原市)・・・立街道バス停・・・台町交差点・県道1号・・・透川・・高清水宿・・本町裏清水標柱・・八幡神社・・小山下清水公園・・牟良佐喜神社・・高清水城跡(高清水中学校)・・福現寺・・善光寺・・・善光寺橋(善光寺川)・・・伊東ハム工場・・・国道4号・・・ローソン・・旧道・・・前田橋(八重壁川)・・・力石・・・明治天皇行幸記念碑・・築館育苗センター標識・・・八沢放牧場・・機織坂・・・国道4号・八つ沢バス停・・・(築館IC)・・・高森遺跡標識・・・赤坂・・・国道4号・・・旧道・・・築館宿・・築館八幡神社・・双林寺(杉薬師)・姥杉・・金毘羅神社・・・国道4号・・・留場橋(一迫川)・・・シティホテルくりはら

  【ル-ト地図】(29.0km)

 今日も気持ちのいい五月晴れの下、古川宿から荒谷宿へと進み、栗原市に入った。高清水宿の先の旧道歩きが本日のハイライトだ。往時の奥州街道の面影が残り、力石から先もしっかりとした道がついて迂回することなく進め、機織坂も下れて大満足だった。
 けっこう歩いたわりには早めに築館宿に入った。その上、今日の宿は街道沿いだから楽だ。ただ一日中強い紫外線を浴びて、日焼けといつもの発疹が出るのが気がかりだが。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1739 一把藁神社 《地図

壊れかけている支那そば屋の隣で、やっかいな状況だ。由緒は何なのか調べても分からず。

 十日町交差点から街道に入る。

Img_1742 吉野作造生家跡地パーク

Img_1740 説明板

Img_1747 旧家

江合(えあい)川の手前

Img_1749 江合橋から

街道は橋を渡って左から右へ回り込むように進む。再び県道1号を横切ったあたりに休塚一里塚があったようだ。

Img_1755 聖骨傳眞居士碑(寛政4年(1792)・『宮城県のHP』による) 《地図

追分石も兼ね、裏に「東 田尻 西 古川 北 荒谷」と刻むというが確認できず。ここを左に行く。すぐ左に延慶の碑への標柱が立つ。

Img_1764 延慶の碑(延慶4年(1311)・『宮城県のHP』による。・中央) 【ル-ト地図】の①

両界曼茶羅・偈頌・逆修供養者の戒名を刻むようだ。右は「古碑として保存の価値ありと認む」という宮城県の余計でムダな役所仕事の碑。取っ払って説明板でも建てたら。

Img_1771 荒谷宿の家並み 《地図

郵便局が本陣跡。商人荷宿が1軒あるだけの小さな宿だった。

 田尻川の手前で左折し、斗瑩稲荷神社に寄る。

Img_1772 稲荷橋(田尻川)

田尻川、長者川の上流に伝説の化女沼がある。

Img_1780 斗瑩(とけい)稲荷神社(とっけさま) 【ル-ト地図】の②

義経東下りの先達を務めた白狐(狐忠信)が現れたという、歌舞伎「義経千本桜」ゆかりの地。
パロディ落語の『猫の忠信

右に「千葉周作先生の屋敷跡」の標柱。水戸街道の松戸宿には周作が修行した浅利道場跡がある。『なま道(鮮魚街道)②』に記載。後に千葉周作は神田於玉ケ池に北辰一刀流の道場を開いた。その弟子が少年剣士の赤胴鈴之助だ。

Img_1775 由来

Img_1786 羽黒山公園 《地図

曼珠沙華(彼岸花)の群生地。

Img_1789 説明板

ここから国道を渡り右斜めに入る。馬篭一里塚跡はどこにあったのか? 再び国道に出て、国道と左右に残る旧道を進むが、国道を渡り返さねばならず歩きにくい。通場交差点の先で栗原市に入り、立街道バス停で国道4号と分かれ、台町交差点から高清水宿へと進む。透川を渡る手前に高清水一里塚があったようだ。

Img_1820 本町裏清水標柱

清水は民家の敷地内か?

Img_1823 小山下清水公園 【ル-ト地図】の③

高清水七清水の一つだが、涸れてしまったか水の流れ、湧き水もない。

Img_1824 説明板

Img_1835 鷹の杉(牟良佐喜神社)

Img_1827 説明板

Img_1836 高清水城跡(正面の高清水中学校) 《地図

Img_1839 説明板

Img_1844 高清水宿の家並み

本陣泊屋跡は火の見櫓の所というが見逃した。もう少し手前のようだ。

Img_1845 福現寺

香の前」の埋葬地という。

Img_1853 善光寺

保元年中(1156~58)に平泉の藤原基衡が、その父清衡の菩提を弔うため建立したと伝える。本尊は信州善光寺の分身の阿弥陀如来像とか。日本三善光寺(信州・甲州・奥州)のひとつ。

Img_1849 北条塔(善光寺境内)などの石塔

Img_1850 北条塔(左端)

北条高時が新田義貞に敗れて自害したことを悼んで北条氏の縁者が建てられた伝える。

Img_1855 善光寺橋を渡り、前方の伊藤ハムの所で国道4号に出る。

Img_1860 ローソンの先、欠屋敷バス停の手前で右に旧道に入る。

Img_1863 道標に従って進む。 《地図

Img_1867_2 前田橋(八重壁川)

八重壁一里塚跡はこのあたりか。

Img_1872 ここから左斜めに入って行く。

今日のハイライトの旧道歩きが始まる。

Img_1875 まさに奥州街道だ。

Img_1876 雑草のクッションが気持ちいい。

Img_1881 この先で舗装道路を横切る。

その手前左側に力石がある。

Img_1882 力石 《地図

「後三年の役」で源義家の家臣鎌倉権五郎景政がこの石を投げて士気を鼓舞したという伝説。

舗装道路を横切って直進する。

Img_1884 旧道はさらに続く。

Img_1885 田畑の畦道のような道を行く。

Img_1888 舗装道路に出る。

Img_1890 明治天皇行幸記念碑(右端の標柱)

Img_1891 説明板

明治天皇は機織坂→ここ→力石と進んだようだ。

Img_1892 「築館育苗センター」の標識の所で右へ入る。

奥州街道の道標も立つ。

Img_1895 分岐にも道標が立つ。

Img_1898 八沢放牧場に沿って行く。《地図

Img_1899 旧奥州街道の標柱

Img_1901 機織坂を下る。 【ル-ト地図】の④

Img_1908 下って国道4号に出る。

Img_1906 機織坂を振り返る

Img_1909 国道を横切り八つ沢バス停からバス路線を進む。《地図

Img_1912 築館ICをくぐる。

このあたりはICでもっと分かりにくいと思っていたが、すんなり通過できた。

Img_1915 高森遺跡標識(照越バス停そば)

旧石器捏造事件で有名なった元遺蹟。照越にも一里塚があった。

Img_1916 道標に従い左折。(神田バス停手前)

Img_1918 上り坂となって東北自動車道を越える。

Img_1922 赤坂を下る。 【ル-ト地図】の⑤

けっこうな急坂だ。

Img_1924 道標(正面)に従い右折する。

Img_1927 細い道を上って国道4号に出る。《地図

西側にも道があり、そちらの方が旧道のルートに近いようだ。栗原市役所の南側から左に入る。

Img_1935 杉薬師瑠璃殿(双林寺) 《地図

Img_1937 説明板

Img_1944 鐘楼

高床式倉庫のような素朴な造りだ。

Img_1946 栗駒山(参道から)

Img_1955 姥杉は落雷、火災などで痛々しい姿となっている。

東日本大震災の地震の影響もあるか。

Img_1952 説明板

 築館宿に入る。

Img_1958 本陣跡(左)

駐車場になっている。もとは築館郵便局があったそうだ。

Img_1961 旧家の2階部分

Img_1962シャッター通り商店街

地方の町はいずこも同じ秋に夕暮れか。アベノミクスなど遠いどこかの国の話だろう。

Img_1966 一迫川手前で国道4号に出る。

築館一里塚跡あたり。

Img_1970 旧家

Img_1971 シティホテルくりはら

ここが今日の宿。街道に近いから明日も楽だ。

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